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少年の名前

 村の片付けが済んだあと。

 ()に確認することがあるとかで、「森作り」は後日ということになった。

 解散を言い渡され、それならばと、少年と、当然のように付いて来ようとするカンナと共に、村にある借住まいへと向かおうとした矢先――ヴァイオレット達はニースに呼び止められた。


「そう言えばこの子、なんていうんだ?」


 側まで寄ってきて両腕を組み、少年を見下ろすニースの言葉に、奇妙な沈黙が流れる。

 ヴァイオレットは両目を見開き、カンナは不自然に視線をさまよわせる。

 その二人の反応に、ニースは頬を引きつらせた。


「おい……まさか……。」


 まだ聞いていないのか――と、呆れた顔でこちらを見るニースをよそに、ヴァイオレットはやおら少年に向き直ると、その小さな肩を掴んで、少年と目の高さを合わせるようにしゃがみ込み、にっこりと微笑んだ。


「ヴィオレ。」


 ヴァイオレットは自分を指差し、名前を告げる。少年は意図をはかりかねたのか、小首を傾げた。

 ヴァイオレットは、もう一度自分の名前を名乗ると、次いでカンナを指し示す。


「カンナ。」

「……カ?」


 ヴァイオレットの言葉を復唱しようとした少年に頷いてみせると、今度はニースを指し示し、同じように名前を呼ぶ。すると、今度はちゃんと聞き取れたようで、


「にーす。」


 と口にした。

 ヴァイオレットは微笑んで、もう一度自分を指して名前を名乗る。

 少年は口を開けたまま、何か考えるようにしていたが、ゆっくりと声を出した。


「び……おれ……?」


 それでは某大手商会の石鹸の名前になってしまうが、「ヴィ」の発音が少年には難しいのかもしれない。ヴァイオレットは良くできましたと少年の頭をなでてやると、そのまま少年を指し示す。(うかが)う様にその瞳を見つめていると、少年はきょとんとした顔をしたが、すぐに何かを察したようで、


「カリム。」


 と口にした。ヴァイオレットは少年の鼻尖(びせん)を指先でつつき、尋ねるように、


「カリム?」


 と復唱すると、少年はこくりと頷いた。ヴァイオレットは目を細め、「カリム、カリム」と呼びながら少年の頭をかき回す。少年の不揃いの髪が更にぼさぼさになったところで、おもむろにニースを振り返り、


「カリムだって。」


 と、ドヤ顔で(のたま)った。

 ニースはそんなヴァイオレットに冷ややかな視線を送ってやったが、まるで意に介す様子もなく、その白い頬を紅く染めて、少年の名前を嬉しそうに呼んでいる。

 先程、ヴァインによって皆の前に引きずり出されたとき、カリムの顔は可哀想なくらい蒼白になっていた。

 無理もない。ここに住んでいた村人達の亡骸を集めたヴァイオレット達でさえ、目を背けずにはいられない光景だった。

 村を襲われ、一人だけ生き残り、村人たちの無残な姿を目にしてしまった小さな子供の心に、どれだけの負担がかかったことか。無体を強いたのはヴァイオレット達だが、心が痛まないわけではない。

 そんな少年が名前を呼ばれ、先程よりもいくらか顔色の戻った様は、見ている者をほっとさせる。少年の心の傷が癒えるまで、まだしばらくかかるだろうが、できれば笑っていて欲しいと思う。


「あ、そうだ。」


 少年の名前を連呼していたヴァイオレットが、何か思い出したようにニースに向き直る。


「ニース、下に連絡入れるんでしょ?だったらついでに『龍石水』が手に入るか聞いて欲しいんだけど。」

「『龍石水』?何に使うんだ?そんなもの。」


「龍石水」とは、龍種の(かばね)が長い年月を経て、石化したものから採れる水のことで、様々な効能がある。単体で使うこともあるが、その多くは手を加えて用いることが多い。その性質から、「奇跡の水」や「命の雫」とも呼ばれている。


