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依存症

作者: kure

 依存とは、一体どのような事を指すのだろうか。

 その答えを私は知らない。



『依存』と言う言葉を聞くと、どこかネガティブな感情を抱いてしまうのは私だけではないと思う。

『依存』と言う『症状』で、

『依存症』

 真っ先に浮かぶのはこんな単語ではないだろうか。少なくとも私はそうだ。

 ニコチン依存やアルコール依存。ギャンブル依存に薬物依存。

……精神科学とはほぼほぼ縁が無く、決してハイスペックとは言えない私の頭脳では、やはりネガティブな単語しか思い浮かばない。

 

 ではここで依存症の定義について――などと七面倒臭い話はやめよう。この情報社会、依存と言う言葉の定義など、インターネットを検索すればすぐに見つかるだろう。そしてそれをそのまま載せる事も決して難しくはない。

 ただそれをしないのは、私が面倒臭がりで、無精者で、ものぐさな人間なだけだからではない事を書き綴っておこう。

 こんな情報社会だからこそ、あらゆる外的要因を無視して、自己的に分析してみようと言うのが主な理由だ。

 決して調べる手間を惜しんだのではない。多分。

 そうである事を願う。


 本題に入る前に、ここで一つ忠告と言うか警告と言うか、注意を促しておこうと思う。

 今現在、依存症と呼ばれる症状に苦しんでおられる方は、この駄文を読まず、そっとブラウザを閉じる事をお薦めする。お願いする。

 多分私は、専門的知識を持たない私は、無責任にも心理学的には的外れな解釈を垂れるだろう。そして、それが心無く誰かを傷つけてしまうかもしれない。不特定の誰かを誹謗中傷する趣味は無い。

「だったらチラシの裏にでも書いてろ」

と言うご指摘には耳が痛いが、そこはご理解頂きたい。


 そしてもう一点、これは物語ではない。

 冒険譚も英雄譚もない。異世界にも飛ばない。

 起承転結などない駄文だ。

 誤字脱字を見直したりもしない。

 少し執筆から離れたブランクを取り戻すための、軽いリハビリのようなものだ。

 



 さて、依存についてだが、やはりどこかネガティブな印象を持つ単語であることは間違いない。

 だが、私はそれを、『依存』と言う言葉に不快感や嫌悪感を覚えるかと言われればそうでもない。

「はて、依存の何がいけないのだろう?」とさえ思ってしまう。

 この時点で、依存症で苦しんでいる方、それに関わりのある人達を敵に回してしまった感は否めないが、そのように深刻な方々は、もうこの文章を読んでいないという前提で語ろう。


 依存における身近な例――自分の事で例えれば、私はニコチン依存症だ。

 喫煙者。

 愛煙家。

 ヘビースモーカー。

 どんな言い方をしたところで、医学的にはニコチン依存症なのだろう。もっとひどく言えばニコチン中毒者か。 

 昨今の嫌煙ブームに多少肩身の狭い思いをしてはいるが、だからと言って止める気にはさらさらならない。かといって、合法的に認められた趣向品だと声を大にして叫んだりはしない。そもそも未成年の頃から喫煙しているので合法だろうが違法だろうかあまり関係はないのだ。

 

 ここで一つの疑問が浮かぶ。

 果たして煙草を吸っている人はニコチン依存症か。だ。

 多分、大抵の人が思うその境界線は『頻度』に寄るのだろう。

 たまにしか吸わない人と、私のように、手元に煙草が無ければ軽い喪失感を覚える人。やはり後者を依存症と認知するのではないだろうか。

 やはり、頻度と言うのは依存度を測るバロメーターとしては優秀な役割をはたしているのだろう。


 最近は「スマホ依存症」なる言葉も良く聞くようになった気がする。四六時中スマホを触る、暇さえあれはスマホをいじる。スマホの電池残量が気になる。などなど。

 確かに、スマートフォンの出現により人々の生活は大きく変わっただろう。利便性は言うまでもなく、暇つぶし、時間潰しのツールとして。


 スマホに代える前、当時の私がしていた職業は一般的ではあるが、特殊な仕事だったので、相手先の都合で『待ち時間』が出来てしまう事が多々あった。一時間だったり、三時間だったり、時間は様々だが完全に手持ち無沙汰な時間が出来てしまうのだ。

