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受付嬢の一日 (5)

 近くの森。それはフローライトに住まう人々の通称であり、地図上の正式名称はフローライトの森。


 都市フローライトから一番近くにある小さな森で、魔物は基本的には出没しないため、危険は少ない。森の入口から近い場所は先人たちによって、道がある程度整えられていて探索が容易だ。


 みずみずしい果物や木の実、食用植物、肥えた小動物たちなど、森の恵みが豊富で、所々に質の良い水源もある。フローライトの森の中で住居を構えることも十分に可能だろう。


 その条件から初心者冒険者も安心してこの森を探索することができる。あえて危険生物を挙げるとすれば、獰猛な猪や、毒を持つ虫くらいだろうか。


 柔らかな土を踏みしめて、メリアは既に薄暗くなった森を進む。ブーツは間違いなく汚れてしまうだろうから、家に帰ったら土をしっかりと拭き取らなければならない。


 木々が作り出す天然の、ひんやりとした空気。森の匂い。土の匂い。そして生き物の、具体的には小動物の、窺うような、視線、視線、視線。森への侵入者に対して、最大限の警戒を敷いている。


 森の生き物は人間が天敵だ。狩人を生業にしている者や冒険者などに昔から狩られ続け、動物たちは人間を危険な生物と判断した。それは種を存続するために生まれた危機管理であり、遺伝子に組み込まれた、今を生きようとする本能だ。


 ……そして、これらのことは、他人事ではない。


 人間の繁栄を脅かす、人間の天敵となる上位の存在は、メリアの知る限り多く存在している。


 竜、魔王軍、魔物、亜人、悪魔、精霊、そして、同じ種族である人間。これらは一例で、人間の敵は枚挙に暇がない。


 人間は、決して強くない種族だ。


 天敵を前にした時、か弱き人間はそれこそ小動物のように逃げ惑い、潜み、その脅威が去るまで怯えて過ごすことになる。


 今メリアの住むフローライトは、驚くほどに平和な場所だ。周囲に天敵となる種族がいない。だからこそ、危機に対して、他人事だ。自分たちは大丈夫と、災厄は物語の中でしかないと、楽観視している節がある。


 ……。


 だけどそれは、幸福なことなのかもしれない。


 思案する頭を切り替えて、森の気配を探るために集中力を上げる。小動物や虫などの気配はフィルターし、人間の気配のみ抽出。木々を切り開いて整えられた道の先に、気配が一つ。おそらく、日中依頼をキャンセルした男性のものだ。そして、背後からも、人の気配。


 背後からの気配はメリアに向かって駆け足の速度で近づいてくる。しかし、警戒する必要のない、良く知っている気配だった。


「メ、メリアー! 待ってー!」


 リリィの疲弊した声が耳に届き、歩みを止めた。背後を振り返る。


 全力で走ってきたのか、彼女は立ち止まると肩を使って苦しそうに呼吸をする。顔も真っ赤に染まり、今にも倒れてしまいそうで、メリアはオロオロとしてしまう。


「リリィさん! 大丈夫ですか?」


「ちょ、ちょっと……待って……」


 言われた通り口を閉じて、ただ棒立ちでリリィの呼吸が整うのを待った。念のため、いつでもリリィを護れるように、付近の警戒を怠らないようにする。


「ふぅ、ふぅ……。め、メリア、走るの速すぎ……。じゃなくて……メリアは、さっきの、依頼をキャンセルした人がいるかもしれないから、様子を見に来たんだよね?」


 彼女の問いかける視線が、なんだかメリアを責めているようで、直視できない。やましいことなんて何一つとしてないはずなのに、胸を張れない。目をそらし、頷くことしかできない。


「……。はい」


「メリア。あのね? もっとわたしを頼っていいんだよ? ……確かに、わたしは頼りないかもしれないけれど……これでも先輩だからねっ!」


「リリィさん……。はい、ありがとう、ございます。あと、その、リリィさんは頼りになります」


「あ、あはは……何だか言わせた感じになっちゃったなぁ……って、今はこんなことしてる場合じゃないね。早く探しにいこ?」


 リリィに再度頷き、街の時と同じ様に横並びになって歩き出す。受付嬢が暮れなずむ森の中を二人並んで歩く光景は、野盗から見れば良いカモだろう。女性はただでさえ狙われやすい。リリィのような見目麗しい女の子であれば、尚更。警戒を怠らないようにする。


