1:青鳥至
広大な大陸の西端に、メルラリスという国がある。古くから魔術と、それを付与した物品の加工を得意とし、その技術力をもって小国ながら周辺諸国から一目置かれていた。
長らく戦争と無縁の、平和な国。それが私にとってのメルラリスの印象だった。しかし、その平和であるはずの国は、現在とある騒動に揺れていた。
南方の都市ネフォティル。
その街に立ち寄った傭兵が、その後相次いで姿を消しているのだという。それも腕利きとして知られた者ばかりが。
メルラリスは周辺の国々に比べ、国内の治安維持において傭兵に頼る比率が高い。もちろん国軍は存在するが、伝統的に国民には職人が多く、お世辞にも十全な規模を擁しているとは言えない。
そこで用いられるのが傭兵――報酬と引き換えに武力を提供する個人だった。つまり、私のような。
傭兵の多くは、大陸全土に支部を持つ傭兵ギルドに加盟している。ギルドに所属していれば、ある程度仕事の斡旋を受けられるし、対外的にも最低限の人となりと戦闘能力を認定してもらえるからだ。
メルラリスは先王の治世の頃から傭兵ギルドと正式に契約を結び、軍の手だけでは処理しきれない細かな問題――魔物の討伐、賞金首の捜索など――を一定数委託してきたのだと聞く。南方最大の都市たるネフォティルもまた例に漏れず、自衛に治安維持にと多くの傭兵を用いてきた。
先述の騒動は、その分配構造を根本から揺るがす大事件だった。騒ぎが起きてからというもの、ネフォティルに滞在する傭兵はあからさまに目減りしたそうだ。
その光景をして、街中では情がないと嘆く声もないではなかったが、去った者達がネフォティルに滞在していたのは、そこが稼ぎ場として適当であったからに他ならない。己の身一つで戦場を渡り歩く傭兵は、ただでさえ物の見方が厳しい。ギルドとしても無理に留まるよう要請することはできず、仮にできたとしても致命的な士気の低下を招くことは想像に難くなく……つまるところ、なす術がなかった。
そうして日に日に減り続ける傭兵を前にして、ネフォティルの領主はついに決断を下した。悪化を辿る事態に歯止めをかけるには、正式に状況を認め、解決を図るよりないと。
明くる日、ネフォティルでは領主の名をもって正式に告知がなされた。曰く――昨今街を騒がせている「傭兵連続失踪事件」に対し、正式な調査を行う。解決に寄与した者には十分な報奨金に加え、都市の住民権を与える。
傭兵の多くは街から街へと渡り歩き、定住をしない。されど、必ずしも傭兵の全てがそれを良しとしている訳ではなかった。
住民権を持たずに都市に滞在することも、もちろん可能ではあるものの、福祉や各種保証制度を十全に受けられるのは住民権を持った者だけだ。生まれ故郷以外の場所で住民権を得るには、相応の金銭をもって購うか、己が都市に対して有用であることを証明せねばならない。これは大都市であればあるほど認定基準が厳しくなり、ネフォティルもメルラリス国内で五指に入るほどの狭き門だった。
領主からの告知がなされてからというもの、つい先日までの人気の無さが嘘のように、ネフォティルの街には傭兵が大挙して押し寄せていた。多額の報酬と、あわよくば住民権を得んとした傭兵達の喧騒で街は賑わい、俄かに活気を取り戻したかに見える。街人の中には、それを「現金だ」と顔をしかめる向きもあるとかないとか。
――もっとも、世間的に見れば、私もその現金な傭兵の一人に入るのだろう。そう他人事と構えてもいられない。
「聞いているかね、〈青羽〉?」
不意に呼びかけられて、窓の外に向けていた意識が引き戻される。
声の主に目を向けてみれば、狭い会議室の中――円卓の向こう側で、五十がらみの壮年の男が眉を寄せていた。この御仁こそ、ネフォティルの街の傭兵ギルドを取りまとめるギルド長、サローディ・ケルリッツその人。
件の「傭兵連続失踪事件」の調査に加わる契約を結んだとは言え、本来なら昨日街に到着したばかりの余所者がご対面できる相手じゃない。ベテランの広く名の知られた大戦士の類であればまだしも、こちとら傭兵稼業二年目で新米に毛の生えた程度の駆け出しだ。一体何を企んでいるのやら、と怪しみたくなってしまうのも無理からぬところだろう。
「聞いているとも、ケルリッツギルド長。それより、その呼び名は好きじゃないんだ。私にはニコル・ケイって名前がある。そっちで呼んでいただきたいね」
