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5:蓮始開-01

「まだ施療院に行く気はないのか」

「まだも何も、ずっとないよ」

 眉間にくっきりとした皺を刻んだフェルナンに言い返すと、また深々とした嘆息がこぼされる。ケリカーン山の二次調査から帰還してからというもの、何度同じ会話を繰り返したか分からない。

 鉄傀儡の殲滅を終えた後、私はフェルナンに担がれてケリカーン山を麓まで下りた。そこでは逃げ延びていた魔術師達が待機しており、彼らの手で治癒魔術も施されたことから、傷は想定よりもずっと早く塞ぐことができたのだ。とは言え、さすがにネフォティルの街まで自分の足で歩くのでは遅れが出過ぎるので、フェルナンに運んでもらわなければならなかったけれど。

 それでもネフォティルに帰還する頃には、傷の具合もかなり良くなってきていた。だから、領主の元へ報告に向かうという魔術師達と別れた後、ギルドへの報告よりも先に施療院に向かおうとしたフェルナンに言ったのだ。

「もう大分治ってきてるから、施療院は寄らなくていいよ。後は宿で寝てれば充分。たぶん、もう歩けるだろうし――」

 何ならちゃんとギルドで報告を上げてから解散しようか、とも提案したところ、どうもそれがいけなかったらしい。フェルナンの眉間には見る見るうちに深い皺が寄り、以前に私が泊まっている店を教えてあったせいで、宿に直行された。

 私がこの街における拠点と定めた「夕の音亭」は、恰幅のいい五十がらみの未亡人が一人で切り盛りしている、小ぢんまりとした宿だ。私達が帰り着いたのはおよそ午後三時過ぎ、女将はちょうど店の前で掃除をしていた。そこに現れたのが、調査に同行した魔術師達の施してくれた洗浄魔術で血の染みや汚れ自体は薄れていたものの、全身からくたびれてボロボロな感の滲み出る私と、そんな私を眉間に皺を寄せた仏頂面で抱えるフェルナンである。

 私達の姿をみとめた時の女将の唖然とした顔と言ったら、まさにあんぐりといった様子で目も口もまん丸く開いていた。加えて言うと、危うく軍に通報されるところでもあった。主に私の、必死の事情説明で思い留まってもらえたけれども。

 ともかく、思いもよらぬ騒ぎに内心疲労を覚えつつも、私は宿への帰還を果たしたのだ。――ただ、

「『もうだいぶ治ってきてる』などと、全く馬鹿な虚勢を張ったな。傷が塞がったとはいえ、まだ薄皮一枚程度だろう。その具合では、まともな食事もとれまい」

「心外だな、身動きできる時点で『だいぶ治って』はいるだろ? 内臓とか、その辺は最優先で治してるから、どっちにしろもう少しの辛抱だし」

 全くもって予想もしなかったことに、連日同僚である男が訪ねてきては、延々とお説教を垂れつつ、何くれと世話を焼いてくれるのである。

「というか、花も恥らう乙女の一人住まいに、いい歳した男が押しかけてくるのは問題では!」

「花も恥らう……ねえ……」

「うぐぐ、呆れた目をしない!」

「はいはい」

 初めの内こそ、そんなやり取りもあったものの、私が黙るまでにそれほど時間は要らなかった。

 何しろ、フェルナンは傷を塞ぐ痛みに呻いていれば痛み止めを飲ませてくれ、まだ固形の食事を受け付けない内臓を慮って栄養補給用の魔術薬の手配までしてくれるという、全くもって予想だにしない気遣いを発揮してくれたのだ。

 さりとて、長々と部屋に留まるでもない。痛み止めと薬を携えて朝夕に訪ねてきて、ひとしきりお説教ともお小言ともつかないことを述べていたかと思うと、あっさり帰っていく。私がベッドで休んでいると頑なに一定の距離から近付こうとしない配慮もまた本人の生真面目さを窺わせて、一層に拒否しづらいものがあった。

「俺が訪ねてくるのを許容するか、施療院に行くか。どちらかだ」

 そして、そう突きつけられてしまえば、私に選べる選択肢は一つきりに決まっている。

 耳に痛いお小言は勘弁してもらいたいけれど、あれこれと取り計らってもらえるのは素直に助かることでもあるのだ。潔く諦めて細かいことに目を瞑ってしまえば、ただただ助かるばかり。一応、痛み止めや薬にかかる費用は逐次報告してもらって、都度支払うようにもしているし。

