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3:牡丹華-02

 牡丹祭の当日は、花の紅色の映える晴天だった。雲一つない青色が、空に果て無く広がっている。

 祭そのものも、目下極めて盛況の様子だった。広い庭園のそこここで赤や白の色彩が咲き乱れているばかりか、澄んだ水の湛えられた池にも、花弁でなく丸ごと摘まれた花が一面に浮かべられている。庭園の敷地の外では、数え切れないほどの行商の馬車や軽食の露店が軒を連ね、更なる活気を演出していた。

 ……ただし、庭園が開放されているとは言え、誰もが自由に園内を見て回れるという訳でもない。

 最も多くの花が美しく咲いた一角は領主の招きを受けた貴族の為に封鎖されていて、招待客以外――主に平民に許されたのは、外周に近い限定的な区画を散策することだけだった。それでも美しい花々を一目見ようと、庭園には数えきれない人々が詰め掛けている。物売りの呼び込み、はしゃぐ子供の歓声、咲き誇る花を前にこぼされる感嘆の吐息。騒々しいまでの賑わいが、庭園には満ち満ちている。

 悲しいことに、臨時警備員の私達にとっては、何もかも遠く無縁なお話でしかないのだけれど。

「はあ……」

「露骨にため息を吐くんじゃない」

「でもさあ、この服、窮屈じゃない?」

「依頼主の指定だ、我慢しろ」

「背中がごわごわする……。脱ぎたい……」

「止めろ」

 私のしょうもない愚痴に、律儀にも一々反応を返してくれるフェルナンも、実は暇を持て余しているのかもしれなかった。

 私達の受け持ち場所は、ろくに花も植えられていなければ人が寄り付きもしない、とにかく庭園の端の端の物陰だ。正直に言って、この場にいる価値が見いだせないし、事実としている意味もないと思う。明らかな戦力外扱いではあるものの、警備を取り仕切る立場を思えば、そう不平を言うのも躊躇われた。

 この祭の警備は軍ではなく、領主の私設部隊が担っているという。その彼らにすれば、主の末娘の我が儘で寄越された「見目の良いこと」を条件に選抜された部隊など、戦力に数えるどころか顔を見たくもないのだろう。私だって同じ立場なら、褒められたことではないとは言え、似たような対応をしていない保証はない。

 しかし、遠くに祭の喧騒を聞きつつ、二人してひたすらぼんやり立っているのは……こう、有体に言って苦行だった。見物客でも寄ってくれれば応対する手間もできそうなものを、こんな僻地じゃ猫の子一匹やって来やしない。

 それに警備員の制服だといって押し付けられた、このお仕着せ衣装の最低なこと!

 あの警護依頼を申し渡された日に行われた「衣装合わせ」の果てに寄越されたこれは、何でも依頼主――メサラ姫の指定らしい。本人の趣味なのかどうかは知らないけれど、軍の礼装に似せつつも、とにかく華美な作りをしているのが、本当にもう辛い。実用性なんか眼中にありませんとばかりに装飾が多くて、動きづらいことこの上なかった。

 傍から見ている分には華やかでいいかもしれないけれど、警備要員として着させられていると、全くもって悪夢のようだ。お陰さまで、前にフェルナンの言っていた「お飾り」の意味が、やっと真実理解できた気がする。

 傭兵ギルドから派遣されてきた「新しいお人形」に好きな服を着せている――依頼主にとっては、そんな感覚なのだろう。

 駆け出しの私には、傭兵の何たるかを論ずるような、ご立派な主義主張などありはしない。それでもどこか胸の内がかすかに引っ掻かれるような、ささくれ立つような、奇妙な感慨を覚えてならなかった。

「フェルナン」

「何だ」

「これ終わったら、何か美味しいものでもさ、食べに行こうよ。ぱーっと」

「……異議なし。酒に逃げるのを賢明とは言わんが、今回ばかりは酒でも飲んでさっさと忘れた方が得策だな」

 何かと一言多いフェルナンが、素直に同意してくるので驚く。もしかしたら、私が感じている以上に現実にうんざりしているのかもしれなかった。はあ、と再び吐き出したため息は、もう咎められることもない。

