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短編小説

小鳥にさようなら

高校生の頃に書いた作品を発掘したので、思い出として、そのまま載せておきます。


「理沙には無理だと思うなぁ……」

 口をついて出たのは、そんなネガティブな言葉だった。しまった、と思ったが、案の定、理沙は怪訝そうに眉を寄せた。

「何それ。何でそんなこと言うわけ。遼ちゃんっていつもそう。あたしのやりたいこと、全部否定するんだから」

「別にそういう訳じゃなくて……僕は理沙を心配して……」

「心配なんて結構よ! あたしはあたしのやりたいようにやるんだから」

「でも無理なものは無理だろ」

 いいや、どうせ怒るなら、言いたいことを言ってしまおうと思った。

「理沙の演技、全然上手くないよ。コンクールとか出られるレベルじゃない。他の人に迷惑がかかるよ」

「一場面しか出てこない、村人Bの役よ。そんなに肩肘張らなくていいじゃない。いい? これは成長の第一歩なの。いつまで経っても学校の体育館で演技を披露してたって何にもならないわ。初めは脇役でいい。村人Bで構わないの。そのうち名前を貰って、いつかヒロインになるわ。そして最終的にはハリウッド女優になる! 私の夢よ」

「高校生から演劇を始めて、ハリウッド女優? しかも日本人が? 無理無理」

「無理無理言ってて楽しいの?」

 理沙は冷たい目で僕を見た。

「とにかく、今日のあたしの演技を見るがいいわ」

 理沙はチケットを僕に押し付けて、自分は控室の方に走っていった。

見ないわけにもいかず、僕はコンクール会場に向かい、入り口に立っていた黒服の男性にチケットを見せ、中に入った。理沙が用意してくれた席は、お世辞にも見やすい席とは言いづらかった。多分、一番安い席を選んだのだろう。

 ――理沙が学校外の劇団に入って練習をしている、と聞いたのは三日前の話だった。最近付き合いが悪くなったから、彼氏でも出来たのかと思っていたが、まさかそんな理由があったとは。心底驚いて、何で隠していたのかと問うと、理沙ははっきり、

「だって遼ちゃんは向いてないから止めろって言うから」

 と言った。図星だった。

 理沙はその後、三日後、つまり今日、劇団がコンクールに出場し、自分も脇役として出演すると告白したのだった。

 その日から、開演前のついさっきまで、僕はずっと彼女の行動を否定している。


 理沙が演劇に憧れているのは小学生の頃から知っていた。小学生の頃の理沙は好きなドラマが始まるたびにテレビに貼りついて俳優たちを眺め、ドラマが終わると必ず真似をした。中学生になると、なけなしの小遣いで映画や舞台を見に行き始め、高校では演劇部のある学校をわざわざ選んだ。二年間熱心に励んだおかげで、三年になって、部長という名誉ある役職に就いたが、演技は特に目を引くものはなかった。上がり気味でちょっと下手なときもあった。

 だから、向いていない、と僕は確信していた。

 それなのに理沙は、舞台に上がるたび、自分の下手さなど一切気にしないで、演劇への情熱をさらに燃やしていった。

 ――今日、理沙は現実に打ちのめされるのだろうか。

もともと上がり症な理沙が、何百人もの観客の前で上手に演じられるとは思えなかった。上映後の理沙のことを思うと胸が痛かった。


 理沙のことを見ていると、小鳥のリリーを思い出す。僕が中学生の頃、姉が飼っていた飼っていた綺麗な小鳥だ。頭は黄色で、羽は青く、話しかけるとちょっと首を傾げるのがとても可愛らしかった。リリーは鳥籠の中からいつも窓の外を眺めていた。僕はそんなリリーを眺めながら、いつか必ず空に逃がしてやろうと考えていた。でも姉はリリーを溺愛していたから、なかなか逃がすタイミングが見つからなかった。僕は長い間我慢をして、そしてようやく、姉が昼寝をしている時に、リリーを鳥籠から放った。リリーは僕や姉の方には見向きもせずに、窓の外へ飛んで行った。リリーが青空に溶けていくのは感動的だった。歌の一つでも歌いたくなった。いや、実際に歌って、姉が目を覚まし、そして僕を叱って、何度も殴った。でも僕はちっとも反省していなかった。

 今では死ぬほど後悔している。

 思い出して悲しくなったとき、開演のブザーが鳴った。辺りが暗くなり、舞台に背の低いおじいさんが出てきた。今日はご来場いただきありがとうございます、から始まり、彼はコンクールの趣旨やタイムスケジュールについて、眠たくなる声で話した。理沙たちの劇団が舞台にあがるのは十組中、四番目だった。

僕は堅い椅子に腰かけながら、最初の三組が演劇をするのを眺めていた。一組目はホラー、二組目は恋愛もの、三組目は有名な、『ベニスの商人』を演じていた。舞台に出ている誰もが上手かった。村人Bにあたるような脇役でさえ、「どうか自分を見てくれ」という欲望が体の内から溢れ出ていて、それに見合うだけの力量があって、誰を見ていればいいのかわからなくなるレベルだった。

