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わたしと天使との距離

 リリィはメリアの手をひいて、食事処「はちみつのしずく」へと案内した。店全体がレンガ造りの花壇に囲まれている外観で、色とりどりの花が季節に関係なくいつも咲き誇っている。店の外壁もカラフルで、女子の間では人気が高いお店だ。


 日が落ちていても、照明の魔導具で花が照らされ、今みたいな夜でも花が楽しめる。咲いている花の名前はリリィには分からないけれど、甘い香りと花びらの可愛らしい形が好きでお気に入りの花だ。外観だけではなく、内装も花のオブジェやファンシーな小物が散りばめられていてとても可愛い。


 はちみつのしずくは学校の友人たちと初等部の頃から中等部を卒業するまで頻繁に利用していて、思い出深い場所でもある。働くようになった今ここに来ると、将来のことを何も考えずに今だけを楽しむように駆け抜けた日々が、走馬灯のように蘇る。


 同級生たちは皆、別々の道へと旅立って、しょっちゅう会うこともできなくなった。それが、大人になったんだなぁと、一番に実感したことだった。


 ……でも今は、メリアと一緒にいるのだ。そんな感慨にひたっている場合ではない。


 慣れ親しんだ店だけれど、メリアがいると初めて訪れた店のようにそわそわしてしまう。仕事や帰り道以外でメリアとお喋りできる、貴重な機会。冒険者たちの接客よりも数段緊張した。


 隅にある二人用のテーブルへとメリアをエスコートして、適当な料理を数品、それと苺ジュースを二つ注文する。他愛ない世間話をしているうちに、小さな木のたるに注がれた苺ジュースが届く。メリアにジョッキを持つように促してから、リリィもジョッキを掴む。


「それじゃ、今日もおつかれさまでしたー!」


「はい! おつかれさまでした!」


 ジョッキを軽くぶつけあって、乾杯。ジョッキを傾けて、はちみつのしずくおすすめの苺ジュースを一口飲む。素材の甘さとミルクのコクが喧嘩せずに仲良くお互いを高めあって、いくらでも飲めてしまうぐらいに美味しい。


 メリアは控えめな女の子らしく、ジョッキを両手で持ちなおして、苺ジュースをこくりこくりと上品に飲む。飲み方一つにしても女子力というものは自然と滲み出るものだ。勿論、メリアの女子力は群を抜いて高い。片手でジョッキをあおったリリィとは雲泥の差だ。


「メリア、どう? 苺ジュース美味しい?」


「はい! とても、美味しいです」


 メリアはほんのりと顔を綻ばせた。仕事中の営業スマイルでなければメリアは、あまり感情を表に出さない。けれどこれでも、初めて会った時よりもずっとずっと感情が豊かになった。


 一月前は、まるで人形のような無表情で、にこりともしなかった。人見知り、だったのだろうか。仕事になるとギアが変わったように笑顔を作ったのだけど。そう考えると、メリアとの距離をほんの少しだけ縮められたのかなと嬉しくなる。


「あはは。でしょでしょ? それにしても……さっきの男の人、何事もなくて良かったよね」


「はい。あとは、近くの森の警戒が早く解かれれば良いのですが……」


 憂いを帯びた顔が光の粒のように儚げで、今にもメリアが消えてしまいそうだった。リリィの心臓がキュッとして、痛くなる。


 この痛みの正体が分からない。


 痛みに伴って、メリアのことをもっと知りたいという欲求も生まれる。


 メリアは、謎が多い。


 フローライトに幽閉されていたやんごとなきお嬢様なのか。どこかの国のお姫様なのか。おとぎ話で伝えられている、本物の天使なのか。


 一月前の、初めてメリアを見たときのことを、リリィは一生涯、忘れられないだろう。


 その日。リリィは一人の女の子に心を奪われた。


 ひらひらとした装飾が散りばめられた、ワンピースのような異国の服装。風にさらさらと流されている純白の長い髪。女の子の理想を型どって作られた、お人形のように整った顔つき。触れたら壊れそうな程に華奢な身体。


