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おぼろ城主と猫の恋  作者: 朝比奈 呈
嵐の前の静けさ
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14話・逼塞が解けて


 三ヶ月が過ぎ綱宗の逼塞は解けた。部屋から出てきた綱宗は、三ヶ月もの間、一室に閉じ込められて暮らしていたのもあり、綱宗は無精ひげが伸び、藩主時代には綺麗に剃っていた月代も跡形なく消え去っていた。


 逼塞が解けた綱宗に初子がまず勧めたのはお風呂だった。逼塞の間は、他人と接触することを禁じられている。その為、入浴できずに汗をかいた体を、濡れた手ぬぐいで拭くことしか出来ない彼が不憫でならなかった。


 幸い、この大井屋敷には大きな檜風呂があったので、使用人に頼んで風呂を用意してもらったのだ。



「お初。ここの風呂は最高だな。後でそなたも入るがいいぞ」

「ありがとうございます。でもわたくしは昨晩、湯を頂きましたから」

「ちゃんと湯に入れたか?」

「外に風呂があるので──なかなか一人でゆっくり入る気にはなれなくて……」



 大井屋敷の風呂には欠点があった。風呂場が屋敷の外にあるのだ。幾ら屋根が組まれているとはいえ、塀がないので外から丸見えで、のんびり湯に浸かってなどいられない。

 大井屋敷に来た当初は湯をもらい、締め切った部屋の中で体を拭くようにしていた。でも、そのうち体の汚れが気になって夜中にこっそり入浴をしていても、どこか落ち着かなくてカラスの行水のようになってしまうのもしばしばあった。



「ではこれからは夫婦、水入らずで入ろうか?」

「それはちょっと……」

「恥ずかしい?」



 久しぶりの夫との会話でどうしてこんな話になってしまったのだろうと思う初子に、綱宗が顔を寄せてきた。



「御髪、結いましょうか?」

「頼もうか」



 照れくささに話題を変えようとした初子の手を綱宗が握ってくる。彼の手が指先に触れて来た時、羞恥心が湧いたが、綱宗は骨ばった指で何度もなぞるように触れてきた。



「今まで苦労させたな、お初」

「苦労なんてしてませんよ。亀千代とは引き離されてしまったけれど、あの子は元気にやっているようですし、あなたさまのこうしてお側にいられるだけでわたくしは幸せですから」



 綱宗は水洗いでガサガサになった指を気にしてくれたのだろう。でも、今までが大事にされ過ぎてきたのだと初子は思っている。

 当主の妻として江戸藩邸では、身の回りのことを始め、全て侍女らがしてくれたから、手が荒れるようなこともなかった。

 水沢の屋敷にいた頃は、大概の事は侍女がしてくれたが、自分の身の回りのことや炊事場などは一通りやっていたので、こんな事は苦労のうちにも入らなかった。


「さあ、御髪を解くので手を離して下さいな」


 綱宗をその場に座らせ、櫛を握って彼の背後に立つ。彼は気持ち良さそうに初子に髪を梳かせた。長い髪を念入りに解いてから髪の毛を一つの束にして組み紐で結ぶと、以前の彼の姿が蘇った。



「こうしていると伊波さまに戻られたよう。お似合いですわ」

「藩主ではなくなったからな。わざわざ月代にする必要もないか」



 初子にもう皆が求める理想の藩主でいる必要はないのでは? と、言われ、綱宗は思案した後に頷いた。



「何をしようと目に付いて出た杭は打たれる状態ならば、お好きにされては如何でしょう? もう古狸の顔色を窺う事もないでしょう?」

「きみはそれでいいのか? 暗愚な藩主の妻と侮られるぞ」

「今更ですわ。もうあの蛇男には言われてしまいましたし。あの者のことですからわたくしは子供一人育てられない最悪な母親として色々言われているでしょうね」



 古狸とは伊達宗勝の事で、蛇男とは原田宗輔のことだ。綱宗は初子と顔を見合わせ言った。



「藩主と言うのは肩がこっていけない。俺には荷が重すぎたな」

「はい」



 綱宗の一人称が「私」から「俺」に変わっていた。藩主になる前の彼が戻って来たような気がした。



「これからは若隠居に追い込まれた事だし、これからは道楽に生きるか」

「はい。いっそのこと廓に通われますか?」

「ここに恋女房がいるのに廓なんて行く必要はないだろう。今夜からは一人寝せずに済むな。あれは意外と堪えたぞ。隣にきみがいなくて寂しかった」

「綱宗さま」

「伊波でいいと言いたいところだが、一応、元藩主としての名ばかりの立場があるからな」



 許してくれと耳もとで囁かれる。これから綱宗は隠居する事が決まっている。逼塞からは解かれてはいるが、宗勝らが完全に見逃してくれる様子はない。今しばらくは侍従や門番という名の見張り役がつくことになるだろうし。と綱宗は懸念していた。



「初子は大丈夫ですよ。綱宗さま」


 自分の素性から己の名前を捨てざる得なかった初子は、綱宗に抱き付いた。



「今日からは一緒ですね」

「まだ日が高いぞ。気の早い──」

「分かってます」



 そう言いつつも降りてきた端整な顔立ちと唇を触れ合わせるのに抵抗はなかった。



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