35.天界・オブ・レジスタンスⅠ
暗すぎる。一寸先も見えないような闇の中。私──私達は歩いていた。先頭を行くガブリエルに、ドロシー、私、ミカエル、ラファエルと続く。
ガブリエルが開いた抵抗勢力であろう拠点への道は、見た目に反して、容易いものではないようだ。
外見だけを見るのなら、何の変哲もない階段だ。人間界でもよく見るような。けれど、問題なのは下った後だった。そこで私達の視界に入ってきたのは、ただの暗闇。
火のような光源が一切ない分、まだ外の天界の方が明るそうだ。ドロシーは、私と同様この空間に驚き、それは後から着いた大天使達も同じだった。
「……おいガブ。本当にここであってんだろうな?」
少し動揺を見せる天使たち、いや私も含めてだが、に対して、ガブリエルは落ち着いた様子だった。それこそ、この空間が何で、何のために存在しているのかを知っているかの如く。
「天束エインの言う通り。後は”向こう”の仕事。私達は待つだけよ」
皆、ガブリエルが嘘をつくとも思えなかったのか、そこで会話は終わった。だが、相も変わらず、気まずい雰囲気が流れたままだ。
完全に手持ち無沙汰な状態だった私達だったが、ガブリエルが口を開いた。
「……久しぶりね、天束エイン。私にとっては、”エインフィールド”の方が馴染み深いけど」
「どっちもそんなに変わらないでしょ……ってか、人間界で会ったばかりだし」
「ま、そういえばそうだけど」
過去を思い返せば、ガブリエルと人間界で出会った時、ここまで大事になるとは思っていなかった。ベリアルと対決する可能性は考えていたものの。
「……変わらないのね、貴女は。学院で出会った頃からずっと」
ガブリエルがそう言う。むしろ変わりに変わってる気がする。今や、天使でも人間でもない中途半端な存在になってしまった。人生、いや、この場合は”天生”とでも言うべきなのだろうか?
と考えていると、今度は退屈そうにしているミカエルが口を挟む。
「ふん。思えば、あのクソッタレがお前を狙ったのも、案外偶然じゃねぇかもな」
「……たった二人の天使長候補生、ね。結果として、エインは消えてもう一人は失踪。ベリアルの介入がなかった……とは言い切れないわね」
座り込んでいた黒い影が、驚いたように立ち上がった。
「ま、待て! エインが次の天使長候補だと? 聞いたこともないぞ」
「……アンジュもドロシーにも聞かれなかったし」
「オレも戦乙女どもには伝えてねぇからな」
「な……」
憤慨したような、あるいは呆れたような、もしくは悲しんでいるような、複雑な顔に厨二病娘がなっているのが分かる。アンジュ・ド・ルミエールがこの場にいれば、間違いなくそのちゃんぽん顔をいじっていただろう。
ちなみに、ちゃんぽん顔とは──。
「もういい。秘匿に包まれた謎天使め」
「……ごめん。ちゃんと話すから。あなたにも、アンジュにもね」
腕を組んでぷいっとそっぽを向いたドロシー。……拗ねている子供みたい、という冗談は置いておいて。私が彼女たちに隠している事が多いのも、事実だ。
今更、”言う必要がなかったから”、などという言い訳を真面目に言っているわけでもない。
アンジュとドロシーは、私を信頼して付いてきた。そして結果的にこんな事に巻き込まれて、最悪な状況に陥っている。話さなければならない。いつか、きっと──。
「──」
突然の風。顔を手で覆わないと痛みを感じるレベルだ。暗闇に包まれた空間に光が差す。といっても、かつての天界に降り注いでいたような光ではないが。
風の吹いた方向へ向く。ガブリエルの前に立って──いや、”浮いて”いたのは。
「な、なんでアンタがここに……ウリエル」
「……ッ」
青髪の天使は驚愕し、緋色の髪の天使は背の剣の柄を握る。ドロシーは、一体何が起こっているのか理解している最中だ。かくいう私も、反応としては戦乙女に近いが……。
「……釈明は中で致します……」
ミカエルが舌打ちをして光の中へ消えていく。あとに続くようにガブリエルも行き、ともにドロシーも行った。どうやら、ゲートの維持には魔力の供給が必要らしく、ウリエルは出現した場所から動いていなかった。
なんとなく気まずい雰囲気の中、私も光の中へ──。
「……天束エイン。後で話したいことがあります」
そんな声を聞きながら。
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光の中は、想像に反して、いや、反しすぎている。私が想像したのは、無機質なシェルターのようなものだった。しかし、中にあったのは、まるで”鏡写し”の、無傷の街があった。
それは、まるで。
「……鏡面世界、か」
鏡写しの街から、少し離れた草原のような場所。緑色の、膝までありそうな高さの草が生い茂っている。そこに座りながら、そんなことを考えていた。
「……私なんてまだマシな方ね。隠し事の多さなら黒居には敵わないわ」
結局、黒居が何者で、何の為に私を助けて、協力しているのかは知らされなかった。知る必要がないと判断されたのか、伝えたくない、と思ったのか。
