デフェルとカリム
人気のない木立の中を、青年は慎重に歩いていた。
この地方に多く見られる鳶色の髪に青い目をした青年は、名をデフェルという。
一週間ほど前に地震が起きた際、様子を見て来いとサウロへ派遣されたのだ。
(なんかもう帰りたい……)
デフェルは様子を見に来た村が当たりであった不運を嘆いていた。
北の村から南の村へと向かう途中、街道を北へと急ぐ長身痩躯の男を見かけた。デフェルは街道を避けて馬を走らせていたため、その男には気付かれなかった。思えば、あの時からイヤな予感はしていたのだ。
連れてきた馬は、ここから少し離れた場所につないである。村の様子を見るのに馬がいては少々邪魔だったからだ。
デフェルは木立の隙間から見える、大きな塔を恨めしそうに睨んだ。
(親父なんかが聞いたら『運がいいな』とか言われそうだけど)
お茶とか飲みながら、にこにこと笑顔を向けてくる父親の姿を想像し、顔をしかめた。
――数日前、デフェルがサウロの近くまで来たとき、まず目に入ったのはあの塔だった。地震が起きる前にあのような物は見なかったので、何か異変が起きたのだと思った。更に村に近付くと、それが確信に変わる。村の南側に回り、様子をうかがってみると、そこには幾つか人影があった。遠目に見てもはっきりとわかる白い肌は、この辺りでは見ない色だ。
茂みに身を潜めつつ、彼らの様子を見守っていると、白い肌の人達が一斉に自身の手をかき切るのが見えた。突然のことにぎょっとする。集団自殺でもしたのかと思った。
しかし、彼らはなんでもなかったかのように、手から零れる血を辺りに撒いて回っていた。デフェルは胸の悪くなる光景に、思わず目を背ける。
(うえっ……)
込み上げる吐き気を押さえ、もう一度視線を戻すと、彼らが血を撒いた場所から、何かの芽が顔を出しているようだった。
(……マジかよ)
思わず目をごしごし擦り、自分の頬をつねってみる。どうやら夢ではなさそうだ。
(うわー……報告したら、気が触れたのかとか言われそう……)
やっぱり運がないと、改めて己の運の無さを呪ったとき、視界の隅に気になるものを見つけた。
浅緋色の髪をした少年である。どう見ても、他の連中とは違うように見えた。
(村の子供か?)
その姿をよく見ようと身を乗り出したところで、連中の内の一人がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
(やべっ!)
気付かれた訳ではないようだが、このままここに居るのもマズい。
ちびっ子は気になるが、ひとまずその場を離れることにした。
――そして現在。
イエーガーの元へ報告に戻るでもなく、デフェルは未だにこうして、村の南側をウロウロしていた。何故かと言えば、あのとき見かけた少年のことが気になったからだ。前にもここで見かけたので、もしかしたらという期待がある。
出来れば連れて帰りたい。捕まっているのだとしたら尚更だ。
(まぁ、でもいい加減、報告に帰らないとなー……)
情報は鮮度が命だ。「調べてました」が通用するのも、この辺りが限界だろう。あまりぐずぐずしていると、帰ったときの父親のお叱りが大変怖いことになる。
デフェルは父親の、目が笑っていない満面の笑みを思い出し、身体を抱くようにして身震いする。
今日にはここを発つと決め、もう少しだけ見て回ろうと、慎重に辺りに気を配りながら、徐々に村へと近付いていった。
* * * * *
熱も下がり、普段通りに動けるようになったカリムは、ヴァイオレット達のいる塔の北側ではなく、ひとり村の南側に来ていた。
焚き木が不足してきたからだ。
村の南側は木が生い茂っていて、燃やすのに適した枝を集めやすい。今朝、身振り手振りを交えながら、枝を探しに行くと伝えたところ、どうにか伝わり、不承不承といった体で送り出された。
二人と別れる際、ヴァイオレットに思い切り抱き締められたのを思い出す。
(二度と会えないってわけでもないのに……)
単に枝を探しに来ただけだ。しかも、そう遠くへ行くわけでもない。ヴァイオレットの過保護ぶりに、カリムは苦笑した。少年のことを心配しての行動だと思えば微笑ましくもある。これではどちらが年上か分かったものではない。
カリムは枝葉から差す陽光に目を細めながら、薪になりそうな枝を探し始めた。
――ガサッ。
しばらくして、近くの茂みから何かの気配がした。次いで声をかけられる。
「おいっ! そこの――ちょっと!」
久し振りに聞こえた理解できる言葉に驚いて、カリムは声のした方を見る。そこには茂みから顔をのぞかせて、手招きしている青年がいた。
「だれ?」
カリムは戸惑いつつも、手招きしている青年に声をかける。青年は辺りの様子をうかがっていたが、少年の他に誰もいないと見て取ると、茂みから抜け出してひょいひょいと近付いてきた。なんとなく動きがグリードに似ている。
青年は油断なくカリムのところまでやって来ると、小声で話しかけてきた。
「良かった。お前ひとりか?」
「うん」
カリムは素直にうなずく。青年はカリムの前でしゃがみ込むと、その小さな両肩に手を乗せた。
「うん、ケガとかはないみたいだな」
青年はカリムの身体を確かめると、ホッとしたように呟いた。
「えっと……」
カリムは肩を掴まれたまま、困ったように小首を傾げる。青年はパッと手を放した。
「ああ、悪い。俺、デフェルって言うんだ。北の村から来たんだけど……」
カリムは北の村と聞いて、この辺りで一番大きな村の名前を思い浮かべる。実際に行ったことはないが、ここよりもずっと賑やかな場所だという話を聞いたことがある。
「ぼくはカリムって言います」
青年に倣って一応、自己紹介しておく。
デフェルは「カリムくんか」と言って、頭を撫でてきた。
なんだか最近よく人に頭を撫でられる。そう思いながら、カリムは疑問を口にした。
「あの、デフェルさんはここで何を……」
しかし、答えは聞けなかった。
険のある怒鳴り声が割って入ったからだ。カリムは咄嗟に声のした方を振り向くと、カリム達から離れた場所に、背中を丸めた男性がいるのを認めた。
「――ヴァインさん?」
確かヴァイオレット達がそう呼んでいた。
二人がいる場所からやや距離があるものの、彼が何やら不穏な空気を漂わせていることは伝わってくる。
「やべっ!!」
デフェルは焦ったように一声叫ぶと、
「――えっ!?」
驚くカリムを小脇に抱え、一目散に逃げ出した。
次回の更新は、明日1/9㈬の予定です。