40.勝利への道筋
大天使から放たれた光は、上方向から悪魔達を押し潰した。足元の”塔”も一瞬のうちに消えていく。落下しなくてよかった、ととりあえず思う。
体を起こしながら周囲を見渡すと、目に入ったのは黒色の”灰”の山だった。悪魔が消えれば、その体は塵となって消える。どれほどの悪魔がここで死んだのだろうか、と言いたくなる光景だ。
「──悪魔の心配をするとは。貴女らしいと言えばそうですが」
立ち上がった私達の前へ、大天使──ウリエルが、一瞬のうちに移動してきた。魔導ではなく、羽根の力のようにも見えるが。──と。
隣で剣と盾を持ち直したドロシー・フォン・ヴァルキュリアが、ウリエルを訝しんでいた。
「……我らの事は助けられない……という”計画”と耳にしていたが」
「えぇ。確かにそうです。間違いではない」
「……ならば、なぜ」
そう戦乙女に問われたウリエルは、その場に浮遊したまま、顎を引いて目を閉じ、胸の前で手を合わせて握る。さながら、何かに祈るかのように。広げていた巨大な羽根がたたまれ、地面の”灰”が少しだけ舞う。
「──ベリアルがどうなろうが、”天界”が残れば、それで良い。たとえそこが悪魔の居城となっても、天界としての役割を果たすのなら、問題ない──それが私の受け取った、神からの”意思”でした」
……ドロシーが口を開けたまま黙っている。到底信じることのできないものを、その目で見た時のように。私も同じだった。言うべき言葉が、頭の中から口まで降りてこない。
「私は大天使。天界を神の代わりに統べる使命を負う者。ゆえに、神の意思に従ってきました」
「……なるほどね」
妙に合点はいく。ウリエルがなぜベリアルを呼び込んだのか、と思っていたが、それを神が望んでいて、それに従うことが彼女の天命だったとするならば。
「──ですが。私は、天界が壊れていくのを傍観していられるほど、自分に厳しくすることはできなかったようです」
彼女は、同じ姿勢のまま、耳の通信装置らしきものに手を当てて、口を開く。
「みなさん、聞こえていますか」
『……あァ。聞こえてるよ』
ミカエルに続き、ガブリエルとラファエルからの返事も返ってきたようだ。ウリエルは深呼吸をした後、目を開いた。そして。
「作戦の変更を通達します。天使達は、天束エイン、ドロシー・フォン・ヴァルキュリアの二名を援護してください。大天使達も同様に」
『な、そ、それって……ちょっとウリエ──』
ガブリエルの困惑した声色が聞こえる通信を、ウリエルは全く気にする素振りもなく。私達を一瞥したあと、和やかな、しかし強さを感じる表情で、こう言った。
「──オペレーション・ヴィクトリアス。我々は、黙示録に必ず打ち勝つ。そうでしょう?」
「エインフィールド、いや──天束エイン」
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──前方に見えるのは、悪魔の大群。先程と同じように、私達は天界の街を走っている。ドロシーは悪魔の攻撃を盾で防ぎつつ。全く、先程までと同じ状況のように思える。
ただ、違う点を言うとすれば、
「──神的意思」
私達へと攻撃を仕掛けてくる悪魔たちが、尽く殲滅されている……という事。
『──おいウリエルッ! 棟までの道はどうなってる!』
『ラファエルの知識によれば、このまま真っ直ぐで間違いないようです』
ウリエルが”何か”を唱えると、光の渦が生まれ、大量の悪魔たちを”飲み込んで”いく。神的意思。名前から察するに、魔導の類ではないようだが。
「──ッ!」
ドロシーと私は、ほぼ同じタイミングで足を止めた。いや、止められた。大きな振動と、周囲を覆い隠すほどの砂埃。視界を奪われた私達は、なんとか倒れることはなかった。
敵の術かあるいは罠か。いやそれとも──。しかし私の考えは、どれもかすることもなく外れていた。
煙が消えていくと同時に、眼の前に突然現れた壁。いや、そんなわけがない。視線が徐々に上がり、首の角度が傾いてく。……顔、だ。
鋭利な牙と、真っ赤なに、闇のような黒色の体躯。それだけ見れば、確かに普通の悪魔と変わらない。
しかしこいつは。
「……何だ、この悪魔は……」
「私だって見たことないわよ……」
そこに居たのは悪魔だった。だが、その体は天使長棟の周囲の棟、つまり大天使が管理する棟と同じぐらいの高さに見える。横の大きさも、歩くだけで街の一つの区画が壊滅しそうな巨体だった。
その巨体の前に、何かが見える。赤色の点だ。……”赤色”だって?