「あら、あなた達が傭兵ギルドから派遣された傭兵ね? どこにいるのかと思ったら、こんなところに隠れていたなんて」

 その時、おもむろに鈴の鳴るような声が響いた。高く透き通った、歳若い少女に特有の声音。

 うわあ、と口を突いて出かけた呻き声は、ギリギリで音をなくすことに成功した。

 この場において私とフェルナンがギルドから派遣された傭兵であることを知っているのは、同じ警備の役目をもって配置されている領主付きの武官達と、祭りを取り仕切る文官――そして、全ての元凶たる依頼主のみ。つまり、私達の姿を見て「傭兵ね」と声を掛けられる少女となれば、たった一人に絞られる。

 ある意味で、これは最悪に近い展開かもしれない。軽く息を吐き、傍らに立つ男の脇腹を肘で突く。分かってる、と軋るような声で返されたのが、同じ気分を共有していることを示していた。

 ため息を呑み込み、二人揃って踵を返す。庭園の奥からやってくる一行は、その間にも刻一刻と近付いてきていた。ちらりと見上げれば、フェルナンはこれまで通りの仏頂面。愛想を振りまく気はまるでないらしい。仕方がなく、代わりに目一杯の笑顔を貼り付けた。

 背後から日傘を差し掛けられながら歩んでくる少女の背後には、供回りの行列がずらりと伸びている。庭園の散策にこの大所帯か。眩暈でもしてきそうな光景だった。

「……フェルナン。気持ちは分かるけどさ、ギルド長に言われただろ。笑顔、笑顔」

「愛想を振りまくのは、部隊長にお任せする」

「それを人は任務放棄って言うんだと思うなあ」

 小声の会話は、程なくして途切れる。行列は目と鼻の先、声を拾われそうな距離にまで近付いてきていた。

 私達の持ち場は、庭園の中でも一際目立たない隅に配置されていた。広い庭園には園内を見て回ることのできるよう、数多くの小道が巡らされているけれど、それからも外れた徹底的に目に付かない日陰。普通に散策していれば、まず意識されることのないだろう場所だ。

 それなのに、どうしてこのお姫様は気付いてくれてしまったのか。気付かないでいてくれて全く構わなかったのに――と口に出せようはずもない本音を抱きながら、表面上だけは努めて朗らかに来訪を待ち受ける。

 やがて少女は私達の佇む小道に差し掛かり、足を止めた。その背後に連なる供回りまでもが一斉に動きを止め、十数にも上る視線が集中するのを感じる。針の筵ってのは、こういうことをいうのかもしれない。

 膝を折るべきか一瞬考え、無頼の傭兵にそこまで期待してはいないだろうと考え直し、姿勢を正すだけに留めた。

「お初にお目にかかります。ネフォティル傭兵ギルド第四十九部隊、ニコル・ケイと申します」

「……同じく、ジギー・フェルナン」

 とりあえず私は笑顔で礼をして見せたものの、フェルナンは無表情に目礼をしただけだ。少女の背後に控える侍従の中にはあからさまに顔をしかめるものもあったけれど、意外なことに当の少女自身がまるで頓着する風を見せなかった。

「ニコルとジギーね! 女の人の傭兵がいるなんて、初めて知ったわ。それに、とても綺麗ね!」

 その反応に泡を食った反応を見せたのが、当の供回りだった。メサラ姫様、と窘める声を上げるも、見るからに上機嫌の少女は聞く耳持たずに歩み寄ってくる。

 近付いてくる少女を、私はある種しみじみした気分で眺めた。

 まさに「姫君」という言葉を体現したような佇まい。小柄な体躯は少しでも風が吹けば飛んでしまいそうなほどに細く、麗しの(かんばせ)は職人が丹精込めて作り上げた人形のよう。庭園に着てくるには場違いなほど豪奢なドレスは、金糸銀糸を惜しみなく用いた刺繍と、散りばめられた無数の輝石で眩いばかりに煌めいていた。

