言葉
作業を開始してから、どれくらい時間が経っただろうか。
村での作業を順調にこなしていたカンナは、少し休憩しようと大きく伸びをした。
ヴァイオレットとカリムはどうしているかと辺りを見回すと、ヴァイオレットも休憩に入るところだったのか、カンナの方へと歩いてくるところだった。合流した二人は、カリムのいる木陰へと足を向ける。
カンナ達が撒いた血はきちんと作用したようで、地面からは等間隔に新芽が伸びてきていた。それを見たカンナは口元を綻ばせながら歩いていると、そう遠くない場所にカリム少年を見つけた。元々生えていた木の根元に、身体を預けるようにして座っている。その手に紙とペンが握られているのに気付いて、カンナは隣をのんびり歩いているヴァイオレットに問いかけた。
「何か一生懸命、書きつけてるみたいだけど……。あの子はいったい何を始めたワケ?」
カンナの言葉に、カリムの方へと視線を向けたヴァイオレットが「ああ」と声を漏らす。
「言の葉を拾ってるみたい?」
「――は?」
思わず強めに聞き返してしまった。ヴァイオレットの説明では、なんだかさっぱりわからないので、足早にカリムのところまで近づくと、その手元を覗き込んだ。そこには見慣れた記号が記してある。
「あー……文字?というか、発音記号ね?」
地下世界では共通の言語が用いられているが、綴られた単語をどう読むのか、文字を見ただけでは分かりにくい事がある。また、同じ綴りの単語でも、種族によって読み方が違うということがままある。それをしっかり表記するため、モルタヴォールトには通常用いられる文字の他に「発音記号」と呼ばれるものが存在する。カリムが書きつけているのはその「発音記号」であった。
追い付いたヴァイオレットが今朝の出来事を思い出しながら、のんびりした口調で答える。
「うん。朝ごはん食べたあと、紙とペンを探してきて、何かアピールしてたから教えてあげたの。」
朝食後、片付けを終えたカリムは、どこからか紙とペンを見つけてきて、それを前に首をひねり出したのである。どうしたのかと隣から覗き込むと、ヴァイオレットの顔が至近にあることに驚いたのか、カリムは少し身を引いて、目の前にあるコップを指差し、何かをしきりに訴えてきた。水でも欲しいのだろうか。しかし、この少年の性格からすると、わざわざ人に頼むことはせずに、自分で入れてくるだろう。――とすると、何か別のことがしたいのだと思った。通じないとはわかっていたが、ヴァイオレットはあえて問いかけてみる。
「コップがどうしたの?」
「コ……?」
カリムが首を傾げてきた。その仕草が可愛くて、ついつい口元が緩む。ヴァイオレットはゆっくりめにはっきりと発音してみた。
「コップ」
すると、少年も今度は聞き取れたらしく、
「コ……プ」
とつぶやいて、紙にコップの簡単な絵を描き、矢印を引っ張ったかと思うと、ヴァイオレットの方を見ながら、しきりにそこをペンで叩き出した。その必死に叩いているさまが可愛くて、ついつい眺めていたら、カリムはして欲しいことが伝わらなかった為か、目に見えてしょんぼりした顔になってしまった。心なしか、垂れた尻尾と伏せた耳が見えそうな気がする。
(いけない、可愛くてつい眺めちゃった。)
ヴァイオレットは慌ててカリムからペンを受け取ると、カリムが描いたコップの絵と、そこから伸びた矢印の先を見る。
(こういう事かな?)
ヴァイオレットはそこに「コップ」という文字を書いた。
それをカリムに渡すと、そこに書かれた文字をしげしげと見ていたカリムが確認するように聞いてくる。
「コップ?」
「コップ。」
頷きながらカリムの頭を撫でると、少年はヴァイオレットが書いた文字の部分をなぞりながら、コップコップと言っている。どうにもその姿が可愛らしく、もっとその様子を眺めていたくて、ヴァイオレットはカリムからもう一度、紙とペンを受け取ると、その隣に椅子を持ってきて座る。
「あ」
言いながら、その記号を紙に書く。
カリムが紙に書いた文字を見ながら、
「あ?」
復唱してくる。その様子に目を細めたヴァイオレットは、次の文字を発音しながら紙に綴っていく。この時、ヴァイオレットが書き文字ではなく、発音記号を書いたのは、そちらの方が少年には分かり易いだろうと思ったからだ。全部で50音くらいのものだから、すぐに覚えるだろう。
「へぇ~。」
ヴァイオレットの説明を聞き終え、感心したように声を漏らしたカンナは、カリムが書いた記号をしげしげと眺め、ふと疑問に思う。
「ねぇ。左半分は分かるんだけど、右半分はなんなの?」
カンナは紙を指で差してヴァイオレットに聞いてみる。左側に書かれた記号は読んで意味が分かるが、右側はさっぱり意味が分からないのだ。同じように紙を覗き込んだヴァイオレットが自信がなさそうに答える。
「んー……。多分、カリム達が使う言葉なんじゃないかなぁ。」
先程も「木」という文字を書いたと思ったら、その横に訳の分からない並びで記号を書いていた。
「なるほど――てことは、カリムは私たちの言葉を覚えようとしてるのね?」
カンナはカリムの手元を見ながら、「えらいえらい」とその頭を撫でる。すると、カリムはオリーブ色の大きな目でカンナの事を見上げると、持ってきていた鞄に紙とペンを戻し、代わりに細い水筒を取り出すと、おずおずと差し出してきた。
「みず……のみゅ?」
「む」が「みゅ」になっている。ナニコレ。容姿のちまさと相まって、破壊力が抜群だ。
「やだ!もう、かわいいっ!」
カンナが思わず抱き締めると、カリムからぐぇっとかいう変な声が上がる。
「あーーーっ!ずるいっ!私もっ!」
そこにヴァイオレットも飛びついた。
カリムは持っていた水筒を落とさないように両腕で抱え込むと、二人の猛攻に必死に耐える。カンナとヴァイオレットは、ひとしきりカリムのことを構い倒すと、少年から水筒を受け取って、再び作業に戻って行った。
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