 そんな時、空いた時間を埋めるために、私はいつもコンビニで雑誌を購入していた。小説や漫画ではなく、ファッション誌だったりゴシップ誌が主だったが、大体週に二、三冊は購入していたのではないか。

 同僚が車に残された本を見て、「ああ、今日はこの車あいつが使ったんだな」と分かるくらいだった。 


 しかし、ある時期を堺に一切本を買わなくなった。

 今までと同じように待ち時間はあったし、本を買うのを躊躇するほど収入が少なくなったわけでもない。

 そう、スマートフォンを購入したのだ。

 そしてその事を、自分が本を買わなくなった事を「最近本買わなくなったな」と同僚に言われて初めて気づいたのだ。


「お前にとって結局その本はその程度、ただの暇つぶし程度の価値しかなかった」

 と言われてしまえばそうなのかもしれない。だが、

『携帯をスマホに代えた』

 たったそれだけの理由で、暇つぶしとは言え自主的に、発売日も覚え、毎週毎月買っていた雑誌を購入するのを止めてしまった。

 そして、代わりにスマホをいじる生活(『生活』と打とうとして『せいかちゅ』とタイプして何だかほっこりしたが)にシフトチェンジしたのである。

 何気ない通信機器が(文明の発達により生み出された発明品を何気ないと言ってしまうのはいささか傲慢な気もするが)生活パターンを変えてしまった事を少し恐ろしくも思う。


 通信と言えば、文章で意思の疎通を図る手段と言えば、一昔前までメールだったわけだが、最近は通話アプリのチャット機能を使うのが一般的ではなかろうか。

 少なくとも、私は友人のメールアドレスなど知らないし、「アドレス教えて」と言われるより「ID教えて」と言われるほうが多い気がする。聞いた話では、部署内のやりとりも通話アプリのチャットを使っている会社もあると聞く。ゾッとする話だ。


 確かに、メールよりチャットの方が手間もかからず、リアルタイムにやり取りが出来るのだから利便性は向上していると言える。

 だが、ここでまた別の問題が浮上する事となる。

 そう、『既読』問題である。

 相手がその文章を読んだが読んでいないか、送信者側から目視できるという点だ。

 メールや手紙なら「読んでなかった」と言われればそれまでだが、一旦既読がついてしまうと、その言い訳も通用しない。

『既読スルー』などと呼ばれ、世の若者を悩ませている現象だ。


 送信者は、とりあえず相手が読んだことを認識するわけだから、後は返事を待つ。相手が忙しく、見たけどその場で返事を送る余裕がない場合もあるわけだし、即座に返答が来なくとも、心はスタンバイモードだ。

 だが、そんなスタンバイモードを長く続けられる人間がどのくらいいるのだろう。

 少なくとも、最低の人間を自負する私としては、半日も既読スルー状態が続くと若干苛立ち始める。半日と言えば十二時間。十二時間も返事を出来ない状況とは一体どんな状況なのだろうかと首をかしげる。

 送った相手と内容にもよるが、即急に返事が欲しいときはその旨を伝えるし、手っ取り早く電話で済ませるだろう。

 だからここは例として、親しき友人との何気ない日常会話――「今、何してる?」とかにでもしておこうか

 

 注釈しておくと、最低の人間を自負する私の幾ばくかの尊厳を守るために言わせてもらうと、半日放置されて激怒するような人間ではないという事。

 前述で若干の苛立ちと表現したが、「何だかモヤモヤする程度」と言い換えてもいい。相手に愚痴をこぼす程のものではないという事だ。

 しかしながら、わずかにモヤモヤするのは隠しようのない事実。だからと言って、何度もメッセージを吹き込むような真似はしない。

 私の知人に、相手から返事が来ないと何度もメッセージを送る強者つわものがいるが、そんな事はしない。

 

