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おぼろ城主と猫の恋  作者: 朝比奈 呈
振り振られ
19/48

2話・ふたりの恋は終わった


「佐保。おまえとの婚約は解消したい」

「え? 婚約解消?」



 久しぶりに顔を合わせた伊波は少しやつれて見えた。顔を合わせるなり険しい様子を見せた彼にどうしたのだろうと思いながら、告げられた内容に佐保は耳を疑った。


「……わたくしのどこか至らぬ所でも?」


 彼は半年前と今ではずい分と境遇が変わっていた。あれから彼の父であり、先代藩主でもあった忠宗公が亡くなったことで、彼は綱宗として三代藩主となったのだ。  

 今までの奇抜な格好をした若様の姿はそこになかった。父の後を継ぎ、藩主となった伊波はそれを改めたかのように、頭を月代(さかやき)にし、藩主に相応しい身なりをして現れて驚かせたと言うのに、彼の口から出た言葉はいっそう信じがたいもので、疑うように聞いてしまった。

 伊波は聞いているこちらに期待を抱かせないようにでもしているのか、淡々と言葉を並べてきた。



「いや。おまえはよく尽くしてくれている。何も問題はない」

「それならなぜ?」

「俺は……。おまえを都合のよい女にしたくない」

「嫌です。伊波さま」



 整った顔立ち。月代の似合う顔が恨めしかった。藩主となった彼には、他藩からも縁談が持ち込まれていると聞いていた。佐保との事は先代藩主さまが一存で決めたもの。家臣らに公表する前にお亡くなりになられて今、その話は反故にされそうになっていた。

 でもそんな話がなくとも自分達の想いは通じていたと思うのに。



「済まない。佐保」

「伊波さま」

「もうその名は捨てた。今度からは綱宗と」



 伊波は以前の彼とは別人のように佐保に対し、一線を引いてみせた。伊波という名を捨てるというかれの発言に佐保は衝撃を受けた。

 以前は綱宗という兄を亡くし、彼の影武者を生きてきた彼が、佐保といる時に望んできたのは自分を「伊波」と呼んでほしいということ。


 二人きりでいるときには「綱宗」と、いう役目を終えて個人の「伊波」としての姿を見せてくれていた。


 それを捨てるということは、もう彼はこれから先の一生を綱宗として生き抜くと決めたのだろう。

婚約解消をするということは「伊波」の秘密を知る自分はもういらない存在になったのだと佐保は思った。

 彼のやつれたような様子から、少しは自分と別れるということを相当に悩んでくれたものと信じたい。

 佐保にはもう今後を決めた伊波に、自分の感情をぶつけることは出来なくなってしまった。

 彼の双肩には伊達藩の未来が懸かっている。自分に何の力もない事がこんなにも悔しく想われる日が来るだなんて。


「畏まりました。綱宗さま。どうぞ、息災で」


 胸の内に広がってくる熱いものに抗うように、佐保は強張る口角を上げて見せた。好きな男性を最後の最後で困らせるような真似はしたくない。


「佐保も息災で」


 別れはあっけないものだった。頭を下げたままでいると、若き藩主の袴が視界から外れ、ぽたりと滴が草履を履いた足袋の上に落ちた。足の指先が濡れていく。

 嗚咽が喉元までこみ上げてきても、佐保はしばらく顔をあげようとはしなかった。





 伊波に別れを告げられたことは佐保にとってかなりの衝撃を及ぼした。次代の藩主になる伊波のお側にいるということは、いつかは彼にとって不要とみなされれば切り捨てられるものと割り切っていたはずなのに、伊波の態度があまりにも真摯すぎたせいか、夢にまで見るようになり、枕を涙で濡らす日が幾日か続き、終いには高熱を出して寝込むようになってしまっていた。

 こんなにも心が弱い人間だったのだろうかと呆れる一方で、このことを伊波が知って心配して見舞ってくれないだろうかと、未練がましい思いが胸に湧いてくるのに浅ましいものを感じて自己嫌悪に陥る。

伊波の事はとても好きだ。大切に思っている。それだけに彼に迷惑があってはならないと思うのに。

熱がなんとか落ち着いてきた時、祖母の来訪を受けた。


「佐保。今回のことはよほど辛かったでしょうね」

「おばばさま」


 布団から体を起こした佐保と目が合い、祖母の梅が伊波との事は聞いていますよ。と、暗に促がす。見目は品の良い藩士の奥方にしか見えない祖母は、実は忍軍の長だったりもするから、手の者から色々と報告を受けていたりするのだろうと悟った。



「でも……。こんなことを言うのはなんだけど……伊波さまとの事はもうお忘れなさい」

「おばばさま」


 何を言うのですか? と、目を向ければ、祖母はため息を漏らした。



「あのお方はね、先代藩主さまの奥方さまが身篭られたことに賭けてらしたの。もし、男児が生まれたならば自分はその補佐として仕える気でいらした……」


 祖母の梅はままならないものね。と、呟いた。佐保も知っている。伊波は藩主の座を望んでいなかったことを。彼はあくまでも次の藩主が決まるまでの、中継ぎの存在としてしか思っていなかった。

 もし、先代忠宗公の奥方さまが男児を産み落とされたなら、伊波はその後見役として名乗りをあげたのだろうけど、奥方さまは忠宗公が亡くなられたことを深く悲しみ、お腹の子供を流産されてしまった。現在は静かに静養されていると聞く。

 もしかしたならあり得たかもしれない未来。でも、伊波が藩主となったことで夢が潰えてしまった。



「あの。佐保。あなた征四郎のこと覚えている?」

「征四郎さま? ああ黒装束の? 以前、助けて頂いた御方ですね?」


 征四郎には何度か、人相の悪い男たちに絡まれた時や、幸平に襲われそうになった時に助けてもらっていた。確か伊波に仕えていた忍者だったような気がする。



「佐保は彼のことはどう思いますか?」

「優しいお方のように思いましたが?」


 祖母がどうして、征四郎の人となりを聞いてくるのか分からなくて聞き返してしまった。

「征四郎にはゆくゆく妾の後を継いでもらおうと思っています。だからあなたがもし、少しでも彼のことを良いと思ってくれたならと思っているの」

そこまで言われて佐保は、祖母が自分と征四郎を娶わせようとしているのだと気が付いた。



「お父さまはそれについてなんと言っているのですか?」

「婿どのは、そなたの気持ち次第だと言っていましたよ。そなたが望まぬ事はしたくないと」

「おばばさま。少し考えさせて頂けますか? まだ気持ちに整理がついてないのです。落ち着いてからお返事させて頂きますわ。征四郎さまはなんとおっしゃられているのですか?」

「征四郎は構わないと言っています。妾たちは急ぎませんよ。ゆっくりお考えなさい」


 それだけ言うと梅は退出して行った。


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