「夕方の森って初めてなんだけど、もう薄暗くて……結構こわいね……夜になったら大変だよ……」


「はい。なるべく早く、件の方を見つけましょう」


「だね! ラピッドウォルフも怖いけど、短い時間だし、まさか遭遇することは……」


 と。近くの背の高い草むらから、がさがさと何かが蠢く不穏な音が耳に飛び込んでくる。気配は小動物。危険はないと判断。


「や、やだっ!」


 リリィが勢い良くメリアに抱きついた。突然のことにメリアの頭の中が真っ白になり、集中が乱れる。


 ふんわりとした柔らかな感触に、ほのかに香る甘い花の匂い。頭がくらくらとする。メリアはこれまでに経験したことのない胸の高鳴りに驚き、しかし今は森の中。心を乱すことは命取りになる。歯を食いしばって心を鎮めた。


 小動物の気配ではあったが、念のため音の発信源を窺うと、茶色の小さな野うさぎがひょっこりと顔を出す。メリアたちを認識すると、瞬く間に森の奥へと逃げていった。


「リリィさん。音の正体は野うさぎです。危険は一切ありません」


「あ……。そ、そっか。いきなり抱きついてごめんね、メリア……」


 しかし、言葉とは裏腹にリリィはメリアから離れようとしない。どの言葉を使えば失礼にならずに身体を離してもらえるだろうかと考えようとした時、それに気づいて、側頭部を鈍器で殴られたような衝撃が走る。


 リリィは、震えていた。


「あ、あはは……情けない先輩で、ごめんね……」


 頭が急激に冷え、ドキドキとしていた心が平常になる。


 そうだ。震えるのも、恐怖するのも当然の反応だ。受付嬢なら、フローライトの森と言えども、夕方以降の森がどれだけ危険か知っている。


 そして、知識があるからこそ、恐怖してしまう。


 特に今は、ラピッドウォルフが目撃されている。


 ラピッドウォルフは人間側から危害を加えなれば何もしてこない習性を持つが、それでも恐怖感は生まれる。


 一突きで絶命するような鋭利な武器を、喉元に突きつけられて、知りもしない誰かに何もしません。と宣言されて、誰が安心できるだろうか。


 それに、万が一戦闘になってしまえば、普通の受付嬢は当然として、冒険者でも命の危機に関わる。


 そんな森の中にいて、恐怖を感じないわけがない。


 自身との認識の違いを、改めて思い知る。


「リリィさん。大丈夫です。何があっても、リリィさんのことは私が護りますので」


 彼女の震えを止めたくて、少しだけ抱きしめ返す。それからリリィの手を握り、身体を引き離す。


「で、でも、先輩として……」


「先輩も後輩も、関係ないです。私が先導します」


 少し強引かなと心配になったが、リリィは何も言わずについてきてくれた。


 リリィの不安を潰すように、その手を強く握りしめる。森の少し先にある気配に向かって進む。


「メリアは……」


「はい?」


「メリアは、こわく、ないの?」


 窺うような、探るような問い。どう答えるのが、普通の人間なのかと疑問が浮かび、その解答は生涯得ることができないだろうとすぐに諦めた。


 メリアは自身が普通の人間と感性がずれてしまっていることを自覚している。


 夜の森も、ラピッドウォルフも。もしかするとどこかに潜んでいるかもしれない、情報のない未確認の魔物も野盗も。


 メリアにとっては、何一つとして、恐怖の対象ではない。


 だから、誤魔化すように。でも、嘘はつきたくないから。


「リリィさんがいてくれるから、怖くないんです」


 彼女の顔を見ないように、森の奥だけを見据えて。本当のことを一部分だけ、話した。


「そう、なんだ」


 全てを納得してくれた訳ではないだろうけれど。


 リリィは、何も訊かないでいてくれた。


 お互い、無言で歩く。気まずい沈黙ではなくて、辺りを警戒するように。少しの物音も聞き逃さないように。


 少し進むと、彼はいた。日中に冒険者ギルドで依頼をキャンセルした男性で間違いなかった。彼は野苺が群生している草むらでせっせと果実を採取していた。夢中になっているのか、メリアが近づいていることにすら気づかない。


「こんばんは」


「うおっ!? って、メリアさん!?」


 彼はそそくさと採取した果実を小さな籠に詰めて、それを背負って立ち上がる。


「どうしてこんなところに? メリアさんたちもあの噂を聞きつけてやってきたのかい?」


 ゆっくりと首を振って否定する。彼を突き動かした動機に興味のないメリアは、用件だけを告げた。


「現在、この森にはラピッドウォルフが出現する可能性があります。それから、夜が近づいてきています。どちらも一般の方には危険ですので、すぐに街へとお戻りください」


「あ、あー。さっきもそんなこと言ってたね。でもさ、危険な魔物っつっても、言うほど、たいしたことないんだろ? 現に、君たちだって丸腰でここに来てるじゃん。冒険者はみんなチキンだぜ。こんなことなら最初から俺が採取すりゃ良かったよ。つうか、俺でも冒険者になれそうだな。いやむしろなっちまうか? そうしたら……」


