10話・突然もちあがった縁談話
縁日よりひと月が過ぎ、佐保は父の将信の私室に呼ばれていた。父は仙台藩内で奉行職にあり、他藩でいえば家老の職についていた。ここのところ政務が忙しいらしく、父がまともに帰宅したのは縁日の日以来だ。それ以降は忙しい為か仙台城へ宿直して勤めに励んでいた父が、一月ぶりに朝方帰宅し、佐保を呼んでいるという。自分を呼びに来た侍女に連れられて、佐保は父の部屋を訪れた。
「ひさかたぶりだな。かわりはないか?」
「はい。父上さまもおかわりないようで」
久しぶりに顔をみた父は、綺麗好きな父にしては珍しく無精ひげが伸びていたものの特にかわりはない。なかなか屋敷に戻らない父を、激務に身を削っているのではないかと心配していた佐保だが、ひと月ぶりに会った父の元気な姿を見て安心した。佐保が三つの時に母が亡くなってから家族といえば父のみ。その父に会えて佐保はほっとした。
将信は三十代半ばの中年男だが、娘の贔屓目を覗いても、ほぼ美丈夫の部類に入ると佐保は思っている。整った顔立ちはもちろんのこと、父くらいの年齢なら皆誰しも口髭やあご髭を伸ばしていて当然だが、父は髭を伸ばすのをよしとせず、いつも綺麗に剃っていたので本当の年よりも若く見られがちだった。
その父が髭も剃らずに自分を呼びつけるなんて。よっぽどの事が起きたに違いないと、佐保は思った。
「実はな、お前に大事な話があってな」
「なんでしょう?」
「綱宗どののことは知っているか?」
「はい。いろいろ噂には伺っております。教養のある方でなかなか奇抜なお方とか?」
佐保は仙台藩主のお世継ぎ様の綱宗公には、直接お会いしたことはない。
綱宗公は幼い頃から病弱ですぐ床に寝付いていたらしく、京や江戸の藩邸にて養生していたと聞く。一年前に青葉城に迎え入れられたという綱宗公は、今まで藩主さまが腫れ物にふれるようにして接してきたせいか、かなり奇抜な人物に育ったらしい。
どうもあまり良い噂は聞かない。伝え聞いたところでは、綱宗公は教養はあるものの、藩主とは違って見栄っ張りで派手好きだそうだ。南蛮渡来の着物を好んできて、着道楽で湯女のような格好をしてみせ、藩主さまや、奥方さまを呆れさせているとも聞くし、藩内のお金を湯水のごとく使い、遊郭に通いつめて放蕩三昧だとか、ご城下を遊び歩いて青葉の城には滅多に帰って来ないばかりか、政務は重臣まかせになってしまい、何でも彼らの報告に肯くだけなので、影で『張子公』とも呼ばれているとも聞く。張子の虎のように首を縦に振ることしか出来ない、無能の主と揶揄されているのだ。
「その綱宗さまがお前を正室に欲しいと望まれている」
「はぁ?」
いきなり父から切り出されて佐保は困惑した。見ず知らずの相手から、しかも問題ありと称されるいわくつきのお世継ぎ様に自分が望まれている?
