6:蒙霧升降-01
蓮花祭が終わった明くる日、俺とケイの第四十九部隊は久々にギルド長からの招集を受けた。
時刻は午前十時。ケイとは例の如くギルド支所一階の休憩室で落ち合ったが、ほのかに昂揚した面差しを見るに、彼女も同じことを考えているようだった。もしや、ようやっとケリカーン山の調査における今後の方針が決まったのか。そんな期待を抱いてケルリッツの執務室を訪ねてみると――
「……あー、ギルド長、お言葉だけど、あなた少し休んだ方がいいんじゃないか?」
ケイが入室するなり、開口一番にそう言うのもやむを得ないほど、部屋の主の形相は凄まじかった。
目の下にはくっきりと黒い隈が浮かび、頬はこけて土気色をしている。死人とまでは言わないが、病人の域に片足を突っ込んだような顔つきだ。以前に面会した際――ケリカーン山の二次調査の報告書を提出した頃は、まだここまでひどい様子ではなかったはずだが。
ネフォティルのギルド長は、決して軟弱な人物ではない。海千山千の傭兵を統括し、指揮する強かな曲者だ。それがここまで憔悴するとは、一体何があったというのやら……。
「気遣いには感謝するが、生憎とそうもいかない。第四十九部隊、長らく待たせて済まなかった。本日をもって、君達の調査活動は再開となる」
怪訝に思う間にも、ケルリッツは緩く頭を振って喋り始める。俺とケイはいつかのように並んで立ち、それを聞いていた。語る声の尋常でない覇気の無さは寒気がするほどではあるものの、内容自体は純粋に喜ぶべきことだ。
ケイが控えめながらも、喜ぶ声を上げる。
「あ、やっと? 待ちくたびれそうだったよ」
「だが」
……だが。
しかし、ケルリッツの口からは、いやに不穏な言葉が続いた。喜んでいたケイが一瞬にして静かになり、嫌な間が落ちる。最早虚ろになりかかった目で俺達を見つめ、ケルリッツは続けた。
「今回の調査場所はケリカーン山ではなく、大マルシャ湖の近郊となる」
「は?」
一音だけで訊き返す反応は、奇しくも二人同時だった。
ケルリッツは深いため息を吐き出し、一枚の紙片を差し出す。ケイが進み出て受け取ったそれを横から覗いてみれば、ネフォティルの街から大マルシャ湖へと北上する街道図であることが分かった。
大マルシャ湖への道のりは、大人の足で片道四日ほど。その三日目辺りで差し掛かる地点に、広大な森林があった。危険度自体はさして高くはないものの魔獣の類が棲みつく程度には深い森を、街道は東回りに迂回する形で北に延びる。西に鬱蒼とした森、東をネブリナ川に挟まれて半日も歩けば、森を通り過ぎることができた。
ケイが受け取ってきた街道図は、その森を示す場所に妙な印がつけてあった。赤い×印。いかにも、と言えば、それもそうだが。
「森で、何か変事が起きたと?」
問い掛けてみると、ケルリッツはただでさえ悲惨な顔色を一層に暗く沈ませながら、
「その場所に調査に出ていた、第二十二部隊が姿を消した」
信じがたいことを、言った。
「何だって!?」
ケイは裏返った声を上げ、俺は思わず目を見開いて絶句した。
もしや、ここ数週間にわたり延々と会議が続いていたのは、その「行方不明」のせいでもあったか。
「ちょっと待って、それ、本当に? 冗談とか、勝手に他の街に行ったとかじゃなくって?」
「こんな冗談を言う馬鹿がどこにいるのだね。二十二部隊は、ギルド内の信用度も高い中堅揃いだ。依頼を途中で無視して姿を消すとは思えんし、それをする理由も、利点も考えられない」
眉根を寄せて、ケルリッツは言う。
それはそうだろうが、そのような内容を突然言われて、信じろというのも無理な話だ。もう少し情報でも貰わないことには、判断もできない。
「二十二部隊の面子は? どんな連中なんだ」
「デニス・ペトル、クサヴェル・ハロウプカ、アーペリ・ヒラカリ、ティム・フォースター。四人編成だった」
「あいつらか……」
「フェルナン、知ってる?」
見上げてくるケイに、小さく頷き返す。
挙げられた名前は、全てこの稼業について五年以上の経歴を持つ「中堅」だ。人となりに多少の差こそあれ、どいつもきちんとした仕事ぶりを見せることで知られている。何度か依頼の都合でその場限りの連携を取ったことがあったが、腕も悪くなかった。比較的ギルドの指示にも忠実な類だったはずだから、なるほど、途中で逃げ出したということも考えづらい。
