再会
カリムは森の中を走っていた。
先ほど、そう遠くない場所で鳴った、地面を割るようなけたたましい音を皮切りに、森の中が騒がしくなった。あちらこちらであがる声が遠くから響く。
森の中は依然として暗く、足元を照らす灯りもない。
地上まで伸ばされた木の根や、滑りやすい苔に覆われた地面に、何度も足を取られそうになりながらも、カリムは必死で足を動かした。
迷わないよう、いつもより気を張っていたからか、疲れが溜まるのが早い気がする。
息はすでにあがっており、肺が新鮮な空気を求めて肩を上下に揺らしていた。
カリムは呼吸を整えようと、一旦、足を止める。
膝に手を置いて上体を支え、はあっ――と大きく息を吐いた。
肌に触れた空気はひやりと冷たく、溜まった熱を逃がしてくれる。
カリムの頬を汗が伝った。エマからもらった短剣を握ったまま、服の袖でぬぐう。
そうしている内、カリムの呼吸が次第に落ち着きを取り戻した。
再び走り出そうと、顔をあげる。
その直後――
何かがカリムを突き飛ばした。
「――っ!?」
受け身を取ることもできず、肩から地面に突っ込む。
地面にぶつけた痛みとは別に、肩や腕、足の表皮を何かがかすめたような、そんなひりついた痛みが薄く走った。
何が起きたのか確かめようと、腕に力をこめて上体を起こす。
そんなカリムの視界の隅で、白いワンピースがひらめいた。
「……ビオレ?」
そこにはカリムに背を向けて、両腕を広げたヴァイオレットが立っていた。
その姿は、何かからカリムを庇っているようにも見える。
カリムはヴァイオレットの背中越し、その奥に目をこらした。
濃い影の落ちる場所。そこに黒い影が見えた。
背中を丸めた特徴的なシルエット。それを視界にとらえた途端、カリムの身体がビクリと跳ねた。
「ヴァインさん……」
ヴァインはヴァイオレットを通り越し、カリムを見ているようだった。突き出された掌に何か乗っているのか、狙いをつけるよう、もう片方の手が添えられている。
ふと、視界の隅に赤いものが見え、腕に目をやると、小さく裂けた服の切れ目から血が滲んでいた。他にも細かな傷がある。
まだ新しいその傷は、倒れたときについたにしてはどことなく不自然だ。
周りを見ても、引っ掛けるようなものは見当たらない。
不思議に思いながらも、カリムは二人に視線を戻した。
両者は睨みあっていた。
ヴァイオレットは依然として両腕を大きく広げたまま、微動だにしない。
ヴァインが短く声を発した。
「どけ」
「いやよ」
間髪入れずに、はっきりと拒む。
ヴァインは舌打ちした。
今朝方、森に侵入してきた者達の中に、ヴァイオレットと同じ気配を感じた。
ヴァイオレット本人がそばにいる以上、誰であるかはすぐにわかった。
ヴァインは即座に移動を開始した。
ヴァイオレットとかち合った場合、こうして邪魔されることは目に見えていたから、急いできたというのに――。
ヴァイオレットの後ろで、カリムがゆっくり立ち上がるのが見えた。
その手には短剣が握られている。
ヴァインの目が、きつく歪んだ。
ヴァインの掌に浮かんだ弾は、撃ち出すことで直線に飛ぶ。任意の場所で弾けさせ、放物線状にその欠片が散る。
カリムとの直線上にヴァイオレットがいる以上、そのまま撃つわけにはいかなかった。
「ヴィオレ!」
「この子は私が拾ったの! どうするかは私が決めるわ」
ヴァイオレットが言い放つ。
焦れたヴァインが間を詰めようとした矢先――
空気を裂く音と共に、数本のナイフがヴァインめがけて飛来した。
咄嗟に反応をみせたヴァインは、飛んできたナイフを手刀で叩き落としつつ、身を捻って交わす。うち、一本が脇腹のあたりを掠めたが、動くのに支障はない。
ヴァインは素早く体勢を立て直すと、ナイフが飛んできた方向に目を向けた。
靄にかすむ木立の奥、そこに青年の姿があった。見覚えのあるその姿に、ヴァインは目を尖らせた。
「お前か……」
知らず、口から言葉が漏れた。
以前、カリムが連れ出されたとき、その場にいたことを思い出す。
同時に、取り逃がしたことも思い出した。
苦い記憶に眉間のシワが深くなる。
ヴァインは一度、ヴァイオレットたちの方に視線をやったが、すぐに青年に向き直り、掌に浮いた銀の弾を、狙いをつけて素早く弾いた。
ぱんと音を立てて弾ける。
デフェルはそれを、太い木の幹に隠れることで避けた。
木の幹に背をぴたと貼りつけ、顔だけ出して様子を見る。
(あああ、もう少し様子見ようと思ってたのにっ!)
デフェルは思わず手を出してしまったことに、内心で頭を抱えた。
ここに来る前、カリムを見た気がして追いかけてきたのだが、気のせいではなかったらしい。カリムを見つけたのは、丁度、白いワンピースの少女がカリムを突き飛ばした所だった。
カリムと少女の他にもうひとり、背中を丸めた男がいた。少女と男はしばらく睨み合っていたようだったが、男の方が先に動いた。
と同時、考える間もなく、手が出てしまったのである。
どうも子供が絡むと、調子が狂うらしい。それがカリムに限ったことなのか、他でもそうなのか、今ひとつ判別はつかないが。
己の行動パターンを知り、また一つ賢くなったな、俺――とかのんきに思っている場合ではない。
デフェルはヴァインの向こう側にいる二人に目をやった。
白いワンピースの少女は、カリムを助けたように見えた。
(あれが“ビオレ”か?)
デフェルは、以前、カリムの口から出た名前を思い出した。白いワンピースの少女は、カリムを背に両腕を広げたまま、こちらを見ている。立ち込める靄が邪魔をして、その表情まではわからない。
その間も、ヴァインはこちらに向かってきていた。
完全に不意を打って投げたはずのナイフは、ことごとく躱されている。
その動きから、この男をやり過ごしつつ、カリムを拾って帰るのは至難の業に思えた。
デフェルは素早く頭の中で算段を立てる。
牽制に一本、男に向かってナイフを投げると、デフェルは腹を決めた。
期待はするだけ無駄だから、そんなことはしないけど――
(カリムくんのこと、悪いようにはしないって信じてるからな、あんた!)
話したこともない、初めて目にした少女に心の中でそう叫ぶと、すぐそばまで迫った男に集中した。
腰に帯いた剣を抜くと、木の陰から飛び出す。
一足飛びに距離を詰めると、指に力を込めた。
剣の切っ先が掬い上げるような軌道を描き、ヴァインがいた場所を撫でる。
案の定、手応えはなく、構わず手首を返して斜めに振り下ろす。
――刀身のぶつかる音が高く鳴った。いつの間にか男の手には剣が握られている。
デフェルはわずかに目を見張った。
しかし、束の間見せた動揺を、悟らせることなく剣身を滑らせ、円を描くように相手の剣を払うと、間髪入れずに突き入れる。
攻撃の手を休めることなくヴァインの注意を引き付けながら、デフェルは二人のいる場所から次第に離れていった。
次回の更新は、明日4/9㈫の予定です。