一方その頃
カリム達が住む村から北北東に位置する場所に、その村はある。
周辺の村より一際大きなその村は、ここウィスタリア領南部、ロペス地方の主要都市だ。
村の中心部よりやや北側、大通りから少し入った坂の上に村の役場がある。
高台となったその場所からは、通りを行き交う人達の姿がよく見えた。
夕暮れ時を知らせる鐘が秋の空に響く。
家路を急ぐ者や、これから仕事に赴く者。目的は様々で、この時間特有の賑わいを見せていた。
その庁舎で、他の職員に混ざって締めの作業を行っていた眼鏡の女性――ジェイダ・ベネディクトは眉根に皺を寄せて、こっそりため息を吐いた。
「なぁ、どうせこのあとヒマなんだろ? 一杯付き合えよ」
ため息の原因はこの男、イエーガー・ドレフ・フォン・ロペスだ。
名前に「ロペス」がついている事からも分かるように、イエーガーはこの地方一帯を任されているドレフ家の当主で、一応爵位を持っている。
後ろに撫でつけたアッシュブラウンの長い髪に、鋭い目つき、太い眉に角ばった顔。髭があったらどう見ても「悪人面」で、せっかく仕立ての良さそうな服を着ているのに、着崩しているからか、貴族ではなくその辺にいる武骨なおっさんにしか見えない。
「行きません。それに、行ったら一杯じゃすまないですよね」
毎日毎日飽きもせず、よく誘ってくるものだと呆れ顔で言ってやる。
すげなくお断りされたというのに、イエーガーは楽しそうだ。
ジェイダは中指で眼鏡を押し上げると、イエーガーの方を見もせずに言う。
「普通、『偉い人』はこんな所でぐだぐだしたりしないのではないですか?」
「俺、普通じゃないもん」
「いい歳こいて『もん』とか言うの、やめてください」
半眼で睨んでやれば、「やっとこっち向いたな」と却って悦ぶ。ジェイダは額を押さえて、二度目のため息を盛大に吐いた。まともに相手をしていたら、こちらの頭が痛くなる一方だ。
「邪魔するだけならとっとと帰ってください。ロペス卿がいると、いつまでも閉められないんですから」
皮肉を込めて他人行儀に「卿」付けで呼んでやると、くくくと笑われる。
「いつもは『イエーガー様』って呼ぶのに」
なんだろう。確かに普段そう呼んでいるのだが、イエーガーにこのように言われると、別の意味を含んでいるように聞こえる。にやにやした顔つきで、いつも通り呼べと言われたジェイダは即座に答えた。
「呼びません!」
「なんだよ。素直じゃねぇなぁ。そんなんだから独身こじらせんだよ」
「貴方にだけは言われたくありません!!」
いきなり図星を指されたジェイダは、真っ赤になって声を張り上げた。
イエーガーだって独身なのだ。しかもジェイダよりも年上である。
(こじらせてるのはどっちよっ)
先程よりも眉間に深く皺を刻んでしまったジェイダは、このままだと跡になりそうだからと、伸ばすように眉根をこする。そこへ、入り口の扉が開き、誰かが入ってくる気配がした。
ジェイダは入ってきた人物に声をかけようとして顔を上げる。
「ごめんなさい。今日はもう……」
「終わりました」と言おうとして言葉を呑み込む。
入り口から入ってきた男の姿があまりに酷かったからだ。
息も絶え絶えなその男は、もう何日もろくに休憩を取っていないのか、身に着けた衣服は汚れていて、疲労の色が濃い。
ジェイダは慌てて男に近寄ると、役所の入り口近くにあるテーブルへと連れて行き、その椅子に座らせた。
「大丈夫ですか?」
誰でも飲めるようにとテーブルに常備してあるピッチャーから、コップに水を注ぎ、男に手渡す。
男は震える手でそれを受け取ると、ごくごくと一気に飲み干した。
水を飲んだことで人心地ついたのか、男が口を開く。
「お……俺のっ! 村に塔が!! 村のみんながっ!!」
落ち着いたようで、全然そうではなかったらしい。
ジェイダは男の隣に座ると、眼鏡の奥に気遣わしげな光を宿し、丁寧に話を聞いていく。
ここから南にある小さな村から来たという男の話をすべて聞き終わると、近くの休める宿を紹介してあげた。
男を見送り、残されたジェイダとイエーガーは互いに顔を見合わせる。
男の話を要約すると、彼の住んでいた村に突然塔が立ち、そこから出てきたであろう「何か」に村が襲われたということだ。
「南っつーと、サウロか……」
イエーガーが口元に手を当てる。
数日前、地震があった際、異常がないかを調べるため、各地に人をやっていた。
「そっちには誰が行ってたっけ?」
「デフェルです」
情報が頭に入っているジェイダは、間髪入れずに答える。
「まだ帰って来てないのか?」
「……ええ。他所に送った何人かは既に戻って来てますけど……」
サウロはここから比較的近い。
何事もなければ、そろそろ帰って来ていてもおかしくはないはずだった。
男の話からすると、何かがあって戻れないのかもしれない。
イエーガーは面倒なことになったと嘆息すると、これからどうすべきかを考えながら、その頭をがしがしと掻いた。