 因みに、彼が仏頂面に似合わない面倒見のよさで持って私の世話をしていることは女将さんの知るところでもあり、お陰で初対面の騒ぎなど何のその、フェルナンの評価は日々うなぎ上りの有様だ。仮に女将さんに「フェルナンが訪ねてきても追い返してくれ」と頼んでみたところで、「馬鹿を言うんじゃないよ」と一蹴されるであろうこととは、もはや想像に難くない。私のねぐらのはずなのに、私の味方はいないものと見えるのは、一体どういうことなのか。大変に悲しい。

 ともかく、そんな経緯でもって、私は今日も今日とて「夕の音亭」の一室で、舌がおかしくなりそうなほど苦い薬をすすっているという次第なのである。

「何度でも言うが、正式に治癒術師の診察と施術を受けるべきだ」

 ――でもって、またこのお決まりの台詞も繰り返される、と。

「何度言われても、施療院に行く気はないんだって」

 飲み終わった薬の瓶をベッドサイドのテーブルに置きながら、私もまた何度目かも分からない「否」を繰り返した。フェルナンはベッドから大分離れた窓辺に佇んで、店の表を見下ろしている。その紫紺の目が、じろりと私を睨んだ。

「そうしている間に、次の作戦が提示されたらどうする」

「まだお偉方は喧々囂々やり合ってるんだろ? それまでには治すよ」

 先のケリカーン山の第二次調査にかかる報告書の提出や報酬の精算は、ありがたいことにフェルナンが部隊長代行として片付けてくれていた。私があの戦闘で得た情報は、フェルナンにも、魔術師達にも全て包み隠さず伝えてある。ギルドには代筆してもらった報告書で、領主には魔術師達を介して情報が伝わっているはずだ。

 私達が帰還してからというもの、領主とその側近は駐留している軍のお偉方ばかりか、傭兵ギルド長までも巻き込んで延々と会議だか話し合いだかを続けているのだという。初日で「ケリカーン山の無期限立ち入り禁止」だけは決定され、街中に知らされたものの、それ以来議論は遅々として進んでいないらしい。今日で報告書を提出して三日になるけれど、未だ会議の終わりは見えないのだとか。

 あの情報を踏まえてみれば、傭兵にしろ軍にしろ、この街の防衛に関わる組織の取る行動は自ずと絞られてくる。何も議論を戦わせるようなことなんてない。……とは言え、私の得てきた情報は議論の結論を明確化するものである一方、決断を躊躇わせる要因ともなりかねない、極めて脅威的な側面を持ってもいた。決断の責を負う人々は、そこから目を離せないでいるのかもしれない。

「やっぱり、鉄傀儡が私を『捕獲』しようとした辺りが、判断を躊躇わせてるのかな」

「……おそらくはな。連中の目的は、まるで読めん。傭兵を捕え、何かに利用する腹であるのなら、ここまで痛めつけてしまっては、かえって不都合だろう。辛うじて死んでいない程度で生かしておいて連れ去ることに、どんな意味があるのやら」

「身体だけが欲しいなら、さっさと殺すよな。私を殺せる、決定的な機会だってあった訳だしさ」

「ああ。身体だけでなく、人物そのものに価値を見出しているということなのかも分からんが……」

「ただ、そうすると、やっぱりあの容赦のなさが解せない、と」

「そうだな。だが、思惑はどうあれ、辛うじて死なない程度に痛めつけられ、拉致されるという結果だけでも上の判断を鈍らせるには充分だ。だからこそ、どの陣営も躊躇っているのだろう」

「二の舞、三の舞を恐れてる?」

 言葉には出さず、フェルナンは黙然と頷いた。

 ケリカーン山を巡る会議の進行状況や詳しい議題は、ここ数日欠かさずギルドに足を運んで情報収集に努めているフェルナンですら、詳しくは知り得ていないそうだ。ただ、それでも多少なりとも漏れ聞こえてくる話はあるもので、どうやら領主とギルド長と軍とで三つ巴の様相を呈しているらしい。

 誰が犠牲を払って、再び山の調査に向かうか。傭兵ギルドは軍の出動を要請し、軍はまだその時でないと突っぱね、領主は双方合同での調査を希望している――とか、何とか。

 そりゃ結論も出ないよな、と思わずにはいられない。それぞれがそれぞれの利を守ろうとしているんだから。協力する気がなければ、どうしたって押し付け合いになる。誰だって、貧乏くじは引きたくないだろうさ。

