1話・出会い
青空の下、張り巡らされた白い天幕の内で、彼は満開の桜の花を見上げて、こみ上げて来る、本日何回目になるかわからない欠伸を噛み殺した。
天幕には、笹竹の丸い円の中に、二羽の雀が向き合っている紋が、墨で画かれている。仙台藩主とその家族が、設けられた壇上の席に腰掛けて、訪れた直臣たちの挨拶を受けていた。
今日は、表向きは彼のお世継ぎとしての、御披露目も兼ねての花見の宴。
しかし桜花舞う城内に、招かれた藩士の顔ぶれを見れば、藩内で特別な地位に立つ者が多く、年ごろの娘を連れた家族ばかり招かれていることからして、ただの御披露目会であるわけがない。
藩士たちは出仕のときより華美な格好をしてそわそわし、連れてきている家人は着飾り、年頃の娘にいたっては、桜の花の香りよりきつく、脂粉の匂いをプンプンさせて、顔を真っ白く塗りたぐっている。
おそらく主役の自分以外には、父親の藩主より通達が出ているのだろう。
藩主の父の顔を立てて、一刻ほどつきあってみたものの、こんな茶番には付き合っていられない。具合が悪くなったと言って、早々にその場を辞してきた。
彼の父親たちの世代まで、大名家は大名同士の婚姻が普通とされてきた。大体の藩主が将軍家と縁戚に連なる、大名家の姫君を正室に迎えている。
それは将軍、徳川家が戦国の世の中にあって、各藩の動きを掌握する為に、将軍家の姫を送り続けた結果だろう。そのおかげで全国の大名家が将軍家と、親戚状態にある。
現在、徳川将軍は四代目。将軍は自身で政務を執り行なうより、幕府の重臣任せで、やや彼らの傀儡ぎみの存在になり下がっている。そのせいで政務を司る幕臣が強い権力を持ち、なかでも老中酒井は、侮れない相手になっていた。
彼は後嗣に恵まれない藩や、幕府に逆らう藩は将軍家といくら縁続きとはいえ、容赦なく排斥してきた。
『戦のない太平の世の中になったとはいえ、幕府の顔色を伺って、存在する大名家とはいかがなものか』
彼はそう言って嘆いていた、義兄を思い浮かべた。義兄は彼より半年先に生まれた正室の子で、嫡子だった。本来ならこの席にいたのは義兄のはずだ。
運命とは何が起こるか分からない。彼が次期当主として認められた今になって、父の正室が身ごもった。その赤子が生まれて男児だった場合、彼の立場は微妙なものとなるだろう。
義母は初代徳川将軍、家康の孫娘だ。幕府としても、どこの馬の骨が生んだ藩主よりも、血筋のはっきりした徳川家の血をひいた藩主が、望ましいと考えるだろう。
ならば自分は、仙台藩の為にも義母の子供が成長するまでの、中継ぎの藩主でいるのが望ましい。そんな自分に期待して、嫁ごうという浅はかな娘の多いこと。群がろうとする彼らは、ゆくゆく自分が数年後、藩主の座を追われることになろうとは、きっと夢にも思わないに違いない。
おめでたい者らばかりだ。皮肉って櫓の中の床に寝転がると、格子の窓から青い空と、白い桜の花の枝が見えた。空ではひばりが囀っているらしい。楽しそうな鳴き声が聞こえて来た。
自分はただ…温もりが欲しいのだ。
彼は孤独な幼年期を振り返る度、温かな家庭を欲していた。
娶るなら藩主の自分ではなく、自分個人を見てくれる娘がいい。だが花見の宴に招かれた藩士の娘たちでは、彼の願いは叶えられそうになかった。
はぁ。大きくため息をついたときだった。
外から小鳥のように愛らしい少女の声が飛び込んで来た。空で鳴くひばりのように、囀るような話し方が気になった。
「わああ。ひどいわ。わたくしが何をしたと言うのですか? 悪いのは明らかにあちらではありませんかぁ」
格子戸から覗いてみると、美しい娘が顔を紅潮させ、父親らしき者に憤っているのが見えた。父親は娘に何事か囁き、宥めようとしていた。そっとふたりを格子戸から伺っている彼に、親子は気付いた様子はない。
彼は娘の隣にいる父親らしき者の顔に、見覚えがあった。確か水沢将信という家老だ。仙台藩でいえば奉行職にあたる。実直な性格で、忠義にあついので、父に重用にされていた。真面目すぎて彼にはうっとおしいくらいだ。
中継ぎの自分の存在に、苛立ちを覚えて道楽にはしった彼を諫めたのは将信だし、家臣皆が次期後継者ということで、彼がどんなことをしても見て見ぬふりをするなか、彼をつかまえて説教するのは、真田の長と将信だけだった。
「ふうん。将信にあんなに可愛い娘がいたとは。母親に似たんだな」
格子戸から覗いていた彼は、父親に似て利発そうな娘に興味を覚えた。
「酔ったことを言いことに、物言わぬ娘の身体を、まさぐったりして…あのまま黙っていたら、着物の内側に手が入り込んでました。それを…」
どうも娘は花見の宴で、父から離れた隙に、酔った藩士に絡まれて、身体を触れまくられたらしい。しまいに着物の内側に手が入りこもうとしたので、不快に思い相手の男の手を捻り上げたら、様子を見ていた仲間の藩士たちから逆に非難されたらしい。女のくせに男をまかすとは、可愛げがないと。
娘が鼻を啜り上げて、泣きじゃくりながら父親に愚痴る姿を見ていたら、胸がむかむかしてきた。彼もどちらかといえば、真面目なほうではないが、それでもか弱い女性相手に無体な真似をするのは野暮に感じていたし、そんなことをする男には、同性として腹が立ち情けなく感じた。
今すぐにでも花見の宴に戻り、娘に無礼を働いた男たちを捜し出して、とっちめたい気分になってきた。
「あ~。悔しい~。」
父親にすがって泣いていた娘が、きりりと顔をあげた。
「許せないわ。こんなのおかしいもの。やっぱり一発殴っておくべきだったわ」
「おいおい」
将信は誰が聞き耳立てているか分からないから、滅多なことを言うのではないと、娘を嗜めたが、娘はいまここに父と自分しかいないから発言したのだと、開き直っていた。
言いたいことも言い終えて、気が済んだのか涙も渇いた娘は、雨雲が引いたように晴れやかな笑みを浮かべた。まるでそれは芍薬の花が開花したような艶やかさで、様子を見ているしか出来ない彼は魅せられていた。
「何だか泣いたらすっきりして、お腹すいちゃったぁ。さぁ、うちに帰って湯漬けでも食べましょ。とうさま」
娘は父親の腕に自分の腕をからめ、歩き出した。騒動となった為、花見の宴に居たたまれなくなって親子は退出するようだ。
大手門の櫓の中で、彼は娘から眼がはなせなくなっていた。帰っていく親娘を見送るしか出来なかった。
くりっとした眼。甘えるような仕草。自分にちょっかいを出してきた男に爪をむく所は、まるで子猫のようだなと思う。
あの娘の隣に立つ、将信が羨ましかった。
彼は彼らが去ってしまうと、櫓から姿を現した。彼女の姿が脳裏から放せない。彼は櫓にもぐりこむ前とは違った、清々しい面持ちで、桜花を見上げた。胸のなかがじわりと温かい想いで、広がっていった。