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心を縛るXXX  作者: 一布
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第三話 目的も理由も失った者と、価値のない者


 全国でも有数の繁華街である、しろがねよし野。


 立ち並ぶビルからは人工的な光が放たれ、夜でも眩しいくらいの景色を作り出している。


 大勢の人々が楽しそうに、あるいは幸せそうに行き交う場所。週末の今日は、特に人通りが多い。


 春先の四月。時刻は、午後十時半。


 村田洋平は、そんな夜の街をひとりで歩いていた。


 身長一七〇センチにも満たない、小柄な男――少年だった。その坊主頭は、自分で刈ったものである。三週間ほど前まで強制的に不法侵入して入り浸っていた、ひとり暮らしの大学生のマンションで。


 まだ寒い季節を凌ぐように、ダウンジャケットを着ている。薄汚れたダウンジャケット。


 汚れているのはダウンジャケットだけではない。洋平自身も薄汚れていた。名前も知らない大学生の家から出て三週間、風呂に入っていない。そのせいで、近くを歩いている人達がはっきりと気付くほど臭い。


 十六歳。家はない。親は刑務所。そんな少年だった。


 八年前、洋平の弟が父親に殺された。虐待の末に。父親は殺人罪。母親は保護責任者遺棄で逮捕され、執行猶予なしの実刑に処された。


 洋平は児童養護施設に入れられ、中学を卒業と同時にそこを出た。


 中学卒業後に就職した寮付きの工場からは、すぐに逃げ出した。


 自分は弟を失った。自分の生きる意味であり、生きる目的だった弟。


 大人は、誰も助けてくれなかった。救いを求めて訪れた交番で、警官にすら見捨てられた。


 そんな大人の下で、働きたくなかった。生きたくなかった。だから逃げ出した。


 それ以来、洋平は独りで生きてきた。暖かい時期は野宿。冬になると、ひとり暮らしの学生を狙って脅し、その家に入り浸った。


 もっとも、家の主である学生には、可能な限り危害を加えなかった。下手なことをされないように拘束はしたが、食事の世話からトイレの世話までし、彼等の精神が限界に達する前にその家を出るようにしていた。


 人は、死んだら生き返らない。失った命は戻らない。自分の腕の中で冷たくなり、命を失った弟。その記憶が、洋平を止めていた。人殺しという境界線を越えないように。


 野宿であれば、当たり前だが家賃は掛からない。だが、食事をするにはどうしても金が必要だ。その金を稼ぐ当てはない。仕事をしていない自分がどうやって金を稼げばいいかなんて、分からない。


 食費を得るために洋平が行き着いた結論は、恐喝だった。酔っ払った中年の男を狙い、適当に痛めつけて金を奪う。そのための武器も持っていた。懐に忍ばせた、特殊警棒。見た目よりも重く固いそれは、一般人などすぐに無力化できた。


 とはいえ、できるだけ暴力を振るいたくなかった。殺すつもりはなくても、万が一ということもある。どこかに、酔っ払って道端で寝ている獲物はいないか。そんなことを思いながら歩いていた。


 しかし、しろがねよし野をどれだけ歩いても、眠っている獲物は見つからなかった。


 いるのは、楽しそうな人達ばかり。幸せそうな人達ばかり。


 自分とは違う、人達ばかり。


 苛ついて、洋平は舌打ちした。三十分ほど歩き回っても、道端で眠っているような獲物はいなかった。しかも、人通りが多いから、適当な酔っ払いを襲うこともできない。


 場所を変えるか。洋平は、しろがねよし野を南に向かって真っ直ぐ歩いた。飲み屋や風俗店が密集している場所を抜け、ラブホテル密集地から出ると、片道三車線の大きな道路にぶつかった。


 道路を渡ると、しろがねよし野とはまるで雰囲気の違う、閑静な住宅街。


 適当に誰かを襲って、金を得よう。


 塀に囲まれた家々が立ち並び、その塀で迷路のようになっている住宅街。そこに入る。


 洋平は意識を集中した。イメージを組み立てる。自分の周囲に、意識を広げるイメージ。まるでレーダーのように。


 ()()は、洋平自身もどうやって身に付けたか分からない能力だった。意識を集中して感覚を広げるイメージを頭の中で描くと、半径十五メートルほどの領域の動きが分かるのだ。人がいるか否かはもちろん、その範囲の寒さ暑さ、そこで動いている動物の動きまで。


 もちろん、視界で捕えているのではないから、見えるわけではない。自分の体で触れているかのように、肌で感じるのだ。


 弟が死んだ直後に、突如得た能力。


 洋平は、この能力に期待していた。これは、一部の警察官や自衛隊員が使える超能力ではないか、と。守りたかった――守り切れなかった弟の命と引き替えに、自分に与えられた力。