「では、ケイ。この街を取り巻く事情については、正確に理解してもらえたと判断しても?」
「もちろん。この街を訪れた腕利きの傭兵が相次いで行方知れずになる案件が続いてて、このままじゃあ傭兵が寄り付かなくなって、治安維持もままならない恐れが出てきた。そこで餌を吊って傭兵を呼び戻し、事態の解決を図ることにした――だろ?」
肩をすくめて返してみせると、ギルド長は眉間に刻んだ皺をわずかに解き、「そうとも」と息を吐いた。あからさまに疲れの滲む、嘆息じみた風情。
「作戦行動中の行方不明を防ぐ為、ギルドの方針として、全ての傭兵に複数人での行動が義務付けることとした。君には第四十九部隊を預けたい」
突然の、それも思いもよらない提案に、自分の目が見開くのが分かった。
「私を部隊長に? ギルド長、私の経歴を知らない訳はないだろ?」
「もちろん、知っているとも。二年前、ザェレジ皇国リモケノテにて当ギルドに加盟。当時十六歳。以後、各地を転戦し、第一種脅威認定された魔獣や賞金首を相次いで討伐ないし捕獲し、ギルド内外で評価を上げる。得物は――」
ギルド長の口から滔々と流れ出した私の個人情報は、意外なことにおよそ間違いがなかった。放置しておけば延々と述べ続けられそうなそれを、ため息を吐いて遮る。
「あーあー、分かった、分かりました、もう結構。お見それした、ちゃんと私のことは把握してらっしゃるようで。……だからって、やっぱりこれは暴挙としか言えないだろう。私は誰かに指示を出しながら戦うことに慣れていないし、まして十八の小娘に黙って従う奴も、そうはいない。だろ?」
「その事実を否定はしない。だが、全くいない訳ではない」
こう言うと自意識過剰に聞こえるかもしれないが、私は自分が明らかに傭兵らしくない類であることを自覚している。故あって、この稼業に身を置いてはいるものの、女で、若くて、身体だって大きくない。侮られることこそあれ、その逆はまず皆無だ。
それなのに、ギルド長は平然と言い返してくる。全くもって、どういうつもりなのだか。
「君に預ける部隊には、明確な役割を付加してある。部隊員は君の他に、ジギー・フェルナン。二人編成だ」
あっさりと告げられた言葉に、再び私は驚愕した。
ジギー・フェルナン。それは、まさか――
「〈赤尾〉!?」
「ああ、その〈赤尾〉だ。彼は半年ほど前から、この街に滞在している。君と組ませることが決定したのは、双方の機動力と作戦遂行能力を見込んでのものだ。君の〈スヴァーラ〉と彼の〈ニヴ〉は世に魔装具多しと言えど、機動力に置いて群を抜いている。手がかりを発見した際には、君たちに第一陣として追跡ないし突入してもらいたい。危険な役目である分、報酬は弾むつもりだ」
あくまでも冷静な表情を崩さず、ギルド長は述べる。私はもう開いた口が塞がらない状態だった。
魔装具とは、武器を精製する兵装・鎧を精製する鎧装・魔力を噴出することで鎧を装着したままの跳躍や高速移動を可能とする駆装の三種の魔術を、一括して付与された装身具を指す。このメルラリスにおいて試作品が開発されてから半世紀余りが経過した現在、個人戦闘能力を爆発的に跳ね上げた魔装具は、個人武装で最も広く用いられているものであり、戦場の花形と言えば魔装具使い――魔装士と謳われて久しい。
そして、傭兵ジギー・フェルナンは、その魔装士として大陸で五本の指に入ると謳われる辣腕だった。
「頭が痛くなってきた……。〈赤尾〉は、傭兵稼業十年近いベテランだろう? こっちはまだ二年ぽっちの、新米に毛の生えた程度だ。隊長の人選が逆じゃないか?」
「これはフェルナンからの提案だ。雛を従えて背後の心配をしながら探索するより、自分の目の届くところに置いて、その面倒を見ながら補佐した方が楽でいい、と」
「あー、そう。そういうこと。お守りしてくれる気満々ってことだ。光栄だね」
噂によれば、フェルナンは単独行動を好む一匹狼であるという。人と馴れ合わず、人数合わせで合同の仕事をすることはあっても、仲間として組むことは決してない。
それが形式上だけとは言え、私のような若造に従うことを受け入れてまで貫かれるスタンスであるとすれば、それはそれで厄介なような気がしなくもない。よっぽど群れるのが嫌いなんだろう。そもそも部隊で行動できないんじゃないか?
