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メリアの休日 (2)

 集合住宅の敷地から出たメリアは工業区へと続く道に足を踏み出した。今日のフローライトは風もなく穏やかで、ぽかぽかと暖かい。


 散策するにはうってつけの日和ではあるが、太陽が昇れば温度はさらに上がり、少し汗ばむ気温になりそうだった。幸か不幸か、薄着のワンピースは全体的に風通しが良いので、最高気温に到達しても快適かもしれない。


 丁寧に舗装された道をのんびりと歩く。中央区に続くこの道は住宅が整然と立ち並ぶだけで、店が一つもない。商店区に続く道に比べれば人の数も少なく、閑散としている。


 街がまだ目覚めていないかのような静けさ。メリアの踏み鳴らすパンプスの音がやけに響く。自分だけが非常識に音を立てているようで、無性に恥ずかしくなった。音が小さくなるように、そっと歩を進める。


 しばらく歩くと、中央区に到着する。中央区は円状にひらけた場所で、中央にはフローライトの紋章があしらわれた噴水があり、円の外側の縁に沿うように聖堂、役所、図書館など、国が管理している施設が無機質に並んでいる。商人が経営する出店のようなものは何もなかった。


 場所柄、人々の喧騒は皆無に等しい。静寂、という言葉がぴったりと似合う区画だ。噴水の音だけが、この空間を支配している。


 先輩受付嬢のカトレアの話では、フローライト城と聖堂が同時に望めて、かつ、落ち着いた静かな場所なので、恋人たちには密やかな人気があるらしい。噴水前に設けられたベンチには数組のカップルが身を寄せあって、フローライト城を眺めていた。


 メリアにしてみれば、ここ中央区は工業区の経由地点に過ぎない。フローライト城や大きな聖堂を横目に、歩む速度を落とすことなく横切る。


 しかし、その途中で。それに意識を奪われてしまった。


 冒険者ギルドや正門へと続くメインストリートの前で、騎士の集団がたむろしていた。


 質の高い鉄で作成された、ピカピカに磨かれた銀色の鎧に、フローライトの紋章が装飾されている長剣や槍、人の大きさ程にある大剣。どれも揃えるのが難しい、一級品だ。


 フローライト城、直属の騎士団だ。フローライト全域を護る役割を担う者たちで、一人ひとりの戦闘能力は軒並み高い。立ち姿一つとっても洗練されていて、岩のような圧迫感を放っている。


 彼らは全員、細長い鉄兜を脇に抱えて素顔をさらしていた。街中では顔を隠してはいけない規則があるのかもしれない。


 誰もが険しい顔つきだった。横三人、縦七人の隊列になって並び、戦いの前のような、ものものしい緊張した空気が流れている。隊長格が二人、二十一人の騎士に向き合い、小さな声でラピッドウォルフの特徴について話している。


 ラピッドウォルフの討伐部隊だ。一匹程度で国が動くはずがないので、演習ついでに討伐するのだろうと、メリアは当たりを付けた。それでも、隊長格含め、二十三人も出動するのは随分と多いが。


 メリアは彼らをじろじろと見ないよう、進行方向だけ見据え、その横を通りすぎようとして。


 にわかに、ざわざわと騒がしくなった。彼らの視線が全て、メリアに向かったのを肌に感じた。過去の習慣で彼らから間合いをとるためにバックステップをしようとして、彼らに敵意がないことを確認してから、踏みとどまった。


「カーーーッ!!」


 突如として、爆発音のような声が閑静な広場を揺らした。それに呼応するように騎士たちは沈黙し、まとわりつくような視線がメリアから離れた。


「すまない、お嬢さん。こやつらはみな、女日照りでな。君のように可愛らしい清楚系の美少女を前に、興奮してしまったようだ」


 巨大なツヴァイハンダーを背中に装備した、鍛え上げられた筋肉を持つ隊長格が鎧の音を鳴らしながら頭を下げた。角張った顔つきの三十代ほどの偉丈夫で、この国では珍しい黒髪をしていた。


「隊長……この女の子、あれっすよ! 今噂の、美少女受付嬢のメリアちゃん! 俺っちの要チェックリストにも最近追加しましたわ!」


 隊列の中にいる騎士が口を開くと、そこから伝播するように周りの騎士たちが再びざわざわとする。


「な、なにぃ!? あの歩く美少女名鑑の要チェックリスト入り、だとぅ!?」


「こ、こんなかわいい子が受付嬢!? ……私服、かわええなぁ……」


「冒険者、こんな美少女からクエストもらえるのか……? いいなぁ……兼業、だめかなぁ……」


「ぜ、ぜひ、騎士団の専属秘書に……」


 つい先程までの緊張感は消え去り、各々好き勝手に話しはじめた。彼らが騎士団の装備をしていなければ、酒場で談笑する人たちと区別がつかないだろう。


「うぉっほん! 申し遅れた。我輩はフローライト第三騎士団の団長、ガルザード・ケルヴィンである! 我輩たちは近くの森へと赴く予定でな。受付嬢なら事情は知っているかな? 安心めされよ。君の憂いを晴らすことを、我輩の命にかけて誓おう」


