17話・きみには死んでもらう
もしかしたらあの晩、彼が深酔いした事で想いの箍が外れてしまったのではないだろうかと思ってもいる。しかし、自分は徳川政権下では危ぶまれる存在だ。その自分が仙台藩主との間に子をなしてしまったのだ。幕府に知られればどんな咎が、綱宗の身に科せられるか分かったものではない。
綱宗の求婚はあり難いがすぐに応えられるものでもないと思いはじめた時、それまで黙って聞いていた倫が言った。
「お姫さん。どうして綱宗公があんたのもとへすぐに来なかったか知っている?」
綱宗と目が合うと、彼は倫に「余計なことは言うな」と、止めていた。佐保は理由が知りたくなった。倫に聞いてみる。
「どうしてかしら? 教えて倫さん」
「そこの綱宗公は馬鹿真面目にも、家綱さまに事の次第を報告して激怒させた上、散々殴られた。顔を相当腫らしていたよ」
そのせいでお姫さんに会いに来れなくなったと倫は言った。
「そんなことが?」
「俺は本当に馬鹿だ。佐保の素性から遡れば家綱公の血縁者と分かりそうなものなのに、その事すら気が回らなかった。家綱公には可愛がっている従姪に手を出したのだからお手打ちされる覚悟はあるか? と、言われたよ」
「あれは言われたんじゃなくて凄まれたの間違いじゃないか?」
綱宗が仕方ないなと、佐保に会わなかった間に起きた出来事を教えてくれた。倫が同情したように言う。そう言えば佐保は家綱の機嫌の良い面しか見たことは無いが、倫からは苛烈な男だとは聞かされていた。
「綱宗公の凄いところはさ、家綱さまに一方的に殴られ足蹴にされてもやり返すことなく甘んじて受けていたんだよな」
「足蹴にまで──?」
佐保が綱宗を許せないと思っていた間、彼はそれなりに家綱から報復を受けていたのだと知り同情心が湧いた。
「家綱さまの気が済むまでしばらく伺候するな。とも言われていたよ。そのせいで綱宗公は他の藩主らから侮られて失笑を買ってもいた」
綱宗公がしばらく伺候しないせいで、将軍に酷く嫌われたものだと周囲から失笑まで買っていたのだと言う。
「そんな目にあってまでどうして?」
「きみが俺から受けたことを思えば、こんなこと何でもない」
「……」
「許して欲しいとは言わない。きみにした事は最悪なことだと分かっているから。言い訳になるかも知れないが、きみと別れてから一日たりときみのことを忘れた事は無かった」
綱宗の気持ちが知れて佐保は涙ぐんだ。綱宗も別れを告げながら同じ想いでいてくれた。その事が堪らなく嬉しかった。
「藩主という己の立場から、きみの事は諦めるしかないと決め付けていた。だからきみのお腹に自分の子がいると知って嬉しいよ。その事を理由にきみを再び、自分の側へどうにかして置いておけないかと邪な思いを抱えるぐらいに俺はどうしようもない男だ」
きみの気持ちは自分にあるか分からないと言うのに。と、綱宗がうな垂れる。それを見て佐保は放っておけないような気にさせられた。
「ではわたくしをどうにかしてあなたさまのお側に置いて頂けますか?」
「良いのか? じっくり考えた方がいい」
綱宗は自分から誘いをかけて来たと言うのに、慎重だった。佐保は頷いた。
「今まで時間が有り余っていて沢山、考えすぎましたわ。わたくしの中では答えは決まりました。あなたの側に置いて下さい。わたくしにあんな酷い事をされたのですからきちんと責任を取って下さいましね」
「分かっている。きみが俺のことをどんなに憎もうと覚悟している。一生かけて償う」
「償いですか? 愛してくれないと嫌ですわ」
佐保の言葉に綱宗があ然としていた。何かおかしな事を口走ったかと思ったら、綱宗が嬉しそうに言ってくる。
「愛してもいいのか?」
「あ。あなたさまのお立場ですと、ゆくゆく正室さまを迎えられることになりそうですから。そちらの方を優先されても構いませんが、わたくしとこの子を忘れさられたら嫌ですもの」
「そんなことはしない。きみが側にいてくれるのなら正室など迎えない。約束する」
「綱宗さま。何をおっしゃっているの?」
戸惑う佐保に綱宗はほほ笑んだ。
「きみだけを一生、愛し続けると誓うよ。それが仙台藩にどのような影響を与えようとも。この首をかける」
「綱宗さま。そのような事を軽々しく言っては──」
大変なことを言い出した綱宗に、あなたこそ良く考えた方がいいのでは? と、言いかけた佐保の背後でバンっと勢い良く襖が開けられた。
「綱宗公。よく言った」
「家綱さま?」
家綱はいつの間に来ていたのやら、部屋の外にいて綱宗の言葉を聞いていたらしい。
「僕の従姪を預けるからには、並の男では預けられないからな」
「ははあ」
良く心得ろよ。と、その場に平伏する綱宗に言い放つ。
「佐保もそれでいいね?」
「はい」
家綱は何か面白い事でも思いついたような顔をして言ってきた。
「じゃあ、佐保。きみには死んでもらおうか?」




