受付嬢の一日 (1)
朝。メリアは窓から差し込む薄暗い光で目が覚めた。
まだぼやける視界で周りを見渡す。約一月をこの部屋で過ごし、ようやく見慣れてきた一室。小さめの部屋ではあるが、一人で暮らすには窮屈しない。
家具はベッドと小さなテーブルしかない。壁には受付嬢の制服が三着かけられているが、近いうちにクローゼットでも購入し、きちんと仕舞うべきかなと、ぼんやりと考えた。
緩慢にベッドから立ち上がり、いつも通りの習慣で浴室を目指す。蛇口をひねり、浴槽に水をためる。メリアが今住んでいる、都市フローライトは、インフラ設備各種が充実していて、庶民の生活の水準が非常に高い。お風呂なんていう贅沢を毎日味わえる程だ。
メリアは受付嬢の仕事をリリィに紹介してもらう前は、当てもなく、目的もなく、意味もなく放浪していた。その影響か、地に足が着いた生活というものに、まだむず痒さを覚える。
前の生活は野宿も当たり前だったし、何日もお風呂に入れないこともあった。食事も栄養バランスとは無縁で、ただ腹を満たすために何でも食べた。
もう、あの頃の生活には戻りたくなかった。
性別を勘違いされてしまったとはいえ、こんなにも良い街での仕事を紹介してくれたリリィは恩人だ。頭が上がらない。
その恩人を裏切らないためにも、今の生活を護るためにも、今日も真面目に受付嬢の仕事を頑張ろうと、一月という節目で新たに気合いを入れ直した。
そのためにも、まずはお風呂からだ。入浴がいつの間にか毎朝の習慣になっていて、お風呂に入らないと気持ち良く一日がはじめられない。浴槽に埋め込まれた魔道具と呼ばれる物で水を温める。スイッチ一つでその魔道具が発熱し、水が温かくなるのだから非常に便利だ。
お風呂がわく前にトーストなどの簡単な朝食を済ませる。歯を丁寧に磨いてから、ゆっくりとお湯に身体を沈める。大きく息を吐き出すと、身体が徐々に目覚めていく感覚。
昇るお風呂の蒸気をぼうっと目で追いかける。静寂の中に、滴が落ちる音。目を閉じて、その音を意識的に追いかけた。意味のない行動だけど、それがメリアなりのリラックス方法だった。
そのまま瞑想をしていると、フローライトの住民たちに朝の到来を告げる、教会の鐘が厳かに鳴り響いた。
それを合図に、身体全体が芯まで温まったことを確認してお風呂から上がる。濡れた髪や身体をタオルでしっかりと拭き取ってから、姿見を前に身だしなみを整える。
白のブラウスを着て、赤のリボンタイを締める。コルセットを着けて、赤いベストを羽織る。丈が短い黒色のフィッシュテールスカートをくぐらせて、同じく黒色の二ーソックスをはく。スカートの丈はもう少し長くして欲しいが、これが受付嬢の正装なのだから仕方がない。
受付嬢は洗練された可愛らしい服装も相まって、住民や街行く冒険者から、やたらと注目を集める。だらしない格好をして評判を落とすわけにはいかない。姿見の前でくるくると回り、変な箇所がないことを確認する。
受付嬢は原則、女性しか就業できない。メリアの本当の性別がバレたら詐欺師の烙印とともに一瞬でクビになり、この街を追放されるだろう。
……もちろん、メリアに仕事を紹介したリリィもその巻き添えをくらうだろう。恩人のためにも、メリアは女性を演じきる必要がある。
仕事のためとはいえ、恩人のためとはいえ、男の自分が女性を演じることに罪悪感が募る。だからこそ、メリアは今の状況を悪用することだけは絶対にしないと、今の生活がはじまってから固く誓った。
あくまで受付嬢をするためだけに、女性を演じるのだ。それを呪文のように自身に言い聞かせる。
服装の確認を再度、入念に行ってから家を出た。
フローライトの住民の朝は早い。少しだけ冷える空気の中、多くの店が開店準備をはじめていた。
すれ違う人たちで、目が合った人に対してだけ軽く会釈をしつつ、冒険者ギルドへ向かう。目的地は街の正門近くにあるので、メリアが住んでいる寮がある、市街区からはやや距離がある。商店区を経由して、街の入口を目指す。
商店区の目抜き通りに並んでいる店は、薬、生活用品、雑貨、地図専門店、酒類に、衣服、長剣などの使用率の高い装備品各種など。何でも揃う通りが謳い文句だ。
達人しか使えないような専門的な装備品や、より質の高い装備品は、鍛治屋がひしめく工業区にある。そこは冒険者御用達で、街の住民はほとんど利用しない。
受付嬢は冒険者視点の知識もある程度必要とされるので、鍛治屋についても勉強した方が良いと、先輩受付嬢から聞いたことを思い出し、休日にでも鍛治屋を覗いてみようと心のメモに記した。
商店区を抜け、大きな聖堂が構えられている中央区の広場を抜け、フローライト城が正面に望める大通りまで歩いたところで、ようやく冒険者ギルド、フローライト支店が目に入った。
正面の入口前には、既に幾人かの冒険者たちが今か今かと立ち並んでいた。通称、朝イチ組だ。冒険者たちはメリアに気付き、大袈裟なまでに手を振ってくれた。無視するわけにもいかないので、笑顔を意識して作ってから、控えめに手を振り返す。
冒険者ギルドの建物と、クエストで採取した素材などを査定する建物に挟まれた、狭い路地を抜け、ギルドの裏手にある木製のドアを開ける。冒険者ギルドの従業員専用出入口だ。
