受付嬢の一日 (2)
朝礼前。掲示板の前に、十数人の冒険者ギルド関係者が一堂に会した。並び方は特に指定されていないため、部署毎に固まるのが暗黙の了解になっていた。
囁き声が聞こえる中、ギルドマスターが掲示板の前に立つ。糸がピンとしたような緊張感が走り、沈黙。水を打ったように静まり返る。全員が彼の言葉に耳を傾けた。
「さて、朝礼をはじめる。本日、ギルドを運用するにあたり、注意しなくてはならないことがある。掲示板に書かれていることはもう確認したか?」
彼の低く響く言葉と、掲示板を裏拳でコツコツと叩く音に反応するかのように、リリィ以外がしっかりと頷いた。リリィだけが微動だにしなかったため、目立ってしまう。自然とギルドマスターの目がリリィに向いた。
「あ、あはは……ごめんなさい! 後で必ず確認します!」
「む、すまない。責めている訳ではないのだ。つい、目に入ってしまってな。就業時間には間に合っているし、それまでの時間の使い方はとやかく言わん」
ギルドマスターは咳払いを一つ挟み、言葉を続けた。
「さて、それでは……メリア君。君のアドバイスは非常に有用と、冒険者たちからの評判がすこぶる良い。そこで、改めて君の実力を見てみたい。掲示板に書かれている内容について、注意点などを推察し、説明してみてくれるか?」
メリアが受付嬢になってから一月、朝礼の時はただギルドマスターから説明を聞くだけだった。今日も話を聞くだけだと思い込んでいたため、突然の名指しにメリアは動揺した。
「突然で難しいかもしれないが、気負うことはない。君は受付嬢になってからまだ一月だ。的外れなことを言っても責めやしないし、笑いもしない。スキルアップのつもりで挑戦してみてくれないか?」
「はい」
一礼してから、メリアは掲示板に書かれていた内容を頭で瞬時にまとめる。重要な部分だけを抽出。注意点等を洗い出す。リリィたちの顔に泥を塗らないためにも、失敗は許されない。一つ、深呼吸。そして、口を開いた。
「先日の夕方、近くの森でラピッドウォルフの目撃が複数、寄せられました。ラピッドウォルフは魔狼の一種です。狼種の中でも筋肉質で、四肢が強靭です。素早い身のこなしと鋭利な牙を併せ持ち、戦闘能力が高く、一頭討伐するのにも個人でCランク以上、パーティーでDランク以上を推奨としています。また、統率力、連携の精度も高く、ラピッドウォルフの群れともなるとCランク以上の、複数のパーティーで戦略的な陣形を組まなければ一方的に蹂躙されてしまうため、群れの脅威度は非常に高いと言えます。弱点は狼種らしく火ですが、魔力に敏感で、火の魔術全般は行使する前に察知されます。そのため、魔術は回避される可能性が高く、魔術師の相性は非常に悪いと言えます」
「う、うむ……」
「ラピッドウォルフが魔力を察知するなんて知ってたか?」
「い、いや……素早い魔物ってのは知ってたが……」
「ラピッドウォルフはフローライト地方には生息していない魔物です。現在は一頭のみが、複数、目撃がある状況で、それが同個体、と仮定すれば、群れからはぐれ、近くの森に迷いこんでしまったラピッドウォルフと推測できます。ラピッドウォルフは戦闘能力は高いですが非常に臆病な性格をしているので、こちらから危害を加えなければ襲いかかってくることはありません。以上のことから、緊急クエストを発令するほどではないと考えます。しかし、状況は流動的に変わりゆくものですので、冒険者様からの情報収集は継続して行う必要があると思います」
メリアは説明を終えて、辺りがざわざわしていることにようやく気づいた。メリアは見当外れなことを言ってしまったのではないかと、説明が長すぎたのではないかと、急激に恥ずかしくなり、うつむいてしまう。顔が燃えるように熱く、穴があったら穴の最奥まで潜りたくなった。
「し、失礼いたしました! 未熟者の戯言として受け流してください……」