「だが、魔装具の相性もある。気難しいベテランの壁役にされるより、背後からの援護を得て斬り進めると考えれば、悪くもないだろう」
「簡単に言ってくれるねえ……」
再び、ため息が口を突いて出た。
私の使う魔装具〈天舞うスヴァーラ〉は、大陸北方の強国スネーフリンガによって製造されたもので、一対二本の双剣を主兵装とする。飛び抜けて速い駆装機動を生かしての霍乱や一撃離脱の戦闘方式に長ける反面、速すぎる機動力が仇となって扱いにくいとも評される。
一方、フェルナンの〈ニヴ〉――〈貫き穿つニヴ〉は大陸中央に位置するザラルカ公国の製造で、弓とする珍しい魔装具だった。自身の魔力を矢に変じて射出す弓の兵装は魔力を豊富に持つ者でなければ扱いきれず、必然的に使い手の数も少ない。フェルナンは透視魔術を併用しての、広範囲に亘る精密狙撃の名手として知られていた。
私が〈スヴァーラ〉を駆って敵を追い込み、〈ニヴ〉の魔箭で仕留める。組み合わせとしては、悪くないのかもしれないけれども……。
「どっちにしろ、私に拒否権なんてないんだろ?」
肩をすくめてみせると、ギルド長はただ薄く笑むだけの反応を返した。全く、この狸め。
「了解しましたよ、っと。お飾りの部隊長をしろというのがギルドからの命令であるなら、それに従うだけだ。――相方はどこに?」
「下の休憩室で待機しているはずだ。歳は二十七、黒茶の髪に紫紺の目をした背の高い男がいれば、それが彼だ。それから、これがしばらくの作戦計画となる。二人で確認してくれ」
差し出された書面を受け取り、席を立つ。この会議室は傭兵ギルド支所の二階、休憩室の真上にある。防音の結界でも巡らされていたのか、廊下に出た途端に表通りと階下の喧騒が耳に飛び込んできた。
ため息を飲み込み、歩き出す。ちらりと窓へ目を向けると、木枠に嵌め込まれたガラスに、笑えるくらい陰気な顔をした自分が映りこんでいた。
白い髪を長く伸ばして括った、青い目の女。服装は動きやすい旅装束の上下に、ジャケットを羽織っただけの簡素な軽装。魔装具で鎧の生成が可能になってからというもの、傭兵もすっかり軽装化がすすんでいる。一応、清潔を心掛けているので、見るに耐えないということもないはず。
容姿自体も、そこまで悪くはないものと思う。村一番の美女として称えられた母の血を受け継いだだけあってか、街を出歩けば、そこそこの確率で要らぬ声も掛かる。ただ、十八の歳より常に二つや三つ幼く見積もられる顔つきが悪いのか、傭兵だと名乗っても「お嬢ちゃん」扱いされることしかないのが、目下最大の問題だった。
だからこそ、下手な表情を浮かべていると付け込まれる。
大きく息を吸って、吐く。何も心配などなく、自信しかないような顔を作って、貼り付ける。そうして窓を鏡に装った後、私は意を決して下階へと続く階段に踏み出した。
ネフォティル傭兵ギルドの正面玄関をくぐると、そこには酒場とも見紛う光景が広がっている。
木目の磨き上げられたフロアに置かれているのは、多数の丸テーブルとスツール。傭兵達はめいめいにテーブルに陣取り、札遊びで賭けをするだの、持ち込んだ飲食物に舌鼓を打つだのして、自由気ままに過ごしている。いかにも雑多で粗野な風情の、その場所こそが休憩室と呼ばれる傭兵達の待機場所であり――今、私が踏み入れた空間だった。
ここが常に人で溢れているのには、意味がある。休憩室の一隅には、依頼の受注を管理するカウンターが設けられているのだ。
休憩室にたむろしている傭兵達は単に暇を潰しているようでありながら、その実抜け目なく情報収集に勤しんでいる。ギルドを訪ねてくる依頼人は、必ず休憩室を通過して依頼の受注カウンターへと向かう。傭兵達がこの場に集っているのは、ひとえに傍を通りがかる金づるの品定めをしているのであり、また少しでも稼ぎのいい依頼を他に先んじて掴もうと互いに互いを牽制し合っているからだ。
コツンと靴音を立てて歩き出すと、先客達の視線が一斉に突き刺さるのを感じた。
その眼差しに篭るのは多大なる好奇と、わずかな侮り。からかうように口笛を吹かれることも日常茶飯事だ。おおよそどこの街のギルドでもお決まりの反応ではあるものの、何度経験しても面倒なことだとうんざりする。
