4:反舌無声-02
三人の魔術師が脱兎の勢いで走り出し、フェルナンが後を追う。その姿を見送ってから、ぐっと強く地面を踏みしめて走り出した。
鉄傀儡の一体が、その腕を槍のように鋭く伸張させるのが目に入る。逃げる背を貫く腹だろう。――けれど、そうはさせない。疾走に魔力噴射を載せて一足に飛び込み、槍を下段から掬い上げるように一太刀の下に断ち斬る。斬り落とされた、かつての腕であったものは草地に転がり、ぴくりとも動かなくなる。
昔、教えてもらった通りだ。鉄傀儡は核となる術式で高度に制御されているが、本体との物理的な接続を断たれると、その支配が解ける。つまり、片っ端から斬ってバラバラにしていけばいいってこと。問題は、端から削っていくには、些か標的が大きすぎることだけれど。
「全く、厄介な」
再構築した兜の下で、息を吐く。弱音は吐かない。決して吐けない。
例え、その身分を捨てたとしても。私が《焔血の魔女》の裔として生まれた事実は変わらない。その矜持にかけて、部隊長として指示を出した面目にかけて、無様な姿は晒せない。
……ああ、上等だ。鉄とあらば、溶かし落としてご覧に入れよう。
「そうとも、あなた達は運が悪かった。斬って捨てるなら――私は、得意なんだ」
両手に握った双剣が、薄青く光る。纏う炎は、紗の如く。
鉄傀儡は、いよいよ私を明確な障害として認定したようだ。その形状を変化させながら、三体がこぞって群がってくる。一体は現行の巨人型のまま、もう一体は四足の獣型、最後の一体は鳥型に変じた。腕一本をなくしたとて、質量が減るだけで、厳密には四肢を奪ったとは言えない。それが鉄傀儡の厄介なところだった。
獣型の突進はまともに受けず、頭から飛び込む形で、その脳天に剣を突き刺して前転の要領で体躯の上を転がり逃れる。空から襲い掛かってくる鳥型は、振り上げた足を守る鎧の爪先から飛び出した刃で迎撃。残念ながら、蹴り断ったのは翼の一部に留まる。
「――っぶない!」
獣型から剣を引き抜いて脇に飛びのいた瞬間、最奥に陣取っていた巨人型の伸ばした腕から変じた槍が、直前まで私の身体があった虚空を貫いていった。これだから数的不利は辛い。
息を吐く間もなく、更に鎧から魔力を噴射。大きく跳躍して逃げる。草地に突き立つのは、無数に枝分かれした巨人型の腕。槍衾かってーの!
逃げる背に向かって飛び掛かってくる獣型の爪を、魔力噴射で体勢を制御しつつの反転と同時に身体を低く屈めて避け、逆にその下に潜り込む。握り締める右の剣、充填させるは《焔血》の魔力。
「焔血開放――我が一刺は灼き穿つ!」
突き出した切っ先から、青い焔が奔流となって迸る。直撃した獣の腹を食い破るように、鉄は白く赤く熱され、解け落ちて爆発した。飛び散る液状と化した鉄を風を手繰って払い除けつつ、再び場を離脱。
獣型は胴を両断ならぬ解断してやったとは言え、核の破壊にまではならなかったらしい。どしゃりと音を立てて転がった上半身が、もがきながら形状を変じていく。その変化を見届けることなく、更に駆けた。魔術陣の敷かれていた辺りは木々もまばらで、見上げればぽっかりと円い空が窺える開けた空間だ。鳥が舞うにも易しい。
上空から急降下してくる嘴は、間一髪生成した魔力障壁で阻んだ隙に脇へ飛び退き、横合いから頭を叩き落してやったものの、やはり決定打には至らない。鳥型の体躯が一回り小さくなったかと思えば、再び頭が生えてきた。全く、どいつもこいつも!
