Since08
家に帰って紗枝の様子を聞くと、まだちょっと熱が高いけど、食欲もあるという。
薬が効いているせいだろう。
「紗枝にアンタが戻ってきたら、教えてほしいって言われたんだけど」
母親に言われて、頷く。
「わかった。部屋のぞいて眠ってなかったら、少し話聞いてくるね」
制服を着替えて、紗枝の部屋の扉をノックする。
「紗枝ちゃん、起きてる?」
「はーい」
返事を待って扉を開けると、ベッドに身体を起こして座っている紗枝ちゃんがいた。
「奈江ちゃん、お疲れー」
「具合どう?横になってなくて大丈夫?まだ熱、下がらないんでしょう」
「ちょっとだるいけど、いくらでも寝られるし、あんまり辛くない」
「辛くないのは薬のせい」
そういって、軽く体を押すと、紗枝はふざけて勢いよくバタッとベッドに身体を倒した。
「でもさー、もともと病気でこんなに寝込んだのも初めてだから落ち着かないんだよねー」
紗枝はそういってニヤニヤと笑う。
いたずらっ子の様な顔で、奈江の様子をうかがう様は、本当に病人かと思うほど元気なのだが、それを言ったら図に乗って明日にでも学校に行くと言いそうだった。
「大人しくしているのが病人の仕事だから」
「へいへい。それよりも奈江ちゃん、今日はどうだった?」
「…それが、実は…」
白状しようとして、手を振って止められる。
「事の詳細は、桂香からのメール読んでるからいいよ」
気まずく言葉に詰まった。
それから、紗枝の顔をみて恐る恐る口を開く。
「生徒会メンバーに早々にばれちゃったことも…?」
紗枝は眉を下げて、笑った。
「ま、しょうがないよ。もともとそんなに長くバレないとも思ってなかったしさ」
紗枝の反応が意外にあっさりしていて、ちょっとびっくりした。
もっと、大騒ぎするかと思っていた。
「いいの?」
「いやあ……よくはないし、2日目にバレるのは早いと思ったけど、最初にバレた相手、麒麟だって?」
「う、うん。……あ、でも藤原君は昨日からわかっていたって。言わなかっただけで」
「そっかそっか。まあ、そうだろうね。うん……薫は野生の勘だろうけど、うん、そうだと思ったよ」
妙に感慨深げに頷いてから、ちらっと上目づかいに視線を送ってくる。
「ねえ、麒麟、何か言ってた?」
「え、別に…」
「……ふーん」
何か考えるようにして、視線を下げて口元に指を当てるのに、首をかしげる。
「え?なに」
「なんでもなーい」
「なに、そんな言い方されたら気になる…。あ、そういえば紗枝ちゃん、衣笠君に私のことしゃべったの?」
「ん?」
「私が紗枝ちゃんじゃないってわかった時に、急に名前呼ばれてびっくりしたよ。『奈江ちゃんだろ?』って」
言った途端に、紗枝ちゃんは口の端をあげた。
「…へえぇええ」
「…?なに、紗枝ちゃん急にニヤニヤして」
「別にぃ」
「紗枝ちゃん?」
「あー急に苦しくなってきた、ちょっと寝るわ」
そういって寝がえりをうって背中を向けられてしまった。
何か隠しているのは、わかりきっていたけど、病人に無理強いをするわけにはいかないし。
「もう……。夕飯の用意できたら、持ってくるから。ちゃんと大人しく休んでてね」
紗枝は布団の中から手を出して、ひらひらと振って見せる。
諦めて部屋を出ようとした時、
「ねー、奈江ちゃん」
声を掛けられて振り返ると、紗枝が布団から半分だけ顔を出してこちらを見ていた。
「奈江ちゃんはさ、覚えてるかな?昔、小さい頃一緒に遊んだ、泣き虫の子がいたの」
「昔?ええっと、幼稚園の頃、とか?」
「そうそう」
「幼稚園の時に、一緒に遊んだ子?」
正直、紗枝以外の子と遊んだ記憶があんまりない。
小学校にあがる頃になって、やっと他に友達ができるようになったけど、それまでは紗枝ちゃんとばかり遊んでいた記憶しか……。
でも
「……ぁあ、いたね。ショートカットの……」
「あ、覚えてる?」
