5話・偽者藩主と征四郎
夕暮れにぽつりぽつりと灯されていく明かり。朱色の軒先の提灯に火が点る頃には、日中はひっそりと眠っていた町が活気を取り戻し華やいで行く。
ここは男達の為に生まれた夢の街。吉原遊郭。一晩だけの仮初の恋を買う場所。
そのような場所で、まことしやかに囁かれている噂があった。吉原の中でも大店とされる三浦屋の高級遊女、花魁高尾太夫に、某藩主が入れあげているというものだ。
祖父に独眼竜の名で知られる伊達政宗公をもつ若き殿様は、毎晩足蹴く通い、大金を落としていくというのだから羨ましいと、遊郭の客には思われていた。
当の本人にしてみればとんでもない話である。実際、初子を忘れる為に遊郭に通っていた時は、目立つのを恐れ素性を隠し、どこかの藩の冴えない一藩士になりきっていたくらいだ。
しかも綱宗が買った女は花魁ではなく、下位の遊女であり置屋の格子窓に座り客を求めていた遊女。
仮初の一夜ということもあり、綱宗は後腐れのなさそうな遊女を選び、相手には本当の名を教えなかった。初子に手を出してからは足は遠ざかっていたので、そのような場所で自分の名が広められているとは綱宗にとって不愉快だった。
どこかの藩士や藩主でも中には細君に内緒でこっそり廓通いをしている者もいるらしいが、大概、身分が高い者ほど自分の素性など隠し通すもので、公になるような馬鹿な真似はしない。廓に通っているなどと風評が立ったら、他の藩主や、藩士に示しがつかないからである。
綱宗としてもこのような場所で自分の名が広められる事を良しとは思わなかった。
家綱には任せろと言われていたが、被害者である綱宗は何者が自分の名を騙っているのかと気になって小石川堀の作業の後、吉原に来てしまっていた。
噂については、友人の藩主から教えてもらっていた。彼は妊娠中の細君に内緒でニ、三度足を向けた事があったらしく、丁度その時に偽物綱宗に出くわしたことがあったらしい。
「きみとは全く似てない、どこかの頭の緩んだ商家の息子のようだった」
と、言われた。偽綱宗は吉原遊郭のなかでも大店とされる「三浦屋の高尾太夫」にぞっこんらしい。
────高尾太夫。
よりにもよってあの鼻持ちならない女か。綱宗はウンザリしたくなった。花魁と言えば遊女のなかでも最高位にある。美貌はもちろんのこと高い知性を誇り、教養も深かった。それだけに自尊心が高いらしいが、彼女の場合は男を馬鹿にした態度でみていた。
廓に足を運んでいた時に、相手をしてくれた遊女達が高尾太夫は気が荒くて、仲間内では嫌われていると言っていたし、実際何度か彼女が苛立った感じで置屋の主や、下働きの者達を感情任せに叱りつけている場面を目撃したこともある。
その時の彼女は般若のような形相で「誰の稼ぎで食べていけてると思っているのよっ」と、怒鳴っていた。あれでは百年の恋も冷めそうだと、彼女の客に同情したことがある。あの花魁が自分と噂になっているとはますますもって許せなかった。
視界に三浦屋の看板が目に入る。自分の騙り者はどいつだと思い、客を観察していると、顔に覆面をした煌びやかな羽織袴姿の男が三浦屋に近付くのが見えた。どこかの藩士がお忍びで来たいでたちと行ったところか。でも逆にあれでは目立つのでは無いかと訝っていると、店先で打ち水をする為に出てきた男衆がその男の顔を見て仰々しく大声をあげた。
「これはこれは伊達のお殿様。お待ち申し上げておりました。ささ、中へ」
覆面の男を店の中へと誘い込む。男の顔を見て文句の一つでも言ってやろうと、三浦屋に近付こうとした綱宗の腕を後ろから引いた者がいた。
「いけません。ここは見過ごした方がいい」
聞き覚えのある声に振り返った綱宗は凝視した。
「そなたは──」
「ご無沙汰しております。綱宗さま」
「征四郎──?」
そこにはここ数年行方の知れなかった征四郎がいた。彼は会わないうちに何があったのか、かなり面変わりしていた。優男風だった男が、目元が窪み、頬がこけて陰鬱な雰囲気をかもし出している。
ただすれ違っただけなら当人とは気付かなかったかもしれない。見た目は別人のように変わっていた。
「ここで話もなんですからあちらへ」
背を向けた征四郎について行くと、吉原の隅にひっそりと立つ蕎麦屋の中へ入った。




