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妹爆発

作者: 新藤広釈

 ジャンプ短篇小説に投稿したものを少し手直し(全部書き直し)しました。

 原本がなくなったので登場人物の名前すら変えて、本当に全部書き直しました。



 浅黄文太は高校初日を終え、家に帰ってきた。

 さすが高校の校舎、中学とはまるで違う。規模がでかいし、本気だ。グラウンドも広く、部活で汗を流す生徒たちも人生かけてますっていう意思があった。

「ただいま~」

 革靴を脱ぎ、靴擦れした足をさする。なんでこんなに革靴って硬いんだ? こんなの毎日履いてるサラリーマンの足はどうなってるんだ? スニーカーだった中学に戻りたい。

 いつもの様に台所に行くと、小太りの母親が天ぷらを揚げていた。

「とりある? 鶏の天ぷら」

「はいはい、たくさんあるよ。和樹さんも好きだからねぇ」

 カシワの天ぷらじゃなくて唐揚げで使うモモ肉を天ぷらにする。父親の胃袋を掴んだ必殺の料理なんだそうだ。

「いっぱい作っといて、父さんと奪い合いになるから」

「はいはい」

「和樹さん今日早いらしいから、テーブル荷物どかしといて」

「うーす」

 冷蔵庫から麦茶を出して居間に向かった。

 廊下に有名なお嬢様学校の制服が脱ぎ捨てられていた。嫌な予感がしながらブレザーとスカートを拾い居間に向かう。

「あ、おかえりー」

 ソファーに座り、パンツ一丁の女子が大股を開きながらクリームを塗っていた。

 風呂上りなのだろう、真っ白な肌は少し赤くなっていた。白髪と茶色と黒の混じった短い髪は乾いているみたいだ。

 まだ中2なのだが、身長が高いせいで随分大人びて見える。ただ、鶏ガラのように痩せ細っているのは哀れにすら見える。

 そんな彼女の頭を、

「ごふっ」

 殴りつけた。

「ってぇな! 目から火花散ったわ!」

「服を廊下に脱ぎ散らすな!」

「すぐ風呂に入りたかったの」

 妹の浅黄晢子は舌打ちしながら何事もなかったようにクリームを塗り始める。先天性色素欠乏症の彼女は外に出る時は必ずクリームを塗らないといけない。家から帰ってくると汗とクリームで気持ちが悪くなるそうで、すぐお風呂に入りたがるのだ。

「そういうのは自分の部屋でしろよ! お前ももう中3だろ!」

「部屋にテレビないじゃん」

 殴られたことなど忘れたようにクリームを塗りながら昭和ドラマの再放送を見始めた。全然懲りてない。

 文太は大きくため息をついて向かい側のソファーに座った。

 子供の頃から建物の中に缶詰め、皮膚の病気なので衣類は邪魔の様だ。人目もないのですぐ脱ぐのだ。

「あのなぁ、いい歳の女が裸でうろつくなよ」

「なに~? まさか妹の体に欲情しちゃった? やだーもー」

 晢子は肩を抱いてくねくねと腰を振る。

「お前、本当にあのお嬢さま学校に通う学生か?」

「なーに言ってんだか。女子なんて全員こんなもんよ」

「幻滅するわ」

 素で返すと、彼女はあひゃひゃひゃと笑いながらオッサンのように大股を開いて文太が持ってきた麦茶を横取りしガボガボと飲み始めた。

 地面に転がるブラジャーを拾い、妹に投げつける。

「ちょっとー、テレビ見てるでしょ!」

「シワになるから制服はちゃんとハンガーに掛けろって言ってんだろ」

「・・・」

 晢子はブラを投げ返してきた。

 顔に当たった文太は、妹に近づき改めて頭を殴りつけた。

「ったー! もう!」

 晢子は立ち上がるとぺちぺちと足音を鳴らしながら台所に向かう。

「母さーん! 兄ちゃんが殴ったー・・・・・・へぶ」

 母親にもどつかれたのだろう。



一日目「兄妹」

 1

 文太と晢子の朝はそこそこ早い。最寄りの駅から隣町に行かないといけないからだ。

 晢子は思いっきり伸びをして、ズレた紺色のつばの広い帽子とサングラスを正した。

 彼女は赤茶色のブレザーに校章が胸に入っている制服で、我が妹ながらよく似合っている。本性がアレじゃなければ美少女と言っていいだろう。

「はぁ、学校行くのが憂鬱」

「なんだよ、珍しいな」

「聞いてよ、最近どうもか弱い大和撫子キャラと誤解されちゃってんのよ。なんか四六時中芝居してるみたいでさ」

 大和撫子は大きく反対したいところだが、か弱いことは間違いない。入学早々貧血で倒れ、救急車を呼ぶ騒動を引き起こしたほどだ。

「生徒会入ったのもまずかったみたいでさ、お淑やかで物静かなセツ子ちゃん先輩に生徒会長を、なんて盛り上がっちゃってさ」

「迷惑かけてんだ、奉仕して返せばいいだろ」

「そこはいいの、生徒会長面白そうじゃん。だけどさ、ああっ! 愛しの生徒会長様っ! なんてノリがちょっとね」

 晢子はポケットから変なカードを出してきた。

 カードには『浅黄晢子ファンクラブ』と書かれている。

「え、なにこれ超引く」

「あたしが作った」

 とりあえず隣を歩く妹の頭を殴りつけた。

「ご、ごかいしないでよ! あたしのファンクラブを作ったわけじゃないの! 卒業した前の生徒会長がすっごくカッコよくてさ、その人のファンクラブをあたしが作ったの! 卒業と共に解体したんだけどさ、その残存兵があたしのファンクラブ勝手に作っちゃって」

 憂いのある顔で溜息をついた。

 確かにか弱く虚弱体質、だが基本的には行動力はある。このように謎の墓穴を掘ることが多いが。

「まんざらでもない感じが非常に気持ちが悪い」

「うっせ」

 晢子の拳は脇腹に突き刺さり、一瞬息ができなくなった。

 二人は登校中の学生やサラリーマンで賑わう駅にたどり着き、騒がぬよう電車を待つ。ぎゅうぎゅう詰めの電車に乗って、文太は一足先に電車を降りる。

 同じように登校中の学生やサラリーマンで賑わう駅にたどり着く。人が多いので騒がないように押し黙り

「じゃ、何かあったら連絡しろよ」

「はいはい」

 妹の頭を軽く小突き、電車から降りた。

 同じ制服の波に身を任せ学校に向かっていると、

 急に腕を捕まれた。

「え?」

 振り返ると、どこかで見たことのある女の子が立っていた。

 黒縁の眼鏡に三つ編みをした地味な恰好をしている。

「あんた、最低ね」

 大きく振りかぶった手は、思いっきり文太の頬を叩いた。

 呆然とする文太の横を、彼女は大股で通り過ぎて行く。

「え?」

 あまりに意味不明で呆然と立ち尽くしていると、誰かが肩を叩いた。

「悪いんだけど、事務所に来てもらえるかなぁ」

 駅員は笑顔で伝えてきた。

「ちがう、なにもしていない!」

「まぁまぁいいから、話を聞くだけだから」

「ほんとうになにもしてない!」

 俺は何もしていない!

