前編
突き抜けた空、どこまでも広がる綿のような真っ白な雲、左右には20柱ほどの神と呼ばれる者達が並んでいます。
私は彼らを正面に見据え、その間を下級神に先導されて歩いてくる一組の男女の上級神を待ち構えていました。
「ムゥ様、シェハザ様をただいまお連れいたしました!」
「ありがとうございます。下がっても良いですよ」
頭を下げ、掻き消えるように場を去った下級神を見送り、私は眼前まで来た二柱の神に笑みを向けます。
私がいる場所は皆よりも少し高い位置になっており、見下ろすような形になってしまうのが少しばかり心苦しくもありますが、他の者達が私が降りることを良しとしないので、仕方ありません。
「お久しぶりです、ムゥ。シェハザもご苦労様でした」
「いえ、これも世界のため、延いては、天界のためでございますから」
頭を下げた私にたいして、そう言ってくれるシェハザにお礼を言います。
中肉中背、神には珍しく、黒髪黒目という目立たない容姿の男神、ムゥ。
煌めく金髪に透き通った空色の眼を持つ女神、シェハザ。目立たないムゥに反し、シェハザは女神の中でも最高位の美貌を誇ります。
ムゥの目立たなさは、影が薄いなどのものではなく、存在が希薄で意識していないと視認すら難しいものです。
先ほどの下級神はよく彼を捉えていられました。中級神への昇級を検討しましょう。
「……ようやく俺の存在意義を示せるのか?」
小さくはない声でしたが、ぼぅっとしていれば聞き逃してしまったでしょう。
それほどまでに、彼は存在を認識させないのです。それは、彼の神としての権能によるもので、抗い難い認識の齟齬を私に与えます。
「その通りですが、力は使いこなせるのですか?」
「……問題ない。……現にシェハザの権能も打ち消していない」
「…………そのよう、ですね。分かりました。では、説明します」
すぅ、と空気を取り込み、ふぅ、と吐きます。
私ども神は酸素を必要としません。この行為は、謂わば私の権能の一部を行使するための行程にすぎないのです。
「分かりましたか?」
「……ああ。理解した」
「承知いたしました、レウル様」
レウルとは私の名です。
「……何柱か中級神、下級神を連れていくぞ」
「構いませんが、彼らを管理する上級神の許可は取ってくださいね?」
踵を返し、歩き去るムゥにそう声を掛けると、後ろ手にひらひらと了解の意であろう返しをするのが見えました。
「では、私も失礼いたします。……待つのですムゥっ! 私がいなければ、誰もあなたを認識できないのですよっ!」
淑やかに、淑女然とした振る舞いで腰を折り頭を下げたシェハザは、既に遠く離れたムゥの背中を慌てて追っていきました。
「まったく、礼儀がなっとらん」
「うむ、ムゥの童はレウル様に対しての敬意を見せん。一度、目にものを見せてやらんとな」
左右に居並ぶ神、それも上級神の中でもより上位に位置する者達が不平不満を口々に漏らします。
戦となれば彼らに敵う者は少ないでしょう。神として生きた年月は、ムゥとは比べ物になりません。その上、権能も大地を焼け野原にしてしまえるような強力なものです。ですが……。
「お止めなさい。ムゥに手を出せば消されてしまいますよ? 彼は特別ですから、私やシェハザでさえ、無かったことにされかねません」
ムゥの権能は無です。彼はあまりにも特殊で、特異すぎるのです。
私ども神は、とある神人と呼ばれる上位存在に創造されました。
その者は、私のような管理神を頂点に、幾柱もの神を部下につけさせ、世界を管理させているのです。私の管理する世界は『地球』です。
『地球』は成功例ですね。失敗例は『火星』や『土星』……太陽系と子供達は呼びますが、それらは遥か遠い昔、私が管理に失敗した世界です。
私も未熟だったのです。
世界はひとつではありません。私はあくまで『地球』の管理神に過ぎず、幾千、幾万の世界が存在しています。
『地球』はつい先日……二、三百年ほど前でしょうか? 私の手を離れてしまいました。後は、致命的な崩壊から守る程度の役割しか、私には残されていません。
神を信ずる者も少なからずいますが、殆んどの者は神を否定し、己の意思で歩みを進めています。
話を戻しましょう。
上位存在に創られた私達とは違い、ムゥは自然にそこにあったのです。創られたのではなく、産まれたのでもない。彼はそこにあったのです。
それを感知し、認識できたのは、存在の権能を扱うシェハザのおかげでした。
今より、六五三八億七四九一万八二六二年前に彼は現れたのです。
彼はまさしく何もないところから現れました。
無から産まれたのではなく、無そのものであろうと、無が形をなした存在だろうと推測を立てました。唯一無二の神です。
全ての事象を無にする権能を持っています。シェハザの力なくして、彼は存在を証明する術を持ちません。
彼自身が形を持たず、存在しているのにしていないという矛盾を抱えていますから、彼女の力を借りて、彼は存在を象っているのです。
「信用できますか?」
メガネという子供達が作った低い視力を補う道具を掛けた男神が私を見上げ、そう聞きます。
レンズの繋ぎ目のフレームを、スチャと中指で押し上げるのが知的に見えて素晴らしいと、百年ほど前に熱く語られました。
彼は参謀的な役割を担い、私をその知識と思慮深さで支えてくれています。
時折、ヌケた発言をすることを除けば、神の中でもその智謀は上位のものでしょう。
彼の眼を見れば、私の考えを引き出し、この場にいる者達にムゥの有用性を知らしめることが目的だろうと、考えを読み取れました。
「ええ、ムゥは私でも容易に従えさせられない権能を所持しています。その力は、他世界の神にも有効に作用するでしょう。そして、彼はこの天界を気に入ってくれていると、自負しています。私どもにその力が向くことはない、と私は信じています」
沈黙が場を支配します。
私どもは皆同じ上位存在に創られました。ですが、ムゥはひとりでに発生した存在です。神と呼べるのかも分かりません。
なので、不信感はあるでしょう。同一存在でない彼が、何を思っているのか分かりませんから。
ですが、私は信じて良いと思うのです。無である彼に心があるかは分かりませんが、邪な考えがるようには思えません。
「今起きている問題の対処役として、彼は適任だと思っています」
納得はいかづとも、彼の権能を知る皆は不承不承ながらも頷いてくれました。