加えて、初めの大きさに比べ三割程度にまで縮みはしたものの、獣型も行動を再開し始めている。あれは逆に厄介になったかもしれない。小回りが利きそうだ。
「時間を稼いで撤退するか、ここで倒しきるか……」
ここで山中の異変が明確になった以上、いずれ正式な調査隊も組まれるだろう。一般市民の立ち入りは制限され、傭兵ですらみだりに足を踏み入れることはできなくなるかもしれない。フェルナンが魔術師達を連れ出して、街に戻ることさえできれば、必ずしもここで全滅させておく必要はない。
「けれど、ね……」
召喚された鉄傀儡を仕留めきれずに逃げてきた、などと報告するのは、正直に言って気が進まない。
一体でも厄介な相手だ。一人で三対相手にしていたのだから無理はない、と言ってもらえるかもしれない。さりとて、それは同情と理解でこそあれ、評価には繋がらない。私は――名を上げなければ、ならないのだから。
――で、あれば。
「答えは一つ、か」
全滅あるのみ。剣を握り直す。
跳躍し、牙を剥き出して食いかかってくる獣型は、左の剣で受けた。この程度の大きさなら、何とか受けきることができる。やや下がって衝撃を殺しつつ、弾き返して振るのは剣ではなく右足。脛から飛び出した刃で獣型の前脚を一対斬り落とし、背後から襲い掛かる鳥型は蹴り抜く流れのまま身体を回転させ、振り向きざま右の剣で袈裟斬り。ただし、手応えは浅い。
咄嗟に左の籠手を掲げれば、仕込み刃が飛び出す。刃は鳥型の右羽に着弾、青い焔を散らせて爆発した。もげた翼が地に落ちる。その一方で、獣型は前脚の再構築が始まっており、鳥型もまた同じくだ。うんざりするほどの再生能力。
兎にも角にも、前後に挟まれている状況は嬉しくない。巨人型が伸ばしてくる腕を時に斬り払い、時に避けつつ、手近な木立の間に逃げ込む。一際大きな木を選んで、その裏へ。途端に、太い幹に巨人型の腕が突き刺さる、騒々しい音が鼓膜を圧した。
もしかすれば、この周辺一帯に木が生えておらず、開けた空間を形成しているのは、こうして薙ぎ倒されたりしたからかもしれない。次なんてものがあれば、その観点からも調査した方がよさそうだ。
木の幹に背を預け、息を吐き出す。巨人型の猛攻があるからか、鳥型も獣型も追っては来なかった。動きの素早い二体に追い回させ、遠距離攻撃に特化した一体で止めを刺す。そういった戦術の元に動いているのだとすれば、まあ、これまでは中々の連携だった。
背中の向こうから、いよいよ大木の削りきられようとする音が迫ってくる。休憩時間も、じきに終わりだ。ミシミシと耳障りな音が上がり始めていた。
「しつこいにも程がある、なあ!」
大きく吐き出して、樹の裏から飛び出す。即座に狙いは変更され、槍と呼ぶよりも矢に近い勢いと数に枝分かれした、巨人型の腕が迫る。人型に似せてるなら、腕は二本って大前提に従ってくれないかなあ!?
斬り払っても払いきれない切っ先が、鎧のあちこちを掠めては抉っていく。そこに鳥型と獣型が連動して掛かってくるのも面倒極まりない。ああもう、とにかくあの槍衾の密度を減らすのが先決か!
頭なり脚の一本なり斬り落としてやれば、奴の体積も目減りするはず。そう踏んで、風を放つ力技で鳥型と獣型を吹き飛ばし、巨人型へ向かって真っ向から距離を詰める。迎撃に繰り出される槍の数々は、鎧から噴出した魔力による急制動、空中での三角跳びの要領で回避。
そして、いよいよ巨人型の喉元に迫る。腕を伸ばして刺し貫くのが主たる攻撃方法なら、距離を詰めてしまえば、さほどの脅威にもならないはず。
「――な、っ!?」
そう思った瞬間、巨人型の顔のない鉄塊でしかなかった頭部が、突如として割れた。
内部から現れたのは、つるりと丸い球体だった。魔石か何かか? 疑問に思う間もあらば、球体に魔力が収束し始める。転じて光となったそれらは、いよいよ高熱をも生じ――
まずい、と思った瞬間には、目の前が真白く焼かれていた。兜に仕込まれた防衛機構のお陰で失明するほどの惨事は避けられたものの、視界には光が焼きついて使い物にならない。それから一拍遅れて、凄まじいまでの衝撃。