 そのドレスだけで、並の傭兵の一年分の報酬は余裕で飛んでいきそうだ。加えて、あの金の巻き毛を彩る花を意匠にした宝石飾り! 花弁の一枚一枚まで再現する精緻さで形作られた白金の大輪の中央に据えられているのは、親指の爪ほどもある大粒の青玉(サファイア)だろう。飾りのそこここに配された、小粒の石に至っては、数を確かめるのも恐ろしい。

 内心背筋の寒くなる思いでいるこちらのことなど知る由もなく、笑顔のメサラ姫は小首を傾げてみせる。私が同じ格好をしていようものなら、身動ぎ一つさえ躊躇われるところだ。

「部隊長はどちらかしら?」

「僭越ながら、私が拝命しております」

「あら、それなら手間が省けてちょうど良いわね。ジギー、あなたの隊長を少しお借りするわ」

「え?」

「……は?」

「折角綺麗な容姿をしているのだもの、着飾らなくては意味がないわ。ほら、ニコル、いらっしゃい!」

 脈絡の欠片もない、突然すぎる言葉に唖然とした。供回りの連中の中で、これ見よがしの咳払いをしてみせる奴もいたけれど、そんなことに構ってもいられない。いや、本当、何を言ってるんだ、このお姫様……?

 しかし、メサラ姫は周囲の様子を一顧だにせず、私の手を掴むや、ぐいぐいと引っ張り始めた。軽率に拒否していいものかも分からず、咄嗟にフェルナンを振り返る。情けないことに、きっと私は縋るような顔をしてしまっていただろう。

 紫紺の双眸と、刹那に視線が交錯する。わずかに顎を引き、頷くような目顔。

「お待ちいただきたい。我々は祭の警護として派遣されております。持ち場を離れる訳には」

「構わないわ、代わりに誰か寄越すように命じておくから」

 厳しい口調で嗜める声に、良かった見捨てられなかった、と安堵したのも束の間である。あっけらかんと言い放たれた姫の一言で、再び私は言葉を失った。さすがのフェルナンも絶句し、目を丸くしている。

 普通に考えるのなら、例えお飾りであろうと、私情によって警備体制に歪みを起こすのは咎められるべきことだ。なのに、窘めねばならないはずの供回りの者達でさえ、少なからぬ諦観を滲ませるだけで何も言わない。もしかしなくとも、メサラ姫のこうした行動は常習的なものであるのかもしれなかった。大変に困ることに。

 鼻歌でも歌いだしそうな有様で、姫は供回りの連中が退いて開けた小道を進んでいく。その手を振り払えるはずもなく、私はただただ連行されていしかなかった。



 色とりどりの牡丹の咲き誇る庭園の最奥には、小さな館がある。

 それもまた領主が末の姫の為にと作らせたもので、白塗りで統一された外壁はともかくも、内装は館の主となる少女の好みを反映して、華やかで豪奢に統一されていた。調度品一つとっても金細工に螺鈿彫りにと煌びやかで、玄関のホールに吊り下げられたシャンデリアは、太陽がそこにあるかのごとく周囲を照らし上げている。

 そんな館の一室に、私は閉じ込められ――ごほん、失礼、留められていた。

 一階の東端に位置するこの部屋は、どうも衣裳部屋か何かとして用いられていたようだ。クローゼットには多種多様なドレス、そこここに置かれたジュエリーケースには目にも眩い装飾品の数々が収められている。