「まあ、誰かに押し付けたい気持ちも、分からないではないよ。敵が山に陣地を築き、使い魔を召喚して迎撃に出るのなら、そりゃあもう調査じゃなくて攻城戦みたいなもんだろ。確実に大事になる。議論が紛糾するのも無理ないさ。――お陰で、私はゆっくり傷を治せるけど」

 軽く笑ってみせれば、ため息。フェルナンは呆れ顔だった。

「お前はどこまで施療院が嫌いなんだ……。一体何がそこまで躊躇わせる? 先の作戦の報酬も、無事に支払われた。費用の心配はないはずだろう」

「そうだけど、そういうことじゃなくてさ。そもそも、身体を調べられたくないんだ。この肉体には、私が生まれた一族の技術の粋が結集されてる。おいそれとは明かせない」

 左肩だけで肩をすくめて見せると、フェルナンは私を一瞥した後、もう一度これ見よがしにため息を吐いて口をつぐんだ。あからさまに物言いたげな目顔ではあるものの、それでも何も言おうとはしない。

 その退き際をよくわきまえた、察しのいいところを好ましいと思う。最初の調査の際でこそ詮索する風を見せたものの、以後のフェルナンは一貫して私の故郷や生まれのことを問わずにきていた。そこまで踏み込む気はないという意思表示なのか、単に私が喋りたくない意思を露にしているから問わないでいるのかは分からないけれど、いずれにしろ楽で助かることに変わりはない。

「ともかく、四十九部隊はまだ待機扱いなんだろ?」

「……ああ。一応は日当も出ている。だが、ギルドにすれば、いつまでもその扱いは続けられんだろう」

「だろうね」

 一日分では高が知れたものでも、数日と積み重なれば相応の額になる。それに私はともかくも、フェルナンは大陸に名の知られた腕利きだ。単純にそれだけの戦力を眠らせておくというのも、もったいない話でもある。このまま会議が平行線であり続けるなら、遠からず自由行動の許可が出るに違いない。

 ギルドには、日々大なり小なり何かしらの依頼が持ち込まれている。一時に比べて傭兵の数が戻ってきたとは言え、未だ手が足りていないのが実情だ。日当を払ってまで遊ばせておくくらいなら、一つでも依頼を片付けて欲しいというのが本音だろう。

「待機指示が解除されたら、どうする?」

「遠出はさすがにいい顔をされんだろう。近場で手頃な用事を探すか」

「街の中は? たまにあるだろ、飼い猫探しとか」

「それをやる気か?」

 まさか、とでも言いたげな表情と声音に、思わず笑う。

「冗談さ。〈赤尾〉をそんな仕事に使っちゃ、笑われる」

「……部隊長の指示には概ね従う気でいるが、従う気になる指示を頼みたいところだな」

「心得てるつもりだよ。山には入らない方がよさそうだし、他の調査場所で手の足りていないところの加勢にでも行こうか」

 それならどうだろう、と水を向けると、考える素振り。短い沈黙。

「そうだな、悪くない落としどころだ。ギルドに恩を売ることにもなるだろう」

「よし、じゃあ、そういう方針で!」

 ――と、満場一致で決めたまでは良かったものの。

 その後もお偉方の会議は結論の出ないまま続き、更に三日が経過した。暇を持て余すままに四ノ月が過ぎ去り、あっという間に五ノ月がやってこようとしていた。



 五ノ月を迎えると、温暖なメルラリスは一気に夏の陽気へと移り変わる。近隣にネブリナ川の大河や、大マルシャ湖を擁するネフォティル――特に大マルシャ湖周辺は避暑地として有名らしいが、それでも街中ではぐっと気温の上がった感がある。見上げた空は一際に青く、緑は濃く萌える初夏の趣が強くなってきた。

 そんな時分に、やっと我らが第四十九部隊は再起動となった。つまり、待機指示が解かれたのである。

 待機指示が解けないでいた間も、フェルナンは毎日私の様子を見に「夕の音亭」を訪ねてきた。今や、すっかり女将さんとは世間話などに興じる仲である。女将さんが「こんなに毎日来るなら、いっそうちにお泊りよ。安くしておくよ」と提案しているのも耳に入ってきたりしたけれど、何も聞かなかったことにしておいた。私が口を出すことではないとは言え、些か心境としては複雑である。

 まあ、何はともあれ、私の身体も負傷から十日あまりをもってして、仕事を再開できるまでには回復を見た。今はそれを喜ぶべきであり、それ以外のことはどうでもいい。……と、いうことにしておく。