「わたくしを綱宗さまがどうして?」
「わしは当家のお転婆娘は、綱宗さまの手に余るとお断りしたんだが、しつこくてなぁ」
「父上さまっ」
「はぁ~。毎日詰め所に押しかけてこられてなぁ。承諾しないと城から出さぬとまでいわれたのだ」
断わってくれたのは有難いが、愛娘をお転婆娘と称するのはいかがなものか。佐保がふくれると将信が大きくため息をついた。
「でも、どうして綱宗さまはわたくしのことをご存知なのです? わたくしは一度もお会いしたことはありませんが?」
と、いいつつ佐保は首をかしげたが、あることに思い当たった。もしかして会う機会があるとすれば桜の花見の宴の時に違いない。
今年の春先、仙台城内で盛大に花見の宴がもようされ、門閥の藩士たちや家族が招かれて佐保も父とともに参上したのだ。その時に父とともに藩主さまや藩主の奥方さまにご挨拶をさせて頂いたのは覚えている。でも、お世継ぎ様は気分が優れないとかで場を辞していた為、お会いした記憶はないが…
追憶すると若干不快な出来事が思い出された。無礼講ということで、昼間から酒がふるまれ皆が美酒に酔いしれていたが、なかに悪酔いした者がいて佐保にからんできた者がいた。
はじめは同行した父の立場もありやんわりと断わっていたが、相手がこちらが強気に出れないのをいいことに、佐保の体を触れまくってきたので、お尻にとうとう手が回ってきたときに相手の手をねじり伏せた事があった。あのとき酔った相手が大声で喚いたので、佐保は周囲の注目をあび、居たたまれなくなって、逃げるようにその場から早々に帰って来てしまったという事があった。
「まさかあれを…?」
「花見の宴で騒ぎを起こしたお前を、どこからかご覧になってたそうだ」
「そんなぁ~」
「威勢がよいところが気に入ったとか」
「よりによって、気に入ったのがそこですか?」
「毎日お前のことを話題にされている。よっぽどお好きなんだなぁ。ははは…」
「これって何かの罰ですか。父上さま~」
涙目になって訴える娘に、父はやけくそぎみに告げた。
「これ以上の縁談はないだろう。速やかにお受けしなさい」
「ちちうえ~」
気まずそうに娘と目を合わせない父に佐保はピンときた。
「父上さま。まさか…断わりきれずにお受けしたのでは?」
「だから最初に言ったではないか。承諾しないと城から出さぬ、と言われて城に拘束されていたと」
「ええっ。では、今まで城からお戻りにならなかったのは、政務が忙しくて泊り込んでいたのではなくて?」
「そうだ。留め置かれた…」
「情けな…。 あ、いえ。でもわたくしの気持ちはどうなるんですか?」
「ああ。幸平か。あれは駄目だ。やめとけ」
お世継ぎ様にいいように振り回された父を、非難しようとした佐保は、将信の冷たい視線を受けて口を閉ざしかけたが、自分の置かれた心境を思えばこの話を黙って受けるわけに行かない。抗議しようとすると、父には分かっていたようだ。幸平のことはあきらめるようにと言われた。
「なぜですか?」
「あいつは女にだらしないからだ。暇さえあれば無駄に色目を使って。第一、お前より十も年上じゃないか。あんなオヤジのどこがいいんだ?」
「年齢なんか関係ないではありませんか」
「駄目だ」
父は頑として譲らない。幸平個人を良く思ってないように感じられる。
「よぉく分かりました。父上さまは単に幸平さまが気にいらないのですね?」
「何とでもいえ。幸平だけはだめだ」
「では父上さま。綱宗さまをわたくしにおすすめするにあたって、綱宗さまのどの辺が良いのかご教授頂きたいですわ」
「そうだなぁ。まず顔は悪くない。背も高い。教養もある。性格もまぁ、まずまずといった所だ。やや常識にかけるところはあるが、茶目っ気があって憎めないお方だ」
佐保は父に嫌味で報復しようとしたが、父は綱宗さまを弁護にまわる。常識にかけるところはおおいにあると思うのだが。
気に入った娘を娶る為に、その父親がうんと言うまで城に留め置くというのは、常人ならまずしないことだろう。なのに被害を被った当人が茶目っ気の一言で済ませてしまうとは。
「父上さまはお世継ぎ様のことを、買いかぶっていらっしゃるようですわね」
「ああ。その辺にはなかなかいない気骨ある若者だ。お前も一度お会いすれば分かるさ」
「ならお会いして、こちらからお断りすることに致します」
佐保が依然として態度を変えようとしないので、あきれ果てたのか父は脱力したように言った。
「好きにするがよかろう。わたしは少し休むからな」
その言葉で退出を促され、佐保は父の部屋を辞した。




