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受付嬢の一日 (4)

「ふぅ。今日もがんばったわね。みんな、お疲れ様」


「お疲れ様です!」


 夕刻を告げる教会の鐘と共に、メリアたち早番組は遅番の受付嬢と交代。控え室で簡単な日報を書いて、一日の業務を終えた。


 始業から終業まで背筋を伸ばしたままのローラとは対照的に、カトレアとリリィは控え室の大きなテーブルに身体を投げ出し、大きなため息を吐いていた。メリアも先輩たちと同じ様にだらけてみたかったが、グッと我慢。新人は新人らしく、どんな時でもビシッとしなくてはならないと姿勢を正した。


「私とカトレアは明日も出勤だけど、メリアとリリィはお休みね。身体を休めることも大切だから、しっかりと休養するようにね」


「そうだよ~。休日まで仕事のこと考えてたらこうなっちゃうからね~?」


 カトレアはローラの頬を大胆かつ繊細に指でつつく。ローラは眉をひそめたが、彼女のちょっかいを咎めることなく、されるがままだった。


「あはは。ちゃんと休みますって。ね? メリア?」


「はい。いつもより多めに睡眠をとりたいと思います」


「そう、それならいいわ。それじゃ、私たちは一杯呑んで帰るから。次のシフトでまた会いましょう。カトレア、行くわよ」


「あ~ん、待ってよぉ~。それじゃ、二人ともばいば~い!」


 ローラはきびきびと立ち上がり、疲れを感じさせない足取りで控え室を退出する。カトレアはメリアたちに手を振ってからローラを追いかけた。


 控え室にはメリアとリリィ、二人だけになる。お互いの息づかいまで聞こえそうな程の静けさ。その静寂を切り裂くように、リリィは立ち上がる。メリアにふんわりと笑いかけた。


「メリア。わたしたちも、帰ろっか?」


「はい、リリィさん」


 メリアとリリィの家は同じ住宅区にある。途中までは帰り道が一緒なので、仕事が終われば自然と一緒に帰宅するようになっていた。


 冒険者ギルドの裏手から退勤し、大通りに出る。夕焼け色に染まった街を、二人並んで歩く。通りすぎる人々は忙しなく、通りに沿うように立ち並ぶお店は少しずつ閉店準備をはじめていた。街全体が夕方に怯えているようでもあり、夜の到来を今か今かと待っているようでもあった。


 メリアは横目で隣を歩くリリィを見る。初めて仲良くなった、同世代の女の子。優しい眼差しと、あどけなさと凛々しさを兼ね備えた顔立ち。そして、腰まで伸びている長い金色の髪が歩く度に揺れ動き、夕方の光で幻想的に輝く。芸術作品のようなリリィは、どんな時でも、どの角度からも美しく可憐で、無意識のうちに目を奪われてしまう。


 それでいて面倒見も良く、おおらかで、優しいのだから、メリアにとって彼女は聖女のように見えた。いや、実際に聖女なのかもしれない。


 そんな美少女と一緒に帰るこの時間は、数少ない至福だが、何を話せば盛り上がるのか、どんな距離感で接すれば良いかと思考を働かせてしまい、結局、ただただ緊張してしまう。


 ふと……。リリィと、幼い頃に出会っていれば、メリアは人間らしい心を育めたのではないかと、悪夢のような毎日を送ることもなかったのではないかと、無意味な後悔、もう叶うことのない願望が生まれる。


 でも……。それは……。


「それにしても、お酒かぁ……わたしたちもそろそろ十六歳になるし、飲めるようになるけど、わたしはまだまだジュースでいいかな。メリアはどう? 早くお酒を飲んでみたい?」


 リリィの問いかけに、心の奥底に沈みそうになっていた意識を取り戻す。メリアは慌てて言葉を返した。


「私も、ジュースが良いです」


「だよねー! ジュース、美味しいもんね!」


「はい!」


「……」


「……」


 お互い笑顔のまま、時間が止まったように会話が止まる。続かない。


 何か気の利いた言葉で返したり、話を膨らませたりすることが上手くできない。決められた答えがある業務的な説明や質疑応答などはできるが、着地地点が良く分からない雑談が苦手だった。


「メリアはさ、ジュースの中で何が好き?」


「えっと。苺で作成されたジュース、でしょうか」


「苺ジュースかぁ。美味しいもんね!」


「はい……」


 再び会話が止まる。リリィが何か口にしかけて、だけど、何でもない、と困ったように笑った。気を遣わしてしまっている。それが、ひどく申し訳なくて、メリアはこの場から逃げ出したくなる。


 ローラとカトレアがいる時は会話につっかえることがないのに、二人きりの時は、何故か会話が続かない。それがもどかしく、焦燥感が募る。


 何でも良いから話そうと試みようとした時、大きな声が耳に飛び込み、タイミングを逸してしまった。何事かと横目で視線を送ると、四人のふくよかな女性が大通りの傍らで輪になって雑談をしていた。噂好きの奥様方だ。