 メサラ姫は引っ張ってきた私を姿見の前に立たせると、傍仕えの侍女に命じて次から次へと衣装を持ってこさせた。そして始まったのは、文字通りの着せ替えだ。

「その白のドレスは駄目ね! 飾りが大き過ぎるもの。ごてごてした感じになってしまうわ。しなやかさを残しておきたいの」

「姫様、こちらは?」

「形は悪くないのだけど、何だか色が違うわ。ちぐはぐな印象になってしまわない?」

「でしたら――」

 自分を挟んで行われる喧々囂々の騒ぎに、最早目が虚ろになっていない自信がなかった。

 次から次へと持ってこられるドレスを他人の手で着せられ、勝手に評価されては脱がされ、新しいものを着せられる。警備要員のお仕着せの衣装を着せられていた時よりも、一層にひどい気分だった。

 果たして、これは警備任務の仕事の内に入るのだろうか。明らかに逸脱していないか? 唯々諾々とドレスを着せられ、脱がされを繰り返す間、真面目に疑問に思ってならなかったけれど、この場には疑問に答えてくれる人間もいなければ、疑問を訴えられる人間もいやしないのである。あーもう、倒れそう。

「――ああ、これがいいわ! これにしましょう!」

 いっそ気を失って倒れられないかな、と本気で考え始めていた頃、一際弾んだ声が上がった。はたとして見やれば、一人の侍女が手にしたドレスを前に、メサラ姫が喜色満面の笑顔を浮かべている。ただ、そのドレスへと目を向けた瞬間、自分の頬が引きつるのが分かった。

 艶やかな光沢を放つ、淡い菫色のロングドレス。裾は長い反面、上半身の露出が悲惨なほどに多い。脇から上――肩や背が剥き出しになった形状は、確か俗にベアトップとか言われるものだったか。たっぷりとした布地は胸の下で絞られ、スレンダーラインに優美なまでのドレープを作り出している。

 正直に言えば、そんなドレスと着たくはなかった。だがしかし、私に拒否権などないのである。

 それまで着せられていたドレスは引ん剥かれ、菫色に着せ替えられる。露出した肩や背中が、すうすうして落ち着かない。第一、傭兵稼業は負傷も日常茶飯事なのだ。ほらもう、腕なんか特に傷跡が目立つ――なんて思っていたら、

「さあ、仕上げに飾り袖をつけましょう」

 腕に通され、肩口で留め付けられたのは、ドレスとは対照的な色味の濃い紫のレース。銀糸で精緻な紋様が描かれた布地は、円錐を描くように袖に向かって丈が長く広く取られていく。腕を伸ばしてみれば、まるで蝶が翅でも広げたようなシルエットが出来上がっていた。

 これじゃあ、本当に警備任務どころじゃない。辺りの様子を伺う以前に、立って歩くのも一苦労。裾もだけれど、袖だって踏んでしまわないように気をつけなければいけなさそうだ。

「けれど、姫様、こちらのドレスだと背中が」

 その時、背後に立っていた侍女が不安げな声を上げた。背中、と不思議そうな声を上げたメサラ姫が侍女に招かれるがまま、私の背後へと回り込む。そして、「まあ」と小さな手で口元を押さえた。そこに何があるかは、他の誰よりも私自身がよく分かっている。

 ――〈焔血の魔女(ロクトアグン)〉の一族の者として生まれた証、その青羽。

 それを指しているのだとは分かっていたものの、あえて何も言わずにおいた。それについて語る義務はないし、義理もない。見ず知らずに近い依頼主に語るような内容じゃあ、ないのだ。

