ヴァインとカリム
頭上にあった太陽が、地平線へと近付く頃――。
カリムはヴァイオレット達と別れ、一足先に、村にある家へと戻って来ていた。
もうすぐ夕飯の時間である。昼間、あれだけ血を撒いたのだ。ヴァイオレット達は平然としていたが、ご飯はしっかり食べた方がいいと思う。
カリムはいつものように、慣れた手つきでかまどに火を入れると、ご飯の支度を始めた。この家でヴァイオレット達と過ごし始めてまだ三日と経っていないが、この台所にも随分と慣れてきた気がする。
(まだ三日かぁ……。)
カリムは鍋に水を張りながら、奇妙な同居人のことを考えた。
ヴァイオレット達に会ってから、ほんの数日しか経っていないのに、もう何日も一緒にいるような気がしている。村に塔が立ってからというもの、カリムの心の内は目まぐるしく揺れ動いており、今も浮いたり沈んだりを繰り返している。波打つ心と同じように、時間の感覚も狂っているのかもしれない。
それに――。
(お父さんといたときは、こんなにくっついてることって、なかったからな……。)
カリムは鍋に入れる具材を細かく切りながら、この数日のことを思い返した。ヴァイオレット達と長く一緒にいるように感じるのは、もしかしたら、距離の近さも関係しているのかもしれない。
父と暮らしていた頃は、こんなに人との距離が近いという事はなかった。知り合って間もないはずであるのに、こうも馴れ馴れしくされると、どうにも奇妙な気がしてしまう。少年の感覚からすると、もう二~三歩ほど下がって欲しいところだ。もし、この距離でいることに慣れてしまったら、色々と問題がありそうな気がする。そう思って、少し距離を取ってみたりもするのだけれど、気付くと肌が触れ合うくらい近くにいるのだから困ったものである。
これは、ヴァイオレットが特別少年に――というわけではなく、ヴァイオレットがカンナや他の面々といるときもそうだし、ヴァイオレット以外の人達も、その距離感が当たり前とでもいうように、互いにべったりなのだ。
(ビオレとカンナって、姉妹には見えないし……。普通、狭いベッドで一緒に寝たりはしないんじゃないかなぁ。)
初日にビックリしたことは、今でもはっきりと覚えている。
(当たり前のように人の布団に潜り込んでくるし……。)
昨晩の事を思い出し、カリムは慌てて頭を振った。
塔の中がどうなっているのかは知らないが、その距離感が当たり前の空間って一体……。知りたいような気もするけど、知りたくないような気もする。
(あ、でもビオレ達とずっと一緒に暮らすなら、問題ないのかな?)
この数日の奮闘虚しく、ちっとも慣れない距離感に、半ば諦念にも似た気持ちに達しつつ、そんな事を思う。
(この距離も問題だけど……。)
それよりもっと問題なのは、やはり言葉の壁だろう。
身振り手振りでなんとなくは伝わるが、話せるのならそれにこした事はない。
なんとなく単語は聞き取れるようになってきたし、今朝は文字も教わった。少しずつ確認しながら覚えていけば、その内、話せるようになるかもしれない。
そんな事を考えながら手を動かしていると、戸口の方で物音がした。ヴァイオレット達が戻ってきたのかと思い、音のした方を振り向くと、そこにはヴァイオレット達ではない、別の人物が立っていた。
(この人……。)
塔から出てきた人達が、村の皆を弔った際、隠れていたカリムをヴァイオレット達の前へと引っ張り出した人だ。丸めた背中が特徴的で、なんとなくだけど覚えている。ヴァイオレット達に何か用事だろうか。
「えっと……。」
カリムはかける言葉も見つからず、どうしたものかと青年を見上げる。
青年は、感情の読めない笑みを顔に張り付けて、台所の入り口にもたれるようにして立ちながら、カリムのことを観察するように睨め付けてきた。
その視線に居心地の悪さを感じて身動ぎすると、鼻で笑って近づいて来る。あまり好意的とは言えないその様子に、カリムは塔が立った時のことを思い出す。村の人たちが朱く染まりながら地面に沈んでいく光景を思い出して、その身を固くした。嫌な汗が背中を伝う。
背中を丸めた青年は、視線を逸らすことなくカリムに近付くと、何か言葉をかけてきたが、残念ながらその内容は聞き取れなかった。言葉を拾い始めたのは今朝の事で、まだまだ語彙が足りないのだ。
緊張した空気が部屋を満たす。
カリムの目の前まで来た青年が、目線を合わせるように身を屈めた。
「********なよ」
頭のどこかで警鐘が鳴っているのに、別の場所は酷く冷えていて、そんな場合ではないはずなのに――うん、最後の「なよ」だけ聞き取れた――とか考えてしまっている。
不意に胸倉を掴まれた。
青年の強い眼差しが、カリムの目を射抜く。
「***、********。」
ドスの効いた低い声で何事か囁かれたが、言っていることはさっぱり分からない。けれど、そこに含まれる剣呑な響きから、あまりよろしくない事を言っていることだけは伝わってくる。
もしかしなくても、彼はカリムのことが嫌いなのだろうか。反応に困って、ただただその顔を見返していると、チッと舌打ちされた。再び青年が何かを言おうと口を開きかけたとき、戸口の方から呑気な声が響いてきた。
「**カリム~。ご飯*******。」
ヴァイオレットの声だ。その声にホッとして、身体の緊張が緩む。すると、掴まれていた胸を押され、カリムはその場に尻餅を付いた。そこへヴァイオレットが顔を出す。
ヴァイオレットは、台所にいる青年と、顔を真っ青にして尻餅をついているカリムを見て、表情を険しくした。
「****っ!」
ヴァイオレットはカリムに慌てて近付くと、抱き起こしながら青年のことを睨み付ける。青年は、ヴァイオレットの剣幕にひょいと肩を竦めると、背中を丸めてポケットに手を突っ込み、大股で台所から出て行った。