6話・私の名は
「征四郎。今までどこにいたのだ? 何をしていた?」
「やれやれ。せっかちな所は相変わらずですね。水沢の姫さまとは結ばれたようで何よりです」
座敷席につくなり問いかけた綱宗を、征四郎は可笑しそうにみる。相手をからかうような素振りは以前と変りない。それなのにそこに以前は感じられなかった嫌悪感のようなものを、綱宗は感じ取った。
水沢の姫とは初子のことだ。征四郎は綱宗が初子を側室に迎えたことを知っていたらしい。
綱宗は、征四郎はその事をどう思っているのかと気になった。綱宗が一度婚約破棄したことで、彼女は彼の婚約者となった事があったのだ。その後、彼は脱藩し、姿をくらました。
「そのことだが────」
「謝らないで下さい。姫さまは貴方さまを想っておられました。その想いを踏みにじるようなことは出来ませんでしたから」
「……」
征四郎は綱宗の謝罪は受け入れないと言った。初子がずっと自分の事を思っていたと教えられ、嬉しく思いつつも、目の前の男には罪悪感しか沸かなかった。
征四郎は淡々と言葉を連ねる。
「あの方の素性を思えば、ご正室さまでもいいようには思いますが、幕府のお偉方の目に留まらないように側室にされたのですね?」
正室ならば公にお披露目する場が多い。幕府に初子の素性を嗅ぎつけられるのを回避する為にはそれが妥当でしょう。と、征四郎は言った。
「どうしてそのことを──?」
そなたは脱藩していたのでは? そう言いかけた綱宗は彼が忍びだったことを思い出した。別に仙台藩に身を置かなくとも、忍びの者同士の連携で情報など直ぐに知れる。
そんなことを聞くこと次第、野暮なのだ。と、気が付いた綱宗に征四郎は苦笑した。
「私について色々、噂が立ったようですが、脱藩などしておりませんよ」
「ではどこに?」
「──思い出したのです。自分のことを」
征四郎は綱宗の疑問には答えず歯切れ悪く言った。征四郎と綱宗が出会ったのは十年前のこと。真田の梅のもとで養育されていた綱宗は伊波と名乗っていたある日、修行がきつく逃げ出そうとした時に、山野で倒れている少年を見つけた。
その少年は今までの記憶を失っていた。その彼は真田家で保護された。それが今の征四郎で綱宗と腕を競いながら育って来た経緯があった。
「良かったな。素性が分かって」
「思い出して良かったのかどうか──」
綱宗の言葉に征四郎は顔を曇らせた。その反応に綱宗は彼の面変わりした事といい、もしかしたらその事が征四郎を苦しめているのでは無いかと思った。
「……記憶など戻らなければ良かったのかも知れません。一つだけお教えしましょう。綱宗さま」
「征四郎」
「貴方さまが目撃した伊達の殿様ですが、あれはやらせのようなものです。貴方さまの不評を流す為に意図的にさせているのですよ」
「誰が?」
「貴方さまは大体、察しておられるのでは?」
問い掛けに問い掛けで返される。
「私の現在の役目は、偽綱宗が三浦屋に入るのを見届けること。余計な輩に絡まれないように排除すること」
「そんなことをしてどうなる? あの花魁や三浦屋は相手をしているのが綱宗の偽者だと知っているのか?」
「もちろん知っておりますよ。偽者役は商家の息子。あぶく銭が余って仕方ないようでして、楽しんで演じてますよ。三浦屋は藩主さまですら自分の店に通って来ているのだと宣伝することで名を高められますし、花魁高尾太夫としては、伊達のお殿様のお気に入りなんだと示す事で、他の置屋の花魁へのけん制にもなりますしね。皆が承知でやっていることですよ」
「なんだと──!」
憤りのあまり立ち上がりかけた綱宗の腕を、征四郎は抑えた。
「お待ちなさい。これは伊達宗勝さまの許可をもらい名前を使用しているのですよ。ここで貴方さまが乗り込もうと、相手からしては契約金を納めているだけに困惑されるだけでしょう」
「契約金だと?」
「はい」
綱宗は苛立ちを腹の中に納めて征四郎に言い寄った。
「どうしてそんなに詳しいんだ?」
「なぜならそう仕組んだのは私だからですよ」
「……! 征四郎。きさまっ」
綱宗は征四郎の胸元を掴み上げた。
「一つ訂正を。私は征四郎ではありません。原田宗輔と、申します」




