3話・悩みの種
家綱が倫と一緒に部屋を出ると、その後に綱宗が続いた。初子がいる部屋が遠ざかると家綱が言った。
「そなたに対してまことしやかに流されている噂がある。聞いたか?」
「もしや、叔父上のですか?」
綱宗はため息を漏らしながら言った。今現在、綱宗には厄介な事が持ち上がろうとしていた。家綱はあえてそれを初子に聞かせるような真似はしなかった。出産を終えたばかりの初子に聞かせて良い様な話題でもなく、彼女の耳には入れないように配慮したのだ。
「ああ。そなたが遊郭に通い、酒色に溺れていると」
「大方、初子のもとに通っていた時の話が大げさに伝わったのでしょう。それと家綱さまから伺候を止められていたのも叔父上には伝わっていたようです」
「それについては僕も悪かったと思っている」
家綱は自分が綱宗に及ぼした影響の強さを申し訳なく思っているようだった。綱宗はそのことについては何も言えなかった。
自分の身から出た錆である。行動に慎重になっていれば伊達宗勝に付け入る隙を与えなかっただろうに、佐保を忘れる為に廓に通っていた事実は消す事も出来ず、彼の中ではすでに終わった事と思っていたのに、叔父の宗勝の中では未だ続く状態であったようだ。
家綱に誘われて行った陰間茶屋に行ったことも大きかった。そこで綱宗は初子(佐保)に再会し、彼女に無体を働いた事で家綱の怒りを買い、江戸城への伺候を止められた。
江戸屋敷に住む藩主達は、自分の藩の事はもとより、他の藩の動向も伺っている。そんな中で、仙台藩主が伺候を止められたと言うことはすぐに噂になった。
家綱と綱宗との間にあった事情を知らなくとも、伺候を止められたのだ。と言う事は、将軍から不評を買った事には間違いなく、「あそこの藩主は何を仕出かしたのか?」と、注目されてしまうことになった。
それを見逃す叔父では無い。ここぞとばかりに重箱の隅を突くように口煩い事を言ってくるに違いなかった。
「今はまだ大丈夫だ。宗勝どのはきみの不評を池田光政どのに流し、言い寄ろうとしていた様だが、考勝院さまが話を聞きつけて上手く取り直したようだ」
危機は脱したようだぞ。と、家綱が言う。
「考勝院さまが綱宗さまは側室を迎えられて、廓通いは止め、側室との間に子をなして仲良くやっている。父親としての自我も目覚め、真剣に政務に取り掛かっている。若気の至りは誰にでもある事だろうと諌められたそうだ」
池田光政は岡山藩主で振姫の甥である。振姫は綱宗の父の正室で、今は剃髪して考勝院と名乗り夫であった忠宗の菩提を弔って暮している。彼女とは義理の母子の仲だが、何かと綱宗のことを気にかけてくれていた。佐保のことにも手を貸してくれた。今回も義母は息子の危機を助けてくれたようだ。
「親孝行しろよ」
「そうですね。私にはあり難い存在です」
家綱は綱宗の心を読み取ったように言った。
綱宗は宗勝との確執のことは初子には言わないでいた。産後の初子のことを気遣ったのもあるが、叔父が以前、初子にちょっかいを出していたことがあると将信から聞いていたこともあり、不快な思いをした初子に気遣わせるような事はしたくなかった。
叔父も頭が固い人ではあるが、言いたいことだけ言えば気が済む部分もあるので、伺候の際、顔を合わせても一方的にぶつけてくる小言を聞き流すようにしていた。
初めは綱宗の素行に問題があって、叔父の立場から注意を促がしているのかと思っていた他の藩主達も、そのうち何度か宗勝と綱宗の一緒の場に出くわすようになって来ると、宗勝は感情的に怒鳴りつけているだけで、綱宗は迷惑を被っているのだと理解を示すようになってきていたらしい。
宗勝が綱宗から離れた後に、
「あの御仁も元気ですな。毎度、飽きもせずあのように声を荒げて」
「そうそう。あの声は向こうの廊下の端まで聞こえますからな」
「今日はどなたが伺候されているか丸わかりですな」
などと言って貴方さまも難儀なことで。と、方々から同情されるようになり、特に同じ世代の藩主には身につまされるものがあるのか、
「ああいったお方は融通が聞かないものですよね」
と、ため息を漏らされる。どこの藩でも問題とされる御仁はいるようだ。今まで綱宗のことを遠巻きに見ていた藩主達は、段々と綱宗に対し態度を軟化させ、交流を求めるようになってきた。
綱宗と接することで、人となりを知って今まで誤解をしていたと言って来た者も出てきた。親しく話をする者も出てきて屋敷を訪ねてくる者も出てきた。
初めは初子のこともあり警戒していたが、綱宗の屋敷を訪ねてくる者は純粋に彼と親しくなりたいと思っている者ばかりで、いつしかそういった者達の妻と初子も交流するようになっていた。
息子の亀千代にも友達が出来た。
相変わらず叔父宗勝のあたりはきついが、妻や子と共に他の若い藩主たちとの交流が増えて、江戸屋敷の中は常に明るい笑い声で包まれていた。
そしてあっという間に二年が過ぎ、綱宗は幕府より、江戸城小石川掘の普請を命じられ意欲的にそれをこなすことになる。
妻や子に見送られ仕事先に向かう毎日。本来なら指示を出し、ただ見守るだけでいい仕事も、他人任せにはせずに、綱宗は実際に自分も下仕事を請け負う者達の中に交じって汗水たらして働いた。
一日の作業を終える頃にはくたくたである。以前、普請工事を請け負っていた藩主などはその後、遊郭に向かっていたと聞いたが、綱宗には考えられない事だった。
綱宗はまっすぐ屋敷に帰り、初子に労われ亀千代の寝顔を見て癒されていた。




