10話・お願い綱宗さま。正気に戻って。
佐保は綱宗の手を引き、離れの自分の部屋へと案内した。綱宗は連れてこられた部屋を眺め回してから言った。
「そなたは佐保だよな?」
「はい。そうです。綱宗さま。わたくしは攫われてこちらに来ました」
「やはりそうか。そなたを囲っているのは家綱さまと見た。将軍、いや、あのお方とはどのような関係なんだ? 見初められたのか?」
「それはわたくしの口からは申し上げられません」
「どうして?」
「家綱さまから口止めされております」
綱宗との再会の場を設けてくれた家綱には、自分との血縁関係を、いくら相手が綱宗でも明かさない方がいいと言われていた。
「それほどまでにあの御方とそなたは深い仲なのか?」
「……」
口ごもった佐保に苛立ったように、綱宗は隣の部屋と繫がる襖を開け放った。そこにはおあつらえ向きに布団が二枚並んで敷かれていた。
「……!」
「ずい分と用意のいい事だな」
「そんな。嘘っ」
驚く佐保の手を引き、その布団の上へと押し倒すと、綱宗は覆い被さって来た。
「綱宗さま!?」
「どこぞの男もそうやって誘いこんできたのか?」
「違います。そんなこと……!」
佐保の言葉を遮るように唇が綱宗の唇で塞がれていた。彼の豹変ぶりについていけない佐保は、どうして布団が二枚用意されていたのか分からず困惑していた。ここは自分一人の部屋なので布団一枚しかなかったはずなのに。
「止めて」
綱宗を押しのけようと思うのに、彼の力は強く簡単に腕を押さえ込まれては身動きが出来なかった。
「お願い。綱宗さま。正気に返って。ここにはお話をする為に来たのではなかったのですか?」
これは何かの悪い夢だとしか思えなかった。綱宗とは婚約関係にあったこともあった。でも二人の仲は清い関係で、祝言を挙げた後には。と、二人の間で取り決めをしていた。
「遊郭に来て話だけなんてことあるわけないだろう? あのふたりだってする事はしている」
「下種な勘ぐりはお止めになって」
下種か。そう呟いてから綱宗は佐保の着物を暴きにかかった。
「あ。やだ。止めて」
「綺麗な肌だな。灯籠の明かりに映える。この肌を征四郎にも拝ませたことはあるのか?」
「そんなことするわけありません。あのお方はわたくしが嫌がることを無理強いはなさいませんでしたから」
「そうか。それは勿体無いことをしたな」
綱宗は佐保の肌に触れてきた。佐保は綱宗の知らなかった一面を見せ付けられているようで、肌が泡立った。
「そなたは一晩、私に買われたのだ。お許しなら家綱どのに頂いた。文句ならあのお方に言うがいい」
綱宗は佐保に残酷なことを強いた。欲望のままに組み敷き、佐保のことなど思いやる余裕などなかった。止めて欲しいと何度、佐保が頼もうが願おうが、力任せに奪い、抗う佐保の腕を押さえつけて事に及んだ。
今まで綱宗のことを紳士だと信じていた佐保は、それが幻想だったことに気付かされ、生まれて初めてのことに脅え泣いた。苦しむ佐保をどう思っていたのか?
綱宗は何かに苛立ちを覚えているようで、それを佐保にあてつけるかのように貧欲に攻めた。佐保は初めのうちは抵抗したりしたが、綱宗に抑えつけられて身動きが取れず、自分の体を好き勝手に弄ばれているようで悲しくなった。
綱宗は愛していた男性なのだ。自分が拒んだなら、無理強いはしないのではないかと少しは期待していた。
それなのに……。
「征四郎とはどこまで許した? 家綱公とは本当はどんな仲なのだ?」
と、疑いをかけ、違うと言いかけた唇は封鎖されて、言い訳さえ許されなかった。一晩中、綱宗に疑われ続け、佐保の心はひび割れた。
翌朝。好きな男と関係を結んだと言うのに佐保の心は晴れなかった。信じてもらえなかったことが、深い傷となって綱宗を許す気になれなかった。
佐保とは反対に、昨晩荒ぶれていた綱宗は、事の次第を知って詫びてきた。
「そなたを疑って済まなかった。そなたは初めてだったのだな。この詫びはいかようにも──。また来る」
「謝らないで。あなたさまにはもう二度とお会いしません」
所詮は遊女と思い込んだ綱宗に、自分はそうではないと反論したのに聞いてもらえない上に、女の砦を屈伏させられた状態で奪われたことが、どうにも情けなく惨めに思わされた。
だからといって責任を取ってくれと言えるはずもなく、泣き寝入り状態になるのが目に見えて悲しくなった。
「佐保」
「お帰り下さい。もう二度とここには来ないで」
綱宗を隣の部屋へと追いやると、襖を背にして佐保はしゃがみ込んだ。
────どうしてこうなってしまったんだろう?
自分の身の上が恨めしかった。あの頃が幸せだった。伊波と出会い、彼が次期藩主さまと知り、身構えそうになった所に「伊波と呼んでくれ」と、言われた。あの頃が懐かしい。
出来るならあの頃に返りたいのに。
自分の素性を知ってしまった今はどこへ行っても自分の身の置き所がないような気がしてくる。どうしたらいいの? 佐保はただ、嘆くことしか出来なかった。