 笑顔を意識して作り、有無を言わせないように彼の言葉を遮る。


「危険です。街にお戻りください」


「わ、分かったよ……まぁ、欲しいものは十分に採れたし、いいけどさ」


 籠に入っているのは、沢山の野苺。しかし、品質も採取方法も良くない。強引に千切って採取したのだろう。指摘する必要性も感じず、それは意識の外へと追いやった。


「はい。では、まっすぐ街に戻ってくださいね?」


「へいへい……」


 そっぽを向いて、街の方向へと戻り始めた。彼の歩みに合わせて籠が揺れて、溢れんばかりに詰められた野苺が一粒、こぼれた。


 この位置は森の入口から道なりに真っ直ぐ進んでたどり着いたので、帰り道も迷うことはないだろう。これで、最悪の事態は避けられた。


 彼から少し遅れて、メリアとリリィも森を引き返す。夕暮れから夜へと移り変わり、あたりは真っ暗になっていた。光源のない森は夜になると、先の見通せない、凶悪な場所へと表情を変える。木々の低い所であれば、月の光が微かに降り注いでいるおかげで、うっすらと輪郭が見えるくらいだ。


「リリィさん。暗くなってしまったので、足元にお気をつけください。帰り道も私が先導します」


「う、うん」


 森の入口へと向かう、その途中。


 魔物の気配を一瞬だけ拾った。


 メリアは気配のした方向に振り向いた。男性が野苺を採取していた、そのずっと先からだ。もう少し集中力を上げて……。


「ど、どうしたの、メリア?」


 リリィが不安げな声でメリアの手をにぎにぎとし、我に返る。


「いえ……。虫が……」


「あ、あー! 虫か! 虫、やだよね! わたしも苦手なんだー……」


 その魔物は、ほぼ間違いなくラピッドウォルフだろう。まだ距離があるため、メリアたちには気づいていないはずだ。


 ……。


 今は、リリィがいる。森の中で彼女一人を残してまで、ラピッドウォルフの様子を確認しに向かう必要もないだろう。


「メリア?」


「ごめんなさい。ぼうっとしていました。早く街に戻りましょう」


 急ぎ足で、だけどリリィが苦にならないペースで歩き出した。


 それからは何事もなく森を出て、フローライトの正門に戻った。いつまでうろついているんだと、門番に二人揃って怒られた。


 街灯で照らされた、明るいフローライトの街に戻るとリリィは安心したのか、おもいっきり息を吐き出した。そして、優しい眼差しでメリアの顔を見る。


「メリアって、すっごく頼りになるんだね。同性なのに、ドキッてしちゃった……。って! わ、わたし、なにいってるんだろね? あはははは……」


 リリィは顔を両手で隠し、はずかしー、とうつむいてしまう。


 メリアも何だか気恥ずかしくなり、リリィを直視できなくなってしまう。


 それからは自然と横並びになって、会話もなく街を歩いた。いつもよりも遅い時間だからか、ここ一月で見慣れたリリィと一緒に歩く景色が違うものに見えた。


 そして、住宅区の前。いつもの別れ道。


「それでは、リリィさん。お疲れ様です」


 頭を下げて、メリアの家がある道へと踏み出そうとして。


 手を、つかまれた。 


「? リリィさん?」


 その手は、まだ、少しだけ震えていて。


「あ……。えと……。そうだ! 明日はわたしたち揃ってお休みだし、ご飯でも食べながら、もっと、お話し、しよっ? わたしね? わたしね? 美味しい苺ジュースのあるお店、知ってるの!」


 メリアは一瞬、リリィが何を言っているのかわからなくて。食事に誘われているのだと気づくのに、時間を要した。


 それは、初めての、食事のお誘い。


 断るのは、メリアにとってあり得ない選択だ。


「はいっ! 苺ジュース、ぜひ、飲みたいです」


「うん! よーし! こっちだよー!」


 今来た道を引き返すように、商店区へと向かう。


 今度は、リリィがメリアの手を取り、先導してくれる。


 それが嬉しくて、メリアは。


 彼女の手を強く、握った。

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