2:虹始見-01
ケリカーン山はネフォティルの南方に位置するヴォラオン山脈を形成する山嶺の一つであり、その中腹にはネブリナ川の水源を持つ。
メルラリス国内において三番目に広い流域を持つネブリナ川は、ネフォティルの街を東に迂回する形で、その北方に浮かぶ大マルシャ湖に合流し、更に西へと抜ける。メルラリスの国土を横断した果てに至るものこそ大陸の西端であり、遥かなる白波の顎の海だった。
ネフォティルは北を湖、東を川、南を山にと、三方を天然の要害に塞がれている。何かと閉塞しがちな土地柄ではあったが、数代前の領主が川と湖の存在を逆手にとって水利を整備し、周辺の街々との交流を活発化させたことで一躍発展を遂げた。
その礎として、ケリカーン山で採れる木材や石材の寄与したところは大きい。ネフォティルの街が発展途上の時代は、ケリカーン山の麓とその周辺の一帯も禿山になるかの如き勢いで木々が切り出されていったものだというが、現代では既に鬱蒼とした緑に覆われている。
「――お陰で、昨今では遭難者が出ることも度々だ」
「なるほどねえ」
曇天の下、ケイを先頭に据えた縦列で山道を進む。春を迎えたケリカーン山の緑は、むせ返るほどに濃い。
「遭難者の捜索も、傭兵の仕事に?」
「まあ、度々な。例に漏れず、ネフォティルに駐留している国軍も街の面倒を見るには頭数が足りていない。それに、この山は薬草の類も多く群生している。採集依頼となれば、お決まりの場所だ」
今回の騒ぎで初めてメルラリスを訪れたというケイに乞われるまま、暇潰しがてらケリカーン山の来歴などを語ってみたが、彼女は意外に聞き手として優秀だった。
大人しく耳を傾ける一方、疑問があると呼吸を読んで、上手く話の途切れた合間を縫って問い掛けてくる。その質問にしても、ただ漫然と聞いていた訳でなく、話を聞いて自分なりに考えた上で発生したものばかりだった。どうして中々、馬鹿じゃないらしい。
「勝手知ったる仕事場みたいな?」
「そこまでは言わんがな」
「そう言えば、今回の事件の調査に軍の協力は?」
「表向き、奴らは不干渉を貫く腹だな。ギルドからの要請があり次第、部隊を派遣すると取り決めを交わしたらしい。『軍が守るのはメルラリスの国と民であり、傭兵ではない』と仰せだ」
「その傭兵に頼って、国と民を守ってるのに?」
呆れた、とでも言わんばかりの素直な声に、思わず少し笑う。その反応には、俺も同感だ。
少し前までは街でも盛んに「傭兵は薄情だ」などと囁かれたものだが、こちらに言わせれば軍も似たようなものだ。軍は国と民を守り、傭兵は自分の命と報酬を優先する。重要視するものに違いはあれど、それに対する姿勢も、行う仕事も、さして変わりはない。
「所詮は使い捨てが傭兵稼業だ、文句を言ったところで仕方がない。傭兵は傭兵らしく、命じられた仕事をこなすだけだ。――実際、『ケリカーン山の捜索』は厄介だぞ。二人で回りきるには、現場が広すぎる」
若干無理矢理ながら話を変えると、ケイが肩越しにこちらに視線を投げてきた。一瞬の、ごく短いものではあったが。
「だけど、山に入った者が後に失踪するのであれば、ここで何がしかの異変が起こったはずだろ。最も可能性が高いのは、人の思考を狂わせる類の術、或いは自然現象。それが人為的な仕掛けであれ、天然の魔力場の暴走であれ、全く痕跡が残ってないということは考えづらい」
「闇雲に歩き回らず、魔力の濃いところを探っていく、か。合理的だな」
「異論は?」
今度こそ足を止めたケイが、半身を振り返らせて短く問う。その表情は、あくまでも涼しげだ。
街を発ってから、今日で三日になる。昨日の夕刻に麓に到着し、その場で夜を明かしてから山に入ったが、既に太陽は高く昇っていた。山歩きを始めて短くない時間が経過していたが、未だ汗の一筋も流してはいない。ただでさえ険しい山を、並の大人ですら置いていかれる速度で進んでいるというのにもかかわらず。