「綺麗な青色。……彫り物かしら?」

「いえ、何らかの魔術的な守りかと」

「そうなのね。ううん、少し目立ち過ぎてしまうかもしれないわ。髪を解いて、背中に垂らすのはどう?」

「それが無難でしょう」

 断りもなく髪が解かれ、髪飾りが差し込まれる。

 姿見の中の、容赦ない手つきで飾り立ててられていく自分は、死んだ魚のような目をしていた。

「やっぱり、私の目に間違いはなかったわ! ニコル、とても綺麗よ。本当に似合ってる」

「恐縮です」

「さあ、行きましょう。お披露目よ!」

 飾り付けが終わると、そう言ってメサラ姫は再びの上機嫌で私の手を握った。手を引かれて部屋を、そして館を後にしながら、そうだよなあ、と今更に気付く。

 この着飾った――着飾らされた状態で、隠れていられるはずもない。すなわち、今も一人で持ち場に残されているであろうフェルナンにも披露しに行く可能性が、限りなく高いということだ。事ここに至っては、着せられたドレスが似合っているかどうかなんて、大した問題じゃなかった。 

 ギルド長直々の師事で祭の警護任務でやってきたというのに、当の依頼主に捕まって着せ替え人形にさせられた挙句、庭園を引き回される。仮にも部隊長である自分がそんな有様で、それを部隊員として従えている男――年上の、しかも広く名の知られた腕利き――に晒すということが、どうにも耐えがたく思えてならなかった。

「いえ、メサラ姫、過分なお心遣い痛み入ります。ですが、私は傭兵働きの無骨者。このような素晴らしいお召し物をお借りして出歩き、汚してしまっては申し訳が立ちません」

 胸中の焦りを、なるべく表に出さないように繕ったつもりではあるものの、言葉の端々からは隠しきれない断片が覗いていたことだろう。メサラ姫はきょとんとした面持ちで聞いていたかと思うと、私が口を閉ざすなり満面の笑顔を浮かべる。

 その変化を目前にしながら、ひどくいやな予感がした。もしかして、全く意図が通じていないのでは……?

「ニコル、あなたは姿が綺麗なだけでなく、心根も素敵な人なのね! そのドレスのことなら、気にすることはないわ。まるであなたの為に作られたみたいだもの、そのまま着て帰ってちょうだい。差し上げるわ」

 (ちっげ)ーよ、そうじゃねーですよ。

 本音を言えば、心からそう叫びたかった。叫びたくて仕方がなかったけれど、生憎とまだそこまで理性は擦り切れてもいなかった。傭兵として、部隊長としての面目も、あるといえばあったし。

 だから、叫びは声として紡ぎ出されることはなく、代わりに頬が痙攣するだけに留まる。行きましょう、と再び弾んだ調子で促された時には、もう黙って足を動かすしかなかった。

 繊細な飾りのついた小さな靴は踵が高く作られていて、ただでさえ不安定な上に脱げやすい。なるべく平気な顔をして歩いてはみせているものの、いつ足がもつれるか転ぶかと思うと、気が遠くなりそうだった。

 かつり、こつりと石畳の小道に靴音が響く。広い庭園の最奥の館から、私達の持ち場であった片隅へは少し距離がある。その道のりを歩む間、メサラ姫は今日の祭の様子から、あちこちに咲いている牡丹の品種まで、様々なことをご機嫌で喋ってくれた。私は適度に相槌を打ちつつ、聞き役に徹し――しかし、いよいよ現場に到着するとなると、さすがに頬が引きつりかける。

 私達が近付いているのは分かっていたのだろう、フェルナンは私達の方を向いて、さっきと同じ場所に佇んでいた。メサラ姫が足を止めるのを見計らって、黙したまま頭を下げる。

「ニコル、ほら、ジギーよ! よく見せてあげて!」

 満面の笑みを浮かべたメサラ姫によって、私は彼の目前に引き出される。

 ひどく気まずい気分だった。そろりと目を向ければ、案の定、無表情の中に哀れむような色が見える。自分の意思とは無関係に飼い主に引き回される、可哀想なペットでも目の当たりにしている気持ちなのかもしれない。空しいにも程がある。

「どう、素敵でしょう?」

「よく似合っているかと」

 メサラ姫の笑顔に、フェルナンは無表情ながら平然と答えてみせた。腹の底ではどうでもいいと思ってるに違いないだろうに、少なくとも表面上にはただ淡々としているだけで、おくびにも出さない。これもまた、歴戦の傭兵の余裕というものなのだろうか……?