 この能力を使うと、急激に疲れる。カロリーの消費が大きいのだろうか。早く金を手に入れて、何かを食べたい。


 レーダーを広げながら住宅街に入ってゆくと、四人の人間の動きを察知できた。


 レーダー内にいる人間の動きを探る。塀に追い込まれたような状態の、小柄な人。察知できる体型から、女性だと推測できた。


 彼女を囲っているのは、それほど長身ではないが、しっかりした体格の男達。


 現在の彼等の状況が、嫌でも明確に想像できた。ひとりの女に、男三人が絡んでいる。おそらくは――いや、間違いなく、襲うつもりで。


 弱い者を暴力で屈服させ、薄汚れた悦楽を覚える男達。そんな姿が洋平の頭の中に浮かんだ。まるで、自分の父親のような。弟を殺した、父親のような。


 洋平の足は、自然と、彼等の方へ向かった。自分がどういう目的で近付いているのかも、分からないまま。


 分かっているのは、今日の食費を得るためではない、ということ。


 目視できる距離まで近付くと、塀の影に隠れて彼等の様子を伺った。


「どこで輪姦(まわ)すの? おじさんの家? 抵抗はしないから、殴ったりしないでね。痛いのは嫌だから」


 女はまだ、少女と言える容姿だった。自分と同じくらいの年齢だろうか。


 男達にそう言った彼女の声は、冷めていた。いかつい男三人に囲まれているというのに、怯えている様子は微塵もない。


輪姦(まわ)されるだけで済むと思うなよ」

「こっちはな、お前のせいで稼ぎが減ってるんだよ。分かるだろ?」


 会話から、彼等の境遇が簡単に想像できた。


 少女は、個人で客を捕まえて売春をしている、おそらく女子高生。


 男達は、風俗店経営をしている暴力団。彼等の胸に、組のものとおぼしきバッジがある。


 少女の顔に、笑みが浮かんだ。見下すような笑み。挑発するような笑み。彼女の様子は、洋平の目には強気とは映らなかった。自暴自棄。自分の体も命も、ゴミのように軽んじているような。


 このままだと、少女は、暴力団の男達の手によって凄惨な目に合わされるだろう。それは火を見るより明らかだ。


 自分に関わりのない少女を助けても、一円の得もない。暴力団の人間と関わっても、何の得もない。むしろ、損しかない。ここで洋平が取るべきもっとも理性的な行動は、見なかったふり、だ。


 それは分かっている。


 それでも――


 洋平の手に蘇る、冷たくなってゆく弟の感触。凄惨な暴力で命の火が消えてゆく、弱く守るべき存在。どうしても守りたくて、でも守り切れなかった存在。


 後悔の念が、洋平の心に蘇った。あのとき、父親に折られた足の痛みに転げ回り、弟から離れてしまった。自分の体を盾にしてでも守るべきだったのに。自分が盾になれなかったせいで、弟は、父親に殺された。


 俺は、守れなかった。足の痛みなんか気にせず、守るべきだったのに。守れなかった――守らなかった。


 ここでも守らないのか? 見て見ぬふりをするのか? 弱者が強者に嬲られるのを、また黙って見過ごすのか?


 洋平の右手は、無意識のうちに、懐の特殊警棒に伸びていた。心臓の鼓動が早くなる。その振動を、はっきりと感じていた。


「何? 悔しいの? こんな小娘に売り上げを奪われて!」


 少女はなおも、男達を挑発していた。


 男達の意識が、必然的に少女に集中する。こちらに気付く様子はない。


「仕方ないよね!? あんた達の店よりも、私の方が価値があるんだから!」


 男達の顔色が変わった。少女を脅すために張り付けていた凄みがなくなり、苛立ちと怒りに満ちた表情になった。


 男の一人が、少女の胸ぐらを掴んだ。


 洋平はそっと、塀の影から足を踏み出した。足音を立てず、自分の影が彼等の視界に入らないように身を低くして、近付く。


「おい、姉ちゃん。いい加減にしろよ」

「うわ、恥ずかしいね。自分達が劣った腹いせに、私をどうにかしようっていうんだ?」

「ああ。お前の言う価値がなくなるくらいに――ふた目と見れない顔にしてやるよ」


 手の届く距離まで、洋平は男達に接近した。


 彼等は未だに、こちらの存在に気付いていない。彼等に絡まれている少女も、同様に。


 洋平は、手にした特殊警棒を振りかぶった。狙いは、少女の胸ぐらを掴んでいる男の頭。


 特殊警棒で頭を殴ったら、下手をすれば殺してしまう。それは分かっているが、手加減をしてどうにかできる相手ではなさそうだ。


 自分がやられることは、少女の破滅を意味する。確実に助けなければ、下手をすれば殺される。少女も、自分も。


 洋平は思い切り、特殊警棒を振り下ろした。


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― 新着の感想 ―
[良い点] この物語では、美咲も洋平もすさんでますねえ。 絶望と諦観の中で生きる少年、少女という感じですね。 それと洋平は能力者なのか。 でも一部の警察官や自衛隊員が使えるという事は、 超能力が存在す…
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