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逃走?

 ――時間は少し(さかのぼ)る。ヴァインは塔の北側に居た。

 ヴァイオレットが拾った子供――カリムは、昨日、熱を出して寝込んでいた。

 昨晩には熱が下がり、今朝は動けるようになったらしい。

 ヴァインは辺りを見回した。


(おかしいな……)


 ヴァイオレットとカンナがこちらに来ているのに、カリムの姿が見えない。

 不審に思ったヴァインは、作業をしながら二人の(そば)で聞き耳を立てていると、ちょうどニースもカリムの事が気になったのか、二人の側までやって来て、その事について尋ねた。

 三人の話からすると、どうやらカリムは一人で村の南側にいるらしい。

 今日は塔の北側と西側で二手に分かれて作業をしている。そのため、南側には誰もいない。

 ヴァインはチッと舌を鳴らすと、皆に気付かれないようにその場を離れ、村の南側へと向かった。




 カリムがいるという村の南側――木がまばらに生えたその場所を、目を光らせながら歩いていたヴァインは、前方に覚えのある気配を感じて立ち止まった。ヴァイオレットの気配だ。


(あいつ、北側に居たんじゃなかったのか?)


 カリムのことが気になって、こちらにやって来たのだろうか。だとしても早すぎる。

 ヴァインは不審に思いつつ、ヴァイオレットの気配がする方へ足を向けた。

 少し歩くと目的の物が視界に入る。


(いた……――っ!?)


 ヴァインは驚きに目をすがめた。

 遠目にカリムと分かる人影の側にもう一人、見知らぬ男がしゃがみ込んでいる。二人は何やら話しているようだった。


(あいつ、やっぱり……)


 ヴァインは、カリムが外と連絡を取っていたと見て取ると、足早に近付きながら舌打ちする。その勢いのまま、思わず大きな声で呼びかけてしまった。


「お前――――っ!!」


 ヴァインの発した声に、カリムともう一人の男が振り向く。思いの(ほか)若い。ヴァインの存在に気付いた青年は、一早くカリムを脇に抱えると、一目散に走り出す。それを目にしたヴァインは己の失態に気付いた。

 ヴァインは素早く左の手の平を傷付け、上向けて目の前にかざす。するとそこに、銀の(たま)がぷくりと浮かんだ。

 次の瞬間、ヴァインは右手の中指でそれを(はじ)く。

 はじかれた弾は二人めがけて飛んで行くが、青年が去る速度の方が早い。もともと距離もあったため、ヴァインが放った銀の弾は二人に届くことなく、空中でパンと音を立てて弾けた。

 束の間、静寂が訪れる。

 ヴァインは二人が去った方を忌々し気に睨みつけると、背中を丸めて塔の北側――ニース達のいるその場所へと足を向けた。



 * * * * *


「ニース!!」


 塔の北側で作業に当たっていたニースは、ヴァインが物凄い剣幕で近付いてくることに気付いて眉をひそめた。いつもなら茶化して名前で呼んでくるのに、珍しく姓で呼んでいる。