「あの子でしょ?紗枝ちゃんが気に入って、連れまわしていた……」
「そ、私の手下。泣き虫のくせに、妙に負けず嫌いの子」
覚えている。
すごく可愛かったけど、紗枝ちゃんと負けず劣らずおてんばで、でも確かちょっと走ったり暴れたりすると咳こんで、たまに喉をひゅーひゅー鳴らしてた。
今にして思えば、喘息だったんだろうと思う。
覚えてるけど……。
「そういえばあの子ってあれから、どうしたんだっけ?」
「引っ越しちゃったんだよ。家の都合で」
「そっか、……そうだった」
すごく泣いたの、覚えてる。
初めての友達だったから。
「あの子なんて名前だったっけ、えーと……、あれ?紗枝ちゃん」
「んー?」
「どうして急にそんなこと言い出したの?」
「なんとなく。奈江ちゃん覚えてるかなと思って」
「…?そう」
唐突過ぎて、意味が分からなかったけど、意味なんてないのかもしれない。
たまに紗枝はあっちから、こっちへ話題が飛ぶことがよくある。
紗枝の頭の中ではちゃんと繋がっているらしいのだが、その頭の中のつながりを説明せずにいきなり話し始めるから、相手は唐突に話題が変わったように感じるのだ。
まあ、いつものことか。
「昔の思い出に浸るものいいけど、ちゃんと寝ててね」
そう言って、部屋を後にした。
***
生徒会メンバーにバレた事が幸いして、それから2日間は比較的楽に過ごすことができた。
そして土曜日。
綿密に打ち合わせしただけあって、他校交流会はつつがなく終わった。
司会進行はすごく緊張したけど、4日も紗枝のふりをしていれば、少しずつでも慣れてくる。
もともと新生徒会役員の紹介と、事前に用意してあった各学校からのアンケートをまとめの発表。次の活動や議題のテーマを決定するというだけだった。
ほぼ桂花の作った進行シナリオ通り。
予想外の展開もなく、用意された原稿を読んで会議を進めてつつがなく終了した。
正直言えばつつがなくというより、三人の細かなフォローでなんとか乗り切ったというのが、本当のところかもしれない。
***
他校の控室として用意した教室から、会議用に設営した視聴覚室に戻ると桂花が執行部の面々に片付けの指示を出していた。
奈江が戻ったのに気が付いて、声をかける。
「お疲れ様」
「桂香さ…、お疲れ様」
思わず気が抜けていたのか、「さん」づけしそうになる。
どうも気が抜けると奈江は、すぐに地が出そうになった。
「紗枝はあんまり体調が良くないから、先に生徒会室に戻っていたらいいわ」
桂花に言われて、一瞬迷う。
でも他の学校の生徒会も、会場の片づけを軽く手伝ってくれているのに、奈江だけいなくなったらまずいんじゃないだろうか?
奈江が口を開こうとする前に、
「ついでに今日使ったもの返却するのに、先に戻って倉庫の鍵借りてきておいてくれよ」
麒麟にも言われて、ちらっと周囲を見る。
人が多いところにいない方がいい。
二人の言葉はそういう意味だろうと思い、頷く。
「それじゃ、先に行ってるね」
「頼む。あ、藤原もいっしょに…」
「ううん。一人で大丈夫」
気を使って薫をつきそいにつけてくれようとしたのだろうけど、それはあまりにも悪いので断った。
さすがに4日目になると、校内の造りにも慣れてきた。
職員室に寄って鍵を借りて、それから生徒会室。
子供じゃないんだから、これくらい一人で出来なきゃ。
***
職員室で鍵を借りて、廊下に出る。
「失礼しました」
声をかけて扉を締める。
さて、生徒会室に戻ろう。
踵を返した途端、
「渉会長」と、呼ばれて振り返る。
井華水と違う制服に身を包んだ男子生徒だった。
交流会に出席していた他校生。
にこにこと笑いながら近寄ってくるからには、知り合いなのだろう……けど。
「久しぶり。会議の前に声をかけようと思ったのだけど、その暇がなくて」
「えっと」
誰だろう。
必死に思い出そうとする。
……確か、姉妹校の副会長さんだっけ?