 文太の悲しい声が駅に響き渡った。



 2

 痴漢と間違われた文太は、駅員に身の潔白を散々説明してやっと解放された。だが、学校には遅刻してしまった。

 今日はオリエンテーション、学校近くの森林公園に向かいクラスに合流した。

「なに? 遅刻?」

 一人の男子が話しかけてくれた。

「痴漢と間違われてしょっ引かれた」

「マジで?」

「面白いな」

「面白くねぇよ!」

 興味を持たれたらしく次々と男子が集まってきた。

「で? どんな子痴漢したんだ?」

「してねぇってんだろ! 聞いてくれよ、駅員が痴漢したと決めつけて迫ってきてさ・・・」

 公園を歩きながら、クラスメイトに話しかける。中学からの友達がいなかったので気安く話しかけられたことは本当に良かった。

 しばらく公園内を回り、昼頃にキャンプ場の炊事場で昼食を作る。食事を終えて今日は終わりという予定だ。

「なんかやったんじゃねぇの?」

「妹と一緒に電車乗ってたんだぞ、妹を横に痴漢すんの?」

「え、妹可愛い?」

「可愛いさ、妹と交際したいなら俺と親父を倒すことだな」

 散策を終え炊事場に到着し、グループに分かれて食事の準備をし始める。男女混合で、その中の一人に見覚えた合った。

「あ、あああ、お前っ!!」

 黒縁眼鏡と三つ編み。

 そう、文太をいきなりぶった女子だ。見覚えがあるはずだ、同じクラスだったのだ。

「なんだよお前! お前のせいで痴漢地間違われたんだぞ!」

 彼女は同じクラスであることを知っていたのか驚きもせず、鋭く睨み返してくる。

「いい気味ね、今までの悪行を考えれば当然のことでしょ!」

「はぁ!? お前何勘違いしてんだよ! 今までってなんだよ、テメーの事なんざ見たこともねぇよ!」

 その子は、怒りに眉がキリキリと上がっていく。

「ええ、そうでしょうね! 家庭の事情!? 教育方針かしら!?」

「はぁ?? マジで何言ってんだお前?」

「そうですか、罪悪感すらないわけね。ほんっとうに最悪の男ね!」

「ざっけんな!」

 先生がやってきて二人の間に割って入る。

「ああ、はいはい。どうしたの、なになに」

 気だるそうな初老の担任は二人を止めようとするが、怒り心頭の二人は怒鳴り合いを続けた。

「痴漢に間違われて捕まりかけたってんだよ! 先生、こいつ停学だろ! 見ず知らずの俺をいきなり犯罪者に仕立て上げようとしたんだぞ!」

「はぁ!? あんたが学校辞めるべきでしょ! 社会不適合者が調子乗らないで!」

「勘弁してくれよぉ」

 担任はそれはそれは情けない声を出した。


 空気は最悪。

 クラスの生徒たちは全員そう思った。担任もなんでこんなめんどくさいクラス受け持っちまったんだと溜息をつく。

「今日から授業だけど、まぁ気楽に行こうねぇ」

 場を明るくしようとする言葉も、重く沈んでいく。

「あー、とりあえず、生徒会に入りたい奴いないか。1年から3人は手伝いが欲しいらしいんだわ」

 空気を換えようと飄々と尋ねると、一人の手が上がった。

「俺は反対でーす。他人を犯罪者に仕立て上げるような奴を生徒会に入れるなんて、後々問題が起きると思いまーす」

 手を上げたのが、文太と怒鳴り合った女子だったので文太はすかさず声を上げた。

 空気は更に重たくなる。

「いい加減にして! あんたが悪いんでしょ! ぶたれるような事して!」

「俺は未だにお前の名前すら知らねぇのにお前は俺のなに知ってんだぁ? あ?」

「初日に自己紹介したでしょ! 私は覚えてるわよあんたの名前!」

「犯罪者に名前を覚えられるとかゾッとしないな」

「はぁ!?」

「あー、はいはい。二人の言い分は後で聞くから」

「俺の言い分は、訳も分かんねぇのにいきなりぶたれて、痴漢と間違われて捕まった。ふざけんな。以上だ」

 彼女は顔を真っ赤にして立ち上がる。

「ああ、もう頭に来た! いいわ! この学校にいられなくしてあげるからね!」

「上等だ! 存分に調べてくれ! 土手に捨てられたエロ本さえ持って帰ることもできなかった俺に何が出てくるか楽しみだよ!」

 彼女は肩を怒らせながら教室を出て行った。

 担任の先生は大きくため息をつく。



 3

 浅黄文太は怒っていた。

 駅の事務所でも学校の生徒指導室からも「大人の対応をしよう」みたいな口調で文太に言ってきたからだ。彼らの言い分を端的に言えば「君は悪くない、だが彼女の言い分を認めて痴漢をしたという事にしよう」みたいな事になる。「今なら罪も軽くなる。口裏を合わせてあげるから、痴漢を認めてくれ」と言っているのだ。

 文太は弁が立つ。だからこそ駅員や生徒指導教師が罪を負わせようとしているのが分かった。加害者の彼女ではなく、被害者の文太の味方ではないのだ。もし気の弱い高1の男子だったら確実に駅員と教師の言いなりになって、一生消えない犯罪歴を背負って生きていく事になっていたはずだ。

「あいつらに正義はないのかよ! 本当に成人式終えた大人かよ! 子供を守るのが大人じゃねぇのかよ!もし俺じゃなかったらと考えると本当にゾッとする! 許せねぇよ!」

 制度指導教師に散々無実であることを説明して、やっと家に帰ってこれた。ムカつくが学校に親が呼ばれることになった。普段は物静かな父だがいざとなったら頼りになるから安心だが、迷惑をかけるのが申し訳ない。

