8話・武士とは戦わずにいられない人種なんだろうか?
それからしばらく佐保は倫の指導の下、日中、踊りや三味線のお稽古を始めた。ここに来てから暇をもてあましていた佐保にとっては貴重な時間となった。
倫の指導は甘くなかったが、佐保は自分の目的の為に頑張っていた。
「お姫さんは筋がいいね。始めてやるようには見えないね」
「三味線はおばばさまが嗜まれていて、日舞は基礎だけ教えてもらったことがあったから」
「なるほど覚えが早い訳だ。耳がいいのかも」
「そうなの?」
「お姫さんは一回、聞いた音程は外さないだろう?」
「自分ではよく分からないけど……?」
「それで初心者なんて信じられないよ」
倫はすぐに佐保が音を上げるだろうと思っていたのに、喰らいついてくるので意外に思っていたらしい。
倫は煙草盆を引き寄せると、キセルを口に咥え言った。
「主さまがお姫さんに太夫の格好をさせてお座敷に上げたのはあれ一回こっきりの話で、続けさせる気はなかったと思うよ。お姫さんはそれでいいのかい?」
「自分が決めたことですから」
「綱宗公は張子の虎と呼ばれているそうじゃないか? そのお方にお会いする為にそこまでする必要あるのかい?」
倫の目はこちらを試しているように感じられた。彼もまた忍びだ。綱宗が張子の虎城主と呼ばれて馬鹿にされている話は有名だ。本当の彼の姿を知る佐保としては、それは彼がわざと演じているに過ぎないことを知っているけれど、それを明かしていいものかについては悩む所だ。
綱宗と婚約期間中だった時に、一度だけ彼の事情を教えてもらった事があったからだ。彼の亡き母は素性を隠し彼の父の側室となったが、実は公家の娘で、その姉が今上天皇の母君なのだ。そのことで幕府からいらぬ憶測を抱かれていると聞いた。
今上天皇と従兄弟の仲なので、奥州と京で手を組み、幕府を転覆させるような事を仕出かさないかと警戒されているらしい。
本人は「爺さんの政宗公が外様大名としては力をつけ過ぎたからな」と、笑っていたが、内心は穏やかではなかったはずだ。
先代藩主の奥方さまが身篭られていたこともあって自分は繋ぎの藩主でいいんだと自粛されていたのは、悪戯に幕府を煽って仙台藩に反意ありと思わせない為。
愚者を演じている彼が勿体なく思われた時もあった。あのお方は聡明な方なのだ。仙台藩の先のことまで見ている。
────それを伝えていいものかどうか。
まだ全てを話せるほど倫とは打ち解けてはいない。
「ねぇ。あなたはどうしてわたくしの事を姫さんと呼ぶの?」
「だって姫さんは姫さんだろう? 水沢のお姫さんと呼ばれていたんじゃないのか?」
倫に姫さんと呼ばれる度に、自分は特別な人間と思われているのかと邪推してしまう。
「それはそうだけど、あなたは仙台藩の者じゃないわ。わたくしには佐保という名前もあるし」
「名前で呼べって? それは主さまのお許しが出ないから駄目だよ。あのお方は意外と嫉妬深いんだ」
「嫉妬?」
「ああ。主さまに飼われている分際で、あの御方が大事にしている姫さんと距離を詰めてしまったなら殺されてしまうわ」
「冗談でしょう?」
倫から返ってきた言葉は、ふざけているようにしか思えなかった。倫は煙管を持ってないほうの手で、自分の喉を横に切るような仕草をする。
「それぐらいあのお方はやってのけるよ。ちまたでは、そうせい公と呼ばれて頼りない印象を持つ者は少なくないけど、あの方の気性は荒いんだ」
確かに家綱将軍は、噂によると大人しいお方と聞くし、政務のことは全て大老の酒井任せで何でも「そうせい。そなたに任せる」と、容認しているとも聞く。
もしかしたら家綱さまも伊波さまと同じように他人の目を欺いているだけでは……?
「家綱さまはわざとそう演じておられると? 幕府の用人たちの掌で踊らされているように見せながら……?」
「おっと、その先は言っちゃいけないよ。俺から見た綱宗公も同類に思えるがね」
佐保の指摘を倫は肯定しなかったが、否定もしなかった。恐らく佐保の考えている通りなのだろう。
そして彼には、綱宗の本当の姿は知られているようにも感じた。
「俺のような者には理解しがたいが、戦国の世では目に見えた戦いが、今では水面下でそれぞれ思惑を抱えて蠢いている。住みよい世の中になったと思っても本質は変わらないのかね? お武家さまってヤツは」
戦国時代を乗り切って平和となった世の中でも、武士とは戦わずにいられない人種なんだろうか?と、倫が溢した言葉に佐保はあいまいに頷くことで応えた。