「体調崩しているみたいだけど、大丈夫?」
「もうだいぶ……」
答えると、一呼吸の間があった。
「なんか今日は随分大人しいというか…覇気がないというか」
言われて、はじかれたように顔を上げる。
「そ、そう!?そんなことないけど、やっぱり風邪のせいで怠いから!」
なるべく紗枝っぽく話さないといけないと思ったが、不思議そうな顔をされていた。
当たり前だ、いきなり元気にこたえても、不自然なだけだ。
後悔しても遅いのだが。
「そう、…まあ、いいか。それはともかく、生徒会メンバーが一新していたから、びっくりしたよ」
「……ええ」
「もともと安曇会長とはそりが合わなかったし、前のメンバーも安曇会長に心酔していたからやりづらいだろうなとは、思っていたけど」
「…まあ」
「以前から執行部にいて、他の役員ともうまくやっていた久賀さんはともかく、総入れ替えみたいなもんでしょ。ぶっちゃけ、そこまで強引だとさ……、うまくやれてんの?大丈夫?」
「……。」
奈江にこたえられるわけがなかった。
……そうなんだ。
紗枝はともかく、みんな元々生徒会のメンバーで、何らかの役職から持ち上がったのかと思っていた。
『ちょっといろいろ揉めて…』という紗枝の言葉を思い出す。
「渉会長?」
「え、はい、えっと…」
何を答えていいのかわからず、しどろもどろに返事をしていると、いよいよ相手は不審の目を向けてきた。
このままじゃ、まずい。
何か……言って早くこの場を立ち去らないと……。
でも、何も思いつかない。
「紗枝」
急に背後から声が聞こえて、助かったとばかりに振り返る。
「い…、麒麟」
ほっとして力が抜けた。
「お、衣笠、久しぶり!」
相手も麒麟が来たことで、そちらに注意が向いた。
砕けた調子で、片手をあげて見せる。
「よっ、古橋副会長」
麒麟がからかう様に言うと、他校生は相好を崩した。
「やめろって、そっちだって副会長だろ?」
「まあね。そっちは引き継ぎ、とっくに終わったんだろう。うらやましいな」
「あれ、そっちは…?」
「こっちはまだちょっと残っている。紗枝がまだでさ」
「そっかそっか。渉会長は、安曇会長とは犬猿の仲だもんなー」
「そ、逆にいえば、安曇先輩に意見できるの、コイツだけだし」
仲良さげに話す二人に挟まれて奈江がぼうっとしていると、麒麟に背中を勢いよく叩かれてふらつく。
それを見て、相手は苦笑いになった。
「安曇先輩は頼りになるけど、ちょっとおっかないもんな」
「あの鬼の生徒会長から解放されるけど、今度はこのはねっかえりのお目付け役だよ」
「本人を目の前にして、よくいうな」
「紗枝、いま風邪ひいてて本調子じゃないからな。言いたいこと言うなら今のうち」
「ひでえ」
背中を叩かれて小さく咳き込んでいるうちに、二人はどんどん会話を進める。
「ま、ともかく。今日はお疲れさん。俺たちまだ片付けあるから」
「そっか、お疲れさん。渉会長もお疲れ様」
「…お疲れ様」
「早く風邪直るといいな」
にこやかに手を振られて、なんとか笑顔を返す。
「ありがとう」
「ほら、紗枝。いくぞ」
急かすように肩を抱かれて、その場を離れる。
強引な態度はいつもの麒麟らしからぬ感じはしたけれど、相手は別に不思議そうにもしてなかったし、紗枝にはいつもはこんなものなのだろうか。
この4日間、どちらかというと麒麟は奈江のことを壊れ物の様に扱っていた。
少し強い力で肩を抱き寄せ、身体を攫う様に早足で歩く。
麒麟の歩幅に足をもつらせそうになりながら、盗み見るように横顔を見上げた。