「本当に二週間足らずで、完治させてくるとはな」

「私は結構優秀なんだ」

「優秀とかそういう問題か……?」

 そんな会話を交わしつつ、二人並んでネブリナ川のほとりを歩く。周囲に人影もなければ、獣の気配もない。長閑とも言える状況の中では、自然と雑談に花が咲いた。

 今日は天気もよく、川の水面が陽光を反射して、きらきらと輝いている。ネフォティルの街の東を流れるこのネブリナ川は、ケリカーン山に水源を持つ。山に異変が発生しているからには、そこから流れ出す川にも何か影響を及ぼしているのではないか。そういった観点により、街に最も近い地点から川を遡って水を採取する役目が与えられたのだった。

 本来ならば山中の水源にまで出向いた方がいいのだろうけれど、さすがにそれは危険だということで、今回は山の麓まで。仕事だと命令されれば実行するにやぶさかでないけれど、今はさすがに本調子一歩手前であることも認めざるを得ない。負傷から復帰したての身には、助かる話だ。

「要するに、山から流れ出る川に影響――というか、何らかの魔力反応がないか、ってことだろ? 今回の調査は」

「そういうことだな」

「水源に影響が出るってことは、よっぽどその近くで何か変事があったか、山を丸ごと侵す規模で何かが仕込まれてるってことになるけど」

「その可能性を確かめる為の調査だろう」

「……何もないといいけどね。それか、せめて水源近くに犯人が潜んでることを期待するよ」

 私のぼやきに、フェルナンはただ「そうだな」とだけ相槌を打った。どちらも期待するだけ無駄だと思っているに違いない、物憂げな表情だった。

 ネブリナ川の調査は、片道三日の往復六日をかけて行うことになっている。いつも通りの街道沿いをケリカーン山の麓まで遡る往路、対岸に渡ってから同じように採取を行いつつ、街まで帰る復路という構成だ。水を採取するだけなく、周辺に何か変わったところがないかなど確認し、報告書を作成するのも仕事の一つなので、ただ行き来する時よりも一日余裕を持たせることにした。

 ネフォティルの街の近郊は軍が定期的に見回りを行っているお陰もあり、魔獣の類も少ない。道中は平和なものだった。一度ばかり川に降り立った魔鳥を相手に戦闘になりはしたものの、フェルナンの魔箭によって、さほどかからず仕留められた。相変わらずの辣腕振りである。

 魔鳥と一戦交えた日の夕食は、フェルナンが捌いてくれたので、鳥の丸焼きになった。焼く前に何か香辛料(スパイス)のようなものを振りかけていたので、そのお陰か、焼けていくにつれて素晴らしく香ばしい匂いが漂ってくる。

「いい匂い……さっきかけてたののお陰?」

「まあな。塩、胡椒、その他数種類の香辛料と薬草(ハーブ)を混ぜてある。昔、故郷の士官学校の厨房の主にレシピを教えてもらった」

 実際に食べてみると、秘蔵のレシピで味付けされた鳥は驚くほど美味しかった。香辛料と薬草の味わいが肉の旨味を絶妙な加減で引き立ててくれるので、食べる手が止まらない。

「フェルナン、これ、すごく美味しい!」

「そうか。それだけ喜んで食べてもらえれば、食べられる方も本望だろう」

「鳥も美味しいけど、味付けも好きだよ」

「口に合ったようで何よりだが、まだ復帰したてだろう。あまりがっついて胃を驚かせるなよ」

「そんなに柔じゃないもんねー」

 もちろん、翌日も元気に歩いて調査を行ったことは言うまでもない。何せ頑丈なのだ、私は。

 調査の方も、実に順調に進んでいった。川の水の採取もギルドから予め専用の小瓶が渡されていたので、それに汲むだけで済む。おそらくはギルドに納品した後、前に山での調査に同行したような、領主に仕える魔術師連中にでも回されて分析が行われるのだろう。どうせ今度も私達は結果を知らされることはないのだろうな、とまた投げやりに思わなくもないけれども、それも仕方のないことか。

 しかし、道中は穏やかではあったものの、気がかりや面倒がなかったかと言われれば、決してそうでもなかった。小瓶自体は小さく軽いものの、何しろ数が多い。水を入れればそれなりに重くなるし、鞄の中でぶつかり合ってカチャカチャと音を立てるのも、気になって仕方がない。