 そして理沙たちの番が来た。

 理沙が脇役だ、一場面だけだ、と連呼していたのは本当らしく、理沙は全然出てこなかった。演劇の進行に合わせて、周りの観客は息を呑んだり、笑ったりしていたが、僕は話の流れすら頭に入ってこなかった。その劇団の演技のレベルがいかほどのものかさえわからなかった。頭の中には、これから理沙が味わうであろう不幸への危惧ばかりがあった。

 そして理沙が出てきた。

 何人かの村人と共に出てきた。

 隣の村人が何か喚いた後、理沙が前に進もうとした。

 そして、長いスカートの裾を踏んで、転んだ。

 舞台の上が固まる。

 客席が静まり返る。

 理沙は慌てて立ち上がった。顔が真っ赤だった。手が震えている。周りの役者がみんな理沙を見ているが、理沙は震えたまま、虚ろな目を明後日の方向に向けていた。隣に立っている役者が理沙を肘でつついた。理沙ははっとして言った。

「――ようこそ、いらっしゃいました。あなたたちをお待ちしておりました。どうぞ私たちをお救いください」

 もちろんです、とヒロインが答えた。

 僕は胸が痛くなって、息ができなくなった。

 僕は思い出す。リリーの末路を思い出す。リリーを空に放ち、姉に殴られた次の日、僕は学校に向かう途中でリリーを見つけた。リリーは道路に落ちていた。あたりに小さな羽が散っていて、周りに小学生が群がって気味悪そうにリリーを眺めていた。彼らはリリーを小枝でついていた。

今日の帰り、理沙に美味しいパフェでも奢ってあげよう。そして、演劇は諦めるように言おう。リリーは死んだ。でも、まだ、理沙は生きているのだから。

ぼうとしている間に理沙たちの劇団の演技は終わった。

 僕は席を立ち、すぐに控室に向かった。

 さっきチケットを渡した黒服の男性に一礼をしながらコンクール会場を出て、控室に続く廊下を進もうとしたら、その彼に止められた。

「こちらから先は関係者しか行けません」

「役者の中に知人がいるんですが……」

 男性は困ったように眉を下げた。

「コンクールが終わればお通し出来るんですが……お呼び出しすることはできますけど、呼んできましょうか?」

「えっと……」

 呼んで素直に出てきてくれるだろうか。

 迷ったとき、廊下の奥から、消沈した顔の理沙がとぼとぼと歩いてきた。

「理沙!」

 声をかけると、理沙は顔を上げて僕を認めた。逃げるかと思いきや、彼女は僕の元まで駆け寄ってきた。

「遼ちゃん」

「お疲れさま」

「ちょっと外の空気吸いに行くの。ジュース奢ってよ」

「うん」

 理沙が僕の手を掴み、外に連れ出す。

 外はうっとうしいくらいの晴天だった。

 雲ひとつない青空を見ると、リリーのことを思い出して、胸がむかむかする。

 理沙は一歩前を歩いていた。顔色は見えない。

「理沙、あのさぁ――」

「遼ちゃんにめちゃくちゃ格好悪いところ見せちゃった。しっかりキメて、遼ちゃんをびっくりさせようと思ってたのに。情けないね」

 理沙はそう言って、ちょっと振り返った。大きな目に、涙が浮いていた。

「団長にも怒られちゃった」

「……だろうね」

「転んだのは仕方ないけど」変に声が上ずっている。「その後の対処が悪かったって。理沙はいつも冷静さが足りないって怒られちゃった。劇団の皆にも迷惑かけた。村人Bのくせにさ」

「……」

「りょーちゃん、これ買ってぇ」

 真っ赤な自動販売機の前に立ち、理沙は缶のコーラを指差した。涙がぽろぽろとこぼれている。僕は黙って財布を出し、コーラを二本買った。一本を理沙に差し出すと、理沙は泣きじゃくりながらそれを受け取って、すぐ近くのベンチに座った。僕もすぐ隣に座った。

「もう全然ダメ。こんなにダメって思ってなかったから凄くショック。あたし、ほんとはもっと上手いんだよ。こけたくせに、あんな棒読みで、最悪。良いとこない。理沙には無理っていう遼ちゃんの言葉通りになった」

「理沙……」

 僕は小学生を追い払ってリリーを両手の平に乗せた。リリーは冷たかった。

 僕は理沙の肩に手を置いた。理沙は熱い。物凄く熱い。まだ取り返しはつくのだ。

「理沙にはやっぱり向いてないよ」

 理沙は僕を見た。

「遼ちゃん、そればっかり」

 理沙は責めるような目で僕を睨み、しばらく動かなかった。そして唐突に目を伏せ、俯き、またしばらくそうしていたかと思うと、おもむろにコーラを飲み始めて、空になった缶をゴミ箱へ投げた。それは入らずに、ゴミ箱の角にあたって、地面に落ちた。