高速で頭を何回も下げた。失敗した。気合いが空回りしてしまった。後でリリィたちにも謝罪しなくてはならないだろう。
「……素晴らしい。補足する必要もないぐらいに素晴らしい説明だった。冒険者たちからの評判は正しかったようだな。さて! 今、メリア君が話した通りだ。当面の間、近くの森は環境変化のため、個人であればCランク以下、パーティーであればDランク以下がクエストを受注することを厳禁とする! フローライトの住民や冒険者たちへの周知も徹底するように! 朝礼終了!」
ギルドマスターが手を叩いた音を合図に、三々五々、それぞれの持ち場へと歩きだした。メリアたち受付嬢はクエスト受付カウンターへと向かう。途中、先輩たちから褒められ、メリアは受付嬢の面目を守れたと一安心した。
カウンターの裏手にある一室、冒険者たちからは見ることのできない部屋で、今届いてるクエストを確認する。下位クエストをそれぞれの受付嬢に振り分けた。
クエストは基本的にA、Bランクが上位、CからFランクが下位クエストに分類される。上位クエストはギルド全体で共有し、下位クエストは各受付嬢の裁量で冒険者に振り分ける。受付嬢の腕の見せ所だ。
今日も上位クエストがなかった。メリアが受付嬢になってから、まだお目にかかっていない。上位クエストは報酬も跳ね上がるが、その分、クエストの数も少ない。少し前に高難易度クエストラッシュがあったらしいが、その時はまだ、メリアは受付嬢ではなかった。
「それじゃ、ギルマスが言っていたように、近くの森は環境変化扱いで、条件を満たさない冒険者にはクエストを受注させないようにね。今日はランクの低い冒険者がクエストにあぶれてしまいそうね……」
「だね~。近くの森のクエストは簡単な採取クエストとか、難易度の低い討伐クエストとかが多いからね~。近くの森以外で簡単な場所だと『そよ風渓谷』『星見海岸』とか~?」
ローラとカトレアの言葉にメリアは都度頷く。タイミングを見て、メリアも会話に加わる。
「そよ風渓谷は、危険な生物が目撃された例が過去にないので、Fランクの方にも紹介しやすいのですが……フローライトから遠いことが難点でしょうか?」
「うんうん。渓谷は定期馬車出てるけど、クエストに手間取って、万が一終馬車に乗り遅れたら夜営確定だからね。確か終馬車早かった気がするし……そりゃ、渓谷は好まれないよね……」
リリィは肩を落としてため息を吐き出した。冒険者の視点で考えると、夜営は襲われる危険性もあるので、極力避けたい。ソロだと見張りもいないので十分な休息もとれないため、負担が大きくなってしまう。Fランクの大部分はソロなのだから、フローライトを拠点にしている駆け出し冒険者は渓谷を避ける傾向にある。
「星見海岸は渓谷より近くて、簡単な場所でもあるけど~、海賊とかがごく稀に出る場合もあるし~、条件の制限はないけど~、Fランクには進んで紹介できないよね~」
「そうね。一応、フローライトの海上警備隊が定期的に哨戒してくれてるけど、頻度も高くないし、やる気もないからほぼ無意味だし。いっそのこと、Fランクの人は全員、街のクエストに回した方が良いのかしら?」
「でもでもローラちゃん。Fランクができる街のクエストって~、子どもでも受けられる難易度だから~、渋い顔されちゃうかも~?」
「あー……。今日は胃が痛くなりそうね……。みんな、今日は笑顔を三割増しで頑張りましょう」
ローラが頭を片手で押さえながら呟くと、教会の鐘が響いた。多くの店が開店する時刻だ。冒険者ギルドも例外ではない。
「よし、ギルドを開けろ!」
「はいっ!」
ギルドマスターの一声に、受付嬢全員が元気に返事をした。メリアは冒険者ギルド入口に駆け足で向かい、両開きドアの片方のノブを掴む。もう一つのドアノブはリリィが掴んでいた。
リリィと目配せをして、頷く。同時に正面ドアをゆっくりと開けた。