本人にとっては不満だろうが――俺にとっては大いに驚くべきことに、ケイはこれまでの道程で弱音一つ吐かないどころか、疲れの片鱗も見せていなかった。山に踏み込むまでの二日間の野営を経てすら、けろりとしている。小柄で華奢な外見に反し、随分と鍛えられているらしい。
無論、それは彼女の評価を上げこそしても、逆にはならない。自分が従う部隊長なら、それこそ出来が良いに越したことはない。初めは疑い半分、それこそギルド長に冗談混じりで言ったように「面倒を見る」のもやむを得ないかと思っていたが、思わぬ僥倖だ。
「ない。ただ、生憎と俺の透視は視覚要素の方が強い。魔力探知まで当てにされると困るが」
「それはそれで構わない。役割分担だ、私が探るよ。代わりに、周りの警戒を頼んでも?」
あっさりとした返答に、思わず瞬く。
そうして瞬いている間にも、ケイは「風・巡る・広く」と唱え始めていた。唱え終ると同時に、ぶわりと迸る気配。――それは、過たず「風」そのものの。
俄かに、笑い出したい衝動に駆られた。出来がいい? 冗談じゃない、これがそんな生易しいものであるものか。とんだ鳳雛だ。
この世に魔術が発生して、どれだけの月日が経ったか。今や予め既定の魔術を付与させた物品――個人兵装の粋たる魔装具と区別する為、魔術具と呼ばれる――が広く出回り、人々は自らで術式を組むことなく、魔力を込めるだけで術を発現させることができる世となりつつある。
しかし、魔装具や魔術具の普及は著しく利便性を高めた一方で、各個人の魔術的技量の少なからぬ低下を招いてもいた。昨今では傭兵の中にすら、自分ひとりでは魔術を行使することができず、魔装具や魔術具に頼る者も少なくない。
――だが、この新米はどうだ。
俺ですら、見事だと手放しに称賛せざるを得ない巧みさ。探知系の魔術は、構成にわずかでも綻びがあると、対象に術の気配を悟られる。ケイの術は、まさしくただの微風そのものとして展開していった。並の傭兵では、探られていることに気付けもしないに違いない。
「……さすがに、山の全ては探りきれないな。まずはこの近く――第一登山道の周辺に絞っておいても?」
「充分だろう。今回だけで調査しきるのは、さすがに無茶が過ぎる」
了解、と答えたケイが目を伏せる。術の操作に集中しているのだろう。ここは大人しく推移を見守っておくべきかと口を閉じることにしたが、沈黙も長くは続かなかった。
「――探知完了。強度の魔力反応三箇所、中度二箇所、弱度五箇所。とりあえずは、ここから近いものを優先して回っていこうと思うけれど」
術の展開と同様の迅速さでもって、ケイは早々に探知を終えたらしい。
軽く息を吐いて目を開いたかと思えば、背嚢から地図と魔石筆を取り出し、何やら書き付け始める。筆に込められた魔力が、魔石を削って作られた筆先にインクを充填し、慣れた手つきで地図に印が書き込まれていった。
小柄なケイは、俺より頭一つ近く背が低い。歩み寄ると、自然その頭上から紙面を覗き込む形となった。書き込まれた印の位置と距離を把握すべく目を走らせてみると、つい眉間に皺が寄る。
「場所も距離もまちまちだな。全てを回るのは手間だ」
「それでも、判明している以上は確認しておく必要があるだろ。あまりおざなりにして、ギルド長の心証を損ねるのも得策じゃない。……と、私は考えるけれど」
深い青の眼が、じっと見上げてくる。
その真意――純粋に仕事熱心なのか、それとも単に上には良い顔をしておきたいのかは、まだ分からない。だが、少なくとも今現在において、その意見を否定する理由もなかった。
「そうだな。隊長の判断とあらば、従うさ」
「気が乗らない? 無理強いするつもりはないから、意見があれば言ってもらいたい」
「いや、単に厄介な仕事だと再確認しただけだ。拒否する理由はない」
気にしなくていい、と添えた一言は、紛れもない本音ではあった。だが、その眼の青を直視すると、改めて未だ拭いきれない違和感が身に迫って感じられてならない。
絹のように滑らかな長い白髪、青玉を埋め込んだような両眼、小柄で華奢な体躯。黙って立っていれば、ケイはまるきり線の細い良家の子女然としている。そうでありながら、あれほど巧みに魔術を扱い、ざっくばらんな口調で喋っては平然と天険を突き進んでみせるのだ。
