7:天地始粛-01
「ケリカーン山と、大マルシャ湖近くの森に罠を張っていたのは、おそらくグラート・セラートって野郎だよ。山の魔術陣と、森に漂っていた魔力の気配が同一だった。私がそう感じたという意外に根拠はないけれど、間違いはないと思う」
その森で大立ち回りを演じて街に帰還した明くる早朝、施療院の一室で、私は手当てを受けたフェルナンと、そしてギルド長と顔を合わせていた。私が施療院に担ぎ込んだフェルナンだけでなく、何故ギルド長までもが居合わせているかと言えば、話は簡単である。――単に、呼び出したからだ。
昨晩は何とか街にまで辿り着けたはよかったものの、夜更けとあればギルドも閉まっている。急患だと言い張って施療院に駆け込み、半ば強引にフェルナンの処置を依頼したのだ。本来なら、そこでフェルナンを預け、私は朝を待って一人でギルドに向かうつもりだったのだけれど……。
『お待ちなさい。その顔色の悪さ、指先の震え、足元の不安定……魔力切れの証です』
――と、夜勤の医師によって強制滞在を余儀なくされたのだった。
ちょっとふらついたのは緊張が切れたからであって、施療院のお世話になることはないと言い張ってみたのに、フェルナンまで「随分と無茶をしていたはずだ、大人しく医者の指示を聞いておけ」と医師の肩を持つ始末! ああだこうだと論じている内に、逃げる機会を逸して朝になってしまった。
まあ、散々にごねた結果、不味いと評判の魔力回復薬は処方されたものの診察からは逃れられたので、最悪の事態だけは避けられたと言える。右腕と肋骨が二、三本ばかり折れていたフェルナンも、道中施術し続けた治癒魔術の恩恵もあってか、辛うじて入院は避けられた。骨を接ぎ直し、二重三重に治癒術式を施されると、もうすっかり普段に近い落ち着いた様子に戻っている。
ギルド長が飛んできたのは、おおよその手当や処方が終わり、空いていた応接室で待機している許可が出て間もなくのことだ。施療院を通じて、ギルドに使いを出してもらっていた。そして、報告会が始まったのである。
「そのセラートなる人物は、どういった素性なのだね」
簡素な四角いテーブルを三人で囲み、今日も死人一歩手前の顔色で、ギルド長は言う。小ぢんまりとした長方形のテーブルには、長辺の一方に私とフェルナンが並んで座り、向かいにギルド長が座る形を取っていた。
ギルド長に視線を向けられて、肩をすくめる。今日も今日とてやつれた面差しの御仁は、私よりもよっぽど施療院の世話になった方がよさそうに見える。その顔色をこれ以上に悪化させるのも心苦しく、なるべくなら朗報を持ち帰りたかったのも山々だったのだけれど。
「残念ながら、ほとんど分からない。知っているのは、私の血縁上の父親にあたる人間で、十九年前はその名前を名乗っていたことと、魔力の気配だけ。ただ、それを教えてくれた母はその男に盲目的なまでに心酔していて、奴は『多くの名前を持っている』とも言っていた。だから、セラートの名前で探っても手がかりは見つからないかもしれない」
「お前の母親は、一族で最も秀でた戦士だったのだろう。それが『盲目的なまでに』とは、よほどの人物だったということか?」
今度の質問は、フェルナンだった。ちらと傍らへ視線を向ける。治療を終えた右腕は、白い布で肩から吊られていた。
「殉ずるに足る理想を持つ、気高い人だと言っていた。母はね」
「お前は、そうは思えないと?」
「そんなご立派な人間なら、母さんに私を押し付けるだけ押し付けて音信不通になったりしないだろ」
しかめ面を作ってみれば、フェルナンはお決まりの眉間に皺を寄せた難しい表情で「そうか」と相槌を打つ。
「いずれにしろ、私に奴の目的は分からない。ただ、母は私が腕を上げて名を広めれば、父が迎えに来るはずだと信じていた。戦士として名を馳せることで再会の機会を得る――それが戦闘の役に立つ駒を集めることと同義であるなら、腕利きの傭兵が次々姿を消していることとも、関連はあるのかもしれない。何の為にかは、さて置いて」
そこまで述べると、ギルド長はこめかみを押さえてため息を吐いた。ただでさえ死にそうな顔色が、暗澹たる表情と相俟って悲惨なことになっている。
「その推測が当たっている場合、十九年以上にわたって企まれている事件だということになるな……。ともかく、君の想定している『敵』については了解した。では、件の森で何があったのか聞かせてもらえるかね」
そこからは、私とフェルナンが交互に喋る形で報告を行った。私が一通りの状況を説明し、所感を述べ、フェルナンが補足する。
