18.再び交えし戦乙女と失翼
「ドロシーちゃん……やっと見つけたよ」
夜の街。かつて、ドロシーが徘徊していたビル街。険しい顔の赤髪の天使が、戦乙女へ告げる。そのヴァルキリーは、天使の方へ向き直った。苦虫を噛み潰したような顔をしながら。
「……盟友か。今更、何の用が……」
ドロシーの表情は、アンジュが以前見たものよりも、明らかに暗く、影があった。それは決して、彼女たちが立つ場所が、人気のない場所だからではない。その目に覇気は感じられず、ただ気力のない目で、アンジュを見ている。
「止めに来たの。ドロシーちゃんを。大切な……友人として」
それを聞いた戦乙女の頭の中で、あの”天界からの指令”がこだまする。アンジュ・ド・ルミエールを抹殺せよ、との命令が。
「……やめて。我は、もう……。もう、友人じゃない。敵だ。……貴様の前に立ちはだかる、ただの敵だ」
戦乙女の傘が剣に変質し、”傘だったもの”をアンジュに向けて彼女は構える。──しかし。そんな彼女を見るアンジュの瞳は、敵対するものを見る眼差しではなく、あくまでも。
「……そうなる前に、必ずあなたを止めて見せる」
あくまでも、”友人”を見る目だった。優しい目だ。だが、それは、戦乙女にとって、断ち切らなければならない、友への情を感じさせるものだ。ドロシーは、もはや自分がどうするべきなのかを考えたくなかった。天使を斬り、今度は友人を斬り。自分が、自分じゃなくなっていくという実感を、彼女は恐れていた。
「なんで……なんで。どうしてあなたはそんなに……」
「……優しいの……っ」
こみ上げる感情に蓋をするかのように、ドロシーは泣きながらアンジュへ斬りかかる。──これは、自分の使命なのだ、とその体へ言い聞かせるかのように。
「っ……! ドロシーちゃんっ!」
彼女は、本気で剣を振るっている。アンジュは、察さずともそのことを理解した。これは、戦乙女の戦い方ではない。この、泣きながら、デタラメに剣を振る姿は。
アンジュは、光の弓を生み出し、矢を放つ。まっすぐに標的へ飛んでいく”それ”は、以前と同じように、手で弾かれ──。
「ッ!?」
手で弾く瞬間に、矢の先端が爆裂した。
「これは……」
「あの人の真似事だよ。上手くはできないけどね」
赤髪の天使が考えたのは、単純なことだ。──自分の攻撃を防がれないためには、どうすれば良いか。つまり、矢を弾かれるのなら、”弾く”行為を不可能にすれば良い。
「……もうやめよう。ドロシーちゃん。もうやめて……昔みたいに、二人で……さ」
「…………」
威力は落ちる。しかし、アンジュの目的は、ドロシーの殺害ではなく、無力化だ。自分の攻撃が通用しさえすればそれで良い。そう考えていた。
「ごめん、アンジュ」
沈黙を先に破ったのは、ドロシー・フォン・ヴァルキュリアだった。彼女は目にも留まらぬ速度で赤髪の天使へ接近し、彼女を片手で押し倒す。自らも腰を落としたドロシーは、剣を彼女の顔の横へ突き立てた。
「……ごめん。ごめん……なさい。……アンジュ。ごめんなさい……」
ドロシーは、子供のように涙を瞳に浮かべながら、ただアンジュへ詫びる。それは、赦されるためにではなく、ただ、自分の為だ。しかし、彼女の友人は、その事を分かっていた。
「……やっぱり、悔しい。強いね、ドロシーちゃんは……」
「わ、我……わ、私……は」
ドロシーの目から溢れる涙が彼女の頬を伝い、アンジュの顔へと落ちていく。しかし、そんなアンジュは、ただ微笑み、ドロシーのほっぺたに手を触れ、涙を拭う。
「……あーあ。どうせ死ぬなら、ドロシーちゃんの笑顔を見て死にたかった、なぁ……」
赤髪の天使が目を閉じる。彼女は、理解していた。あのドロシーに、自分が敵うはずがないと。もし彼女に挑んだ時、死ぬことになるのは、自分であると。
「……ッ!」
ドロシーは、震える手で剣を握りしめ、彼女へ振るおうとする。が。
「──待ちなさいよ、戦乙女」
かつて殺した天使の声が聞こえ、動揺したためにその手が止まる。彼女は立ち上がり、声の方向の背後を振り向く。そこには。
「そこの天使を殺せば、一生後悔するわよ。あなたが、ね」
目を見開き、驚いた顔になるドロシー。そこに立っていたのは、死人だった。銀髪で蒼色の目。それは、かつてドロシー自身に、抹殺対象として伝えられた特徴とも一致している。そう、彼女は。