「ただいま」

 正直なところ、名の知らぬ女よりよっぽど駅員と生徒指導教師の方に頭に来ていた。

「女性差別だとかすぐ暴力だとかセクハラだとか、制服は個性排除の思想だとかわめき散らすヤツいるからな。いちいち腹立ててもしょうがない」

 中学の頃、そういう女子がいた。正直なところ、ああいう手合いは無視するに限る。

 と、何やら奥から曲が聞こえてきた。

 文太は頭を抱える。

 やれやれと思いながら居間に向かうと、案の定、妹の晢子はスッポンポンでテーブルの上に立ち、ミュージックビデオを見ながら踊っていた。

 元々クラブミュージックのグループなので踊るには適している。いつも建物内に監禁されている妹は、時々このような発作が起きる。最近は落ち着いてきたと思ったが、今日は元気にパンツまで脱いで指で回しながら踊っていた。

 また殴りつけてやろうと近づくと、ちょうど好きな曲が流れ始めた。

 少し古いポリゴンのキャラクターが曲に合わせて踊り始める。それと完全シンクロして見せる晢子。

「・・・」

 文太も指を鳴らし始め、歌い始めと共にダンスを始めた。

 センターは晢子を担当し、左右のダンサーの踊りを担当する。

 ポリゴンキャラクターと完璧にシンクロをする二人。それもそのはず、元は父親が好きだったミュージシャン。赤ん坊の頃から二人して聞いているのだ。

 そこにお使いを頼みに来た母親が入って来た。

「あんたたち! なにしてんの!」

 母親が拳を固め振り上げるが、そこから人差し指がピーンと天を刺した。

 ズンジャ! ズズンジャ!

 母親もダンスの輪に加わった。

 その華麗なダンスを決め、3人はやり切ったと汗を拭う。

「ちょいコンビニ行ってくるわ」

「あ、牛乳買ってきて」

「ちょうどいいわ、文太。お味噌とお豆腐買ってきてちょうだい。ダシの入ってないお味噌よ。あと豚バラもあるといいわね」

 再び曲が始まり踊り始める晢子を背に、文太と母親は何事もなかったように居間から離れた。


 文太は玄関から出ると、そのまま家の裏庭へ回った。

 そこには、未だ名も知らぬ彼女が身をかがめ座っていた。

 居間のガラスドア、晢子の事もありいつも分厚いカーテンが閉められているはずなのだが、今日はわずかに開いていた。

 その開いた隙間から、踊っていた文太としっかりと目が合っていたのだ。

「不法侵入に覗きとは、お前の正義はなんでもありか? ん?」

 手にはスマホが握られていた。たぶん録画機能で中を覗いていたのだろう。妹のアレを録画されたとなると、さすがに力づくでも消去しなければいけない。

「よくもまぁ俺の家を知ってたな。まさか後でも追ってきたのか?」

「―――の?」

「あ?」

 引っ掻くように息を吸う。

「せつ、こ、は、いつも、こんな、かんじ、なの?」

 今にも卒倒しそうな、青白い顔で呟いた。

「例えばどんな子だと思ってたんだ?」

「せ、晢子は、優しくて、性格がよくて、可憐で、お淑やかで、優しくて、とても気が回って、とても病弱で、何日も学校を休んで、儚げにいつも微笑んでいて、彼女の力になりたくて・・・」

「・・・・・・」

「病気の子がいる家はドメスティックバイオレンスがある場合があるって、ネットで。晢子は、すごく、あり得ないほど痩せ細ってて、時々痣を作ってくることもあって・・・」

 今にも泣き出しそうな目をどうにか吊り上げて睨みつける。

「あ、あんたが晢子を殴っている所も見たわ!」

「よく熱を出して吐くことが多くて、食事にトラウマがあるみたいだ。正直俺たちも困ってる。痣があるのは、間違いなく俺が殴った」

「ほら!」

 立ち上がり、すがるように睨みつける。

「そして俺にも痣がある。兄妹なんだ、普通殴り合うだろ?」

「知らないわよ、一人っ子だもん」

 文太は名も知らぬ彼女の腕を掴み、家に連れ込んだ。



 4

 母親に人が来たら買い物が無理と断り、晢子が未だ踊る居間へと連れ込んだ。

 晢子は彼女を見ると大きく口を開き、呼吸も止めてその場で動きを止める。

 一瞬にして飛び散った衣類を搔き集めソファーの陰に隠れた。

「里美、お姉さま、なんで、うちに・・・」

「お前のスッポンポンダンス、こいつのスマホしっかり録画されてるぞ。一緒に見るか?」

 ソファーからちょこんと顔を出し、引き攣った笑みを向けた。

「あ、あの、消していただけると、嬉しい、です」

「おう、もっと声張れよ。いつもみたいに」

「うるせぇ、ボケ! それどころじゃ・・・」

 名も知らぬ彼女は顔を青ざめながら、悲し気な瞳を晢子に向けた。晢子は耐えられずソファーの影に隠れた。

「おい、名も知らぬ女。そこに座れ」

 彼女は言われるがまま、素直に座った。

 文太は向かい合うように座る。

「名前は」

「・・・」

「晢子に聞くぞ」

「た、多岐川、里美、よ」

「なんで駅で俺をぶった?」

「え? 兄ちゃんぶたれたの?」

「おうよ、そのおかげで痴漢と間違われて、親が学校に呼び出された」

「なにそれウケる! あひゃひゃひゃ・・・」

 顔を出した晢子だが、里美に顔を向けるとひっこめた。

「もう一度聞くぞ、なんで俺をぶった」

「あ、ああ、あなたが、晢子を殴ったからでしょ!」

 多岐川はテーブルを思いっきり叩いた。

「女の子を殴るなんて最低よ!」

「だってコイツ、すぐ脱ぐもん」

「ちょっと兄ちゃん!」

「・・・・・・」

「漫才師はボケにツッコミだ。ボケたらツッコミ入れる。何も四六時中ぶん殴ってるわけじゃない。口で注意することもあるし、軽く小突くこともある。もういい年なのにすぐ脱ぎだす。ぶん殴るぐらいの出来事じゃないか?」