「親しくはないがな。あの連中なら、確かに逃げた可能性は低そうだ」
「ふうん……。けれど、それが私達が調査している『失踪事件』に関係があると? これまで失踪した傭兵達は、何も仕事の最中に消えた訳じゃないだろ?」
ケイの疑問も、もっともだった。ネフォティルを巡る「傭兵失踪事件」は、あくまでも街を発った傭兵が、その後完全に消息を絶っている――いずこのギルド支所にも姿を現さず、目撃証言も音信もない――ことを問題としていた。姿を消したのは街に滞在している最中ではなく、発った後。それが調査を遅らせる、直接的な原因となった。
傭兵ギルドは多数の兵力を抱えてはいるが、軍や各領地の私設兵に与えられているような捜査権は持ち合わせていない。発生した事件の解決を求めるのなら、必然的に軍や領内の兵を頼ることになる。しかし、ネフォティルの領主は、当初その要請を「受け入れられない」として跳ね除けていた。
領内で変事が起こったという物証もないのに、人員を動かすことはできない。それが当時の領主の言い分であり、「街を発った傭兵の動向までは関与するところではない」とも言っていたとかいう噂だが、そこまでは事実かどうか定かでない。ともかく、駐留している軍がそうであるように、可能であれば静観で留めておきたかったのが領主の本音だったのだろう。だが、日和見をしている内に滞在する傭兵は目に見えて減っていき、後に引けないところまできてしまった。
その結果が、今のこの有様だ。仮に失踪事件がネフォティルの街の滞在中に発生していたのなら、もっと早くにもっと大事になっていたはず。そう考えれば、犯人は上手くやっていたと言わざるを得ない。街を発った後の、ある意味で宙ぶらりんな状況で掻っ攫った。お陰で、ネフォティルの領主もギルドも有効な手を打てないでいる間に、姿を消した傭兵は二桁にも上るという。
――だが。
であればこそ、ギルドの指示で作戦行動中であった部隊が、同じ犯人によって攫われたとも考えにくい。これまでの慎重さをかなぐり捨てるような暴挙だ。もしくは、本格的な捜査が始まったことで自棄にでもなったのか。
「しかし、ケイ――君とて体験したはずだ」
俺が思考に沈んでいるのを余所に、ケルリッツがやおら真剣な口調で言った。体験、と怪訝そうにケイが繰り返す。
そのやり取りを聞きながら、ああ、と思い出した。二次調査の報告書を書く為にと、ケリカーン山で繰り広げられた戦闘について詳しく聞いてある。その中に、よく似た件があったではないか。
ケイ、と今度は俺が呼ぶと、青い目がくるりとこちらを向く。その透き通った色合いは、いつ見ても宝石のようだった。
「何?」
「もう忘れたのか? 山で戦った鉄傀儡は、お前をどこかへ連れて行こうとしていたのじゃなかったか」
「――あ! そうか、そうだった。あいつ腹を串刺しにして、そのまま引きずっていこうとしてたんだ。あれもあのままなら、作戦中の失踪になってたかもか」
思い出した、とケイが語りだせば、ケルリッツが「そういうことだ」と頷く。なるほど、ようやく意図が読めてきた。
「二十二部隊の行方不明が、我々が調査している『連続失踪事件』と同一犯によるものかは分からん。だが、君達が遭遇した事件と、類似性が見出される余地がある。よって、当事者による調査を行うことが決定した」
「つまり、同じような陣を探して来い、と」
「その結果が得られれば、最も望ましい。以前に提出された魔術陣の写し――の、更に複製品となるが、それを資料として貸し与える。何か発見があっても、なくても、本日から十日後にまでは報告を上げるように。何を置いても、帰還すること。それが君たちに与える最重要命令だ」
了解、とケイが肩をすくめて応じる。その青い目が「問題ないか」と問うように、一瞬こちらを向いたので、また黙って頷き返しておいた。厄介なことだと思わなくもないが、それより他に返せる答えもない。
俺達は、ここで頷くことを条件に契約を結んだ立場だ。調査を行え、と命令されてしまえば、どんなに気乗りのしない内容であろうと従わねばならない。ギルドの指示に従って動くという契約を結んだ以上、命令に逆らうことは許されなかった。