どうにも、言行と容姿の噛み合わない気がしてしまう。さすがにそれを当人に向かって放言するのもどうかと思うので、口に出しはしないが。
「それで、どこから回る? 失踪を未然に防ぐ為の部隊単位での行動制約だ、二手に分かれる訳にもいかないだろう」
気を取り直して問い掛けると、ケイはどことなしか物言いたげな顔をしないではなかったものの、結局何を言うでもなく、地図を片手に登山道から外れた脇の茂みを指し示した。
「まずは右手の直近箇所に向かって、そのまま上りながら右側六箇所を探りきる。それから左側に渡り、上から順に様子を見ながら下ってくる。それでどうだろう? ここから下を探る余裕があるかは、その時に判断するのでは」
「妥当だな」
「じゃ、再出発といこう。今日中に終わらせられればいいけど」
それだけを言うと、飾り気のない紐で束ねられた長居髪を翻し、ケイは再び歩き出した。先の問答も、この分では納得した訳ではなさそうだが、少なくとも今は追究するつもりはないらしい。
小さな背に続いて歩き出しながら、何とはなしに空へと目を向ける。朝方までは青空が広がっていたが、いつの間にやら流れてきた雲は刻一刻と厚みを増しているように見えた。下山するまでもってくれればいいが、おそらくは無理な望みだろう。加えて、そろそろ人や動物の気配よりも、魔物のそれが濃くなる領域に踏み込みつつある。
「ケイ、そろそろ魔物が増えてくる頃合だ。警戒は怠るな」
念の為に声をかけてみると、「了解」と軽快な返事があった。ひょいと肩越しに振られた右手に、一振りの剣が出現する。こうして掛けた言葉にも反発することなく、素直に受け入れることができるのも、また一つ得がたい資質なのだろう。
ケイは何かと俺の意向を尊重する風を見せるが、さりとて部隊長として決断を下す責任までもを投げ渡そうとはしない。あくまでも自分の立場を自覚した上で、意見を求めるという立ち位置を貫いていた。そもそも、こちらとて一事が万事指示を出したい訳ではないし、そうするつもりも毛頭ない。だからこそ、問われて返した進言に対し真っ当な反応をしてくる相手となれば、自然と心証は良くなる。
出来がいいのを通り越して、全く出来過ぎなくらいだ。
進言した手前、こちらだけ徒手空拳というのも躊躇われる。左手に弓を発現させながら、そんなことを思った。
調査は、粛々と進んでいく。
往路となる右手の六箇所は人為的な工作の後も窺えず、あくまでも地脈や風の通り道に基づいて形成された魔力溜まりの域を出なかった。豊富な魔力に浸され、魔性を帯びた植物が発生しかけている向きもあったが、ひとまず問題として取り上げるほどのものでもない。
六箇所の調査を経て短い休憩を挟んだ後、ケイの提案で一旦登山道にまで戻ってから、改めて復路となる逆側の斜面に分け入った。人の手の入っていない茂みや木立の中を、これまで通りの縦列隊形を保ち、慎重に進んでいく。袋の調査箇所は往路よりも数が少なく、強度と中度のものがそれぞれ一箇所、それより弱いものが二箇所の計四箇所と目されていた。
そうして訪れた、通算七箇所目となる場所は、魔力を含んだ野草の群生地だった。赤針草の名付けの由来となった、その鋭利に尖った赤い葉は煎じれば麻痺効果のある水薬となる。その為に、街の施療院からは定期的な採集依頼が出ていた。
「ここは前にも来たことがあるな」
「え、そうなの?」
一面に広がる赤い草原を見下ろして言うと、傍らに立つケイが目を丸くして見上げてくる。
「ああ、施療院の依頼でな。あの依頼を受けた後で失踪した者がいるという話は、さすがに聞き覚えがない。ここは除外していいだろう」
「七つ目も外れか」
ここに来て初めて、ケイは少し落胆したような表情を覗かせた。小さなため息。早くも次の調査箇所へと向かう足取りは決して重くないが、どことなしか肩が落ちているように見えなくもない。
「お疲れか?」
意図して軽く言ってみると、ケイはちらりと肩越しに俺を振り返り、片頬で笑ってみせた。