「家ん中だからいいじゃん!」

「部屋があるだろ!」

 ちぇー、うるさいのー。とソファーから聞こえてきた。

「な、なによ! それでも女の子を殴るなんて、許せないわ!」

「だいたい、こいつ女の子じゃねーよ」

 もう服を着ている晢子を引っ張り出す。

「妹だ。女じゃない」

「はぁ!? れっきとした家庭内暴力でしょ!」

「え、違いますよ里美お姉さま」

 無理やり引っ張り出されてムカついた妹は、兄の頭を殴りつけた。

「コレは兄であって男じゃないですから」

「・・・で、でも」

 兄妹は互いに気持ち悪そうに顔をしかめる。

「血の繋がった兄妹は男女ではないんです。お父さんお母さんと同じ分類で、お母さんからあたしたちよく殴られるんです」

「ほんと母さんすぐ手が出るよな」

「あれで昔は美人だったってのが信じられないよね。あれはプロレスラーだったと思う」

「まぁ二人してやんちゃしたからなぁ。二階から飛び降りて足の骨折ったり、プロレスごっこしてて柱に衝突して全身血まみれになったり」

「階段から転げ落ちて全身骨折したこともあったなぁ。兄ちゃんなんて海に自転車で飛び込んで死にかけてたよね」

「あれはヤバかった下が海だと思ったらテトラポットだったからな、小学生だったから軽症で済んだけど、今なら死ぬ自信がある」

 二人は仲よさげにケラケラと笑った。

「晢子、私は・・・」

「あたしは、こういう人間です。家に帰ったら脱ぐし、踊りますし、今も時々兄ちゃんと一緒にお風呂入ってます」

「!」

 温泉旅行に行ったときに家族風呂にみんなで入る時があるぐらいの話だ。家風呂で一緒に入るにはいくら何でも狭すぎる。

「私を、騙していたの?」

「そんなことない!」

「そうでしょ!」

「よく見られたかっただけだろ」

 動揺して癇癪を起しそうな多岐川に対し、文太は相手に聞こえるだろう大きな舌打ちをした。

「なんか言ってたな、カッコいい先輩がいるって。入学早々ぶっ倒れた時助けてくれたのお前だろ? 学校に通っててこんなにはしゃいでんの見んの初めてだったよ。そんな頼りになる先輩がいるんだと安心してたんだが、失望したよ」

「な、なによ」

「騙していた? はぁ? 冗談じゃねぇよ。お前に対してよく見られようとしただけで、可愛いもんじゃねぇか。別に俺を犯罪者にしようとしたことはいい、不法侵入に盗撮も許してやる。だがな、俺の妹を心無い言葉で傷つけるのは許さん。ああ、最近腹立つことばっかりだな! 正義はないのか正義は!」

 頭を掻きむしる文太に、多岐川は複雑な表情を向けた。

「少しだけ、時間を頂戴。今日は、帰らせて」

「その前に言うことあるだろ」

「・・・ごめんなさい」

「なにに対してだ?」

 彼女は驚き、少し考えこみ、晢子に顔を向けた。

「今のは嘘、ショックが続いて思ってもないことを口にしたわ」

「お姉さま」

「今は心から謝罪できない。だけど、必ず心から謝罪するわ。今は、これで勘弁して」

「おーし、行っていいぞ」

 晢子は文太の頭を殴りつけた。



「いもうと」

 1

「本当にごめんなさい!」

 授業開始前に、多岐川は教室の教壇に立ち深々と頭を下げた。

「私が間違っていました。誤解していました。浅黄文太君の頬をぶち、犯罪者しようとしてしまいました。深く、深く反省します」

 戸惑うクラスメイトの視線は、当然文太に向けられる。

 文太は腕を組み大きく頷く。

「許す!」

 おお~。

 遠慮がちな拍手が起きた。

 多岐川は文太の席に来て、改めて頭を下げた。

「ごめんなさい。私が悪かった」

「もういいよ、もう許した。許せんのは駅員と生徒指導教師の方だ」

「先生には私から言っておく」

「一緒に行くよ、バラバラに行くと妙な誤解されても困るから」

「え、ええ」

 案外さっぱりとした文太に少しホッとする多岐川。文太は遠巻きに見ていたクラスメイトを手招きして呼び寄せる。

「誤解は解けたんだ、別に隠し事もないからお前らもこっち来い」

「だ、だけどなんかプライベートな感じじゃん」

「妹の先輩だったんだ。俺の妹病弱で、家庭内暴力振るわれてたと思ったらしいんだ。そんで誤解。誤解も解けたし、妹をよくしてくれたみたいだし、こちらこそありがとう」

 野次馬は女子の本能、女性陣も集まってきた。

「えーっと、じゃ多岐川さんが悪かったってことでいいの?」

「はい、私が悪かった」

 しゅんとする多岐川。

「本当は浅黄君が痴漢したんじゃないの~?」

「ち、違うのよ! 彼は・・・」

「するかよ、触るなら堂々と触る!」

「うわ、サイテー!」

 うへへっと手のひらをウネウネさせると女子たちは不愉快そうな悲鳴を上げる。男子たちは文太の発言にまったくその通りだと頷き、更に女子たちから軽蔑の視線を向けられる。やっと重苦しい雰囲気から解放され、クラスメイト達と和気あいあいと話し始めた。