「天束エイン……。死んだはず……どうして」
言われた死人──天束エインは、あからさまに不愉快といった顔を見せる。
「”死んだはず”ですって? 笑えない冗談ね。それを言うなら”殺したはず”でしょうに」
夜の街。対峙する戦乙女と死人。街頭の明かりという光源に、彼女たちは照らされている。
「今更何を……。我を止めに来たのか? それとも復讐か……? いずれにせよ……」
話の途中で、天束エインははっ、と笑って流れをぶった切る。
「アンジュには色々と言ったけど、私がここに来たのは、あなた達の仲違いを止めるわけじゃない」
「なら……一体何をしに来たッ!」
ドロシー・フォン・ヴァルキュリアは、剣をエインへ向けて構え直した。剣の鋒は震え、かつてエインが対峙した時とは、状況がまるで異なる。
「いわゆる復讐、よ」
「復讐……? ふん、一度は我に敗北した元天使が今更何を……」
天束エインは、手に手袋というより、黒色のグローブをはめている。そのグローブの指の部分には穴が空いており、指なしグローブとなっていた。しかし、それ以上に、特筆すべき特徴が、彼女の身につけている”それ”にはあった。
「……? 何だ、それは」
ドロシーは、流石に不思議に思ったのか、銀髪の天使へそれが何かを問いかける。
「そうね……。私はね。まだ子供なの。だから、好きなこと以外はやりたくないし、他人に無茶を言う時もあるし、それに」
「待て……。何の話をして──」
「──まだ子供だから、負けっぱなしは嫌いなの」
瞬間。エインの身につけていたグローブに施された紋様──魔法陣が光りだす。ドロシーのほうへ突き出された手からは、”槍”が生まれ、戦乙女へ襲いかかった。
「くっ!」
戦乙女は、それを剣で受け流そうとする。が。
「甘い」
エインが地面へその手を触れると、ドロシーの足元に”赤色””の魔法陣が生成される。未だ放たれ続ける槍の中、今度は、地面に生まれる魔法陣からの攻撃を回避するドロシー。
「いつの間にっ……。こんな力をっ……!」
「そうね。初心に帰ったのよ。ただそれだけ」
軽口を交わすが、攻撃の手は緩まない。ものの、ヴァルキリーも、やられているだけではなかった。剣に力を込め、魔導槍を破壊していく。
「我は……っ。こんなところで……負ける訳にはいかないッ!」
戦乙女が猛攻をかいくぐり、エインの生み出した魔法陣をついに破壊する。その、破壊した魔法陣の裏に、彼女が隠れているとも知らずに。
「──魔導大槍」
「……!」
エインの生み出した槍から、間一髪の所で後方へ飛び退いだドロシーだったが、頬と腕をかすり、少量ながらも血を流していた。
「……そうか」
「何に納得してるのよ」
軽く質問するエインだが、警戒を解いたわけではない。
「確かに、強い。我に傷をつけるとは……。驚いた」
「……素直に褒め言葉として受け取っておくわ」
しかし、とドロシーは言い。
「それも……これで終わりだ」
戦乙女が剣を収め、前傾姿勢になり息を整える。アレ、だ。天束エインは確信した。自らを殺した技。名は一閃。剣閃で、例外なくすべてのものを断ち切る技だ。
「……ふぅ」
どういうわけか、そんな状況にありながらも、彼女は平静を保っていた。再び迫る死の恐怖を、物ともせずに。
「……ドロシー。文句は無しよ。……加減できないから」
エインが息を止め、瞼を閉じる。右手を前方──ドロシーの方に突き出し、それを左手で支える。その瞬間。空気が……変わった。
「──魔導砲ッ!」
「──一閃ッ!」
戦乙女と天使は、同時に動いた。ドロシーが剣を抜き、天束エインが魔法を唱える。両者の技は互いにぶつかり合い、ヴァルキリーの剣が全てを斬り裂いて終わる──。少なくとも戦乙女は、そう考えていた。
「……なんで」
ドロシー・フォン・ヴァルキュリアは、自分の目の前で起きている光景を信じられなかった。いや、信じたくはなかった。
エインによって放たれた”魔導砲”が、ドロシーの一閃の剣閃と剣圧を全て飲み込んでいた。
「くっ!」
迫る魔導を、彼女はその剣で押し留めようとする。だが、天束エインの魔法力に加え、自らの力を防げるはずもなく──。
「くぅっ! うっ……! うあああああっ!」
魔法は、彼女に直撃した。エインは、ただそれを眺めていた。