これだから、私はギルドに立ち入るのが好きでないのだ。普段なら手頃な依頼を探すだけ探して、さっさとお暇してしまうところだけれど、残念ながら今日はそうもいかない。
黒茶の髪、紫紺の眼――。口の中で呟きながら頭を巡らせると、果たして部屋の隅のテーブルにそれらしき容貌の男の姿が目に入った。
四つの椅子が配置された丸いテーブルの一角に一人で座っており、背丈については正確には分からないが、体格はよさそうだ。服装は私と似たような軽装。落ち着いた色合いで統一されているところを見るに、派手好みではなさそうだ。汚れたり痛んでいる風もないので、身形にきちんと気を使える性質でもあるのだろう。短く切り整えられた髪は黒混じりの茶で、眼は伏せがちに手元に広げた新聞に向けられている。歳は二十七と聞いてはいたものの、これが大陸で五指に入る辣腕かと思うと、随分と若いように思われた。自分のことは、この際棚の上に置くとして。
男を観察しつつ、意識して足音を鳴らし続けながら歩みを進める。程なくして、進行方向にいる男は顔を上げた。ゆるりと辺りを確認する様子の目線が、やがて私を捉える。
傭兵とは何かと粗野な印象がつきもので、それが実際に一定以上正確な評価であることも否定できないのだけれど、その男は数少ない例外であるらしかった。手にしているものも飾りではないのか、紫の眼に浮かぶのは確かな理知の光。面差しも精悍で、身なりも小奇麗に整えられていた。ただ、笑みの欠片すら浮かんでいない訝しげな表情の分、どうしてもぶっきらぼうな印象が先に立つ。
「俺に用か?」
低く、よく通る声だった。
「あなたがジギー・フェルナンならね」
足を止めないままに答えると、男は「ああ」と何やら合点のいった様子で手にしていた新聞をテーブルに置き、立ち上がった。気負いのない動作で右手を差し出すので、適度な距離を保って足を止める。
差し出された手には、魔装具〈貫き穿つニヴ〉の本体であるバングルが嵌められていた。傭兵にとって魔装具を装着した手を晒すことは、敵意のないことを端的に示す所作となる。もちろん、私だってそれに倣うにやぶさかじゃない。右手――〈天舞うスヴァーラ〉の指輪で飾られた手で、握り返した。
「俺を探していたということは、噂の新顔〈青羽〉だな? お察しの通り、俺がフェルナンだ。話は既に聞いているだろうが、お前の補佐につくことになった。よろしく頼む」
「ご丁寧にどうも。けれど、私の名前はそれじゃない。ニコル・ケイ。そっちで呼んでもらえると嬉しい」
「それは失礼した。――ケイ隊長?」
「そんな風に呼んでもらわなくてもいいよ、所詮は形式的なものだろ。そんなことより、噂の凄腕――〈赤尾〉と組めて光栄だ。駆け出しではあるけれど、なるべく世話を焼く手間は掛けさせないつもりでいる。どうぞ、よろしく」
一息に言い切ってみせると、フェルナンは一瞬息を呑み、苦笑を浮かべた。
「ケルリッツの狸、全て喋ってくれたらしいな。裏切ったか」
「裏切りなんてとんでもない。情報共有は味方になるなら基本だ。――座っても?」
握った手を離して、フェルナンが座っていた椅子の隣を示す。男は頓着した風もなく、軽く「どうぞ」と返してきた。その最中、私が手に持っている書類に気付いたか、ちらと目線が向けられる。
「それも『情報共有』の一環か? 何か指示が下ったのか」
「今後の計画だってさ。私もまだ目を通してないんだ。この辺りの地理も把握しきっていないから、助言をもらえると嬉しい」
フェルナンもまた再び椅子に座り直したのを確認してから、テーブルに書類を広げる。大雑把に並べた内の一枚を、大きな手が拾い上げた。すると、俄かにその眉間に皺が寄る。
……あーらら、いきなり大層な反応が出てきたじゃないの。
「何か不審な点が?」
「不審と言うよりは、嫌な予感が当たったと言うべきだな。俺達の探索受け持ち場所には、ケリカーン山と、その周辺の山林が割り当てられている」
「ケリカーン山……そこに問題でも?」
重ねて訊くと、フェルナンは書類をテーブルに置き、重々しい調子で息を吐いた。
「ネフォティルを訪れた後に姿を消した連中は、その多くがケリカーン山に一度ならず足を踏み入れている。これは噂ではなく、足跡を調査した結果に浮かび上がった、明確な事実だ。あの山は、今現在最も警戒されている場所の一つだ」