 あっという間に輪の中に入る文太を見て、どことなく晢子と似ていると改めて思った。



 2

 三崎悠菜はこの瞬間が好きだ。

 お嬢様学校と言われているみたいだが、しょせん女子中、登校中だろうと姦しい。もはや騒音レベル、周辺から怒られるだろうと心配になるぐらいだ。

 その騒音が、一瞬にして静まり返る。

 ツバのある帽子、サングラスをした少女が登校してきたからだ。

 まるで絵本から出てきたかのような、本当に妖精のような美少女。

 その美少女が、悠菜を見つけると近づいてきた。

「おはよ」

 周囲の悔し気な視線が集まる。

 優越だ。

「セツ子ちゃん先輩、おはようございます」

 サングラスと帽子を取ると、子供のように微笑んだ。

「なんだかゆーちゃんとよく会いますね。実は待ち伏せしてます?」

「迷惑ですか?」

 彼女は少し考え、そっと耳元に囁く。

「実はちょっと嬉しい」

 悠菜は危うく膝から崩れ落ちそうになった。

 浅黄晢子先輩。

 真っ白な肌、よく見れば茶色い瞳、普段は大人びているのに笑うと子供のように見える人。

 卓球部にでも入ろうかと思っていたが、先輩を知り迷わず生徒会に入る決意をした。そして、それは間違っていなかった。

 昇降口で立ち話をしていると、次々と人が集まってくる。いつもの光景だ。本当なら独り占めしたいところだが、心優しい先輩を困らせたくない。

「今日も綺麗ですね」

「そう? 嬉しい」

 少し困ったように笑うセツ子ちゃん先輩。

 あまりの可憐さに、思わず集まってきた人々はため息をついてしまう。

「髪の毛は染めないんですか? なんだかまばらで奇麗じゃないですよ」

「頭皮が弱くて、かぶれちゃうんです。だから髪も伸ばせなくて」

「ヘナとかなら大丈夫なんじゃないですか?」

「最低でも毎月必要でしょ? あまりお金なくて、わがまま言えないですし」

「安いお店知ってます! 千円ぐらいでどうでしょう!」

「あ、そのぐらいなら。詳しく教えてもらえますか?」

「あの、わたし3年なんだけど、友達になってくれる?」

「もちろん! あたし、小さい頃から友達作るのが下手で、兄さんと遊んでばかりでしたから、こんな風に話しかけてもらえてうれしいんです」

「お兄さんいるんですか!?」

「お父さんもお母さんもいますよ?」

 笑いが上がる。

 いつもそうだ。姦しい女子たちに囲まれながら、やはり中心はセツ子ちゃん先輩になっている。女子のお喋りは常に主導権争い。血で血を洗う醜い戦いなのだ。

 セツ子ちゃん先輩は常にその醜い抗争に勝利してしまう。容姿や存在に惹かれ、その人となりに虜になる。生まれながらのカリスマ。

 悠菜は熱い吐息を漏らしてしまう。

「そういえば、生徒会長になるんですよね先輩」

 周囲の視線が悠菜に集まる。「そんな情報しらない」「え、生徒会長になるの!?」と、彼女たちの声が聞こえてきそうだ。

「体の弱いあたしがなるべきではないのかもしれませんが、お受けしたいと思っています」

 周囲から拍手が上がる。

 通りかかった生徒まで拍手が上がった。セツ子ちゃん先輩は驚いた何度も何度もお辞儀を繰り返す。

「よかった! 生徒会のみんなで力を合わせて頑張るんで大丈夫です! そうだ、今度生徒会のみんなで遊びに行きませんか!? 親睦会、一緒にカラオケとか」

「楽しそうですね。室内で遊ぶなら大丈夫です」

 殺意の視線が悠菜に集まる。

 が、むしろ笑みを浮かべ返す。

「先輩の寵愛は譲れませんねぇ」

 心の中で呟いた。


 3

 カキーン!

 カキーン!

「ドラッシャー!」

 カキーン!

 可愛らしい中学生の女の子が次々とホームラン級の当たりを打ち続ける異様な状態に、次々と人が集まってきた。

 バッティングセンターなんて初めてなのだろう、多岐川は初めこそ緊張していたが、晢子の鬼気迫るバッティングに驚愕している。

「オラ。交代しろ」

「はぁ、はぁ、もうちょい」

「お前のお姉さまの相手してやれ」

「む」

 兄妹は次々と心地いい音を響かせて、バッティングセンターを出て行った。

 次に近くのボーリング場に行き、兄妹そろってストライクを決めていく。

「な、なんか、私の知ってるボーリングとは違うわね」

 ボーリングと言えば和気あいあいとお喋りをしながらボールを転がし、ストライクが出たらハイタッチをして喜び合うものだと思っていた。

 だが浅黄兄妹はマイシューズにマイボールを持参し黙々とストライクを決めていく。もちろん彼らが投げるボールは気持ちが悪いぐらいカーブが効いている。

「おい、あれってプロか?」

「いいや、浅黄家だよ。お前も聞いたことあるだろ」

「ああ、あれが浅黄家か」

 見るからにただ者じゃないオジサンたち、見るからにただ事じゃない二人に驚愕していた。

 2ゲームほど楽しみ、次はカラオケに向かった。

「今夜君を返さない。そんな気分になったから、今日だけは紳士さ」

「今日だけ私は帰らない。そんな気分になったから、今日だけ私は小悪魔」

 兄妹で10年前ぐらいに流行ったラップを完璧に決め、ボックス内は小さなダンスフロアに変えていた。

 多岐川は困りながらマラカスをしゃか、しゃかと振っている。

 家族内のノリにすっかり取り残された一人っ子は、リモコンの奪い合いに参加せず眺めていた。

「はぁはぁ、クソ兄貴が」

「だ、大丈夫、晢子」

「全然平気です」

 晢子の頬は赤くなり小刻みに震えていた。手に触れるとしっとり汗ばんでいるのに冷たい。疲れて倒れる時はいつもこんな状態だ。

 晢子は、多岐川に見せたことのない鋭い視線を向けた。

「大体なんですか!」

「え?」

 黒縁の眼鏡を奪い、三つ編みに手を伸ばす。

「そういうのやめてくださいって言いましたよね! お姉さまは世界一カッコいいんです! 世界一カッコよくなくっちゃダメです!」

「み、見た目で良し悪しを決めるのは・・・」

「世の中見た目が9割です!」

 懐からクシを取り出すと、多岐川の髪を整え始めた。文太は二人が聞いていないことなど気にも留めず、演歌を力強く熱唱していた。



 4

 さすがにはしゃぎ過ぎたと、晢子は先に家に帰らせた。文太は多岐川を駅まで送っていこうとしたが、驚くことに同じ駅を利用してた。彼女の家は自転車で走れば20分ぐらいの距離なんだそうだ。

 そう急ぐこともないだろうと夜の公園で少し話をすることにした。

「今日はお疲れさん、これお礼」

「お礼が微糖?」

「室内は金のかかる遊びばっかりだろ? 泣きそうだよ」

 多岐川の隣に座り、急に緊張し始めた。

 夜の公園、スポットライトのように照らす街灯。これって、いい雰囲気なんじゃないかと。

「そ、その!」

「な、なに!?」

 多岐川も焦って缶コーヒーを開け、雫が飛び散ってしまう。文太は急ぎハンカチを出そうとして、そんなものは持っていないことを思い出す。

 多岐川は自分のハンカチで手を吹いた。

「本当に、仲がいいのね」

 なにをやっているんだろうと肩を落とす文太に、彼女は呟いた。

「昔ね、晢子の身辺調査をしたことがあるの」

「身辺調査?」

「小学校一緒だったという生徒に話を聞いたりするぐらいの事よ。私ダメなの、カッとなると突っ走る癖があって、見さかいが無くなる」

 彼女は自嘲気味に笑うとコーヒーを飲む。

「家庭内暴力があるかもしれないと、昔思っていたことがあった。痩せ細り、体に殴られたアザがあったこともあった。みんな仲がいい家族って言っていたけど、色眼鏡をかけてた私は望みの情報を引き出すことができた。昔家庭内暴力があるんじゃないかと家庭訪問を受けたことがあるってね」