『──ンだよ。オレの出番があって安心したぜ?』
ラファエルに渡された通信機から聞こえてくるのは、聞き慣れた緋色の大天使の声。そして発言の意味を考慮すると、あの山のように巨大な悪魔の前に飛んでいる、あの”点”は。
続く言葉を私が言う前に、ドロシーが口を開く。
「ま、待てっ! ミカエル! いくら大天使といえど、この相手には……!」
『……はン。お前、オレを”誰”だと思ってんだ?』
「だ、誰って、戦乙女部隊の隊長……だろう?」
ミカエルはただ”そうだ”と言って、背中から剣を抜いた。彼女の姿が粒にしか見えないこの距離でもそれが分かる。抜刀の際に剣から放たれた炎が、まるで羽根のような形を模しているからだ。
『──あァ。オレは天界の護りを全部背負ってンだよ。この程度のヤツを倒せないようじゃ──』
緋色の大天使が剣を降る。それに少し遅れて炎の軌跡が描かれる。しかし、二撃目が加えられることはなかった。巨大な悪魔が抵抗してくることもない。いや、できるはずもない。
『大天使なんて、務まらねェんだよ』
”山”は既に、息絶えていた。上半身と下半身の間に付けられた、赤色の火傷の跡のような”傷”によって。
『──進め。進んで進んで、ベリアルのヤツをぶっ倒してきやがれ』
「……あぁ!」
私達は再び走り出す。大天使や天使たちの援護を受けながら。目前に迫る、大天使棟へと。
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「──実に賑やかだねェ。いや賑やか賑やか。テメェのお仲間は見事なもンだ。なぁ? ──赤毛の天使」
「……エインさんも、ドロシーちゃんも、みんな強いですから」
天使長棟。その最上階。自らが生み出した巨体の悪魔を殺されて、笑みを浮かべる者が居た。そして彼の後ろには、囚われの天使。いや、囚われ、という表現は適切ではない。
彼女は、手足を拘束されているわけでもない。では、魔導で拘束されているのかというと、それも違う。
事態は、ベリアルの想像通りに進んでいた。天束エインが天界へと訪れた時点で、彼は勝ちを確信していた。
「……エインさんは、あなたのような悪魔には負けません」
「……あ? はッ。アイツは俺に一度殺されてンだよ。なら簡単な話だ。もう一度殺せばいい、だろ?」
ベリアルは、意地悪くアンジュの問いに返す。しかし、赤髪の天使は、希望に満ちた目で返した。
「──エインさんはいつも冷静です。わたしとはぜんぜん違う。でも……あの人にも感情が出る時があります」
「……だからなンだよ。それが一体──」
アンジュは、ベリアルの目の前まで距離を詰めて、その純粋な瞳で悪魔を見た。
「──エインさんは、勝ちます。必ず、勝ちます。あの人は、勝負を負けたままにはしないから」
ベリアルは押されて、舌打ちをして部屋から出ていく。アンジュは窓から外を眺めた。──きっと、エインさんやドロシーちゃんが来てくれてる──。
覚悟を決めた彼女の手には、魔力で作られた弓が握られていた。




