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おぼろ城主と猫の恋  作者: 朝比奈 呈
嵐の前の静けさ
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1話・願わくばこのような日々がいつまでも続きますように


 半年後。佐保の姿は伊達藩の江戸屋敷にあった。



「奥方さま。そのような事はわたくし達が致しますので」

「ありがとう。でも──」



 部屋の中の掃除をしようとハタキを手にしたところで年配の侍女頭の弥生に見つかり、取り上げられてしまった。この頃になるとつわりもおさまり、食欲が出てきてお腹もだいぶ大きくなってきていた。

 お腹を擦っていると綱宗が姿を見せた。



「お初。無理はするな。身重なんだからな」

「綱宗さま」

「年末の大掃除なら弥生らに任せておけばよい」



 現在、佐保は三沢初子という名をもらっていた。あの後、水沢佐保は病で死んだことにされた。家綱は先代藩主の妻の考勝院とも交流があったようで、考勝院との相談の後、佐保は振姫の老女紀伊の姪、初子と名乗る事になった。

 老女には弟夫婦がいたが先日、娘共々病で亡くなっていた。気弱になっていた老女は佐保の養女の件を持ちかけると二つ返事で飛びつき、喜んでくれた。


 弟の娘の年齢が佐保と同じということもあり、死んだ姪が生き返ってきてくれたようだ。と、言って「初子」となった佐保の身の回りの世話を焼きたがった。そのおかげもあって江戸屋敷では、先代の奥方の老女の姪が、先代の奥方さまの薦めもあって綱宗公の側室に迎えられたのだと誰もが信じ込んでいた。

 そのように話を持っていったのが、考勝院と家綱だから誰もが疑わなかった。


 幸い、ご公儀も信じ込んだようだ。老女の紀伊の身元もしっかりしているので、まさかその娘が佐保だとは思いもしないようだ。

 綱宗は佐保以外に他の妻を娶らないと、家綱や考勝院の前で約束したので、側室という立場に収まっても佐保としてはそのことに不満はなかった。

 ただ仕方ないとはいえ、「水沢佐保」とは別人になったので、仙台藩に残っている実父の将信や、祖母の梅とは断絶する事になりそれが非情に寂しかった。


 綱宗は佐保を江戸屋敷に迎え入れるのにあたって細心の注意を払い、使用人の入れ替えを行った。水沢家と係わりのある者は出来るだけ初子から遠ざけようとしたのだ。初子が佐保だとばれては困るからである。


 しかし、水沢家に連なる者は幸運にも今の江戸屋敷にはいなかった。征四郎絡みの家人は残っていたが、彼らは直接佐保に会ったことはなかった。佐保を知らないので初子を疑うこともなさそうだった。

 綱宗は初子となった佐保から家族を取り上げてしまったように思われて、罪悪感を感じるのか、初子の願いは何でも聞き入れてくれようとする。

 初子はそれを知っているだけに言ってみた。



「でも少しは体を動かさないと体力がつかない気がするわ」

「では庭に出ようか? 共に散歩しよう」

「良いのですか?」

「外は寒いですよ。お体を冷やしては……」



 綱宗が提案してくる。顔を輝かせた初子を見て、弥生が止めようとした。


「なあに。そんなに長居はしない。私がついているし心配はいらない」


 そう言って綱宗は初子の手を握った。弥生が上掛けを部屋から取って来てくれて「すぐにお戻りくださいね」と言いながら肩にかけてくれた。

 綱宗は先に縁側から庭へと降り立つと、初子を縁側に腰を降ろさせた。足に草履を履かせてくれる。彼はいつも妊婦の初子を気遣ってくれる。このような何気ない気遣いが、初子には照れくさく思いながらも嬉しかった。


 侍女の弥生らには「藩主さまは初子さまを溺愛されていますものね」と、冷やかされるが、嫌な気はしなくて大切にしてもらっているのが、綱宗の手の先からも感じられる。



「もう冬だからさすがに寒いな」

「そうですね。息もこのように白くなって……」



 ふたりの吐く息が白く染まる。寒い中、外に立っているのに初子の心の中は温かかった。



「そろそろ雪が振って来るでしょうか?」

「どうだろうな。もう仙台では振っている頃だろうな」



 初子は江戸の冬は初めてだ。仙台よりは寒さを感じないが、師走に入ったというのに、白いものはまだ空から振ってきていなかった。仙台では大地が白く染まっているだろうと思うと、少し物足りなさを感じる。

 二人で空を見上げると灰色の厚く重い雲が目に付いた。綱宗に手を引かれ散策する。庭園は大きな池を回遊する形に作られていて、池の中には浮島があり、そこに小さな東屋もあった。そこで池の錦鯉が泳ぐ姿を見るのが初子の楽しみだった。



「月日が経つのは早いものだな。あと二月もすればこの子が生まれてくるのか」


 綱宗が初子のお腹に注目する。



「この子、元気が良いんですよ。時々、お腹を蹴ってくるんです」

「男の子だろうか?」



 綱宗が目を細めて言う。初子は頷いた。



「そうに違いありません」

「そなたに良く似た子ならいいな」

「あらどうして?」

「そなたに似た子なら間違いなく愛せそうな気がする」



 綱宗がほほ笑んだ。それに笑みを返しながら聞いてみた。



「あなたさまに似た子なら?」

「生意気に思うだろうな。妬いてしまうかもしれない」

「自分の子ですよ?」

「自分の子でもだ」



 以外と大人げないお方なのですね。と、言えば悪いか。と、言葉が返ってきた。



「俺にはそなたが一番の存在なのだ。お腹の子よりも」

「あらあら。あなたのお父さまは嫉妬深いお方なのですね」



 お腹の子に話しかけると元気にお腹を蹴ってきた。



「あ。この子、話を聞いていたみたい。お腹を蹴ってきたわ」

「こらこら。大切な母さまのお腹を蹴っては駄目だろう」

「綱宗さま。元気な証拠ですから」



 綱宗が身を屈めて、お腹の子に言って聞かせるような体制となる。


「幸せだな」


 ポツリと綱宗が呟く。初子も頷いた。


「願わくばこのような日々がいつまでも続くといいのですけど────」


 初子は遠い仙台の空を思った。


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