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「はぁ……やっと、ね」
流石に彼女も、魔法の使いすぎで疲れたようで、ドロシーがどうなったかを確認することなく、アンジュのもとへと向かった。
「……アンジュ、大丈夫?」
「え、エインさんこそっ!」
実際には、赤髪の天使には目立った傷もなく、エインが現れた後、二人の邪魔をしないために物陰に隠れていたのだった。
「それで……その。ドロシーちゃんは……?」
「分からない。あのしぶといヴァルキリーのことよ。きっと死んではないと思うけど」
そう言ったエインは、ようやく霧の晴れた魔法の着弾地点を見る。そこには、血まみれの戦乙女が立っていた。
「ど、ドロシーちゃんっ!」
アンジュはその姿を見て、彼女の元へ駆け出す。だが。
「はぁっ……。はぁっ……。魔導……透明……」
ドロシーの姿が、少しづつ消えていく。顔は下を向き、どんな表情をしているのかを窺い知ることはできない。
「……! 待って! ドロシーちゃんっ! まだ話を……っ!」
アンジュがそう叫んだ時には、既に戦乙女の姿は消えていた。
「あの戦乙女……。一体どこに行ったのよ……全く」
天束エインはため息をついた。
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ヴァルキリーの敗北は、それすなわち任務の失敗を意味する。戦いが主任務である彼女たちにとって、敗北とは、罪だ。
「はぁ……はぁ……はぁ……」
それは、魔導透明の魔法で、ビル街にあるビルの屋上まで逃げてきた彼女──ドロシー・フォン・ヴァルキュリアとて、例外ではない。
「はあっ……」
深く息を吐いたと思えば、屋上の柵を背にして、彼女は体育座りで座り込む。剣は傘の姿にいつの間にか戻っていた。
「なんで……どうして……。こんなことに……。うっ……ひぅ……」
頭を抱えて外界の情報をシャットアウトし、泣く戦乙女。しかし、だからこそ気づかなかった。
「──あら、こんなところに天使はっけ~ん」
角と翼が生えた女が、自分の近くまで来ていたことに。
「見たところぉ……ヴァルキリーちゃんかなぁ? ワタシぃ、悪魔なんだケドぉ、斬らなくていいのぉ~?」
ドロシー・フォン・ヴァルキュリアは一瞬顔を上げ、ハイライトの消えたその瞳で、得体の知れない女を一瞥すると、またさきほどの体勢へ戻る。
「あちゃー。壊れちゃってるねぇこりゃ。壊れる寸前か。ま、いぃや。抵抗しないのなら、キミ、食べちゃうよぉ~」
悪魔と名乗った女は、口をあんぐりと開け、ドロシーへかぶりつこうとする。彼女の背後から、口のような物体が出現し、ドロシーを飲み込もうとした。
「あっ! 面白いこと思いついちゃったぁ~!」
何かを閃いたといった具合に、手のひらに握った手をぽんと置いて、食事を中断する女。
「こんだけ強い”絶望”の持ち主なら……。ワタシ、もらっちゃってもいーよねぇ? てへ?」
女は、座り込むドロシーへ、ぶりっ子ポーズをしてみせるが、戦乙女からの反応はない。
「ふーん、つまらない天使」
”悪魔”はドロシーの頭に手を当て、
「じゃ、貰うね。キミの体」
女の血のように赤い目が光ったと思えば、女自身の体も紫色の光に包まれていく。そして一瞬の内に、”悪魔””の姿は消え──。
「へぇ。キミ、なかなかイイ体持ってんじゃん」
ドロシーの髪型は、カールのかかったツインテールからストレートロングへと変わっていた。その瞳の色も、赤色から、紫色へ。
「天使ちゃーん。何か反応してくれない? お姉さんつまんないなぁ~」
「……もう……して」
「ん? 何か聞こえた気がするなぁ~?」
女は、自分──ドロシーの耳に手を当てるジェスチャーをしてみせる。
「もう……殺して。もう……死にたいの」
暗い声を聞いた”悪魔”は、愉悦の表情を浮かべる。
「ふふっ、殺すわけないじゃん。キミにはそうやって、絶望のチカラを生み出してもらわなきゃ、ねっ」
そう言った彼女は、地面に落ちていた”傘”を取り、鼻歌を歌いながらその場を去る。
「あ、ヴァルキリーちゃん、わたし、──デゼスポワールっていうの。どうぞよろしく……ねっ?」
──戦乙女を巡る戦いは、ついに終局を迎えようとしていた。