 桃色の花を咲かせるフローライトの木々に囲まれた彼女は、その花びらの雨を浴びてただ立ち尽くしていた。


 白と桃色の幻想的なコントラストはどこか浮世離れしていて、リリィは現実を疑った。おとぎ話の世界に迷いこんでしまったような感覚。


 儚げな女の子は二つの青い宝石を潤ませて、何もない虚空を表情が欠落したまま見つめていた。


 リリィは女の子が何をその視界に入れているのか気になり、彼女の視線を追いかけた。しかし、その先には雲一つない、青空が広がっているばかりだった。何を見つめているのだろう? 空? それとも、その先にある何か?


 女の子に目を戻すと、突然、天に向かって染み一つない細腕をゆっくりと伸ばした。


 天界から落ちてしまった天使が、故郷からの迎えを待つ姿のようにも。


 ままならない世の儚さを憂う姿のようにも。


 悲劇の一幕を切り取った瞬間にも見える。


 天使の嘆き。


 彼女は、今にもこの大地からかき消えてしまいそうだった。


 ……リリィが見ている光景は、幻なのかもしれない。現実味がどこにもない。


 それを確かめたかったのだろうか、別の理由だったのか。リリィはその時の心境を鮮明に思い出すことができない。


 ただ、リリィは強迫観念めいたものに突き動かされ、おそるおそる彼女に声をかけた。


 あの時のことを、一言であらわすのならば。


 運命。


 彼女を繋ぎ止めるために、リリィは。


「リリィさん?」


 メリアは綺麗に整えられた前髪を揺らしてこてんと、可愛らしく首を傾げた。青い瞳の中に、呆けているリリィが反射していて、意識を現実に戻した。慌てて手を振り、誤魔化した。


 自分が高貴で可憐な美少女の先輩になったということが、未だに信じられない。全て夢なのではないかと思う時もある。


 今も、あちこちからちらちらと視線を感じる。店内の客層はほとんどが女性客だけど、カップルも交じっている。男女関係なく、メリアは視線を独り占めにしていた。本人は気づいていないのか、周りを気にする素振りを微塵も見せない。