「ああ、はいはい」

 大きくため息をついて頭を抱える。

「俺んところにも来た。面倒だった・・・」

「どういうこと?」

「知らないだろうが、兄妹は時に殴り合うんだ」

「は?」

「俺のプリンを食べた。妹が育てていた肉を食っちまった。滑って転んだのを笑った。理由は何でもいいんだ、とりあえず拳で語り合うもんなんだよ」

「ははは」

 多岐川は笑いながらベンチに寄り掛かった。

「家が近いことは知らなかった。偶然二人が登校している場面を見て、あなたは晢子を殴ったわ。その時確信したの。そうだ、やっぱりそうなんだ、あの子は家庭内暴力にあってたんだって」

 多岐川の言葉に、少しずつ熱がこもってきた。

「晢子は本当に何でもないって言って、その言葉を信じた。だけど本当は私に助けを求めていたんだって。一緒にいた一年間、私は何をしてきたの? あの寂しそうな笑顔は、家族の愛がなかったせい。間抜けな自分が悔しい!」

「で、ぱーん?」

「で、ぱーん」

 二人で顔を見合わせ、苦笑しあう。

「で、そういうことないの?」

「そういうこと?」

「家庭内暴力」

「・・・」

 文太もベンチに寄り掛かる。

「俺と晢子は仲がいいんだ」

「うん」

「あいつのせいで中学の修学旅行に行けなかった。あいつのせいでみんなで集まってゲームをしようっていう誘いを断って看病したこともあった」

 それこそ聞きたかったことなのだろう、彼女は真剣な表情で頷いた。

「あいつのせいでうちは貧乏だ。あいつのせいで俺の自由は束縛される。あいつのせいで、あいつのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ」

「うん」

「だから、俺には二つの選択肢があった。過保護にするか、絶縁するか」

「・・・・・・」

「俺は過保護に妹を守る事にした。だから俺と晢子は仲がいいんだ。晢子もそのことを知ってる。自分のせいで俺や、家族みんなの人生をめちゃくちゃにしている。いつもふざけて甘えているように見えるが、芝居だ。いつだって自分の事より他人の事ばかり考えている。寂しそうな表情ってのは、まぁそういうところから来てんじゃねーかな」

 彼女は頷き、両手で缶コーヒーを包んだ。

「やっぱり、晢子は私が思ってた通りの子だった。優しくて、強くて、いい子」

「そうさ、晢子はいい子だよ」

 静かで、優しい時間が流れた。

 二人はその時間を楽しむ。

「ホッとした」

 多岐川はごく普通にほほ笑んだ。

「あんなに楽しそうな笑顔見たことなかった。私が好きだった晢子より、今の晢子の方がずっと好き」

 その笑顔に、胸が締め付けられるような、言いようのない気持ちに捕らわれた。

「嬉しいよ、あいつのいい所、好きになってもらえて」

「人を選びそうよね」

「あいつのダンスのキレ、天才だぜ? わかって欲しいんだよなぁ」

「なによそれ」

 しばらくそこで笑いあった。



「ばくはつ!」

 1

 夏休みお盆前。

 文太は大きなリュックを背負い見知らぬ駅に降り立った。人通りは多く少し不安になったが、顔見知りがいる団体を見つけ駆け寄った。

「お、浅黄。浅黄来ましたよぉ~」

「ああ、よかった。遅れました?」

「いや、2人ほど遅刻するって連絡あったからいいよ」

「マジっすか?」

 集まった人数は10人近く。見たことのない人も多くいた。

 文太が入ったTRPG部。今日は山のコテージを借りて2泊3日のゲーム三昧、夏のゲームマスター合宿だ。新入生は必ずゲームマスターを経験しなければならない。

「結構集まりましたね!」

「だよな、なんかホッとしたよ」

 部活の先輩は苦笑しながら答えた。

 部員は4人。ファミレスで駄弁っていた方がいい人数だ。しょうがないので近くの大学のTRPG部に連絡して、合同合宿と相成った。

 さすがは大学生、山のコテージを借りて今日に至った。

「浅黄なんだよそのリュック、近くにスーパーあるって言っただろ」

「データとかキャラクターシートとかです。思ったよりかさばっちゃって、すげぇ重い」

「ああ、そうかもなぁ」

「なんか初々しいなぁ、一年?」

「はい」

 大学生が話しかけてきた。

「いいねぇ、高校にTRPG部があって」

「本当ですよ、一緒にTRPGをしてくれる友達はいないし、ルールブックだけを呼んでいた日々から解放されるなんて思ってもみなかった!」

「うわぁ、わかるわ」

 大学生の人と握手をして涙を流し合う。

 今日は本当に、夢にまで見た日だ。晢子も生徒会や友人たちと旅行に行っているし、多岐川もついて行っているから問題は起きないだろう。

「浅黄ぃ、経費でコピー代出すぞぉ。いくらかかったんだぁ?」

「マジっすか。だったら――」

 スマホが鳴った。

 ものすごく嫌な予感がしながら相手を見ると、案の定母親からだった。

「あー、はい。うん。わかった。大丈夫、俺が行くよ。いいよいいよ、しょうがないって」

 文太は大きく息を吐き、

 冷たい空気を吸った。

「あ、部長。ちょっと家庭問題で旅行欠席にします。あ、このバックにルールブックとキャラシーとか入ってるで使ってください」

 文太は急ぎ足で改札口に向かった。



 2

 温泉旅行、というほどでもない。近所に天然温泉施設ができたので大部屋を借りてお泊り会が行われていたはずだ。近所だし親の了解も受けやすく、無料会員カードを持っている人もいたのでとてもお得に大部屋を借りることができたそうだ。