いずれにせよ、人間ではなさそうなのは確かだが。
「……随分と独り言が多いのですね、貴女は」
「独りで考える時間ってのも大切なのよ。……ていうか、居たのなら声ぐらいかけなさいっての」
「邪魔をするのは無粋かと思いまして」
なんて、文面だけ見ると冗談のようなことを言っているけど、実際の彼女は仏頂面。しかも目を閉じているままなので、表情を推測することすらできない。
「街の中には行かないのですか?」
「ま、ドロシーと違って用もないし」
この街へ来た時、私達を迎えたのはボロボロの天使ではなく、重装備に身を包んだヴァルキュリア達だった。羽の意匠が施された半透明の兜に、関節からチェーンが見える重装鎧。
ここは、避難所でもあり、ベリアルへの反攻作戦を準備する拠点でもあった。……ドロシーは、そこに合流するかどうかで揉めているらしい。
ミカエルとガブリエルも、現状の確認のために街に残っている。
「……で、本題に入ったら? まさか、こんな所に顔を合わせに来たわけでもないでしょう?」
「……えぇ。そうしましょうか」
ウリエルは、立ったまま私の横へ来た。がさがさと、草を踏みしめる音。風が吹き、なびく金色の髪が私の視界へ入ってくる。
「……貴女には、どれだけ謝罪を重ねても、許されないであろうことをしました」
「……」
「ベリアルを引き込んだのは、私です」
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「よォ? 大天使サマ。随分元気そうで安心したぜ?」
「……お久しぶりです。ベリアル……さん」
天束エイン──この時点では未だエインフィールドだが──が地獄へ向かう前のこと。まだ光に溢れていた天界の、天使長棟の最上階の執務室。
そこに、天界を壊した悪魔と、ウリエルが居た。密かに、誰にも見つからないように。
「手短に頼むぜ? 俺ァこれから、あの”候補生”ちゃんを殺しに行かなきゃならんのでね」
そういったベリアルの顔は、いかにも醜悪な笑みを浮かべていた。まさに”悪魔”という二文字が似合う、と言いたくなる。
「……最後の確認です。あなたは私達に、”悪魔を作る技術”を渡す。私達はあなたに──」
「天使長の”座”を与える、だろ? あァ。もちろんわかってるさ」
「──全ては、”天界と地獄の存続の為に”だろ?」
ベリアルは高笑いをしながら去っていく。生み出した即席のゲートへと。その先はきっと、地獄へと続いているのだろう。複雑な表情をした大天使を、ただ一人残して。
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「無尽蔵に生まれる悪魔には、こちらも無尽蔵に生まれる天使で対抗するしかない……というのが、天使執政棟、私の管轄する領域の総意でした」
……ウリエルの発言に、そうではないと反論するだけならば簡単だろう。だが、現状として悪魔が魔力を媒介して生み出されるのに対し、天使は人間と同じ方法で増えるしかない。
無限に増殖する軍隊への対抗策としては、アリかもしれない。だが結果としては。
「えぇ。ベリアルは天界を滅ぼそうとしている。……私のミスです」
「……責めも擁護もしないわ」
しかし、だ。ウリエルの話がすべて事実だとするならば、決定的に矛盾した、矛盾というほどでもないが、今の状況と照らし合わせると齟齬の生まれる箇所がある。
「けれど、私は謎の光に助けられ、ベリアルは不完全な形でしか、天使の力を得られなかった」
「そうですね。あれは……」
「あれは、私が行ったことです」
……矛盾しているように思えるけど。ウリエルの目的のためにはベリアルとの交換条件を履行する必要がある。にも関わらず、それを反故にするとは。
「私は、貴女を駒にしました。盤面の上で、倒れたはずの者が、もし生きていたとしたら。それはきっと、奥の手になり得る」
「……嫌になるわね」
私がベリアルに襲われたことも、そしてそれを助けることも。全て彼女の策でしかなかった、ということになる。
「……私を殺したいのなら、構いません。証拠も私の執務室から出てくるでしょうから」
「……」
彼女から感じ取れる魔導の気の中に、障壁の類のものはない。きっと私が、ここで魔導砲を使えば、ウリエルは死ぬ。
彼女に対する感情がないわけじゃない。ベリアルとかち合ったのも彼女のせい、ってことになるんだろうし。それでも私は。
「悪いけど、私の魔導で天使は殺さないから」
「……そうですか」
草原から立つ。また風が吹く。新緑の匂いと、草が足に当たる感覚。
「あなたを今ここで殺すだけならきっと簡単。でも、それじゃ解決にはならない」
拳を握り、振り向く。街から通ってきた道の方を向く。
「”重要なのはベリアルをぶっ潰すこと”……ってのは誰かさんの受け売りだけど」
「あなたを殺すのに魔導を使うぐらいなら、それで悪魔を殺すわ」
ウリエルからの返事は、風でかき消されそうな声量の”はい”という返事だけだった。これでいい。これでいいんだ。私のような天使を、もう二度と、生み出さないためにも。




