不調
翌日――。
塔の周辺で森を作る作業をしていたニースは、ヴァイオレットの姿が見えないことを不審に思い、カンナに声をかけた。
「カンナ、ヴィオレはどうした?」
「カリムが熱を出したから、つきっきりで面倒見てるわ」
「熱? ああ、そう言えば龍石水もらってたな」
ニースは合点がいったのか、頷きながら地面に血を落とす。
そこから新しい芽がひょっこり顔を出した。
「量、間違えたのか?」
「五分の一くらいにはしたんだけどね。それでもカリムには強かったみたい」
カンナは今朝のことを思い出す。
朝、カンナが目を覚ますと、カリムにしては珍しく、まだ寝台で横になっていた。その隣で寝台に身を起こしたヴァイオレットが、カリムの顔を覗き込んでいる。
「……おはよう?」
カンナは覚醒しきらない頭で声をかけると、ヴァイオレットが首だけ動かすようにして振り向いた。
「? なんかあったの?」
「カリムが……」
沈んだ顔でそれだけ言うと、ヴァイオレットは再びカリムに向き直る。
その額に白い手を添えた。
カンナはそんなヴァイオレットの様子が気になって、二人のいる隣の寝台に身を乗り出すと、彼女の肩越しに少年の顔を覗き見た。カリムの顔は熱のためか真っ赤になっており、浅緋色の短い髪が、汗で額に張り付いていた。
「――カンナは付いてなくて良かったのか?」
「まぁ、心配ではあるんだけど……二人して穴開けちゃうのもね。ヴィオレが見てくれてるから大丈夫」
カンナはニースに微笑んでみせた。
「はっ、ヴィオレの奴、余計なもの拾ったせいで、まともに作業出来てないんじゃないのか?」
突然、背後から掛けられた棘のある声に振り向けば、口元を歪めたヴァインの姿が目に入る。カンナは眉根に皺を寄せると、ヴァインのことを睨み付けた。
「本当の事だろ?」
ヴァインは吐き捨てるように言うと、カンナ達に背を向けて作業へと戻って行く。
その背中を微妙な面持ちで見送ったカンナは、もやもやした気持ちを振り払うべく、ニースに向き直ると努めて明るい声を出した。
「――そう言えば、応援の方ってどうなってるの?」
昨日、ヴァイオレットが「所有の印」をカリムに刻んだ際、そんな話をしていたことを思い出し、丁度いいとばかりにニースに問いかける。
地上の人が暮らす場所に塔を立てたせいで、初日に望んでもいないことをやらされたのだ。カンナとしては、その辺の事をはっきりさせておきたい。
カンナの問いに、ニースが視線を泳がせた。
「奥からは何も……いや、一応来るってことになってるのか?」
「……――は?」
ニースの煮え切らない言い方に、思わず低い声で聞き返してしまった。ニースは肩を竦めてみせると、一旦終わりとばかりに大きく腕を振る。その動きに合わせて、赤とも青ともつかない銀色の液体が、日の光を受けてキラキラと散った。
「明確な答えがないんだよ。強いて言うなら『検討中』ってとこか?」
「検討中って……」
カンナは言葉を詰まらせた。
人の住む場所に塔を立てておきながら、奥の連中は一体何を考えているのか。
地上にあがった際、一通り見て回ったが、取りこぼしがなかったとは言い切れない。
そうでなくとも異変に気付いた周辺に暮らす者達が、徒党を組んで襲ってくるかもしれないのだ。
森が出来てしまえば、そうそう手出しもして来れなくなるとは思うものの、その前に襲撃されると厄介だ。応戦するにしても、今、地上にいるメンバーだけでは非常に心許ない。戦えはするものの、そちら方面に特化しているわけではないのだ。
カンナが額に手を当てていると、低い位置から声をかけられた。
「まぁ、そんなに心配するなよ。そのためにオレ達が来てんだからさ」
キシシと笑う声には聞き覚えがありすぎる。カンナは声のした方に視線を向けると、思った通りグリードがいた。
「いざとなりゃ、オレ達も出るさ。お嬢ちゃんは大船にでも乗った気でいろよ」
両手を広げて笑うグリードに、カンナは思わず嘆息した。
手を腰に当て、グリードの鼻先に指を突き付ける。
「泥船の間違いじゃないの?」
グリードたちレッド・キャップは奧宮で警護なんかも担当していたはずだが、カンナは彼らが戦うところを見たことがない。しかも、グリードの浅黒い手足は、ちょっと触れれば折れそうなくらいに細いのだ。カンナがついつい皮肉めいたことを言ってしまうのも頷ける。
グリードが呆けた顔で、頭にかぶったドゴール帽に手を当てた。
「ありゃりゃ、信用ねぇなぁ」
「あなた達が戦ってるところって、想像つかないのよ」
「違いねぇ」
カンナの言葉に気を悪くするでもなく、グリードが笑う。
ひとしきり笑ったところで、グリードがキョロキョロと辺りを見回した。
「そういや今日は、もう一人のお嬢ちゃんとちびっ子の姿が見えないな」
ヴァイオレットとカリムのことを言っているのだと察したカンナは説明してやる。
「カリムが熱を出したから、ヴィオレが面倒見てるのよ」
グリードはそうかと頷くと、帽子の下にある大きな眼をぎょろりと動かした。
「ちびっ子――そういやカリムっつったっけ。坊主に名前は書いたのか?」
聞かれたカンナは一瞬言葉に詰まったが、はっきりと答えた。
「ヴィオレがしっかり付けたわよ」
「そうか。それは良かった」
カンナは「何を」とは言わなかったが、グリードにはそれで伝わったらしい。ギザギザの歯をのぞかせて、何が良かったのかキシシと笑っている。
その横で、話を聞いていたニースがぎょっとした顔で眼を剥いていた。こちらにも何をしたか伝わったようだ。
カンナはヴァイオレットが「所有の印」を付けるに至った理由を知っているので、ニースのその反応は、あえて見なかったことにした。