「いーや、ちょこっと飽きてきただけ。刺激が欲しいとは言わないけれど、単調が続くと退屈だろ?」
ごくわずかに不満を覗かせた声音。「意外に強気だ」とは先日抱いた率直な印象だが、こうなれば「意外」を取り消し、「かなり」と書き換えた方が良いかもしれない。
往路の道中では、岩猪の群れに遭遇する一幕もあった。岩猪は毛皮が岩石のように硬化した魔獣であり、肉食故に人間ですら獲物と定めて襲ってくる。凶悪と呼ばれる類でこそないが、駆け出しの傭兵が迂闊にも突撃を受けて骨を折られる事例は、定期的に発生する恒例行事のようなものだった。
そのお世辞にも無害とは言えない魔物の群れと遭遇した時でさえ、ケイは落ち着き払っていた。空けていた左手にも剣を発現させ、最低限の急所を守るだけの鎧装を展開したかと思うと、持ち前の機動力を生かして瞬く間に斬り伏せていったのだ。
空を踏み、宙を駆けて剣を振るう様は軽妙な舞踏にも似て、滑らかでありながら恐ろしく速い。なるほど、ギルド長も認める訳だ。その戦いぶりには、既にある種の完成された趣さえ感じ取れた。
しかし、岩猪を仕留めた数自体は、後方で狙撃に徹していたことが功を奏したか、僅差でこちらが勝った。俺の勝ちだな、とからかってみせると、「次は負けない」と顔をしかめていたので、年齢相応の稚気のようなものもないではないらしい。
「岩猪では、退屈しのぎにもならないか」
「凄腕の援護もあれば、尚更ね」
「それで退屈とは、子供のようなことを言う」
「そっちは年寄りみたいなこと言うね」
ケイは逐次俺の意向を確認し、尊重する態度を貫いてきたが、この三日間で多少なりとも慣れてきたということなのか、言葉のやり取り自体は砕けたものになりつつあった。
投げ返される言葉は、軽口じみた明朗さを帯びている。元々あまり物怖じをしない類なのだろう。
「――ん?」
その時、ケイがきょとんとした様子で自分の鼻に手を伸ばした。
どうした、と問い掛けても答えず、ただ鼻の頭を指先で撫でている。ごく短い間そうしていたかと思うと、おもむろに顔を天へと向けた。それからの変化は、俺の目にも読み取れた。
正しく言うのならば、同時に同じ状況を体感していた。ポツポツと頭上から降りかかる感触。それはまさしく――
「うわ、雨だ」
「後少しというところで……」
予想が当たったか、と忌々しい気分で吐き出すのも時間の無駄と嘲笑うかのように、パタパタという水音は勢いを増していった。
あっという間に雨脚は強まり、数メートル先の様子さえ伺えなくなる。ザアザアと降りしきる雨に阻まれて、会話をするにも声を張り上げねばならない有様だ。透視で周囲の状況は把握していると言っても、雨が障害となって常の倍以上の消耗を強いられる。
こんな状況で調査を続行するのは、ただの愚行でしかなかった。意を決してケイの腕を掴み、声を張り上げる。
「この雨じゃ調査どころじゃない! 次の調査箇所の近くに、洞穴があったはずだ! そこに一時退避するぞ!」
「分かった! 案内を頼む!」
考えは同じであったのか、間髪を容れず叫び返された。この土砂降りで見えはしないだろうが、了解したと頷いてみせ、掴んだ手を引いて歩き出す。下手に少し開けた場所にいたのも災いしたか、ほんの数分も経っていないというのに、全身が濡れそぼっていた。身体に貼りつく衣服が煩わしく、重い。
季節は既に春を迎え、元々メルラリスの風土が温暖なこともあり、日々は既に寒さとは無縁になりつつある。しかし、険しい山中となれば話は別だった。街よりも気温は低く、全身を濡らしたままでいれば体調を崩しかねない。
視界の悪さと相俟って気は急き、滑る足元に四苦八苦しながら退避場所へと到着した頃には、俺もケイも息が上がりかけていた。
幸いなことに、洞穴の内部はよく乾いていた。奥行きは浅く、ほんの三メートルばかりか。我が身から滴る雨粒を避けて地面に背嚢を下ろしながら、大きく息を吐き出した。
「ケイ、俺はここで外を窺いながら火を熾しているが」
「分かった、ありがとう」