建物内に入ると、従業員連絡用の掲示板前に、冒険者ギルドフローライト支部のギルドマスターが腕を組み、眉間にシワを寄せて威圧感を放つように立っていた。
ギルドマスターは岩のように大きな身体に、筋肉がびっしりと張り付いた屈強な男性で、大きな特徴としては髪の毛を全て排除した頭と、右目に何かに切り裂かれた傷跡が痛々しく刻まれている。冒険者時代に野盗相手に不意を突かれた時に負ったものだが、失明は免れたと本人は語る。今でも冒険者に現役復帰できる、とも。
「おはようございます! ギルドマスター!」
メリアは強面の彼に臆することもなく、慇懃に一礼をした。
「うむ、おはよう、メリア君」
朝の挨拶を一言交わし、メリアは掲示板に書かれた連絡事項全てに目を通す。重大な情報は、ラピッドウォルフが近くの森に出現したことくらいだと判断した。この後の朝礼に詳細が語られるだろう。
確認後は受付嬢専用の控え室へと向かい、木製の椅子に腰をおろした。女子更衣室は隣室にあるので、この部屋ではメリアの危惧するハプニングは起きない。安心して待機することができる。メリアと同じ時間帯に働く受付嬢で、女子更衣室を利用する人はいないが。
控え室の本棚にあったものを適当に一冊選び、のんびりと目を通していると、受付嬢の先輩である、ローラとカトレアが同時に入室した。本を閉じて、椅子から立ち上がり、一礼してから朝の挨拶をした。
「おはよう、メリアさん。今日も早いわね」
「おっはよ~、メリアちゃん~!」
ローラは短い黒髪の、落ち着いた女性だ。規律正しい性格をしていて、曲がったことが大嫌いで、キッパリとした性格をしている。切れ長な眼差しと口元のホクロが大人のお姉さんの魅力を演出している。受付嬢のリーダー的な存在だ。
カトレアは桃色のふわふわとした髪を持つ女性で、独特のリズムを持っている。ローラと同い年らしい。彼女二人に年齢を訊いてはいけないという暗黙の了解があるらしく、正確な年齢は不明。踏み込んではいけない領域なのだろう。
ローラとカトレアはいつも行動を共にしている。公私問わず仲が良いのかもしれない。
「メリアさん、掲示板、もう確認した?」
「はい! ローラさん! ラピッドウォルフが近くの森で確認されたみたいですが……」
「そ~なんだってねぇ! 怖いよねぇ! 魔王軍は……さすがに関係ないよね~?」
「カトレア、それは考えすぎよ。今回はラピッドウォルフ一頭だけみたいだから、魔王軍は動いてないでしょ」
「そっか~。ならいいんだけど~……」
控え室で話していると、外からドタドタと走る音が少しずつ近づいてきた。そして、一瞬の静寂の後、勢い良く控え室のドアが開いた。
「わー! わー! 寝坊したー!」
賑やかにやってきたのは、メリアの恩人であり先輩の、リリィだ。美しいブロンドの髪は所々跳ねていて、リボンタイも曲がっている。ニーソックスも左右で長さが違っていて、慌ててここに来たことが容易に知れた。
「リリィ……あなた、髪の毛ボサボサじゃないの」
「ひどいね~。それじゃカウンター出れないよぉ~。歯磨きはしてきたよね~?」
「それはもちろん! 髪を整える時間だけが足りなくてさー……すぐになおすよ!」
「髪を整える時間だけ……? 服もでしょ……」
三人には慣れしたんだ特有の輪がある。まだそれに入れないメリアは、タイミングを見計らってからリリィに頭を下げた、
「リリィさん、おはようございます!」
「ん? おはよう、メリア! 今日も一日頑張ろうね!」
「はい! よろしくお願いします!」
リリィは髪の毛を櫛でとかしつつ服装を整えるという器用な動きをしながらニパっと屈託のない笑顔になった。メリアの心に不思議な温かいものが流れる。
「リリィはさ~、少しはメリアちゃんの勤勉さを見習うべきだと思うよ~? 受付嬢は注目を浴びやすいんだから~、誰が見ても恥ずかしくないようにね~?」
「うぐっ!」
「全くその通りね。メリアさんは朝番の中で一番早く来てるし、身だしなみもきっちりしているし、掲示板もマメに確認しているし。受付嬢の鑑と言っても差し支えないわね」
「いえ、そんな! 私は普通のことをしてるだけで……」
褒められることに耐性のないメリアは、顔が急激に熱くなった。あせあせと両手を突きだし、挙動不審になってしまう。
ローラとカトレアは同時にニヤリと笑い、まるであらかじめ打ち合わせでもしていたかのように揃って口を開いた。
「だって、リリィ?」
「うぐぅ!? 明日……は休みだから、次の出勤から、がんばる……よ?」
「これは頑張らないパターンだね~。知ってた」
「ひどっ!」
雑談をしながらも、リリィの輝く金色の髪は、本来のさらさらと流れるようななめらかさを取り戻し、服装は受付嬢の見本のように整っていく。鏡も見ずに、しかも会話の片手間に行うその手際に、メリアはつい見入ってしまう。
「? どうしたのメリア?」
「! し、失礼しました! ぼうっとしていました」
「あはは。朝だから仕方ないよ。眠いよねぇ」
メリアがリリィに言葉を返そうとした時。控え室内にノックの音が響いた。
「君たち、そろそろ朝礼だが、準備はできてるかね?」
「はい!」
全員一斉に返事をし、表情が引き締まる。
今日も受付嬢の一日がはじまる。