24.天使、翼はかく語りき
「自分だけ良い思いをしてんじゃねぇよ、ガブ。それでも大天使か? オイ」
「……これだから、軍人は。血の気だけ無駄に多いのね」
聖安街。天使たちが居候するこの街で、ある二人の女が居た。一方は小柄な水色の髪の少女。そして、その小柄な娘に話しかけているのは、身の丈ほどの赤色の剣を背負った、天使。
「……私達は話をしにきただけ。忘れないでよ──ミカエル」
「ちっ。はいはい。わかってるっつーの。別にアイツを斬ろうとなんて、微塵たりとも思ってねぇからな」
「もう白伏しているようなものでしょ、それ……」
時間は夕方だ。陽はまだ天から人々を見下ろしているが、その光は弱まり、彼女たちの居る路地裏はすでに暗がりとなっている。そんな時。ミカエルと呼ばれた女が、少女に近寄る。
「いいか? エインフィールドは禁術を施された。ヤツは命の輪廻を破壊したんだよ」
肩を掴まれた少女──ガブリエルは、顔を背ける。
「……誰がやったかまでは……まだ分かってない。それを調べるために、私達が……」
「──生ヌルいこと言ってんじゃねぇッ!」
ミカエルは背負っていた剣を一瞬のうちに構え、ガブリエルの横の壁へ突き刺した。それはまるで、彼女を脅すかのように。
「オレ達四大天使の任務は、世界をあるべき姿に保ち続けることだ。エインフィールドはその掟を破った。だからオレ達が裁く」
地面へ向いたままのガブリエルへ、緋色の髪の天使は告げる。
「テメェももう四大天使なんだ。それぐらい分かりやがれっての」
……暗闇。そして、静寂。時間が止まったような気さえするが、しばしの沈黙の後、ミカエルが剣を抜いて背負った。
「神サマがお決めなさったことだ。オレ達にはもう、どうにもできねぇんだよ」
そのまま、気性の荒い四大天使は去る。真紅の翼を広げ、夕日昇る空へと。
「……分かってる。そんなこと、分かってるわよ……」
眉間にしわを寄せ、眉をひそめてそう呟くガブリエルを後にして。
一方。そんな時、天束エイン達は何をしていたのか?
「お、おつらいことがあったんですねぇ……」
「アンジュさん……っ! 分かっていただけますか!?」
赤子のように泣きじゃくる男子生徒を、これまた赤子をあやすようになだめるアンジュ。そして、それを困惑した目で見るドロシーと、何かに巻き込まれたことを察して、ある種の諦めた表情をするエイン。
旧校舎の部室棟の一角に、カオスな空間が形成されていたのだった。
「だいたい、私達に相談するような悩みでもないでしょうに。……えーと、沼地さん?」
彼女たちは、四つの机を合わせて一つの大きな机にして、それを取り囲むようにして座っている。一方、窓際に椅子を置き、外の運動部を見ているエインは、そう口を挟んだ。
「ぬ、沼田です!」
「あーそ。で、何で私達のところに来たのよ」
沼田と名乗った男は、少し俯いて考えたあとに、
「そ、それは……ですね……」
何度問うても、彼は言い淀む。いよいよ、それにしびれを切らしたのか、ドロシーが彼の近くへ寄る。
「汝の願い、我に言ってみせよ。我は断罪の使者だ。手を貸してやろう。だから、悩みを言うがよい」
戦乙女は距離を詰めた……なんて生易しいことじゃなく、顔をぶつかる寸前まで沼田の顔に近づけていた。
「ど、ドロシーちゃん!?」
驚き声をあげるアンジュだったが、戦乙女は気にもしていないようだ。見かねた銀髪の天使が口を開く。
「……悪いけど、他人に話せない悩みなら、私達は力になれな……い」
そこまで言って、彼女は言い淀んだ。いや、彼女だけでなく、アンジュやドロシーまでもが、それまでとは違い、神妙な面持ちになる。
彼女たちの視線の先にあったのは──沼田の腕だった。何の変哲もない腕……ではない。その腕には痣のようなものがあった。
黒い、”何か”に掴まれたような、痣が。
「……これは……一体」
エインが呟く。未だ他の天使たちは、言葉を発せずにいた。
「その……寝て起きるといつもこんな痣がついてて……。お医者さんに診てもらっても、よく分からないと言われたんです……」
はぁ。と天束エインはため息をつく。目を一瞬だけ閉じ、深呼吸をすると、
「アンジュ、人払いを。ドロシーも手伝ってあげて」
慌てた様子で”はいっ”と返事をした赤髪の天使は、勢いよく椅子から立ち上がると、そのまま部屋から出ていった。
「……何かあればすぐに我を呼べ」
そう言ったドロシーも後に続く。部屋に残されたのは、困惑している沼田と、彼の腕を触るエイン。彼女の手には、いつものグローブが着けられている。
「あ、あの……どうしたんですか?」
不安げな表情をする彼に、エインは腕を”診”ながら答える。
「……あなた、悪魔だとか、天使だとかを信じる?」
「急に何を……」
「その眼鏡、外したほうがいいわよ。視力が大事なら」
エインは顔を上げ、それまで腕を触っていた手を、沼田の顔にかざす。慌ててメガネを外した彼の目は、困惑と怯えと恐怖の感情に支配されているかのようだ。
「──魔導聖鎖」
銀髪の天使が何かを唱える。と同時に、沼田の腕がまばゆい光に包まれた。近場に置かれたメガネのレンズが、その光を反射している。
「ひっ! ……って、あれ」
沼田の予想に反して、その光は痛みをもたらすものではなかった。むしろ痣の周辺にあった痛みが徐々に消えていく。
「い、痛く……ない?」
目を閉じながら、エインが答える。
「当然でしょ」
光は徐々に”鎖”の形になっていく。今まで腕を包んでいた光が、巻き付く鎖のようになり、黒い痣を”吸い出している。
「……よし」
天使がそう呟くと、真っ黒に染まった鎖が地面に落ちる。それと同時に、光は消えていき、普段の部室へと戻っていた。
「もう帰っていいわよ。痛みも消えてるでしょうし」
「……本当だ。痛みが無くなってる」
沼田は、地面に落ちた鎖を拾うエインに促され、退室していく。ちょうど、それが終わったのを察したかのように入ってきた、見習い天使たちに、見送られて。
「あのひと、すごい喜んでる顔だったね」
「うむ。ということは、終わったのだな? 天束エイン」
夕焼けに染まる部屋で、エインは答える。
「えぇ。もちろん」
その手に、ひとまとめにした、黒い鎖を持ちながら。
「でも、ここからが本番よ」
黒い鎖は、無機物であるにも関わらず、少し、蠢いているようだった。




