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おぼろ城主と猫の恋  作者: 朝比奈 呈
嵐の前の静けさ
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10話・片倉景長の訪問


「奥方さま。お客さまがいらしているのですが……」

「どなたかしら?」

「片倉景長さまとおっしゃっておられます」

「片倉景長さま──?」

「お知り合いですか?」



 ある日。初子は侍女から訪問客の名を知らされて戸惑いを覚えた。訪問客は片倉景長。母方の祖父の養子で、亡くなった母とは義理の姉弟の仲。

 幼い頃はちょくちょく遊んでもらった記憶がある。その景長が訪ねて来た理由が気になった。


 彼は国元にいたはずなので、綱宗が仙台藩の江戸屋敷で側室を迎えたことは聞き及んでいたとしても、死んだはずの佐保が初子として生きているとは知らないはずだった。それなのに綱宗の留守に訊ねてくるとは偶然なのだろうか?

 でもいつまでも隠しとおせる訳でもなく、知られるのが早まっただけだと心の中で言い訳をして、客間へと足を進めた。


「お待たせ致しました」


 入室すると、先に部屋に通されていた景長と目があう。景長が目を丸くしたのを見て、初子は侍女に人払いを命じた。



「ここはいいわ。わたくしが呼ぶまでこの部屋には誰も通さないで」

「畏まりました」



 侍女が退出し、遠ざかって行くのを確認してから景長は聞いてきた。



「佐保なのか?」

「わたくしは三沢初子です。片倉景長さま。お見知りおき下さいませ」



 もう自分は水沢佐保ではなくなったのだと告げると、景長は深いため息を漏らした。



「どうして何も言わずにいなくなったのだ? 心配したのだぞ」

「申し訳ありません。事情が事情でしたので」



 景長は自分に何の相談もなく、いなくなって水臭いでは無いかと責めるような目をしていた景長らには何の説明もなくここまで来てしまった。彼としては義姉の子が急にいなくなって誰かに攫われたと思ったら、死んだことにされて納得がいかなかったようだ。



「梅さまも、水沢どのも娘は死んだようだとしか言わないし────」

「景長さまは、どうやってわたくしの事を突き止めたのですか?」

「突き止めたわけじゃない。梅さまが佐保の行方を配下の者達に探らせていたのに、上京して亡き考勝院さまとお会いしてから気が変わったように捜査を打ち切ったしな。その後に綱宗さまが側室を迎えられたと聞いてもしやと思ったのさ」



 先代の藩主夫人の考勝院さまは、亀千代が二歳の誕生日を迎える前に病に倒れられて亡くなられていた。恐らく考勝院さまは、初子が仙台藩の江戸屋敷に迎え入れられた頃に梅に会い、詳しい話をしていたに違いなかった。


 考勝院さまは義理の息子の綱宗に心を配り、その妻の初子にも良くしてくれた。亀千代を実の孫のように可愛がり成長を楽しみにしてくれていたと言うのに、その御方を亡くした事は大きかった。

 初子は妊娠していた事もあり、全て考勝院さまや綱宗に任せきりだったこともあり、他の者への配慮を怠った自分が情けなく思ってきた。亀千代の育児に追われていたからなんて理由にもならない。公儀に目をつけられたらと思い、自分から家族に手紙一つ送れもしなかった。



「申し訳ありません」

「どうしておまえが謝る? 謝るのは綱宗公の方じゃないのか? あの御方がおまえを手篭めにでもしたんじゃないのか?」



 確信を突いたような景長の言い方に、初子はどきりとした。確かにそういう状態ではあった。でも今はお互い愛し合っている。



「誰がそのようなことを────」

「違うのか? 私が聞いた話によるとおまえは綱宗さまのお手つきになったから、綱宗さまは考勝院さまに叱責され、責任を取る形で側室にしたのだと」



 景長は綱宗が初子を穢したから、責任を取る形で初子を娶ったのだと言った。初子は不愉快に思った。



「違います。あの方の側室になることはわたくしが望んだ事。そして綱宗さまにも乞われての事です。わたくしの素性のことは重長さまもご存知でしょう? その為に考勝院さまには色々とお気遣い頂いたまでのことです」

「そうか。それなら良かった。もし、おまえが綱宗公に手篭めにされたと泣き付いたなら、ヤツの顔を何発か殴らない事には気が済まない所だった」

「でも誰ですの? 誤解を生むような発言をした方は」



 景長への誤解は解けたものの、初子の気は治まらなかった。景長に余計なことを言ってくれた者は誰なのかと言いたくなる。綱宗を侮辱しているようなものだ。



「済まなかった。この通りだ。無礼討ちにされても仕方ないことを言った」

「で、誰です?」



 初子が引かない態度を見て取って、すぐに景長は観念した。



「征四郎だ」

「征四郎さま? 失踪されていたあの御方に会われたのですか?」



 叔父から思いがけない名前を聞かされて初子は目を瞬かせた。参勤交代で江戸に向かっていたはずの彼が失踪したと聞かされてからすっかり忘れていた。

 彼は今まで何をしていたのだろう? と、思っていると景長が教えてくれた。



「あいつは今まで記憶を失っていたらしく、その記憶が蘇って生家に帰っていたらしい」

「生家?」

「原田家だ。あいつは原田宗輔だったらしい」

「原田宗輔? 香の前の孫の?」

「そうそう、驚くよな? 政宗さまの孫かも知れないと言われている男だ」



 原田宗輔。仙台藩の重臣達の間で注目されていた存在だ。彼の祖母が名高い美女で、太閤秀吉の側室だったという輝かしい経歴があったことに加え、政宗公のお手つきとなり、その後に下賜されて茂庭綱元の側室となった。


 香の前は一男一女を生んだが、その娘が原田家に嫁ぎ生まれたのが彼だった。

原田宗輔は祖母が有名になりすぎたせいか人前に出るのをよしとせず、名前は知られていてもあまり人前に顔を出そうとはしなかった。そのせいで「霞公」と呼ばれていたりもする。名前が知られているわりに、存在があまり目立たないことからついたあだ名だ。


 病弱で極度の人嫌いと聞いたこともある。人の噂ほどあてにならない事をよく知っているはずの初子は、景長の言葉に驚いた。



「どうして宗輔さまはそのような事を景長さまに────?」

「てっきり征四郎、いや、宗輔が言ったことだから信じてしまった」

「まさか宗輔さまは他の方にもそのような事を言って回ってなどないですよね?」

「分からない。でも、そのような話を耳にしたのなら否定しておく」

「きっとですよ」



 初子が目を吊り上げたのを見て、景長は慌てて言った。


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