「ちょっとね……。」

「――まぁ、ついでだしな。聞いておいてやる。」


 言葉を濁すヴァイオレットに、それ以上は追求せず、ニースは了承の意を伝える。

 その返事に気を良くしたヴァイオレットは「ありがとう」と微笑むと、カリムの手を取り、今度こそ、カンナと連れ立って村の方へと歩いて行った。



 * * * * *


 シャキン、シャキン、シャキン――……。

 目を閉じた少年の耳に、心地よいリズムがこだまする。

 切られた髪が肌を撫でて滑る落ちる。

 カリムは今、村で過ごすのに借りている家の外、ヴァイオレットが用意した椅子の上に座らされていた。

 目を閉じているので分からないが、赤い髪の女性――カンナという名前らしい――も、近くにいるのだと思う。


 ヴァイオレットは慣れているのか、入れるハサミに迷いがない。

 時折、顔や耳に触れる細い指の感触が、何やら妙にくすぐったい。

 普段、髪は自分で切っていたので、このように誰かに切ってもらったのは、覚えている限り初めてのことだ。

 カリムはふと、父親のことを思い出す。すぐに怒鳴り、手が早く、怖いと思ったことは数あれど、それでも嫌いにはなれなかった。ましてや「死んでほしい」なんて思ったこともない。


 シャキン、シャキン、シャキン。

 村にいた人達のことを考える。接点も少なく、特に親しいというわけでもなかったが、それでも会った時には挨拶を交わし、時には優しく接してくれたこともあった。今年の野菜の取れ具合はどうだったとか、カメムシをよく見かけるから、今年の冬は薪を多めに用意しておこうだとか。何気ない会話をしたことも、今になって恋しいように思う。


 シャキン、シャキン。

 あの人達はもういないのだ。どんなに願っても、言葉を交わすことは出来ない。昨日までは意識もしていなかったのに、失くしてから気付くなんて……。

 カリムは目を細く開けると、髪を切っているヴァイオレットのことを盗み見る。

 父親たちのことは殺したのに、少年にはひどく優しい。


 シャキン、シャキン――。

 こうして自分に触れる手は暖かいのになと、それが却ってカリムの胸を締め付ける。

 再び目を閉じると、先程の光景が目蓋の裏に浮かび上がった。

 皆を覆い隠した大きな木は、救いであったように思う。

 あのとき発した燐光が、皆を迷わず送り届けてくれればいい。

 今朝、朝食を食べたあと、ヴァイオレット達が家に残るよう、促しくれていたのだと思うけれど、こっそり付いて行ってよかった。

 背中を丸めたあの人に、見つかった時は驚いたけど、みんなの前に引っ張り出してくれて良かった。

 間近で、きちんとお別れが出来たのは本当に――。


 カリムは今度は、しっかりと目を開けた。

 切られた髪が少し目に入ったが、かまわなかった。


「*****?」


 何事か口にしながら、カリムのことを覗き込んでくる、葉脈のような血管の浮いたヴァイオレットの白い顔を見る。


「ビオレたちは……。」

「……?」


 ――みんなを送り出してくれたの?

 カリムは言いたい言葉を飲み込んだ。なぜと思う。なんとも思っていないなら、適当に土をかぶせて埋めるのでも良かったはずだ。あれは、確かに弔ってくれたのだと思う。弔う気持ちがあるのなら、なんで――。

 聞きたいけれど、カリムは聞く為の言葉を持たない。

 カリムのオリーブ色の瞳が、ヴァイオレットのスミレ色の瞳を映してゆらゆらと揺れる。


(ことばがわからないって、つらい……。)


 カリムはヴァイオレット達のことをどう思ったらいいのか決めかねて、再びそっと目を閉じた。



(どうしたんだろう。)


 何か言いたげにしていたカリムが再び目を閉じたので、ヴァイオレットも手を動かす。しかし、考えたところで、分からないのだ。それがもどかしくもあり、寂しくもある。

 分からないことを気にしていても仕方がない。ヴァイオレットは、目の前の作業に集中した。


「よし、完成~っ!」


 ハサミをシャキンと鳴らし、出来栄えを確かめる。ヴァイオレットの声に、カンナが近づいてきた。


「まぁ、予想はしてたけど……。」


 カンナの声に苦いものが混ざる。

 右側から流すように短くした髪に、襟首の部分だけが一筋、しゅるりと伸びている。

 言ってしまうと、ヴァイオレットの兄の髪形にそっくりだった。

 ヴァイオレットは、その仕上がりに大変満足したようで、上機嫌でカリムの頭や肩についた髪の毛を払っている。


「うんうん、男前男前。」

「ヴィオレ、アンタもう少し、『兄、至上主義』を何とかできないの?」

「できない。」

「知ってる。」


 聞くだけ無駄だと分かってはいても、聞いてしまうということはあるものだ。即答してくるヴァイオレットにやれやれと嘆息する。この少年も気の毒に。

 おしまいとばかりにカリムの肩を叩いたヴァイオレットが、少年の散った髪を包むように、椅子の下に敷いてあった布を丸める。

 軽くなった少年の浅緋色の髪が、冷たい風にふわりとなびいた。

次回の更新は、明日12/18㈫の予定です。

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