「あー、惜しい」

 理沙はひょいとベンチから立ち上がり、拾った缶をゴミ箱へ入れた。がこん、と乾いた音がする。理沙は僕を見る。もう泣いていなかった。

「あたし、上がり症だからダメだね」

「……うん」

「上がり症、どうやったらましになるかな。ホームルームとか、毎日前に立って何か話そうかな」

「……」

「声の大きさもね、全然ダメでさ。腹式呼吸が難しくて。あと姿勢。常にまっすぐ立つのって難しい。すぐに背中が曲がっちゃってさ。演技上手い人は、ただ道歩いてるだけでも、凄く魅せるの。身体に歩き方や立ち方が染み込んでるんだよね」

 理沙は言いながら、また僕の隣に座った。

「理沙……言いづらいけど、僕は、本当に、理沙には向いてないと思う……今日も思い切り失敗したじゃないか。取り返しがつかなくなる前に、諦めようよ」

「取り返しがつかなくなるって何のこと?」

 理沙はあっけからんと言った。

 そしてゴミ箱を指差した。

「缶が入らなきゃ何度だって投げればいいのよ。落ちたからって捨て置くのは嫌」

 何がツボに入ったのか、理沙は楽しそうに笑った。

「そうよ! 諦めてなんかやるもんかーっ! 何回落ちたって何度でも投げ直してやるわ! 絶対負けないんだからー!」

 理沙は笑いながら叫ぶ。笑顔がキラキラと輝いている。

「ゴールがゴミ箱じゃダメでしょ……」

 思わずツッコむと、理沙はむっと唇を歪めた。

「細かいことは良いのよ」

 理沙は立ち上がり、両手を広げる。

「大切なのは、飛ぶか、飛ばないかよ」

「――」

「ゴミ箱……もとい、ゴール目指して身を投げ出すの。そして空を飛ぶのよ。飛んでいる間はゴミ箱がちゃんと見えてる。ゴミ箱に近づいていくのがわかる……」

「それで、何回投げてもゴミ箱に入らなくて、空き缶がぼこぼこになったらどうするのさ」

 たとえが嫌だなぁと思いながら、何気なく言うと、理沙は僕を振り返って笑った。

「何言ってんのよ。そのうち、ゴミ箱の近くに落ちるでしょ。そしたらゴミ箱の上から落とせばいいのよ。さっきみたいにね。才能がある人は最初から近くに立ってるの。最初からゴミ箱の上から空き缶を捨ててるのよ。あたしは才能がないから遠くから投げるの。でもどんどん近くに落ちて、最後は上から落とすのよ。絶対入るでしょ」

「理沙は空き缶じゃない」

 そう言うと、理沙は大きく頷いた。

「ええ、そうよ。あたしは空き缶じゃない」

 揺らがない瞳に僕が映る。

「あたしは理沙。他の何でもない、理沙」

 ――僕は不覚にもハッとした。何も言えなくなって、飲みかけのコーラの缶を握りしめていた。理沙がそれを奪い取り、残りを勝手に飲み干して、ゴミ箱に投げた。今度は一度で見事に入った。理沙は子供のような笑い声を上げて喜んだ。

 理沙はリリーじゃない。

 そんなのわかりきった事だ。

 理沙が笑顔のまま僕を見る。

「遼ちゃん。遼ちゃんはあたしがハリウッド女優になるまで……いや、なっても、あたしに無理だよって言い続けてね。向いてないよって言い続けてね。まぁこんなこと言わなくても、遼ちゃんは言うんだろうけど?」

「え?」

 思わず素っ頓狂な声が出た。

 理沙は恥ずかしそうに肩を竦める。

「遼ちゃんに否定されるたび、悔しくて、遼ちゃんの想像を越えようと思えるの。遼ちゃんの考えた、あたしの限界を越えてやろうと思えるの」

 理沙は笑う。白い歯を見せて笑う。

「だから何度でもあたしに無理だよって言って。あたしはそのたび、遼ちゃんをびっくりさせてあげる」

「……今日のは?」

「次でとりかえす!」

 理沙は間髪入れずに言った。さっき泣いていた、殊勝な態度はどこへ行ったのか、仁王立ちになって、ふふんと笑っている。

 ――あぁ。僕も笑う。

 ――僕という鳥籠を飛び出して、どこまでも飛んでいくといい。どこまでも。どこまでも。リリーの屍を越えて。僕の予想を超えて。どこまでも遠く、高く、飛んでいくといい。思い切り。限界を越えて。その先へ。

 僕はどこまでも着いていこう。理沙が飛びつかれて落ちて来たら、理沙が道路へ落ちてしまう前に、この両手で受け止めよう。そして何度でも言おう。

「……理沙には無理だよ」

 理沙はにんまりと笑った。

 見上げると、彼女の後ろに青い青い空が見えた。

 綺麗だな、と思えた。

ありがとうございました。

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