まるで軍にでも入ったようだ。内心で自嘲気味に思いながら、連れ立ってギルド長の執務室を辞した。
蓮花祭も終えたネフォティルは、すっかり夏の暑さを匂わせ始めている。いかに避暑地と言えど、他地方に比べれば気温が低いだけであり、決して夏の間も涼しい訳ではない。遮るものの何もない街道ならば尚更、夕刻に近付いても厳しい暑さを保っていた。
ケリカーン山とは比べるべくもないが、今回の調査現場も広い。なるべく現地での時間を取れるよう、ギルドを出たその足で共に昼食をとり、装備を整えて街を発ってきたが、これだけ暑いのならばむしろ出発を遅らせた方が良かったかもしれなかった。視界は多少悪くなるものの、日が落ちれば、うだるような熱からは解放される。
軽く息を吐いて、頬を伝う汗を手の甲で拭う。魔装具が開発されてからというもの、人はそれを使いこなす腕さえあれば、金属鎧を常時着用する重荷からは開放された。しかし、鎧を纏うこと自体に変わりがない以上、ある程度服装は身体を保護するものでなければならない。動きやすさを最優先された旅装でさえ、ある程度の頑丈さが求められ、布地は厚く硬い。自然とそれは内部に熱を篭らせ、汗を滴らせた。
ちらと目を向けて見れば、傍らを歩くケイの頬にも、さすがに汗が筋を描いている。鞄から取り出した水袋から一口含んでから、呻くように言うのが聞こえた。
「暑い……」
「水の残りはあるか?」
「まだ大丈夫ー」
間延びした返事に、そうか、と応じながら、ふと脳裏に思い出されることがあった。つい昨日の出来事だ。
「大丈夫と言えば、ルツスカの件は問題ないのか?」
問い掛けると、きょとんとした目顔が向けられた。ルツスカ? と首を傾げるので、「祭りで絡んできた傭兵だ」と返してみれば、ややあって「ああ!」と声が上がる。
「組むのがどうこう、って言ってきた?」
「ああ、それだ。エラディカ・ルツスカ。ネフォティルには二、三年前から滞在しているらしい。腕は立つが素行が悪いと評判だ」
「漁色家って言ってたっけ?」
「そこは覚えているのか……。当事者になったことがない分よくは知らんが、奴には他人の相手を盗みたがる悪癖があるらしい。実際、何人か盗られたと嘆いているのを聞いたことがある。それで、そう呼ばれることも間々ある」
「ふーん。やっぱ、あんまりお近づきになりたくない手合いだな。そんな人間関係のゴタゴタに巻き込まれたくないし」
「全くだな。……だから、初めその意図で近付いてきたものかと思ったが」
しかし、あの祭りの最中、ルツスカに何事か囁かれたケイは、蒼白に近いほど色を失っていた。ただ「漁色家」のあだ名通りの誘いをかけられただけならば、ああまでも強張った表情になりはすまい。
……もっとも、その手の話題に何か思うところがあれば、その限りでもないかもしれないが。何分、ケイは見映えのいい容姿をしている。
「まあ、うん、そういう話じゃなかったな」
「どんな話だったんだ?」
あっけらかんと否定されて、かえって興味が沸いた。何気ない風を装って尋ねてみると、ケイは目を丸くしてみせる。
「珍しいな、あなたが突っ込んで訊いてくるなんて」
「意外と好奇心は旺盛な性質でな」
「一匹狼なのに?」
「それは外野の吹聴した評価に過ぎんし、厭世家を気取っているつもりもない。噂を真に受けたのか?」
「だって、私はあなたのこと、『大陸で五指に入る傭兵』って以外、よく知らなかったしさ。……うーん、それにしても意外だ」
心底そう思っているような声で言われたので、つい眉間に皺が寄る。
「俺を何だと思っていたんだ?」
「人と組みたがらない一匹狼。わざわざ駆け出しを隊長に据えてまで指揮する責任を嫌ったくらいだから、よっぽど他人と動きたくないのかと」
「確かに他人に命令したり指揮したりするのは好きじゃないが、協働そのものを拒んでる訳じゃない。腕に不安のある奴だの、素行に問題がある奴だのと組んで効率を落とすくらいなら、一人で片付けた方がよほど早く確実に済む。それだけのことだ」
「はー……自信家だこと。まあ、あなたくらいの実力があれば、それもそうなのかもしれないけどさ」