 ニースは作業を中断すると、ヴァインの方へ身体を向けた。


「なんだ? どうかしたか?」

「どうもこうもねーよ!」


 ヴァインは右手を大きく振り下ろすと、肩を怒らせてニースに詰め寄る。ニースは落ち着けとその両肩に手を置いて、話の先を促した。


「あいつ、外と通じてやがった!」

「あいつ?」

「カリムだよ! ヴィオレが拾った子供(ガキ)!!」


 その言葉に、少し離れて作業していたヴァイオレットとカンナが近付いてくる。


「カリムがなんですって?」


 ヴァイオレットが険しい顔でヴァインに問いかける。

 ヴァインはヴァイオレットを一瞥すると、吐き捨てるようにまくし立てた。


「あいつ、一人になったのをいいことに、外の奴と会ってやがった! オレに見られたから、そいつと一緒に逃げたんだ!」

「カリムが?」

「逃げた?」


 ヴァインの言葉にヴァイオレットとカンナは戸惑う様に視線を交わす。


「だから鎖でつないどけって言っただろ!」


 ヴァインは先程、取り逃がしたこともあり、ますます険を強くする。

 その騒ぎを聞きつけたのか、いつの間にか隣にやって来ていたグリードが(たの)しそうに(はや)し立てた。


「鎖にはつないでないが、名前は書いたんだよな、お嬢ちゃん」

「グリード……ちょっと黙っててくれないか」


 ニースが片手で顔を覆うと、うんざりした口調でこぼす。


「名前……? ああ、道理で……」


 ヴァインは先程、カリム達を見つけた際に感じたヴァイオレットの気配を思い出し、納得がいったようで一人うなずく。そんなヴァインにニースは尋ねた。


「カリムの他に誰かいたんだな?」

「ああ」


 ヴァインは少し落ち着いたのか、ポケットの中に手を突っ込むと、ぶっきら棒に答えた。ニースは口元に手を当てて、考える。


「カリム、連れてかれちゃったの?」


 誰に聞くともなく、ヴァイオレットが(つぶや)いた。


(やっぱり一人にするんじゃなかった……)


 “所有の印”を刻んだ事で、気が緩んでいたのだろうか。いま地上には、グリードとヴァイオレット達の他に、地下の者がいないことも関係しているように思えた。仮にいたとしても、あの印を見たり、ヴァイオレットの気配を感じたりしたならば、いらぬ(いさか)いを避けるため、わざわざ手を出す者もいないだろうと高を括っていた。

 しかし、カリムを連れ去ったのが地上の者となれば、話は変わってくる。頬に刻まれた印の意味など分からないだろうし、カリムの身を包むヴァイオレットの気配に気付くかも怪しい。気付いたところで、その意味が分からないのであれば、牽制(けんせい)にもならない。

 ヴァイオレットは目を伏せると、強く唇を噛んだ。


「連れてかれたんじゃなく、連れてってもらったんだろ」


 ヴァインが片眉をピクリと上げる。ヴァイオレットが首を振った。


「そんなの分からないじゃない」

「お前な……」


 ヴァインは呆れたようにヴァイオレットを見下ろすと、大げさに息を吐いた。


「大体、あいつがオレ達の言葉を覚えようとしてたのだって、何か探ろうとしてたのかもしれないだろ」


 ヴァイオレットとカンナが顔をしかめる。


「カリムが?」

「探る?」


 カリムにおよそ似つかわしくない表現に、ヴァイオレットもカンナも、二人揃って目を丸くした。

 ここ数日、共に過ごしたあの少年が、そういった事をするとはとても思えない。

 そんな二人にヴァインが悪態をつく。


「お前ら、あいつに相当入れ込んでたからな。認めたくねーのも分かるけど、考えてもみろよ。オレ達、村の奴らを皆殺しにしたんだぞ!」


 その言葉に、重苦しい空気が流れた。カリムの(とし)から考えて、その中には少年の肉親も混ざっていたに違いない。


「恨んでたとしても不思議じゃねーし、チャンスがあれば逃げるだろ」


 いつ親の跡を追うことになるか、分かったものじゃないんだからなとヴァインが言えば、そうかもしれないという気もしてくる。

 しかし、ヴァイオレットにはどうしても「そうだ」とは思えなかった。カンナも同様らしく、しきりに首を捻っている。

 三人がやりとりしていた間、考え事をしていたニースが口を開いた。


「まぁ……誰かがいて、カリムがいなくなったのは事実ってことだな」


 一同の視線が集まる。


「ニース……」


 非難めいたヴァイオレットの言葉を片手を挙げて制すと、ニースは続きを口にした。


「正直、俺もカリムがどうこうとは思わないが、そこに誰か居たって方が気になる」


 ニースは考えていた事を(まと)めるように声を出すと、隣にいる赤いドゴール帽を被った小男に視線を移し、その名を呼んだ。


「グリード」

「なんだ?」

「ちょっと頼まれて欲しいんだが」

「頼み事? いいぜ。それがオレの仕事だしな」


 グリードは両手を広げて了承の意を示す。

 ニースは頷き、頼みたい内容を二、三告げると、グリードは「忙しくなるな」と赤い帽子の下で目を細め、キシシと笑った。

次回の更新は、明日1/10㈭の予定です。

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