襲撃
「ったく、どこのホラーハウスだよ」
朝だというのに爽やかさなど欠片もない辺りの様子に、デフェルは早くもうんざりしていた。足元は苔むしていて滑りやすく、地面にまで張り出した根が、地面をぼこぼこと盛り上げていて歩きにくい。
幽鬼のごとく黒々と生い茂る、奇怪な形に曲がりくねった木々。そこに交じって生えた冬枯れの木が、えもしれぬ雰囲気に拍車をかけていた。どこかから立ち込める靄に視界がぼやけ、そのせいか、水中にいるような錯覚にみまわれる。
「ぼやくなぼやくな」
そんなデフェルの肩に腕を回し、のしかかるようにして一人の男が声をかけてきた。年齢はデフェルよりも上。身体のつくりが違うのか、デフェルが細身に見えるのに対し、その男はがっしりとしていた。
「だーっ! うざい! 重い! よりかかんな!」
デフェルがその腕を振りほどく。男はそんなデフェルの様子に、何が面白いのか、口元を笑みの形に変えた。そんな二人の様子を、周りの男たちが愉しそうに眺める。
「どうせなら、可愛い悲鳴の一つもあげる、女の子と来たかったなあ」
誰かの口からそんな声が零れた。
デフェルは確かに、と無言で同意した。――というか、もうすでに帰りたい。
そんなデフェルの内心を読んだのか、先ほど肩に腕を回してきた男が、デフェルの頭を小突いた。
「まあ、もう少し頑張れ。帰ったら酒のひとつも付き合ってやるから」
「まだ何も言ってないだろ!?」
「デフェルは分かりやすいんだよ」
確か、ここは薄暗くも怪しげな森の中だったはず。しかし、その場にいる男たちの様子からは、とてもそのようには思えない。ともすれば、どこかの街をぶらぶらしているような雰囲気だ。
「しかし……おかしいな」
先程のふざけた態度を引っ込め、男が急に低い声を出した。
その様子にデフェルも気を引き締める。
「ここまで何もなかったことか?」
「ああ。あちらさんも俺たちが向かってることは、とうに気づいてるはずだろ? 今まで何もなかったのが不思議で仕方ない」
男は警戒するように、辺りに目を配った。
デフェルもそれは不思議に思っていた。
森にたどり着くまでに一度くらい、なんらかの妨害があると思っていたのに、拍子抜けするぐらい、これまで何もなかった。それがかえって不気味に感じられる。
「このまま何もないと、楽でいいんだけどなあ」
デフェルがぽつり零した言葉に、周りの男たちがうなずいた。
「そりゃいいや」
「ついでにここから出てってくれるとありがたい」
「なんなら転居祝いでも送り付けてやりましょうか?」
皆、好き勝手に騒ぎ始める。
――と、デフェルの耳に微かな異音が届いた。
地面の下を何かが這うようなその音は、デフェルの周りにいた者たちにも聞こえたようで、ピタリと皆、押し黙る。
音の出どころを探すべく、皆が耳を澄ます中、松明を持った男が辺りをよく見ようと、手にした灯りを高く掲げた。
そのときである。
かすかに聞こえていた音が急に速度を増し、デフェルたちの足元へと迫った。
それと同時に大きくうごめく地面。
嫌な予感にデフェルは反射的に真上へ跳ぶと、頭上にあった太い枝をつかんだ。反動を利用して、木の上へとあがる。
次の瞬間――
大地を割くような派手な音と共に、無数の木の根が地中から飛び出した。
触手のようにしなるそれ。土を巻き上げ、逃げ遅れた者たちの脚や体を絡めとると、そのまま地面に引きずり込む。男たちのあげた悲鳴が、地中へと吸い込まれていった。
それはまるで、砂に潜った大きな魚が、目の前を横切る獲物を一瞬にして捕食するようでもあった。
ややあって、辺りがしんと静まり返る。そのあまりな光景に、デフェルをはじめ、木の根から逃れた者たちが息を呑んだ。
早鐘を打つ心臓の鼓動が、デフェルの耳を強く打つ。手にはじとりと厭な汗が滲んでいた。
デフェルはそれに気づき、まじまじと自分の手を見つめる。
父の厳しい訓練のおかげか、滅多なことでは動じないはずなのに……。
「なんでもありか」
デフェルは信じられない思いで、手の汗を拭った。
下に目をやれば、緑の苔が澄ました顔で地面を覆っている。今しがた、無数に跳び出した木の根がそこを割ったようには見えない。
「デフェル」
かけられた声に、正面の木に目をやれば、男の姿が目に入った。
どうやら男も難を逃れたらしい。その顔には厳しいものが浮かんでいる。おそらく、デフェルも似たような顔をしていることだろう。デフェルは嘆息した。
木の根が操れるなら、木そのものも操れるかもしれない。
だとすれば、森の中にいる限り、常に先程のような危険に身を置いていることになる。
塔の連中がわざわざ他でちょっかいをかけてこないのも、これが理由か。
デフェルは地面を確認し、飛び降りた。この場にいる以上、どこにいても危険であることに変わりはない。
デフェルが地面に降りたことで、逃げ伸びた他の者たちも周りに集まった。
仲間が呑みこまれた地面を見つめるその顔色は、皆一様に悪い。
「……完成まで、まだ間があると思ってたんだがなあ」
頭をがしがし掻く男の言葉に、デフェルが唇を尖らせる。
「思ってたとしても、木の根に襲われるなんて想定してない」
言いながら、傍にあった木の根をつま先でつつく。
集めた兵が村を出るまでに調査した限りでは、少なくとも木の根が襲ってきたようなことは報告になかった。
「――これで完成なんですかね?」
顔色悪く辺りを窺っていた男の一人がぽつりと漏らす。
その言葉に、その場にいた男たち全員の眉間に深くシワが寄った。
完成前でこれなら、完成したらどうなるのか。
デフェルは頭痛持ちではないが、頭が痛くなるとしたらこんな感じだろうと、二本の指で目頭を揉んだ。
「どこまで広がるかもわからないしな……」
デフェルのすぐ隣にいた男の言葉に、皆押し黙る。
森がまだ広がるようなら、その対策と、周辺の村の防衛にも力を注がなくてはならない。いずれも準備に時間のかかることだから、動くのなら早い方がいい。
「まあ、その辺はイエーガー様とジェイダさんがすでに考えてるとは思うけど……」
デフェルはそれよりも、と腕を組んだ。
今はこの場をどうするか、決めなくてはならない。
「とりあえず――」
言いかかけた視界の隅、木立の合間を気になるものがかすめていく。
咄嗟にそちらに目をやれば、視界が悪くて確かなことは言えないが、イエーガーの邸で見た、襟足からひと房伸びた特徴的な髪が、しゅるりとなびいたように見えた。
脳裏に浮かぶ、浅緋色の少年の髪。
「カリムくん?」
言うが早いか、デフェルの足が勝手に動いた。
その背に男の焦ったような声が飛ぶ。
「デフェル!?」
その声に、足は止めずに首だけ捻って、デフェルは声を後方に飛ばした。
「イエーガー様たちと合流して、報告しといて!」
「おいっ!? 待て、どこへ――」
「問題ない、すぐ戻る!」
ついでに指示仰いどいて――
デフェルの姿が溶け込んで見えなくなった木々の合間から、そんな声が尾を引いて届く。そのあっという間の出来事に、その場に取り残された男たちは、デフェルが消えた空間をぽかんと見つめた。
次回の更新は、4/8(月)の予定です。