 メリアは人を惹き付ける容姿をしているから、盗み見られることは日常茶飯事で慣れているのかもしれない。


「メリアは、さ」


「はい」


「受付嬢になってから今日で一月経ったけど、どうだった?」


 メリアをこの世界に繋ぎ止めるために、強引に誘った仕事。曖昧な質問になってしまったけれど、メリアは真剣に考えてくれてから、口を開く。


「すごく……」


「すごく?」


「勉強になりましたし、楽しい、というのでしょうか。今はこの仕事に、生き甲斐を感じています」


 自然な笑顔の筈なのに、そこに、どこか影が見えてしまう。


 きっと、メリアは本物の天使なのだ。


 今は受付嬢として地上にいるけれど……。


 本当は、帰りたいのではないだろうか。


 いつかは、天界に帰ってしまうのだろうか。


 それがいつ訪れるのか。その時、リリィは引き留めて良いのか。そんな権利があるのか。帰らないでって言ったら、地上に残ってくれるのだろうか。


「そう? それなら良かった! 仕事のことでも、それ以外のことでも、何か困ったことがあったら、いつでもわたしに言ってね?」


 メリアは世間に疎いところがある。それがまた、彼女が特別な存在であることに拍車をかけている。


「ありがとうございます、リリィさん。その……頼りに、してます」


「うん!」


「それでは……その……早速なんですけど……」


 メリアはもじもじと指を合わせて、上目遣いでリリィの様子を窺う。あざとい女子はたくさん見てきたけれど、それは全て計算の上に成り立った演技だった。


 しかし、メリアのしぐさにはその演技がない。全て天然なのだ。本物の美少女。だからこそ、同性にも関わらず心がときめく。


 くらくらとしていると、メリアは耳まで真っ赤にして。


「えと……やっぱり、なんでもないです……」


 言葉尻を小さくして、うつむいた。


 こんなにも感情を出しているメリアは初めて見た。


 それが嬉しくて、同時に妙に恥ずかしくて、リリィはドキドキする。


 今のメリアに無理やり話を聞き出したり、追及するのは悪手だろう。彼女が心を開いて自発的に話してくれるのを待つべきだ。追いかければ、するりと逃げてしまう気がする。


「あはは。話したくなった時に、また相談してよ。わたし、いつでも聞くからさ」


「ありがとう、ございます」


 タイミングを見計らったように注文した料理がテーブルに並べられた。ボリュームよりも素材の質と盛り付け方に拘った料理は女子人気が高い。


「それじゃ、ご飯食べよ? ご飯も美味しいんだけど、食後のデザートがすっごく美味しいの!」


「デザート……。甘いもの……。楽しみです……!」


「あはは! よーし! ここは先輩が全部おごっちゃおうかな! 甘いものもどんどん頼んでいいからねー!」


「だ、だめですよ、リリィさん。ちゃんと折半に……」


「いいのー! 今日はメリアの受付嬢一月記念だから!」


「……。……わかりました。では、次、一緒に食事する時は、私が奢りますね?」


 次。その言葉はメリアがまだ、地上にいてくれることを約束してくれたようで。


 リリィは、安堵した。


「うん! そうだ、明日の休みは何するの?」


 今までは私生活について踏み込むことをしなかった。だけど、一月という区切りで、少しだけ、前へ踏み出したくなった。もし、この話題で渋い顔をされたりしたらすぐに話を変えよう。


「明日は、工業区の散策、主に鍛冶屋などを見学する予定です」


 心配は杞憂で終わり、淀みなく話してくれた。心の中で安心のため息を吐いた。


「工業区かー」


 あんまり女の子が行く場所ではない。女性冒険者ならば装備を整えるという理由で足を運ぶことはあるが、戦わない女子には無縁だ。


 そんな所にメリアが行く理由は一つしかない。本人も言っている通り、鍛冶屋の勉強だろう。冒険者から鍛冶屋について質問されたとき、冒険者が求める鍛冶屋をすぐに紹介できれば、受付嬢としての質が上がる。


 勉強熱心だと思う。一応受付嬢の先輩であるリリィだって完璧には理解していない。マニアックな装備を扱っている鍛冶屋が分からないときは先輩やギルドマスターに訊けば解決するから、全部覚えることは必須ではない。


 リリィも工業区に縁がなく、在学時に友人たちと片手の指で足りるくらいしか行ったことがない。リリィ自身も勉強するためにメリアについて行きたかったが、明日は学生時代の友人たちと久々に会う予定が前々から入っている。それをすっぽかすことはできない。


 ……友人。


 メリアとの関係は、仕事の同僚の域を出ていないだろうか。まだ、一緒に遊びに行けるほどの仲ではないのだろうか。


 もっともっと、距離を縮めたいと思う。


 一緒に買い物したり。


 お互いの家にお泊まりしてパジャマパーティーをしたり。


 メリアとしたいことが、次から次へとあふれてくる。


 友達に、なりたい。もっと、親密になりたい。


 そんな欲求は初めてで。


「今度……」


「? リリィさん?」


 今度、次の休みに、一緒に買い物したい。


 その言葉が自然と口に出そうになって。


「! あ! えとね、今度! 今度というか次の仕事の時に工業区、どうだったかお話聞かせてね?」


「はい!」


 リリィはため息を吐きたくなるのを我慢して、目の前のサラダを口に運ぶ。顔が熱くて、頭がふわふわとして味わうことに集中できない。


 ……これは逃亡ではない。戦略的撤退だ。


 メリアを遊びに誘うのは、時期を見計らい、慎重に行動する必要がある。


 ……。


 明日、友人たちにメリアとの距離を縮めるために、何かアドバイスをもらうのも良いかもしれない。


 そんなことを、思った。

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