私達二人の認識として共通していたのは、あの森が既に敵の「狩場」となっているであろうことだった。
「森を丸々抱え込む規模で陣を敷き、そこに足を踏み入れた者に対し刺客を差し向ける。そこで戦わせて、眼鏡に適った者を攫う……といったところかな。目的としては、ケリカーン山での案件と共通してる。規模は比べ物にならないけれどね」
どうかな、と念の為の確認でフェルナンに水を向ければ、浅い首肯。
「その見解に間違いはないだろうな。今回の俺達に対して、ケリカーン山での例に比べ、途方もない数が差し向けられたのは二回目だったからだろう」
二回目、とギルド長が呟く。今度頷くのは、私の番だった。
「ケリカーン山で、調査に同行した魔術師を逃がす為に、私はあの陣に踏み込んでいる。私達が陣を探るように、向こうだって陣に踏み込んだ者を測り、記憶しているとしてもおかしな話じゃない。もっとも、森の陣についてはその一角を焼き潰してきたから、機能不全には陥っているはずだよ。奴が一朝一夕で修復しきれるほどの腕前だったら、もうその限りではないかもしれないけれど。奴が森の陣の修復を優先するか、切り捨てて山にこもるかも、現状では未知数かな」
「なるほどな……。委細承知した。ギルドでは軍と連携し、早急にケリカーン山と大マルシャ湖南の森での二方面同時制圧作戦を計画することとしよう」
ギルド長は深々と息を吐く。それから、信じがたいことを口にした。
「よって、第四十九部隊には、しばし休暇を与える」
「はあ!?」
思わず叫んで、音を立てて椅子から立ち上がった。ケイ、と嗜める声で呼んだフェルナンが腕を掴んで引いてくるものの、構ってなどいられない。
「今更ここで梯子を外すって!? 冗談じゃない、奴は私の獲物だ! 私が仕留める!」
感情のままに怒鳴り立てれば、向かいの席であからさまなため息。
「ニコル・ケイ。これはネフォティル領主の名の下に、国軍と傭兵ギルドの共同で行われる重要な作戦なのだ。私情で戦線を乱しかねないものを投入する訳にはゆかない」
「私情だって? 私が奴を見逃すと? 笑わせてくれるね、私はあいつが――グラート・セラートが憎い。この世の誰よりもだ。何があろうと、奴は見逃さない。必ず仕留める。我が名と我が剣に誓って、手心なんて加えやしない」
声を荒げての宣誓にも、ギルド長の表情はぴくりとも揺るがない。死人のような顔色で、じっと油断なく私を見据えていた。誓いの真偽でも、見定めようとしているかのように。
短い間の後、ギルド長は「分かった」と頷いてみせた。
「いいだろう。そこまで言うのであれば、君が我々の味方であることについては、疑いを挟むまい」
「なら……!」
「だが、問題は他にもある。君は現在、魔力の枯渇状態にあると聞いている。フェルナンも数ヶ所の骨折があるのだろう。それでは、すぐには動けまい。戦力として数えるには不安が大きい」
「そんなもの、現場に到着するまでには治すよ! 敵の本丸を攻めるなら、人手が多いに越したことはない。この期に及んで、部隊単位での運用にこだわらなくてもいいだろ!」
「規則とは守る為に施行されているのだ、ケイ。更に付け加えるのならば、治るはずというような希望的観測の下に、人員を選抜することはできない。第四十九部隊は、制圧作戦に参加することを禁ず。これはネフォティル傭兵ギルド長としての命令だ。そして、現在君は我がギルドに所属する傭兵でもある。従ってもらうぞ」
そう告げたギルド長の眼光は、不本意ながらも口を閉ざし、身構えてしまうほどの鋭さを帯びていた。今にも死にそうな顔をしているのに、どこからそんな覇気が出てくるのか分からない。
一瞬でも気圧されてしまったことに、苛立ちとも悔しさともつかない感情が沸き起こる。けれど、それを表に出す前に、掴まれたままだった手首が、もう一度引かれた。
「ケイ」
落ち着け、と穏やかな声で重ねて言われて、そちらに一瞬意識が向いてしまった分、即座に反論することができなかった。お陰で、ここぞとばかりに畳み掛けられる。
「私からは以上だ。重要な情報、感謝する。報告書の提出は、後で構わない。まずはよく休んでくれ」
それだけ言い残して、ギルド長は応接室を出て行った。
残された私達の間には、苦い沈黙が漂うばかり。癇癪を起こしても仕方がない。頭では分かっていたけれど、感情的にはどうしても飲み込むことができなかった。