 要するに一時間電車を乗り継いでタクシーに乗って病院に向かう羽目になったのは文太がそれだけ遠くにいたということだ。電車賃だけでそこそこ泣きそうだ。

 大きな総合病院、救急車も呼んだらしいので保険証は持ってるがそこそこ支払わないといけないだろう。ここでのお金は払ってもらえるが、手持ちで足りるかが心配だ。

 受付に聞くと個室で点滴中らしく、そこに向かった。病室の前には10人ほどの女子が泣きながら立っていて、多岐川が文太に気が付くと足早に近づいてくる。

「ど、どうしよう、熱が、すごくて、40度近くまでいって、蜘蛛の足が体に刺さってるって、よくわからないこと言って」

「地球が縦回転してるって言ったたこともあるよ」

 彼女の背中を軽く叩いて病室に入った。ちょうど看護師が点滴の交換を終えた所で、簡単な説明を受ける。一通り聞いて、ベッドの横の折り畳みパイプ椅子に座る。

 晢子は布団を頭からかぶって、点滴をしている腕だけを出していた。

「帰るぞ」

「やだ」

「久々にやったな」

「やだ」

「・・・」

 布団の上から頭をポンポンと叩く。

「点滴はあと1時間だ。金払ってタクシー呼んどくから、それまでにちゃんと別れを言っとけよ」

「やだ!」

 いうだけ言って席を立ち、病室を出た。

 病室から出ると、心配そうな女子たちに囲まれた。

 文太は、深々と頭を下げる。

「ありがとうございました。そして、ご迷惑をおかけしました。あのバカはすぐ熱出すんで、病院に連れてきてもらって助かりました」

「そんな、わたしたちが連れ出したから・・・」

 髪の長い、奇麗な女の子だ。

 まだ小学生と言えそうなほど幼く見え、かなりガチ泣きしている。

「そう言わず、また連れ出してください。遠足や修学旅行に行けず、いつもいつも泣いてるような奴なんです。こんなに熱が出たのもテンションが上がったからだと思います。これに懲りず何度も誘ってください。あのバカ泣いて喜ぶと思います。迷惑だと思いますがまた誘ってくれませんか?」

 彼女たちは何度も頷く。

「よかった。腫れ物に触れる様に関わるのがあいつにとって一番つらいと思うんで、また一緒に遊ぼう言ってやってください。俺は治療費払ってタクシー呼んでるんで、たぶん一時間後ぐらいに戻るから、傍にいてやってください」

 そう言って多岐川に近づく。

「俺は正面の受付待合室のところにいるから、何かあったら来てくれ。あとこれ、後でみんなにジュースでも買ってくれ。千円しか出せないけど、お金がなくて可哀そうな俺を憐れんでくれ」

「え、ええ」

 また肩に手を置き軽く叩いて受付場に向かった。



 3

 正面受付には大きな広間になっていて、数百人は座れる長椅子が並んでいた。お昼近いがまだかなりの人が順番を待っている。きっと朝は更に多くの人が待っているのだろう。

 始めてくるので順番待ちの機械に少し手間取り、文太も長椅子に座った。

 背もたれに寄り掛かりながら、高い天井を見上げる。

 現代美術風のシャンデリアがかかっていた。妙に寒そうな海の巨大な絵が飾られていて、儲かってんだなぁとおぼろ気に思った。

「バイト、さっすがにしないとヤバいな」

 今回はかなり出費だった。父は二人そろって大学に通わせると豪語してるが、両親のどちらかが倒れでもしたらお終いだ。妹と遊ぶにはどうしても室内、体を動かしたがるからバッティングセンターやボーリング、カラオケぐらいしかない。金、金、金。とにかく金が必要だ。TRPG部に通う時間がかなり削られるだろうが、しょうがない。

「クソっ」

 いつもそうだ。

 あいつはいつも楽しみにしている時に限って倒れる。体育祭やマラソン大会には元気な癖に、いつも、いつもだ。

 黒いものが喉から溢れ出しそうになるのを、一生懸命飲み込んだ。

 しょうがない、しょうがない。

 あいつだって好き好んで倒れてるわけじゃない。

 あいつだって今日合宿だったことは知っている。自己嫌悪しているのは間違いない。今度はビリヤードに行こう。お互い残念賞だ。

 順番はまだだ。いつだって病院の会計の待ち時間は長い。

 ぼんやりと待っていると、多岐川がやってきた。

「どうした?」

「・・・・・・」

 文太の隣に座ると、彼女は顔を覆った。

「ごめんなさい、私が付いていながらこんなことに、私がしっかりしないといけないのに」

 いつもの鬱陶しいほどに覇気がある多岐川が、今は怯え震えていた。

 おちおち自分を憐れんでいる暇もなさそうだ。

「いてくれて助かったよ。さすがに40度まで高熱はそうそうないから」

「私、何もできなかった」

 肩を震わせ、声も掠れている。

 泣いているみたいだ。

「頭が真っ白になって、どうしていいか分からなくなって、気づいたら救急車呼ばれてて、なにも出来なくて」

「お、おお」

「私、迷惑ばかり。浅黄君にもひどいことをして、不法侵入して、勝手に失望して、何もできていない。晢子の言うような先輩じゃない。最低よ。私本当に最低!」

 傍らで女の子が泣いている。

 ここは気の利いた言葉の一つも言いたいが・・・

「いきなりぶたれるわ、不法侵入してくるわ、ろくでもねーな」

 濡れた顔を上げた。

 その頭に、軽くこつんとした。

「はい、終わり」

 かなりキザな行動、そしてすぐにこれじゃないと気が付いた。

「恐るべき体罰、忌むべき暴力が振るわれた。君は残酷な仕打ちを受けたんだ、罪は償われた。だからこれで・・・」

 一生懸命ごまかすが、泥沼化していくばかりだ。

 男女差別を訴え、極端なまでに暴力を嫌う。そういうタイプではないことは最近わかってきたが、これはない。

「ごめん、今のなし。暴力だった。別に女性を下に見てるとか、そんなんじゃなくて、浅黄家はゲンコツ一発で後腐れナシってノリなんだ。ごめん、悪かった」

 頭を抱えて背を向ける。

 カッコつけようと思って失敗した典型例だ。恥ずかしいやら情けないやらでとても顔を向けてられない・・・

 と、服を引っ張られた。

 なんですかと振り返ると、頭を押さえて真っ赤な目で見つめてきた。

「も、もう少し強くてもいいかもしれない」

「え?」

「そういう難癖、つけるタイプじゃない。いや、つけちゃったんだけど、私自身は殴られるようなことをすれば殴って欲しいし、あなたがそうしたなら殴るし」

 彼女は恥ずかし気に俯く。

「愛情と暴力の違いぐらい分かるし、すごく嬉しかった」

「そ、そうですか」

 文太の顔が真っ赤になって、俯いた。

 受付の順番はまだ来ない。まだまだ来ない。いつだって病院の順番は遅い。

「だから、もう少しゴツンとやられてもいいと思うの」

「ムリムリ。あれだって後悔してるぐらいなのに」

「晢子にいつもやってるじゃない」

「あれはバカだからいいんだよ」

「私だってバカよ」

「・・・」

「・・・」

 多岐川は少し冷静になり、涙を拭きながらそっぽを向いた。

「あ、俺、この子好きだ」

 文太はその横顔を見ながら、自分の鼓動が痛みを感じるほどに叩いているのが分かった。

 この人は、ちゃんとした人だ。

 カッとなりやすいみたいだが、聞く耳を持たず自分の善を押し付けるような人じゃない。人の話を聞き、自分で考えて、相手を認めてくれた。

 あの、パンツを回す妹を見て「ホッとした」と言ってくれた。

「あ、あの、多岐川さん。お、お付き合いしてくれませんか」

 彼女は驚き、まだ赤い目をしたまま目を丸くした。

 とても綺麗だ。野暮ったい眼鏡も大きな三つ編みも晢子に奪われ、今は大きな目とウェーブかかった長髪姿は間違いなくカッコいい。イメチェンして教室に入ったら一瞬ざわついたほどだ。