「ニコル、ジギーも似合っているって!」

「光栄です」

「ニコルは謙虚なのね。今回は身体のラインの生きるデザインにして髪も下ろしたけれど、もっとふんわりしたシルエットで、髪をまとめて飾りつけるのもいいかもしれないわね」

 お願いだから次なんてなくていい、と願って止まない私は、咄嗟にはその言葉に答えることができなかった。ひく、と唇の端がひきつり、たぶんフェルナンはそれに気付いていたのだろう。

「メサラ姫、恐縮ですが我々は警護任務の最中にあります。ケイは部隊長として――」

「はいはい、分かっているわ。それより――やっぱり! ニコル、ジギーと並んで」

 おそらくは遠回しに「開放しろ」と要求してくれるつもりだったのかもしれない言葉。それを喋っている途中で平然と被せてきた要求に、私は思わず半笑いになったし、フェルナンは一瞬明確に眉間に皺を寄せた。いやいや姫様、全然全く何一つ分かってないですよねえー!

 そうは思えどまた口に出せるはずもなく、されどメサラ姫はそれに気付いた様子もないまま、私の背中に手を添え、フェルナンの方に押しやった。

 着たことのないドレスを着て、履いたこともない靴を履いて――その状況では、さすがに少し厳しかった。カツカツ、と靴の爪先が石畳を叩き、たたらを踏む。すわ裾を踏むか袖を踏むか、と氷水をかけられたような寒気を覚えていると、

「……姫、ケイは傭兵としての振る舞いはともかく、高貴な方々の真似は不慣れ。お手柔らかに願います」

「ふふ、ごめんなさい。そうしていると、まるで騎士(ナイト)ね! お似合いよ」

 温度差の激しすぎるやり取りを、できるなら今すぐ気絶したい気持ちで聞いていた。

 たたらを踏んで足元の覚束なくなった身体は、するりと腰に回った腕に支えられている。やけにその動作が手馴れている風だったのは、まあ、どうでもいいとして。……それよりも、うっかり、不本意にも、その胸に手をついて頼る格好になってしまったのが、居た堪れなくてならない。

「こんなところ、訪ねてくる人もいないでしょう。折角の装いなのだから、お祭を楽しんでしまったらどう?」

「お気遣いには感謝申し上げますが、我々はあくまでも警護の為に派遣された者。役目を放棄することはできかねます」

 フェルナンが思いの外きっぱりとした声で言うと、メサラ姫はぷくりと頬を膨らませた。全力で不満と不服を主張する仕草さえ、姫君にかかれば絵になるのだから恐れ入る。とても真似できる気がしない。いや、する気もないけどさ。

「私が良いと言っているのに?」

「我々をこの持ち場に配した者に、直接の指揮権がありますので」

「頑固ね!」

「依頼を受けた傭兵の立場とあらば、役目を放棄することは致しかねます」

 さすがの姫も、その言葉までは拒みようがなかったのかもしれない。膨れっ面になって、少し離れた後方で待機していた供回りの集団へと顔を向け、

「ルズカーンを呼んで! 警備の責任者はルズカーンでしょう?」

 張り上げられた甲高い声、供回りのざわつく気配。この分じゃあ、まだ一悶着ありそうだ。

 背を向けているのをいいことに、ひそりとため息を吐く。本当に厄介なこと、と物憂く思っていた時――

「姫様、お逃げ下さい!」

「きゃあああ!」

「何事だ!?」

 俄かに響き渡る怒号と悲鳴。

 考えるより早く、目の前の胸を押していた。押す勢いで振り返り、右手に剣を握る。

「ケイ!?」

 気付いた時には、靴を脱ぎ捨てて素足で石畳に踏み出していた。

衣装考案において、友人(と勝手に呼ばせて頂く)小晶さまにご協力いただきました。

誠にありがとうございました!

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