会話は短く途切れたが、敢えてそれ以上言葉を重ねることはしなかった。
さすがに身なりを整えろとまで口を出すのは、部隊長への対応として不適当にも程がある。ケイも背嚢を片手に奥へと向かって行ったところを見るに、意図は通じていると判断して構わないはずだ。
脱いだ衣服を絞ってでもいるのか、びちゃびちゃと水音が上がるのを背中で聞きながら、背嚢を開けて油紙に包んだ干し白炭花の実を取り出す。白炭花は春に名の通り白い花を咲かせ、秋になると細長い実をつける。その実を乾燥させたものは、軽量な携帯燃料として重宝された。
地面の上に白炭花の実を並べ、口早に術式の文言を唱えて火を熾す。燃えついた火が徐々に大きくなっていく様を確認して、背後に目を向けた。
火の用意ができたぞ、と声を掛けようとして――止まった。
我ながら下手を踏んだ、と気付いた時には、既に手遅れだった。そこまで軟弱であるつもりはなかったが、急な雨で判断力でも落ちたというのか。そもそも振り返ってはいけなかったことを、今更に思い出す。
背後に感じていた気配は、思いの外近くにあった。小さな後姿。長い髪は首の脇から身体の前に垂らされ、その為に上着を脱いだ薄手のシャツの背中がよく見える。濡れて貼り付いた白い布地越しに、素肌が透けていた。しかし、絶句させたのは、それそのものではない。
青い、紋様。燃え盛る炎をそのまま翼になさしめたような意匠が、白いうなじの下一面に描かれている。背骨から芽吹くように肩まで伸びる双翼は、今にも舞い上がらんとする鳥に似ていた。
ふと、脳に〈青羽〉の語が浮かび上がった。いつ付けられたものかは知る由もないが、ケイを示す名として、その名称は機能している。
俺の〈赤尾〉が魔装具の駆装機動で放出する魔力に一筋の赤色が混じることからつけられたように、ケイのそれも迸る魔力に羽のような青色が広がるからだと聞いた。その異名を誇るべくして、背にその色彩を入れたのだろうか。
何とはなしに考え、ほとんど即座に自らの思考を「否」と否定する羽目になった。ケイがそういった自己顕示を好まないことは、初対面でのやりとりからも、この数日目の当たりにしてきた普段の振る舞いからも察された。……では、何故か。
それとも、逆なのだろうか。元々ニコルの性質として青い羽に似た魔力の現れ方があり、それが魔装具の運用においても出現した。
故に、人々は〈青羽〉という名を――?
「フェルナン?」
考え込んでいた頭が、ひそやかに窺う声で引き戻される。ハッと我に返れば、自分に向かって振り向いた男の姿を認めておきながら訝しげにするでも、疎ましげにするでもなく、平然とした面持ちで首を傾げる姿が目に入った。
「もう火の用意が?」
「あ、ああ。悪い、つい失念して、用意ができたと声を掛けようとしてしまった」
「いや、助かった。呆けてたようだけれど、何か変なものでも見たか?」
にやりと笑って近付いてくるケイは、いつの間にやら身支度を整えていたらしく、野営の際にも用いていた外套を羽織っていた。
濡れた衣服も、透けた白も、あの青も――その全てが、覆い隠されている。
その事実に妙に安堵している自分に気付かない振りをして、改めて深々と息を吐いた。意図した訳ではなかったが、図らずも透かし見てしまった白い背と紋様の青色が、いやに後ろめたい気分にさせていた。
「火の番を頼む」
短く、それだけを告げる。敢えて、投げられた問いには答えなかった。
「了解、任された」
足取り軽く寄ってきて火の傍らに腰を下ろすケイの、外套の合間から伸びだす白い腕の中には、長靴や上着などの濡れた装備が収まっている。火にあてて、少しでも乾かそうというのだろう。
「白炭花は?」
「用意してある。余裕はあるから、必要になったら手持ちから足しておくよ」
またしてもケイは少ない言葉からも、正しく意図を読み取っていたらしい。求める答えが返されたのであれば、それ以上言葉を重ねる意味はない。
傍らに置いていた背嚢を掴み、腰を上げる。頭の中に残る色彩を振り払うように、洞窟の奥へと足を向けた。




