3話・征四郎との婚約
もともとこの時代の結婚というものは、親が相手を決めるのが当然で、藩士の娘の結婚など政略結婚ありきなようなものだ。
城下に住む町民達のように、好きあった者同士、結ばれるだなんて珍しい方で、伊波と想いを通じ合わせていたのが夢のまた夢のようなもの。
征四郎について良くは知らないけれど、何度も危ない所を助けてもらっていたし、見知らぬ相手を勧められるよりは良いかも知れないとは思う。
ただ、征四郎とのことを考える前に喉の奥に魚の骨がつかえるような、気持ちが塞ぐような存在が立ち塞がる。あの人のことを未だ忘れられないことには前に進みたくとも、進めない様な気がしていた。
「佐保さま。大丈夫ですか?」
「心配かけてごめんなさい。お萩」
「そのようなことやりますのに」
祖母とあった翌日。布団を畳んでいると、佐保つきの侍女が慌ててやってきた。
「もう平気だから」
伊波と別れて傷心に浸っていた佐保である。お萩の気遣うような視線に申し訳なく思っていると、お萩が明るく言った。
「佐保さま。良かった。皆が心配していました」
「皆にも迷惑をかけたわね」
「迷惑だなんて……。ああ、佐保さま。そういえば征四郎さまもお見舞いにいらしていたのですよ」
「征四郎さまが……?」
梅から征四郎との縁談を打診されていた佐保は、それを聞いて声を上ずらせた。
「佐保さまが丁度、お休みになられていた時だったので、征四郎さまは寝かせておいて欲しいとおっしゃられて、お見舞いの品にマコカレイを沢山頂きました。あとで煮付けにして頂きましょうね」
お萩はなぜ征四郎が見舞いに来たのか不審に思うこともなく、当たり前のように告げたので、ひょっとして皆の中ではもしかしたら征四郎は佐保の新たな婚約者として認められつつある? と、思っているとお萩が言った。
「征四郎さまは良い御方です。あの御方が佐保さまのもとへ足を運ばれていた時から、何かと佐保さまのことを気遣われておられたのですよ」
「初めて聞いたわ。そんなこと」
「一度だけ征四郎さまに窺ったことがあるのです。佐保さまのことをどう思われているのかと」
「征四郎さまは伊波さまの命でわたくしを助けてくれていただけよ。そこに特別な想いなんてないわ」
数日ぶりに伊波の名前を口にしただけで胸が疼いた。まだ伊波は心の中に存在していた。それが嬉しくも悲しかった。
お萩はいいえ。と、首を振った。
「佐保さまは伊波さまに夢中で気が付かれてなかっただけです。征四郎さまは佐保さまだけを見つめてました。だから聞いてしまったんです」
お萩は征四郎は想い合う二人を複雑な想いで見つめていた征四郎が気になったのだと言った。
「征四郎さまは、佐保さまのことをお慕いしていると言っていました。でも叶わぬ思いだと。このことはどうかお萩どのの胸の内に秘めて欲しい。と、願われてしまいましたわ」
そんなことを言われたら応援したくなるではありませんか。ともお萩は言った。
「この縁談はわたくし達、この屋敷に仕える者たち皆の総意です。佐保さまには幸せになってもらいたいんです」
必死に征四郎を勧めてくるお萩に余計なお世話だと佐保は言い返せなかった。今まで伊波のことしか考えていなかった佐保は、黒装束を身にまとっているのが勿体無いほど、美しい男のことを思い返していた。
────彼がわたくしのことを?
にわかには信じられない思いだ。
「征四郎さまなら佐保さまをきっと幸せにして下さいます」
お萩のその自信はどこから来ているのか不思議だけど、なんとなくその言葉は信じてもいいような気がした。
「心ここにあらずといった感じですね?」
「ごめんなさい。征四郎さま」
「何を考えていらしたのですか?」
その後、征四郎は梅の媒酌で佐保の正式な婚約者となり、何度となく屋敷を訪ねてきてくれていた。彼のことは嫌いではないが信用はしている。
結婚したら子供をなし、家庭を築いていくものと漠然と思っていた。
「……参勤交代で征四郎さまも藩主さまに付き添われて御江戸に行くのでしょう?」
伊波は伊達綱宗を名乗り、仙台藩の三代目藩主となった。その彼に持ち込まれる縁談は多いと聞くが、彼はそれには首を横に振り、参勤交代の支度に入っていると聞く。
藩主が代わった報告もかねて早めの出立になりそうだと、父からは聞かされていた。父は留守番組だが、征四郎は伊波に重用されている。きっと参勤交代には連れて行かれるに違いなかった。
「私が殿の参勤交代に伴なうのは寂しいですか?」
「もちろんです」
征四郎が窺うように聞いてきて佐保は即答した。征四郎の人となりは、彼が佐保のもとへ通うようになってから知れるようになってきた。
初めは伊波とのこともあり、ぎこちなかった二人の仲も自然と笑いあえるような仲になって来れたと思っている。
「では今すぐに契ってしまいましょうか?」
「征四郎さま」
「冗談ですよ」
耳もとで囁かれた内容に思わず、体を強張らせると征四郎は苦笑していた。参勤交代では家臣らも家族を伴なうことを許されている。そんなに離れるのが寂しいのなら名実共に夫婦になりましょうか? と、言われて佐保は戸惑った。
まだ伊波に心を残していることは征四郎に筒抜けなのだろう。
「我々はゆっくりと夫婦になっていきましょう」
頬を撫でられると伊波のことを思い出して仕方なかった。彼は良く佐保の体に触れてきた。それを不快に思わなかったのはそれだけ気を許していたし、彼にだけ特別な思いを抱いていたから。
征四郎を気持ちの上でも待たせてしまっているのだけれど、彼はそんな佐保の気持ちを組んでくれる。
「向こうについたなら手紙を書きますよ」
「きっとですよ」
「はい」
兄のように頼りがいのある美しい婚約者を前にして、佐保は妹のように甘えてみせた。