どすん、と乱暴に椅子に座り直す。腹の中でぐつぐつと煮えるものを吐き出してしまわないように、二度三度と深呼吸をしてから、傍らに座る男の名前を呼んだ。右の手首を掴む大きな手は、まだ離れない。
「フェルナン」
「何だ」
「どうして止めた」
「視野狭窄に陥った若造と違って、俺には今後のことを考える頭があるのでな。あの場で楯突いたところで、不利にこそなれ利にはならん。今後の仕事にも差し支えるぞ」
淡々とした指摘。それは正しい言葉ではあれど、今の私には響かない。ただ苛立ちをいや増すだけ。それでも、そんなものどうでもいい、と反射的に言い返しそうになった言葉ばかりは、辛うじて飲み込んだ。
今更ではあるかもしれないけれど、部隊長として任じられている以上、その立場を蔑ろにするような無様は晒せない。あの母の子として、そんな醜態を晒すのは、到底許せることではなかった。
「それに、情がないとはいえ、一応は父親かもしれない相手だろう。一時の感情で突っ走っては、後でどんな後悔をすることになるか」
「後悔なんてしない」
フェルナンの正論を、無理矢理遮って切り返す。これに関することばかりは、どんな相手にも口出しをさせる気はなかった。
ただ、私自身でさえ驚くほどにつっけんどんな返事になってしまったからだろう。フェルナンが渋い顔をするのが視界の端に見えた。軽くため息を吐く姿。その反応自体は、別に何も気になることではなかったのだけれど――
「そう頑なになりすぎるな。お前の母は、父を深く愛していたのだろう。それに倣うべきだとは言うつもりもないが、必要以上にセラートを敵視して我が身を損なうのは、お前の母の求めるところでもあるま――」
その一言だけは、聞き逃せなかった。ぷっつんと、頭の中で何かが切れたような錯覚。
「外野が分かったような口振りで語るな! 母さんは死んだ! 死者の願いが何かなんて、残された人間に分かる訳ないだろ!」
気付けば、手首を掴む手を振り払って叫んでいた。
フェルナンは、おそらく長上としての親切心や、それに類する者で言ってくれているのだろう。今の私は必要以上に感情的になっていて、冷静さを欠いている。おかしい――常ならぬ状態であるのは、私の方だ。それは分かっているつもりだったけれど、どうしても、堪えられなかった。そんなお綺麗な一般論なんて、クソ食らえだ。
向けられているであろう視線を見返すのも嫌で、顔を背ける。きっと、それはひどく子供じみていて、馬鹿馬鹿しい反応だったはず。
「お前の母は、父親が原因となって亡くなったのか」
それなのに、フェルナンは会話を終わりにはしなかった。短く沈黙は挟んだものの、怯んだ様子もなく、平然と問い掛けてくる。
ああ、くそ。そんな風にされたら、こっちだって答えない訳にはいかないじゃないか。この期に及んで掛けられた言葉を無視をするなんて、それこそ子供じみたことまではできない。
「……遠因だよ。私にとっては物凄く憎たらしい話だけれど、あくまでも直接的な原因じゃない」
「直接的な原因は他にある、と?」
「そう」
「そちらへの対処は終わっているのか」
「まだ。奴に落とし前をつけさせてから、最後に片付ける」
「主原因を差し置いて、遠因から片付けるのか。それだけ母親の死に思うところがあるのなら、逆から始めるものじゃないのか?」
「そんなの、どうだっていいだろ。逆だろうと何だろうと、主原因の始末をつけるのは、奴を処理した後って決めてる。その順番だけは変わらないし、変えられない」
「何かこだわりがあるのか」
「だとしたら、何? 悪い?」
「いや、意外なだけだ」
「ああ、そう」
話している内に、少しずつ頭が冷えてきた。或いは、これも上手くフェルナンの術中に嵌められたってことなのかもしれない。会話を長引かせることで、思考を回させることで、冷静さを取り戻させる為の。
会話が途切れた合間に、再び大きく息を吸って、吐き出す。はああ、と吸い込んだ息を根こそぎ吐き出して呻くと、
「少しは落ち着いたか」
「……少しはね」
静かな問い掛け。やはりフェルナンは今のこの状況を思い描いて、言葉を紡いでいたのだろうと思わせる、理知的な響きだった。掌の上で転がされた、ってことになるのだろうか。
ああもう、とテーブルに肘を乗せて頭を抱える。気分は最悪も最悪だった。上役と同僚の前で過剰に感情的な振る舞いをしてしまったことに加え、根本的な目的の達成を遮られたことが、ずっしりと気分を重くさせている。今すぐ部屋を飛び出して、山か森に向かって走り出したいくらいに腹立たしくて、もどかしかった。
「お前は、セラートを殺したいのか」