 六日間の調査も無事終わり、ネフォティルに帰還すること自体はできたものの……

「次はもう御免かなー」

「まあ、確かに手間は掛かったな」

 ギルドの休憩室の片隅でフェルナンとテーブルを囲み、任務を総括しての報告書をまとめながら、ため息が堪えられなかった。

 ネブリナ川の調査は、仕事としては穏やかで、特筆するような困難もなかった。その一方で、割れ物である瓶の扱いだの、逐一報告書を書かねばならないだの、細々とした煩雑な作業で少なからず時間を取られた。それらを特別に厭う訳ではないけれど、何事にも限度がある。

 ため息を吐き吐き、魔石筆を滑らせて報告書を書き上げていく。一通りを書き入れてから、筆ごと報告書をフェルナンの前に押しやると、

「だが、次があれば、次も俺達に白羽の矢が立つだろうさ」

「え、何で?」

「報告書」

 短く一言だけの返事に、思わず首を傾げる。報告書がどうしたと?

 フェルナンは筆を取って「特記事項なし」と書き入れ、私がしたように筆ごと報告書を押し戻しながら、肩をすくめて見せた。

「軍なら末端はともかくも、階級が上がれば相応に読み書きができるものだろう。だが、傭兵にその理屈は通じん。階級なんぞあるはずもなく、報告書をギルドが求めるレベルで書き上げられるだけの筆記能力を得られる環境になかった者も少なくない。むしろ、その方が大多数ですらある」

「つまり、私達は『読める』報告書を書ける部隊だと計算に入れられた」

「断言はしないがな。その可能性は少なくない、と考えられる。まあ、回される仕事の幅が増えると考えれば、悪いことだけでもないだろう」

「物は言いよう、ってね。面倒が増えるとも言えるだろ」

「否定はしない」

 あっさりとフェルナンは言う。


 ――そして、実際に彼の言う通りになった。

「今度は湖まで! お偉方はどんだけお喋りが好きなのかなあー!」

「だから、言ったろう」

「その予測が当たって欲しくはなかったんだよう……」

 未だ会議の結論が定まらないということで、私達は引き続き近隣の調査を行うことになった。つまり、南のケリカーン山に向かってネブリナ川を遡った次は、川の流れに沿って北上し、大マルシャ湖まで赴けという。

 大マルシャ湖はネフォティルの街を出て、大人の足で四日ほど街道を北に歩いた場所にある。名前通りに巨大な湖は、ネフォティルの領地の四割とほぼ同等の規模を誇った。北西に並ぶ小マルシャ湖は比べると一割ほどの小ささではあるものの、立派な漁場として機能する程度には大きい。

 大マルシャ湖周辺は貴族達も軒を連ねる一大別荘地として名を馳せてもいる為、ケリカーン山へと向かう街道とは比べ物にならないほど、軍の目が厳しく光っている。行く道も帰る道も魔鳥の一羽、魔獣の一匹にすら遭遇することなく、いっそ退屈なまでに平穏だった。

「……また街に戻る頃には、結論出てるといいな」

「どうだろうな……」

 仕事に文句を言うのはどうかと思わなくもないものの、ただ歩いて水を汲んで報告書を書く、という一連の流ればかり繰り返していると飽きがくる。二度とやりたくないとまでは言わないけれど、三度目はしばらく遠慮したい気分だった。

「そういえば、今度はもうじき夏祭りがあるらしいな」

「え、またお祭り?」

「今度は領主でなく、商工ギルドの主催だ。街の西の方の――セデサ通りと言って分かるか? あの通りには水路から水を引いて、通り沿いに小さな池がいくつも作られている。そこに植えられている蓮が咲く頃になると、蓮花(リロファ)祭と銘打って夏祭りを行うらしい」

「商工ギルド主催ってことは、平民でも楽しめるやつ?」

「と、聞いている」

「へえ、それならいいな! フェルナン、一緒に行こう!」

「は? 何故俺が」

「だって、私、この街に他に一緒に行ってくれそうな知り合いとかいないし。宿の女将さんは忙しいし」

「……それは、部隊長命令か?」

「まっさか! ただの、私個人のお願い。今度こそちゃんとお祭り見てみたいんだよおー。ねー、お願いー、おーねーがーいー」

「子供か、お前は……。いや、子供は子供か……?」

「失敬な! 子供じゃないやい!」

 そんな話をしながら調査を終え、ネフォティルに帰還する頃には、六ノ月も目前に迫っていた。

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