内臓の圧迫される嫌な感覚に耐えつつ、後方に向けて最大限駆装の魔力を噴射することで吹き飛ばされまいと抗う。その最中にも鎧は軋みを上げ、焼けていく。果たして、どちらが息が長いか。
「!?」
その時、突然に均衡を失った。何が起こったのか、一瞬訳が分からなかった。
急に右足が引かれた。何事かと思って見てみると――そこに、あの獣型が食いついていた。駄目押しに鳥型の突撃で左足を払われてしまえば、いよいよもって身体が傾ぐ。罵声の一つも出やしなかった。してやられた、と苦笑が浮かぶだけ。
浮遊感は感じなかった。拮抗していたものが押し負け、ただただ圧力に押し切られる。突風に飲まれる木の葉のように、光の奔流に負け、吹き飛ばされた。背中から叩き付けられて、げふ、と息が漏れる。落ちたのは……ついさっき盾にしていた樹の、折れた根元か。激突の瞬間、がくんと後ろに仰け反った首が痛い。
完全にやられた。少し迂闊に飛び込みすぎた。お陰で、視界も半分使い物にならないし、鎧はあちこちが綻びかけている。それでもまだ、手も足も動く。剣も折れていない。負けてはいない――のに。
ごふ、と喉の奥からせり上がってきたもの。鉄錆の匂い。吐き気のする嫌な味。口の端から、ごぼごぼと溢れ出す、粘つく液体。
「やら、れた」
鎧を身体ごと貫いて、大樹の根元に縫いつけるもの。杭じみた太い鉄。それが二本、見事に胴のど真ん中に突き立っていた。やや遅れて、激痛が脳の中を駆け巡る。痛みが過ぎて、吐き気までした。
最悪だな、と胸の内で毒づく。前にも後ろにも進めない、とはまさにこのことだ。腹を貫くものを抜こうにも、背後が樹に塞がれて身を引けない。それどころか、私を縫い止めるそれこそ、巨人型の腕だ。奴の伸ばした腕が二つに分かれ、私の腹を穿っている。逆に前に進んだとしても、巨人型との距離が縮まるだけで、開放されはしない。
かといって、このままじっとしてもいられなかった。痛みで動きの鈍る右腕を叱咤し、剣を握り直す。巨人型の腕を断って、無理矢理にでも――
「ぐうっ!」
剣を振り上げた瞬間、右肩に重い衝撃が走った。剣を取り落としはしなかったものの、刺し貫かれるという物理的な妨害により、動きが止まる。見るのも忌々しいことに、腹を貫く腕から枝分かれした三本目が、肩を深々と抉っていた。
邪魔をされた憤りと、痛みによる苛立ちとで、思考が上手くまとまらない。ただ、そんな頭でさえ、明らかにおかしいと思った。
……何故、殺さない? 腹を貫いて、完全に動きは止めた。肩を貫く為に三本目を伸ばせるのなら、頭を貫いた方が余程手っ取り早い。まるで、これでは抵抗の手段だけを奪おうとしているようだ。
刹那に抱いた疑問は、程なくして確信に変わった。
ずる、と身体の引かれる感覚。激痛を伴うそれは、初め奴が腕を引き抜こうかとしているのだと思ったけれど、違った。奴は、私ごと腕を引き寄せている。つまり、奴らは標的を「殺害」したいのではない。「確保」したいのだ。
なるほど、「失踪事件」になる訳だ。消えた傭兵の身柄は一切見つかっていないと聞く。こうしてどこぞへと持って行かれたのなら、それも道理だ。
ぜひゅ、と荒い息を吐き出す。どこへ連れて行こうというのか。或いは、このまま潜入するのもいいかもしれないけれど――それをするには、さすがに状況が悪すぎる。外部との連絡手段の備えもなければ、そもそも私がそれを企んだことを誰も知らない。
私には、名を上げなければならない義務がある。その為には、まだ、死ぬことはできない。死ぬことさえも視野に入れて動くことは、まだ――
「開放……」
だから、連れて行かれる訳にはゆかない。辛うじて動く左手で、剣を消した代わりに腹を貫く鉄を掴む。
全てを宣誓する余力はない。左手から、ただ力を押し流す。
「燃え尽きろ!」
ごう、と音を立てて燃え上がる青い焔が、鉄を伝って奔った。どろどろに溶かしながら腕を遡り、肩へと至る。人間や獣であれば、きっと狂乱の様相を呈して焔を消そうと躍起になったことだろう。けれど、鉄傀儡にそんな判断能力もなければ、感情もない。ただただ黙って溶かされていくのは、ひどく現実味の薄い光景でもあった。