苦々しげに告げられた言葉の示すところは、ただ一つ。
私もつられて、ため息を吐かざるを得なかった。
「原因が潜んでいると思われる、第一候補地、か」
「あの山は相当に険しい上、ただでさえ森も深い。透視ですら、見通しきれん。俺達向きの仕事場じゃない。ケルリッツは何を考えてる? ここのところの激務がたたって、頭が湯だったか?」
「『機動力と作戦遂行能力を生かしての突入役』という言い方はしていたけれど、要するに斥候だろうな。難事が起こったとしても、多少のことならば生還してくると期待されているのか……それとも、布石にして構わないと考えているのか。あなたは、透視で遠方を見透かして矢を射るのだろ?」
「ご名答。お前さんの背中は俺が守ってやる――と、言いたいところだが、あの鬱蒼とした山の中じゃ見通しにくい上、射線の確保も一苦労だ。断言はできんな」
「いや、それは構わない。自分の身は自分で守る。それもできないのに傭兵稼業に足を突っ込むほど、無謀であるつもりはないよ」
私はまだまだ駆け出しの傭兵だけれど、それくらいの矜持はある。紫の目を真っ向から見返して言うと、フェルナンは小さく口笛を吹いた。
意外と強気だな、と揶揄するに似た響きでもってこぼされた呟きは、意図して聞き流しておく。どうせ、彼の中で私はまだ半分お荷物の雛認識だろう。これまでの戦歴や経験の差を見れば、どうしたって仕方のないことでもある。気にするには及ばない。……と、思うことにする。
「ともかく、ギルドの方針がそうであるなら、一度山に出向いてみない訳にはいかない。幸い、実動の日時までは指定されていないみたいだ。そちらの都合のいい時に探索に出てみようと思うのだけれど」
どうだろう、と問い掛けてみると、フェルナンはごく短い間思案する様子を見せたもののら、さほどかからず頷き返してくれた。
「それが隊長の判断であるなら、俺は尊重するまでだ。今は別口の仕事も受けていない。いつでも出られる」
思ったよりも抵抗のない了承の返事に、内心ほっと息を吐く思いだった。どうやら、まるきりお飾りの部隊長にされる訳でもないらしい。
「なら、早速明日でも?」
「構わない。ケリカーン山には、街の南通用門から出るのが最短ルートだ。徒歩では、麓まで片道二日かかる」
「往復するだけで四日以上か、意外に遠いな。長丁場と考えて、多めに荷物を用意をしていった方がいいかな」
「そうだな、用心しておいてしすぎることはない。南に下る街道は、山から流れ出す川に沿うように敷かれている。水の心配だけは、そこまでしなくていい」
するすると出てくる情報は、ある種意外でもあった。
単独行動を好む一匹狼という噂の割には、普通に話せている。嫌がる素振りもなく助言をしてくれるし、対話を拒む様子もない。意外に面倒見が悪くないタイプなんだろうか。
「それは助かる。他に覚えておいた方がいいことは?」
「この季節じゃ稀だろうが、街道沿いは森林狼が出る」
「了解、気は抜かずにおくよ」
それから間もなくして、打ち合わせは終了した。
明日の朝八時に南通用門で。――それが、最初の約束となった。
ニコルが席を立ち、迷いのない足取りで休憩室――そして支所出て行く背を見送ってから、フェルナンもまた席を立つ。すると、横合いから「おい、赤いの」と呼び掛ける声が上がった。
いかにもぞんざいな響きは、語らずとも思惑を伝えてくる。面倒な、と吐き出しかけた本音をひとまず飲み込み、声の主へと目を向ける。
「何だ」
あからさまに気乗りしない風でフェルナンが見やった先では、にやにやとした笑みを浮かべた男がテーブルに頬杖をついていた。酒でも飲んでいたのか、顔が不自然に赤い。
「今のが噂のヒヨコちゃんか? 随分ちんまくて、可愛い面してたなあ。お前、アレの尻に敷かれるのか」
「外見が傭兵働きに関係あるか? 最近噂の〈青羽〉だ、ケルリッツも俺と組ませるに相応だと判断している。今のところ、敢えて逆らう理由もない。理由がない内は従うさ」
「あの気難し屋が、殊勝なことを言うねえ」
肩をすくめる男は未だにやついていたが、それ以上構う気にもなれず、フェルナンもまたギルドを後にした。
時刻はまだ午後一時を回ったばかりである。明日からの探索行の為の準備を行うのなら、時間は多いに越したことはなかった。