「ごめん、今言うことじゃなかった。ああ、でも本心だから、返事は後でメールとかで・・・」

「はい、お願いします」

 驚いて文太は顔を上げると、多岐川も驚いて顔を向けていた。

 二人そろって、変な汗が出始める。

「えっと、その、少し考えて、冷静になって返事した方が」

「い、いえ、好意を持っていたので、驚いちゃって」

「そうなの?」

「公園で、コーヒーおごってもらった時。女子校だったから、免疫無くて、もう簡単にコロッと」

「あ、俺もその時から意識してたかも」

「そうなんだ」

 まだ順番が回ってこない。

 まだまだ時間がかかりそうだった。



 4

 晢子はソファーで胡坐を組み、文太と多岐川は地面に正座をして頭を下げていた。

「つまり、あたしが高熱出してうんうん言ってるときに、告白なさったと」

「はい」

「それをお姉さまは二つ返事で返したと」

「はい」

 倒れた日から数日、やっと本調子になってきた晢子に恋人同士になったことを白状した。なんといっても二人を引き合わせてくれた恩人でもある。

「二人のお付き合いは認められません」

 はっきりと言い、兄を足蹴にして多岐川を抱き寄せた。

「お姉さまはあたしが見つけたの! あたしのなの! 人が死にかけてるときにちょっかい出すとか最低!」

「はっ、隙を見せたお前が悪い」

「ムキャー!」

 怒涛の蹴りを甘んじて受ける。

 晢子はもはや蹴る価値もないと多岐川の手を握る。

「お姉さま、考え直しましょう? この腐れ野郎はすぐ殴る暴力マンです。お姉さまにはもっと相応しい人がいるはずです!」

「そうね」

 多岐川は少し不満そうに頭に触れる。

「もう少し、強く殴ってもらいたいのだけど」

「!!」

 再び苛烈な蹴りが文太を襲う。

「この野獣! 死ね! 死ね!」

「無実だ! 俺は無実だ!」

 文太の正当な訴えは届くことはなかった。



「それから」


 白のワンピースに麦わら帽子。

 もはやコスプレと言っていいような恰好でありながら、彼女は清楚に着こなしていた。縁なしの眼鏡をかけた彼女はこちらに気づき恥ずかしげに微笑み、隣の妹を見て少し残念そうな表情に変わった。

「お、お姉さまが、あたしを見て落胆した」

「ったりめぇだろ。クソ」

 文太は多岐川に近づき、彼女の手を握った。

「すっげぇ好き。すごく似合ってる。刺激が強すぎるぐらい」

「そ、そう。嬉しい」

 肩は出ているが露出は少なめ。夏では熱すぎるんじゃないかと思うぐらい布は厚めでスカートも膝を隠しそうなほどだ。クリーム色のドレスのようにも見える。

「うう、それは、あたしがお姉さまのために選んだ服・・・」

「うわ、急に萎えた」

 晢子は夏用ではあるがコートにジーンズ、帽子にサングラス。仕方ないとはいえ暑苦しい恰好だ。

「今日は晢子も一緒なのね」

「ごめん、相手が一枚上手だった」

「デートでしょ? デートですよね? させませんよ? ん?」

 晢子は切り捨てる様に握られている手を払った。

 嬉し恥ずかしの初デート、気づかれぬように細心の注意を払ったつもりだったのだが・・・まんまと見つかってしまった。

「で、どこで何をするつもりだったの、二人そろって」

 顔を見合わせて、何となく微笑みあう。

「そこら辺を散歩」

「お互いの事をまずは知らないと」

 一見微笑ましい二人だが、言葉にならない危うさに晢子は気が付いていた。

 仕方ないので散歩の同行を許された晢子は、早速兄に耳打ちする。

「ね、お姉さま以外にも女子はいると思うの」

「あ?」

「結構、みんなの反応よかったの。旅行の時何か好感触だったみたい」

 病院で頭を下げた時の子たちを思い出した。

「ぐへへ、どうです旦那。すぐに股を開く女子中学生が沢山いまっせ?」

「お前ほんと最低な」

 あまりに汚らわしくて殴るのも躊躇われた。

 文太と多岐川は申し合わせたように国道沿いの人気のない道を選んでいた。二人は景色を楽しむように、きょろきょろとする。

「ここら辺は山ばっかりだな」

「そうね、暗くなったら人通りがなさそう」

「・・・・・・」

 しばらく進むと、大きなスーパーがある。どう考えても大きすぎるだろうというような駐車場なのだが、ほぼ埋まっている。休日や日が沈むと駐車場待ちになるほどにぎわっている。

 多岐川はバス停の時間に目を通す。

「へぇ、田舎の割には結構バス通ってるわね」

「駐車場横に公園あるんだよな。あそこっていつも人少ないよな」

「スーパーの中にも子供が遊べる場所はあるし、階段上らないといけないものね。ちょっと行ってみましょうか」

「・・・・・・」

 二人は見晴らしのいい公園に向かった。そこそこ広く東屋もあり、紅葉の季節になれば食事に来てもいいかもしれない雰囲気だ。三人で駐車場を見下ろせる石のベンチに腰掛けた。

「いい景色だし、もっと人がいてもいいのにな」

 二人の視線は向かい側にあるお城のようなホテルに目を向けた。

「ここら辺多いよな」

「奥にも2件、坂を下りたらもう一軒あるらしいわね」

「へぇ、知らなかったなぁ。まぁ俺たちには関係ないしな」

「そうね、私たちには関係ないものね」

 思わず晢子は立ち上がる。

「ぜったいに交際は認めないんだからね!!!」

 彼女の絶叫は悲しく駐車場に吸い込まれていった。






 本当ならコメントを頂いて至らない箇所を直していかないといけないのですが・・・怖い。どうか、勝手な言い分ですがご勘弁ください。

 妹をぶん殴る行為が鬼畜生と言われ、思わず書いた。案の定あまり評価されませんでした。

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