6話・天下の大将軍さまとの体面
誘拐されて数日が経ったある日、倫が言った。
「お姫さんのことは真田側には伝わっている。だが、主さまの動向を伺っているみたいだな。すぐには動き出さないようだ」
「そう」
「あまり不安そうには見えないな」
「真田の者が見張っているなら安心だもの」
ここに来てから佐保は、世間から隔離したように閉じ込められてはいたが、上げ膳据え膳状態で至れり尽せりの状態にあった。
倫は初めて会った時から客人として良くしてくれた。彼の言う「主さま」と、いう存在は気に掛かるが、悪いようにはしない気がする。
自分の今の状態は主さまがそう望んでいる為と言われているだけに、主さまと体面した後、どうなるかが問題となるがそれでも当面は何の不安もなさそうに思っていた。
「主さまがお姫さんに会うと言ってる。なかなか時間が取れなかったようだけど、ようやく時間が作れそうだと連絡があったよ」
「主さまって何者です?」
「それは会ってのお楽しみ。主さまはお姫さんを大事に思ってる。それだけは信じてくれ」
その日、佐保は軽く薄化粧を施されて着替えをさせられていた。倫も頭を高島田に結い上げ、鼈甲に珊瑚がついた簪を幾つも挿して、龍の柄の煌びやかな着物を纏っていた。
男性の髪結いに倫のような頭の形にしてもらうと、色取り取りの飾り紐を頭に巻かれた。
「あ。その簪はこれがいいわ」
「それはなんといぶし銀ですか? なんと見事な」
先に支度の出来ていた倫は横で佐保の様子を見ていて、一本の簪を差し出して来た。それは母の形見の簪だった。
佐保の簪を見て髪結いが感嘆の声を漏らした。
「そんなに凄いものなのですか?」
「ええ。このような輝きはなかなか出せないものですよ。職人の腕が良いんでしょうな」
「母の形見なんです」
「そうでしたか。物持ちが良いのですね。大事に使われている」
髪結いはまじまじと母の形見の簪を見て、丁寧に髪に挿してくれた。その後、部屋に呼ばれた女性使用人の手で着付けをしてもらい、華やかな着物に帯をだらりと垂らす様に、前でしめられるのを大人しくされるがままになっていた。
身なりが整うと、倫に手を引かれてお座敷へと連れ出された。
今日こそ、倫の言っていた「主さま」とやらに合わせてもらえるようだ。どうして主さまに会うだけなのにこのような格好をさせられるのかと聞けば、これは単に主さまの趣味だと聞かされた。
「主さま。お連れしやんした」
倫は座敷の一番奥まで来て声をかけた。どうやらこの部屋に主さまは通されているらしかった。
「お入り」
返って来た声は思ったよりも若かった。倫の話から主さまとは、自分の父親ほど年齢のいった男性ではないかと勝手に思い込んでいたのだ。
襖を開けた先には若々しい声音を裏切らない容姿の若者が待っていた。どこかの武家の若者に見える主さまは、佐保を見て破顔した。
「やあ。やっと会えたね。姫。ここにおいで」
「あの。あなたさまは?」
上座に座る若者を前にして下座に回ろうとしたら、立ち上がった主さまが先回りして佐保を自分の隣の席へと促がした。
「きみに会いたかったよ。僕は家綱。きみの母の従弟に当たる。きみから見れば従叔父だよ」
「従叔父ですか?」
どうみても若く感じられるし、自分とそう年も変わらないような気がする。と、佐保は困惑した。自分よりは年上のようには思うが、綱宗と同じような年齢に思えた。
「そうおかしな事でもないだろう? 伊達家でも伊達政宗公と、伊達成実どのも同じような間柄だったと記憶しているけど?」
「お詳しいんですね?」
「そりゃあね。父上が自分が生まれながらの将軍だと各大名を集めて宣下した時に、いの一番に臣下の名乗りを上げてくれたのは政宗公だったと、いつも機嫌の良い時に話して下さっていたからね。政宗公のことなら何でも知っているよ。父が爺やと呼んで慕っていたし」
「あの生まれながらの将軍って? まさかあなたさまは……」
佐保は顔面蒼白になった。主さまとは天下の大将軍さまだったのだ。想像もしなかった展開になったと思っていると、家綱が可笑しそうに笑いかけてきた。
「いけない。まだ素性を明かす予定ではなかったのに。あっさり明かしてしまった」
「主さまは、真田の匿いし姫にやっと会えたことでだいぶ興奮されているようでありんす」
「妬いてるのか? 倫」
倫は家綱の隣に座った佐保とは反対側の、家綱の隣に寄り朱色の杯を差し出す。家綱がそれを手に取ると、とっくりの中身を注いだ。
「嫉妬などとんでもありんせん。天下の大将軍さまでも舞い上がることがあるのかと思ったのでありんす」
「だってあの伯母上の孫姫だよ。伯母上は信頼ある者に託したとしか教えてくださらなかったし、行方が知れなかったんだ。一生、会えないのかも知れないと思っていたよ。それがこうして会えた。嬉しいよ」
「家綱さま。わたくしは自分の母の事は何も知りません。母はどういった御方だったのでしょう?」
「きみの母は、余が世なら押しも押されもせぬ高貴な御方だったのだよ。もし、関が原で豊臣方が勝っていれば、こうして天下に号令をかけていたのはきみの方だっただろう」
興奮した様子の家綱にまくし立てられて、佐保は面食らった。