「ともかく、話は俺ではなく、ルツスカのことだ」
「ああ、そうだった。あのルツスカって人はさ、元々どういう身分というか――立場だったのか、あなたは知ってる?」
「いや、知らん。奴とは一度も組んだことがないからな」
それで「選り好みしている」などと言われる羽目になったのだろうが、そこまでは言うこともあるまい。
ケイも、俺が知っているとは思っていなかったのだろう。そっか、と小さく頷くと、どことなしか困惑したような面持ちで切り出す。
「ルツスカは、まず知らないはずのことを知ってた。あれを知ってるのは、私を除いたら、故郷の一族だけのはずなんだ」
「とんだ機密のようだが……奴は一体何を知っていたんだ?」
意を決して、更に切り込んでみる。
おもむろにケイが立ち止まり、じっと俺を見上げてきた。つられて足を止め、見上げる眼差しを見返す。ほどなくして、視線は彼女の方から逸らされた。
「名前だよ」
「名前?」
「ニコル・ケイは、本当はどっちも名前なんだ。家名は別にある。……名乗っていないだけで」
「……名乗れない、ということか?」
「ううん、名乗る資格がない、と言うべきかな。前にも話しただろ? 私は族長の家系に生まれたって。でも、私は次の長となる責任も、矜持も、何もかも投げ捨てて故郷を出た。故郷にいられなかったんだ。村の皆が許しても、先代の長である祖母に許されても、私が私をあのまま留めておくことに耐えられなかった。我が儘みたいなものなんだ。だから、族長の継ぐ家名を名乗ることはできないと思った」
「だが、その家名をルツスカは知っていた、と」
確かめるように言葉を口に出してみると、ケイは黙然として頷いた。
その顔が強張って見えるのも、おそらく気のせいではない。誰も知らないはずの自分の秘密を、見ず知らずの男が知っている。あまりにも不可解で、得体の知れない事象。それは不審を通り越して、恐怖にさえ近く感じられることだろう。
深々と息を吐き出して、ケイが再びゆっくりと歩き出す。その歩調に合わせて、俺もまた足を動かした。
「私の故郷は、なんていうか……閉鎖的なんだ。一族の大半は村から出ることなく一生を終えるし、とにかく情報を漏らさないようにする。数少ない例外として村の外に出た私と母も、名前すら外向きの物に変えていたしね」
「名前も? なら――」
「あ、今のこの名前は、ちゃんと本名だよ。そうじゃなきゃ、あいつが釣れない」
忌々しげに吐き捨てられた「あいつ」が誰であるか推測するのは、さほど難しい話ではない。父親のことだろう。以前語った時も、憎々しげな表情をしていた。
「まあ、あいつのことは脇に置くとして。……そんなだから、ルツスカが私の家名を知っているはずがないんだ。どうやったって知りえないはずのことなんだからさ」
一体どういうことなんだか、とケイはため息を吐く。
ぼやく声を聞きながら、はたと閃くことがあった。
「ケイ、一つ思いついたことがある。単に思いついただけで、確証も何もないことだが」
「うん?」
きょとんとした様子で、こちらを見上げる顔。いかにも純粋な風の眼差しを受け止めながら、その言葉を口にするのは、どこか気まずいような苦いような感慨を抱かないでもなかったが、黙っていても仕方がない。むしろ、気付いていて指摘しない方が、彼女にとっては不利益となるだろう。
軽く息を吐き出し、それから腹を括って告げた。
「お前の父親は、お前の名を全て知っているのだろう。お前が『ニコル・ケイ』として名前を上げれば、そいつはお前に気付くのだろう?」
「ああ、そうだよ。そのはず――……って、まさか」
ケルリッツが俺の上に据えるに相応しいと判断しただけあり、やはりケイは頭の回転も悪くないようだ。皆まで言わずとも、意図は伝わったらしい。表情を険しくさせて、苦々しげな顔つきになる。
だが、敢えて俺もここで言葉を切る訳にはいかなかった。切り出したのなら、最後まで。
「確証も何もない、あくまでも思いつきの推測には過ぎないがな。ルツスカは、お前の父の使いとして接触してきたのじゃないか」
そう口にした途端、ケイは血が流れそうなほど強く唇を噛み締め、
「そうか、だから――」
何やら、ひどく意味深なことを、言った。