やがて巨人の肩から頭へ、胸へと焔が広がり、上半身が丸々溶け落ちると、ついに鉄の巨体は動かなくなった。核を成していた術式までもが消失したのだろう。
未だ腹と肩に鉄杭が埋まったままではあるものの、これでやっと私も自由を取り戻せた。ただ、代償も大きい。消耗と痛みとが全身を苛み、傷付いていないはずの足までもが震えて、上手く立てない。
「くそ……」
敵は、まだそこにいるというのに。
鳥型と獣型が、再び臨戦態勢に入る。まだこちらの出方を窺っているようだった。……それにしても、この満身創痍で、まだ奴らの相手をしなきゃならないなんて。
「気が滅入るどころじゃ、ない、なあ」
呻くと、口の中で血が粘ついて余計に暗澹たる気分になる。叶うものなら兜を消して、血を吐き捨てたいところだった。そんなこと、できるはずもないのだけれど。
左手に剣を再び発現させ、握り直す。体勢を低く構えていた獣型が大きく跳躍し、鳥型が飛び立つ。私はまだ膝をついたまま、歯を食い縛って、それを見上げた。仮に勝ち目が薄くとも、怯えて逃げたりはしない。そんなことは許されない。
「焔血開放……」
これまでに鉄傀儡を溶かし斬り、獣型を溶かし断ち、巨人型を焼き尽くした。既に焔を使いすぎ、また焔を放つには消耗しすぎていたけれど、黙って死ぬよりは遥かにマシだ。悲鳴を上げる身体に鞭を打って、焔を呼ぼうとした、その時。
「――!?」
流星のように降り注ぐ矢の雨に、唖然とした。
降り注ぐ魔箭は瞬く間に獣型と鳥型を串刺しにし、地面に叩き落す。そればかりか貫く一矢一矢で四肢を、翼を打ちつけ、粉微塵に砕いていった。鉄の獣達は、あっという間に動かぬ屍どころか、小さな破片となって四散していく。
「これは……どうして……?」
目の前の光景に呆然として座り込んだまま、そんなことしか言えなかった。
だって、有り得るはずがない。彼は行ったのだ。守るべき、送り届けるべきものを導いて、山を下ったはず。
「間一髪、か。……意識はあるか、ケイ」
それなのに、木立の合間から現れたのは、やはり――
「フェル、ナン? 何故、ここに」
「あの魔術師連中、存外根性があるらしい。登山道の途中で『ここから先は私達だけでいい。麓の、昨晩の野営地で身を隠している。彼女の援護に行ってくれ』と言ってな」
小さく肩をすくめて、黒茶の髪の背の高い男が歩み寄ってくる。私はまだ、信じられない思いで見つめていた。
「……本物?」
問い掛けると、男はかすかに眉根を寄せた。
「当然の警戒ではあるが、疑り深いな。……前の任務でお前が着せられた衣装は、菫色。任務中に発生した戦闘の余波で破損し、現在修復中。それが完了し次第、改めて贈られる予定」
これでいいか、と肩がすくめられる。確かに、それは私とフェルナン本人だけしか知らないことであるはずだ。一応は、と頷いてみせると、ため息を吐いたフェルナンが大股に歩み寄ってきた。
「それにしても、ひどい格好だな。いや、鉄傀儡三体を相手によくやった、と言うべきか」
「その二体を、アッサリ仕留めた御仁に言われても、ねえ」
「お前が戦った後だったからだ。随分と小型化していた。当初のままなら、さすがに同じようにはいかんさ」
「ふーん?」
疑い半分で答えてみると、歩み寄ってきたフェルナンが傍らで膝をつく。傷の具合を検めているようだった。すぐにその表情は強張り、険しくなる。
「これは……腹を貫通しているのか? 二本も?」
愕然とした声で言われたので、思わず笑った。そうか、確かに傍から見れば大事か。
「問題ないよ。この程度じゃ、死ねない」
「死ねない?」
怪訝そうに問い返してくる顔を見返しながら、兜を消す。吐いた血でひどい顔になっていたのだろう、フェルナンが息を呑んだ。
「これくらいのことなんかじゃ死なないように、死ねないように、私は、作られてる。そこらの人間よりも頑丈なんだ。さもなきゃ、この有り様でこんな呑気に流暢に喋ってなんていられない」
言うだけ言って、震える左手で右肩に刺さった杭を引き抜く。途端、傍らから焦り咎める声音が上がった。