 彼は突然片ひざを地面につき立て、右手で心臓部に手を当て、恭しく頭を下げた。メリアは全く知らないが、騎士団の挨拶のようなものなのだろうか。挨拶はいらないので、短いスカートの時に目の前でしゃがまないでほしかった。


「少し、良いだろうか?」


 騎士団長の隣にいた、ブロンドの髪をオールバックにまとめた、爽やかな風貌の若い男性騎士が意見を主張するように片手を挙げ、一歩前に出た。


「どうした、副隊長。まだ我輩のターンは終わってないのである」


 副隊長と呼ばれた男性は団長の言葉を無視し、メリアの前で団長と同じく片ひざをついた。スカートを抑えつつ、つい、一歩下がってしまった。


 彼は威厳のある渋い声で、至極真面目に、一点の曇りもなく、言葉を紡いだ。


「麗しの君。どうか、『お兄ちゃんがんばって』と、言ってもらえないだろうか?」


「副隊長!? 何を言って……」


「? お兄ちゃんがんばって」


 メリアは口下手ではあるが、いくらなんでも同性相手に緊張しない。一言一句、要求された言葉通りに口にした。正直、この言葉を放つ意味はわからない。


「くっ! な、なんという素っ気ない棒読みだろうか!! 確かに私は気持ち悪いことを言っているかもしれない! 塩対応もわかる! だが! だが!! もう少しその、感情を込めて もらえないだろうか!? 妹萌の私に、慈悲を!」


 突然、端正な顔つきを崩し、懇願するように泣きじゃくった。彼の変貌にメリアは困惑した。どう対処すれば良いかわからず、頭が混乱する。


 頭の回転を速めて処理能力を高めたが、考えても、考えても、この副隊長と呼ばれている騎士の目的が、何ひとつして見えてこない。どこに向かっているのだろうか?


「……ごめんなさい。よく、わかりません」


「……そうか。……ふむ。少し、私の妹について、話をしようか」


 彼は語りだした。


 彼の、妹について。


 幼い頃、彼の妹はどんな時でも、彼の後ろを付いてきた。おにぃちゃん、大好きっ! と。あたし、おにぃちゃんのお嫁さんになるんだっ! と。


 しかし。ある日突然、それは訪れた。


 あたしに話しかけるな。うざい。


 そう。兄離れ、である。


 その日を境に、可愛い妹は遠いどこかへと旅立ち、兄を嫌う妹が爆誕したのだ。


「嗚呼! だから私は、久しく聞いていない、あの単語を聞きたいのだ! 囁くような、甘い声で! 語尾に音符もしくは、はぁとがあるような!」


 家族、というものがいないメリアにとっては真の意味で彼の悲しみを理解できない。


 メリアは彼がおにぃちゃんという単語に飢えていることだけはなんとなく理解したのだが、それは彼の妹からの言葉だからこそ、輝くものではないだろうか。


 メリアは分類すれば弟だ。そんな自分が、悲しき騎士の魂を鎮めることができるのだろうか。根本的に、性別が違うから……。


 すると。騎士団は輪唱するように。


「俺にも……妹が、いるよ。昔も今も、体格が良い妹がね」


「俺には……妹が、いないよ。頭の中では七人くらいの妹がいるけど……それは、想像の域を出ないんだ……声も、聞いたことが、ない……」


 キラキラとした純粋無垢な少年の眼差しで、騎士たちは団長も含めて誰もが、メリアの言葉をいまかいまかと待っていた。


 ……きっと、みんな、寂しいんだ。


 そうだ。妹とか、弟とか、関係なく。メリアから、メリアの言葉で、この騎士たちに伝えればよいのだ。


 がんばって、と。


 ……それを伝えることが、急激に恥ずかしくなった。どうしてこんなことに……。


 顔を見られるのが嫌だったから、鞄で顔を半分隠して。


「……お、おにぃちゃん。その、おしごと、がんばって、ください」


 つっかえながらも、全て、言い切った。……私は、何をしているんだろう? メリアは穴があったらさらに掘って地中に埋まりたいほどに恥ずかしくなった。顔が熱い。 


 メリアが羞恥に耐えきれず、鞄で顔を全て隠す。見ないで。


 すると、勝どきを上げたようなけたたましい咆哮が静かな中央区広場を揺らした。


 異様な熱を持った振動に、ベンチで座っていたカップルたちが一目散に逃げ出した気配を拾った。メリアも逃げたくなった。


「こんなうす汚い欲望を叶えてくれる女の子がこの世にいるとは……な……。まさに、天使。私は、もう……このまま召されても……良い……」


「俺、この戦いが終わったら、お兄ちゃんになるんだ……」


「我輩、妹はいないのたが……良いものなのかも、しれんなぁ……」


「そ、それでは、この辺で失礼します……」


 メリアは彼らのくつくつとした不気味な忍び笑いから逃げるように、そそくさと中央区を後にした。


 ……騎士団は、精神的磨耗が激しい、大変な職業なのかもしれない。


 みんな、疲れてただけ。


 そう、心に言い聞かせた。

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