「……そうだよ。奴を殺す為だけに、故郷を飛び出した」
「その為ならば、命をも惜しくはないと?」
今まで一貫して冷静な態度を保っていたフェルナンが、その時初めて明白に声音を変えた。刺すような、鋭く険しい響き。怯えるほどのものではない。けれど、正直に言えば、ヒヤリとした寒気は覚えなくもなかった。
ゆっくりと身体を起こして、傍らの男を振り返る。紫紺の双眸が、じっと私を見つめていた。
「――だとしたら?」
「自殺志願なら、他所でやってもらいたいものだな。俺が部隊員として従っている間に、相討ち覚悟で私情に走られては困る。つまらん噂の種にはなりたくないからな」
「なら、部隊を抜ければいいんだろ」
半ば売り言葉に買い言葉で返せば、これ見よがしの呆れた風なため息。
その反応に、カチンときた。苛立ちに火種が再投入されかけたものの、わずかに残っていた理性で辛うじて押し留める。舌打ちまでは、止めることができなかったけれども。
「ネフォティルは未だ動ける傭兵の数が少ない。契約満了の期間前倒しは、誰も容認しないだろう」
「契約なんて、どうでもいい」
「一方的な破棄は、ギルド内における警戒認定を受けるぞ」
「次から仕事がもらえなくなる、ってだけだろ。そんなの、構いやしない」
傭兵の立場に未練なんてない。ただ、奴を探し出すのに一番よさそうな手段だったから、その為に肩書きを得ただけだ。奴を始末さえできれば、後のことなんて考えるまでもない。
「無責任も甚だしいな。次代の族長たるべしと、英才教育を施された結果がそれか。一族で最も秀でた戦士であったという母親の器も知れるというものだ。いや、戦いには秀でても、教え導くにはさにあらずといったところか」
「母さんを侮辱するな!!」
頭の片隅で、乗せられている、と考えない訳ではなかった。それでも、やっぱりその物言いを聞き流すことはできない。フェルナンは怒鳴る私を、泰然とした面持ちで見返している。ともすれば、冷ややかに見えるくらいの表情で。
「侮辱? 侮辱しているのは、お前だ。今のお前を形作ったのが母との日々であり、その経験を誇りとするのならば、お前はそれに見合う振る舞いをしなければならない。お前の母は、責任や契約を投げ出していいものだと、お前に教えたか」
「それは……」
……それは。
そう呟いたものの、後に言葉が続かなかった。あまりにも的を射た指摘であったが為に。
「何度でも言うが、一度落ち着け。恨みを晴らしたいなら、それも結構。だが、仮に真実セラートが今回の事件の黒幕であったとして、その手腕の並々ならぬことも分かっているはずだ。回復しきらない状態で挑むべきではない。返り討ちにされることこそ、屈辱的だとは思わないか」
その言葉はどこまでも冷静で、何より正しかった。ぐうの音も出ない私は、頷く以外の反応が返せない。
「どうしてもセラートを我が手で殺したい、という訳でもないのだろう?」
探る眼差しには、敢えて答えない。肩をすくめるだけに留めると、フェルナンは眉間に皺を寄せて何度目かのため息を吐いた。
「そこで意味深な沈黙は止してもらいたいものだな。母を裏切った男に復讐したい、という感情は分からなくもない。だが、逆に考えてはどうだ。お前が自ら動かなくとも、復讐は果たされようとしている、と」
「……制圧作戦に参加する部隊が、代わりにあいつを仕留めてくれると思えってこと?」
「そうだ。生け捕りにされるか、討伐されるかは分からんが、前者であれば獄中にあるうちに接触して恨み言でも吐けばよし、後者であれば死体なり墓なり蹴るでもしてやればいいだろう。――それでは、溜飲は下がらないか」
「そんなこと、今言われても分からない」
窺う眼差しには、頭を振る。自分じゃない、誰かの手によって、あいつが死ぬ。そんな未来は、これまで一度も考えたことがなかった。
八つ当たりだと言われれば、それもそうなんだろう。でも、私はどうしてもあいつを許せなかった。あいつを探して、あいつ殺して、全てに決着をつける。そうしなければ、生きていること自体に耐えられなかったから。
俯けば、「ともかく」と疲れた様子の嘆息が聞こえる。
「今しばらくは大人しくしていろ。制圧作戦への参加が明確に禁じられた以上、独断専行は部隊の評価にも関わりかねん。悪いが、しばらく監視させてもらうぞ。部隊長の暴走を止めるのも、部隊員の役目だ」
「暴走しているつもりはなんて、ないんだけど」
「傍から見れば、充分に暴走だ」
きっぱりと言い返されて、私はまたしても返す言葉がなかった。
 