「アニーさんの息子さんが近くの森に野苺の採取に行ったらしいのよ。大丈夫なのかしら」


「あら。今年で二十になるあの人ね。どうして 冒険者ギルドに頼まなかったのかしら? 今って近くの森、危ないのでしょう?」


「むしろ危ないからこそダメだったんじゃないかしら? 良くわからないけど……」


「なんだか物騒ねぇ。物騒と言えば聞いてよ……」


 メリアは立ち止まり、空を見上げた。


 夕方の先の、夜が、暗闇が、すぐ近くまで迫っている。


 近くの森は本来、比較的安全な場所ではあるが、それでも森は森。夜の森は暗闇が深く、方向を失い、思わぬ事故に巻き込まれることもある。特に今はラピッドウォルフが目撃されているのだから、夜にうろつくのは論外だ。


 もし、今噂話に登場した息子が、今日ギルドで野苺採取クエストをキャンセルした男性と同一人物であるのならば、非常に危険だ。彼は見た限り、戦闘能力を有していない。ラピッドウォルフに驚き、取り乱し、防衛本能で下手に攻撃でもしようものならば、たちまち返り討ちにあうだろう。

 

 そんな事態を避けるためにも、彼の様子を見てくるべきだ。


 何事もなければ、それで良い。メリアの取り越し苦労だけで済む。


 すぐに森へと向かいたいが、今のメリアは受付嬢の立場だ。


 受付嬢は現場に出るのが役割ではない。仕事を割り当てるのが役割だ。冒険者ギルドに戻り、事情をギルドマスターに話して緊急クエストを貼り出してもらうのが受付嬢の正しい姿だろう。


 しかし、入れ違いで件の青年が街に戻ってくる場合もある。そうなると、冒険者に無駄足を踏ませるだけでなく、危険地帯に派遣してしまうことにもなる。


 緊急クエストは国に被害が出てしまうようなものでもない限り、手続きなどでやや時間がかかる場合もある。その手続きが遅くなり、夜になってしまったら……。


 それなら、メリア自身が森に行った方が確実で、迅速に解決できる。冒険者ギルドを悪戯に慌てさせることもない。


 ……。悩む時間さえ、惜しい。


「リリィさん。ごめんなさい。私、忘れ物をしてしまいました。ここで失礼します」


 リリィに一礼してから、踵を返す。街の入口へと向かって駆け出す。リリィの声が背中から聞こえたが、聞こえない振りをした。


 全力で走りたいが、ひらひらのスカートが捲れてしまわないように気を配らなくてはならず、速度が出せない。スカートの後ろ側は長いが、前面はかなり短い。急いでいると言えども、街中ではしたない姿で走ることだけは避けなくてはならない。


 通行人の奇異の目を受け流しながら正門へと到達する。そのまま門を通り過ぎようとして。


「おっと、受付嬢さん。止まって止まって。こんな時間からどこに行くつもりだい?」


 門の小窓から制止の声が飛ぶ。今のメリアは受付嬢。ギルドの信用に直結するので門番を無視するわけにもいかない。笑顔の仮面を張りつけた。


「はい。ちょっとした、確認事項がございまして。遠くには行きません。門の外を、少しだけ確認するだけです」


「そうか。国道の草むしりの件か? それはもう終わっているのだが……まぁ、何か事情でもあるのかもしれんな。遠くまでうろいて遅くなるなよ」


「はい。心配していただき、ありがとうございます。すぐに戻ります」


「ん。声かけてすまなかったな。フローライト付近は安全だろうけど、一応、気をつけてな」


 門番に会釈をして、街の外へと走る。フローライトの正門はザルなので、本来であれば、馬車をひいている商人や怪しげな服装をしている旅人でもなければ声をかけられることは滅多にない。しかし、この受付嬢の服装は、良くも悪くも目立ってしまうのだろう。 


 門をくぐり抜ける。その先には、ずっと遠くまで見渡せる、なだらかな丘陵が一面に広がっていた。地図の上でも丘陵に分類されているが、どちらかと言えば平野に近い。


 フローライトの周りは過去に開拓された影響で木々も少なく、フローライト地方の町や村へ続く道である国道も、石を綺麗に敷き詰められて歩きやすいように整備されている。冒険者の使用頻度が高いからか、近くの森への道も同じように整えられているので、移動の負担は軽い。


 一月振りの、街の外。ここから見える広い茜空が、メリアは苦手だった。空虚なイメージが染み付いている。


 生きる意味を失っていた頃が想起され、うつ向きそうになってしまう心を叱咤する。


 大丈夫。今は生きていたいし、帰る場所もある。やらなくてはならないこともある。


 視界に入っている小さな森を見つめて、街の外に出た目的を反芻する。


 森へと続く短い国道を、街の時よりも速度を上げて走る。通行人とも、小動物とも、すれ違うことなく、わずかな時間で近くの森の入口へと到達した。


 茜空は少しずつ夜へと近づいている。


 のんびりとしている余裕はない。


 メリアは迷うことなく森へと踏みだした。

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