2話・迷子と迷子
くるくるくるくる…
露店の店先で、風車が秋風を受けていっせいに回る。野山が夏から秋へと移りゆくさまを、表してでもいるように、風車の羽根の色は、照柿色や茜色が主流で、カラカラカラと、羽音を立てて勢いよく回っていた。
徳川将軍お膝元の御江戸より東北にある、ここ奥羽の都、伊達仙台藩では、盂蘭盆も過ぎて昼間肌に照りつける日差しは、まだ強いながらも、風が秋の気配を含んで、だいぶ過ごしやすくなっていた。そぞろ歩きには相応しい頃合だ。
「あなたのお母さん。あの中にいた?」
佐保は、自分たちの目の前を行き交う人々の列を、一緒に眺めている隣の五つくらいの男の子に訊ねた。子供は黙って首を振る。ふたりは境内脇の杉の大木の木陰に立ち、少年のはぐれた母親を探していた。
今年、十四になったばかりの佐保は、父親が奉行職にある仙台藩士の娘。幼顔のなかにも大人びた表情が見え隠れするが、品の良さは隠せない。色白のきめ細かい肌に、意思の強そうな眉のもと、大きな瞳が印象的で、頬はほんのり桃色。寒椿よりも赤い口許に笑みを浮かべれば、牡丹の花がほころぶように顔が華やいだ。
行き交う人々は、町人長屋に住んでいるような子供と、武家の娘のふたり連れを物珍しそうに遠目でちらちらと見やったが、もっぱら目で追うのは美しい娘の方で、何事だろうと心の中で詮索するに留めていた。彼らも目的があって縁日に来ているので、人ごみを逆らってまで彼女らに接近しようという物好きはいなかった。
佐保は他人の注目を集めているとは夢にも思わず、ひとの往来をはさんで、向かい側に位置する露店の風車屋をなんとなしに見やって、ため息をついた。彼女はかざぐるまの朱よりも、黄味の濃い鮮やかな赤の地の小袖を着ていたが、向かい側の露店の風車に、先ほどから目を奪われていた。
「そう。無理もないわね。こんなに沢山の人がいるんですもの。こんなときはこちらから動いては駄目。今頃きっと、あなたのお母さまが探しているわ。ここでおとなしく待っていましょうね」
少年は泣きそうになる顔を必死でにっと微笑ませてくる。本当は母親と離れて心細いだろうに、少年を案じる自分にたいして、心配かけさせまいとしているのが見て取れた。佐保は少年を安心させるように、握っていた小さな手を強く握り締めた。
ひとの往来は途切れることがない。そればかりか逆に増えて来ている気がする。
さすが八幡さまの縁日と思いながら、ひたすら人ごみに目を凝らす。このお祭りは仙台城下の者たち皆、町民、武士身分を問わず楽しみにしているものだ。
佐保もこの日を来るのを楽しみにしていて、昨晩はなかなか寝付かれずにいた。
縁日に出る露店の餅串やところてん、だんごに蕎麦と、普段屋敷では食せないものを食べようと指折り数えて、待っていたのに。
『やっぱり花よりだんごですわね。佐保さまは』
食べ物のことばかり考えていると、聞き覚えのある声が頭の中に響いて、佐保は笑った。こんなことばかり考えていると、お萩に馬鹿にされそうだ。彼女より一つしか年は違わないのに、佐保より一年先に生まれたお萩はお姉さんぶって、佐保のことを子供扱いする。きっと今頃、そらみたことかと思っているに違いない。
ふと、自分の着ている銀朱のお気に入りの着物の袂に目を止めた。萩や桔梗、撫子といった秋の七草が、金糸や銀糸、浅黄色の糸で刺繍されている。
佐保はそわそわしてきた。気持ちは急く。大丈夫かしら?ばばさまに教えてもらったのに。
『八幡神社裏のお稲荷さまで…』
仙台城下の外れにあるこの八幡神社では、若い娘たちの間で、まことしやかに囁かれている噂がある。裏手にあるお稲荷さまに願掛けすれば、恋の願いが叶うというもの。
もっとも効果があるのは三日三晩お祭りが続く縁日の間に願掛けすれば、想う相手と添い遂げられるという。所以は分からないが、かなりの娘達に信じられているのは確かだ。
佐保の周りの侍女たちも、噂を信じて縁日に出かけ願をかけて数日後、想う相手と結ばれたという者がけっこういた。
周囲の者にいままで子供扱いされていた佐保も、昨年初潮を迎えたころから、母方の祖母よりこのことを教えてもらい、縁日に来る日をものすごく楽しみにしていた。もちろん、露店の食べ物の匂いにもそそられるが、それよりも人々の熱気や、露店の物珍しさにあっちこち眺めては足を止め、先に立って案内してくれていたお萩とはぐれてしまったのを、佐保は今更ながら、後悔していた。
「おねぇちゃん。どうしたの?」
「あ。なんでもないわ。ちょっと思い出してね」
隣にいる男の子が自分を見上げているのに気がついて佐保は苦笑した。迷子になった子供に気遣われてしまうなんて。でも自分も同じようなものだ。それなのに通りすぎて行く他人の列のなかに自分と同じく、親とはぐれたらしい子供を発見して、佐保は泣いている子供を黙って見過ごすことは出来ずに、つい手を引いて、保護してしまった。
自分のことさえままならないのに。自分のこんな姿をみたら、お萩は『迷子が迷子を保護してどうするんですか?』と呆れるだろうか?
佐保は大きくため息をついた。隣にいる子供が大丈夫?と窺うように佐保を見る。佐保は男の子を力づけるように微笑んだ。
「大丈夫。あなたのお母さん、きっと見つかるわ。安心して」
根拠のない言葉だとは思ったが、不安になる子供の気持ちを少しでも、勇気つけたかった。
「ずいぶんと若いお母さんだなあ。ぼうずの母ちゃんか?」
「違うわい」
「きゃっ。だっ、誰?」
ふいに声をかけられて佐保は面食らった。佐保達の前に白い面の狐の顔が、にゅっと突き出してきたからだ。少年は驚きつつもぶんぶんと首を横に振る。
白狐の面の下は派手な格好だ。大胆な雷柄の朱色のさした小袖に、卯の花色の地に、天かける龍が描かれた羽織り(おり)をあわせて着て、腰に錦の帯を幾重にも回し、その帯には長すぎる刀を差していた。きっと武士だろうが、佐保には奇抜な格好に思えた。赤みかかった黒髪は総髪で、後頭部の上の方で、朱色の組み紐でひとつに結ばれていた。これが噂に聞く傾奇者だろうか?声からして相手は若い男性のようだ。
年頃の娘を捕まえて母親とは失礼な発言だ。佐保はむっとした。
「失礼ね。あなた。どこをどうみれば、この子がわたくしの子だと?」
「悪い。悪い。ずいぶんと仲がよく見えたんでね」
「この子は迷子になっていて、この子の母親を探しているところですわ」
憤慨する佐保に、狐面の若者が高い笑い声を上げた。からかわれたようだ。佐保は若者の笑い声に、迷子になった自分を馬鹿にされた気がして、慌てて言い訳をした。