 そして既読から一日。流石に二十四時間も経過すると私のスタンバイモードは限界を迎える。ジャックバウワーが街中を走り回り、数え切れないほどの銃弾をばら撒いて世界の危機を救っても二十四時間だ。世界中に彼より忙しい人間が何人いるだろうか。少なくとも私の周りにはいない。

 だからここでもう一度メッセージをいれる。短文で、相手に怒りが伝わる程度だ。大抵はここで相手からの連絡が来て一件落着。「ちょっと忙しかった」と言う言い訳に「丸一日返事も出来ない程忙しいってどういう状況だよ」と軽く愚痴って終わりだ。その後はくだらない日常会話をして終わるのだろう

 だが、それは親しい友人のケースであり、全ての人物に当てはまるわけではない。


 例えばまだ知り合って間もない相手、そこまで親しくない相手の場合。

 私は、二通目を送る事はなく、スタンバイモードを解除して忘れるのだ。

 二十四時間と言う時間は短いようで長い。返事を返す暇がないはずはない。『二十四時間働けますか?』なんてCMの謳い文句があったが、二十四時間働いている人間などいるものか。暇な時間、僅かな空き時間くらいあるだろう。

 そう思うにあたり、相手における自分の優先順位はその程度なのかと言う結論に至るわけだ。

 だから、返事を待つのをやめる。

 スタンバイモードを解除する。

 もしかしたら、若干感じた苛立ちを消すように、連絡先からも消してしまうかもしれない。かと言って完全に縁が切れるわけでもなく、忘れた頃に相手から返事が来て、交流が再開するかもしれない。

 その程度の距離感が、私にとって一番楽なのだ。



 まぁここまで、既読スルー問題についてはこの通り、若干の苛立ち、ストレスと呼ぶには余りにも些細な心の揺れ。

 私が一番嫌いなのは、既読がつかない事である。

 メッセージを送ったのに既読がつかない。

 送ったけど読んでさえいない。

 こうなると話は大分変わってくる。

 苛立ちではない。不安になるのだ。


 そして、それが親しい友人だった場合。毎日のように連絡を取り合っている間柄だった場合。既読がつかないというのは、何とも言えない不安に襲われるのだ。

 半日なら「忙しいのかな」で済むが、一日経つとそうもいかない。

 既読スルーとは比べ物にならないストレスを感じる。

 世界から相手が消えてしまったかのような不安に襲われる。

 まるで、空っぽになった煙草のように。


 そう、私は依存しているのだ。

 その相手に、一日既読がつかない程度で不安に襲われるほど。


 人間と煙草を一緒にするなとお叱りを受けそうだが、端的に言ってしまえばそうなのだから仕方ない。煙草がなくなったくらいで死にはしないように、友人が、恋人がいなくなったくらいで死ぬことはない。

 だからと言って、大切な人が無くなってしまうショックを、煙草が切れた事と同一視しているわけでもない。

 無くなったら買い行くし、居なくなったら新しい相手を見つけるだけだ。

 出会いや別れを繰り返して人は生きていく。別れる度に死んでたら命がいくらあっても足りやしない。

 そんな事を考えつつも、一日既読がつかないだけで多大なるストレスを感じる自分の可笑しさに情けなくもなる。


 結局既読がつかなかった理由は、手違いでアプリを消してしまって連絡がとれなかったと言うオチがあって、私が勝手に作り出した死亡説を笑いあったわけだが。

 そこで安堵すると共に、私はその相手に依存していたんだなぁと言う客観的事実を認識したわけである。


『依存』

 言葉の定義も漢字の由来も分からないが、

『人』が纏う『衣』が『在』る。

 り所が在る。

 そんな風に見ると、何だか悪い言葉ではないようにも思える。

 防御力が強化される気がする。  


「生きるという事は、何かに依存する事である」

 そんな名言を誰かが残していた気がする。

 いや、それは嘘だ。今考えた。

 もしかしたら、本当に誰かが言ったのかもしれない。それが記憶の片隅に残っていて、あたかも自分が考えたように錯覚しているのかもしれない。

 調べれば分かるのかもしれないが、あえてそれは控えよう。  



 結局、依存とはどのような事を指すのか。

 その答えを私は知らない。

 答えを知らないまま。煙草を買いに行くとしよう。

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