「おい、何をする!」
「何って、抜かなきゃ治るものも治らないだろ」
杭を引き抜く痛みは、我慢はするけれど、壮絶だった。最悪に痛い。まるで目から火花でも出るよう。既に自己治癒は始まっているから、派手に血が噴き出さないのだけが救いだ。
「だからって、こんな場所で無造作にすることがあるか!」
「どこでも変わらない。そんな繊細な造りをしてないんだ。さっさと抜いて、治す時間を多くとった方がいい。……ああ、でも、さすがに、この腹を貫通したのを抜くのは、気が重いな」
痛みの余り嘔吐しやしないだろうか。或いは、舌を噛んだりなんて。
さすがに躊躇いを隠せないでいると、深い溜息が聞こえた。
「……本当に、抜いた方がいいんだな」
諦めたような声だった。傍らに膝をついた男を見れば、紫紺の眼で見返される。覚悟の決まった、強い眼差しだった。思わず瞬いて、その顔をまじまじと見返す。
「手伝ってくれる?」
「他にやれる人間がいないだろう。仕方がない」
もっともな物言いに、つい苦笑が浮かぶ。その通りだ。
「申し訳ない、面倒を掛ける。止血も何も、心配はいらないから。ただ抜いてくれるだけでいい。今さっき、右肩のを抜いた時も、血は出なかったろ」
「確かに、そうだったが……何か術でもかけてあるのか」
「まあ、そんなところ」
それ以上は訊いてくれるな、と言外に滲ませて答えれば、察しの良い辣腕は理解してくれたようだ。
再びのため息。分かった、と低く了解を囁いて、フェルナンが杭に手をかけ、もう一方の手で腹を押さえる。それを横目に、籠手を消した左手を口元へ持っていく。親指の付け根の辺りを、口にくわえた。
「ケイ?」
「吐いたり舌を噛んだりしたら、面倒だから」
「……そうか。なるべく、一瞬で済ませる」
痛ましげな顔をして、フェルナンは「堪えろ」と言う。その低く抑えられた声を聞きながら、私は笑った。別に元々嫌な奴だとか思っていた訳ではないけれど、今になって改めて思ったのだ。
「いい奴だね、あなた」
「何だ、藪から棒に。意味が分からんぞ」
「いいよ、分からなくても。私の勝手な所感だ。――それより、ほら、頼む」
促して手を噛めば、いよいよ息を詰める気配。眼下で杭を握る手に力が篭るのが見えた。ぐっと、その根元が押さえつけられ――
「……っ!!」
悲鳴は、辛うじて堪えた。一気呵成に引き抜かれた杭のもたらした激痛は、一瞬意識を飛ばし、またその痛みで我に返らせるほどの拷問じみていた。噛み締めた手にはくっきりと歯形が付き、涎だか他の何かだか分からないものでべたついている。喉の奥にはひどい違和感があった。たぶん、嘔吐しかかっているのだろう。
「次に、いく余裕はあるか」
「……た、のむ」
硬い声に、目を見て答える余裕はなかった。俯いたまま、かすれた声で答える。
一度目で程度は理解していたとはいえ、それで苦痛が軽減される訳でもない。二度目が終わった時は、結局嘔吐してしまった。咄嗟に顔を脇に背けなければ、危うく腹の風穴が吐瀉物塗れになるところだった。
そんな無様極まりない体たらくの私を、フェルナンは甲斐甲斐しく世話をしてくれた。捨てずに背負っていたらしい鞄から取り出した手拭いで口元を拭ってくれ、鎧を消して露わになった傷口には包帯を巻いてくれる。そうして一通りの手当てが終わると、
「とにかく、速く退避した方がいい。傷に障るかも分からんが、担いで行って構わないか」
「……申し訳ないけど、任せる。傷の心配はなくても、あれだけ痛いと、歩く気力の方が大打撃」
だろうな、と気遣わしげな顔で頷いた男は、「眠れるようなら、いっそ眠ってしまえ」と言って私を担ぎ上げた。その動作でさえ傷は痛んだけれど、文句など言えようはずもない。
「世話を、かける」
「お前は見事に殿を務めた。謝ることはない」
「……慰め?」
「心外だな。率直な評価だ」
会話の間にも、意識は朦朧とし始める。睡魔ではなく、肉体の修復にかかる休眠の前兆。
慣れた感覚に身を預けながら、最後の力を振り絞って、答えた。
「それは、光栄、だな……」