Since06
勢いだけで初日を乗り切って、2日目。
授業中や、その合間の休み時間はともかく、お昼休みのような長い自由時間は危険だ。
長々と話す羽目に陥る前に、桂香さんのところに行こう。
お弁当を持って、さっさと席を立ちあがる。
「紗枝?また、生徒会室?」
教室を出ようとした時に、そう声をかけられて
「ぇ、あ…うん、ちょっと…」
適当に咳など交えてごまかしながら、そそくさと逃げるように廊下に出た。
大した情報もなく、手探りで会話を続けるのは本当に疲れる。
もう、人の目があるところにいたくない。
桂香さーん、助けて。
心の中で泣き言を言いながら隣のクラスを除くと、教室内に生徒の姿はなかった。
教室移動だったのかな、……どうしよう。
昨日と同じように、視聴覚室に連れて行ってもらうつもりだったのだが当てが外れた。
戻ってくる生徒の中に、桂香さんの姿を探す。
だが、そんなことをしているとまた目立ってしまって、教室移動から戻った一人に声をかけられてしまう。
「紗枝、久賀さん探してるの?」
「ぅ、うん」
「もうすぐ来ると思うけど、どうしたの?」
「ちょっと……」
適当に誤魔化して視線を逸らした。だが、今度はその先にいた人と目が合ってしまった。
「お、紗枝」
「き、りん……く」
『君』付けしそうになって、慌てて言葉を飲み込む。
「よー、まだ調子悪そうだな。大丈夫か?」
「あ、うん。……だいぶ」
にこにこと笑いながら近寄ってくる麒麟に、ひきつった笑顔で答える。
「そっか。」
「ありがとう、心配してくれて」
「……。」
じっと顔を見つめられて、ぎくりとする。
何かおかしかっただろうか。
「ぁ、なに?」
「いや、なんでもねーわ。……でさ、今日の放課後なんだけど、最優先で承認してもらいたい書類があってさ、これ」
麒麟が話ながらさらに顔を寄せてくるのに、自然に身体が下がる。
多分持っている書類を見せたいからなんだろうけど、あんまり近寄られると困る。
「……紗枝」
「え?」
「お前、なんで離れるんだよ?書類見ろって」
「あの……見てるよ?大丈夫」
「なんだそれ?舐めてる……つか、なんかおかしいぞ、紗枝」
不満そうに片方の眉をあげて軽く睨まれて、つい愛想笑いを浮かべる。
「風邪がうつると悪いかなって……思って」
「は?なにお前、休む前はとっとと誰かにうつして、早く治そうって言って、わざと人の方向いて咳してたくせに……」
紗枝ちゃん……っ。
恨めしく思いながら、何とか言い訳を探す。
「あ……で、でも、やっぱり生徒会メンバーは休まれると、困るから」
そう言って距離を取ろうと、なおもじりじりと下がる。
「ま、そりゃそうだけど……って、おい!そう言いながら離れていくなよ、これじゃ普通に話すのも、話しにくいだろ?」
「え、だって……きゃあ!?」
どんどん距離を詰めようとする麒麟から離れようとして、足がもつれる。
「……痛…」
派手に尻餅をついてしまった。
恥ずかしい。
廊下にいた他の生徒の視線まで集めてしまっている。
これじゃ人目につかないようにどころか目立ち過ぎだ。
「……?何やってんの、お前」
呆れたような声が上から聞こえてきて、恥ずかしくて顔を上げられなかった。
「ごめ……」
「なんか、おかしいぞ。やっぱ風邪のせいか?」
そういうことにしておきたい。
でもあの渉紗枝がいくら病気でもここまで鈍くさいとか、胡散臭いと思われて当然だった。
なんとか誤魔化さなきゃいけない。
そうは思っても、言い訳すればするほど怪しいと思われてしまいそうだ。
「ホント、大丈夫かよ、ほら?」
「う……」
手を差し出されて、躊躇する。
親切にされているのはわかるんだけど、紗枝だったらどうするだろう。
手を借りる?
自分で起きる?
それとも、それとも……。
自分の兄弟のことなら、すぐにわかると思っていたのに、こんなことにまで悩んでしまって頭の中は真っ白だ。
「紗枝?」
ものすごく訝しそうな顔で麒麟に見下ろされているのを感じて、焦るばかりで動くこともできない。
「っとに」
どうしていいのかわからなくなっていると、腕を掴まれて、ひょいと助け起こされた。
ふわっと身体が浮く感覚。
軽々と持ち上げられるように、立たされてちょっとびっくりした。
そんなに力がありそうに見えないのに、簡単に引き起こされて目を瞬かせる。
男の子って、細くてもやっぱり力あるんだな。
そう思って顔をあげると、まじまじと顔を覗きこんでいる麒麟と目があった。
一瞬、鼓動が大きく一つ跳ねる。
「…、き、麒麟…?」
穴があくほどとはこういうことを言うんじゃないかというほど、熱心に顔を見られて、背中に嫌な汗が流れる。
「…奈江ちゃん?」
「……えっ?」
「奈江ちゃん、だろ?紗枝の、妹の」
耳を疑った。
……バレてる!?なんで……。
あれ、それもだけど、……私の名前…?
なんで私の名前、知ってるの?
頭の中で、いろんなことがぐちゃぐちゃに混ざり合って、ただじっと麒麟の顔を見つめて固まってしまっていたが、はっと我に返る。
驚いている場合じゃない、なんとかごまかさないと。
えーと、えーと、紗枝ちゃんなら……、こんな時なんて言う?
「な…っ…何言ってんの、い、妹って!バッカじゃないの!?そんなことあるわけないじゃない!よく見てみなさいよ!」
精一杯紗枝のふりをしてみたのだが、麒麟は真剣な顔のまま
「わかった、よく見る」と言ったかと思うと、掴んでいた腕を引き寄せた。
「ひゃあ!?」
顔が間近に迫って、思わず声を上げてしまう。
「え、ぁ…」
じっと見下ろされて、顔が熱くなる。
どうしようどうしよう、どうしたら……。
視線を逸らすこともできずに、ただ内心オロオロとしていると、真剣な表情から一転、麒麟は『しょうがない』みたいな呆れた顔になって、深くため息をついた。
「無理ありすぎ」
ぼそりと呟く。
「涙目だし、声震えてるし。紗枝どころか、威勢のいいふりにもなってないよ」
うわあああ、ごめんなさい!
心の中で、悲鳴をあげる。
桂香と紗枝の顔が交互に浮かんできて、申し訳なさに涙が出そうになった。
こんなに簡単にバレちゃうなんて、私のばかっ。下手くそ!
「ぁ……ぅ、……」
そのまま膝の力が抜けて、座りこんでしまいそうだった。
その時、
「副会長と会長。なにやってんの?」
「さあ、衣笠が会長の腕掴んで、なんか詰め寄ってる……」
「喧嘩か?」
気がつくと、廊下にいる生徒の注目をかなり集めていた。
もう、どうしたらいいの?
完全に思考が停止して立ち往生していると、麒麟に手を引かれた。
「え?え??」
「こっちきて」
「こ、こっち?」
「ここじゃ話できないから」
どうしていいのかわからず、そのまま麒麟に手を引かれて生徒会室まで連行されてしまった。
***
「とりあえず、ここなら誰も来ないし。誰か用事があって来ても、鍵かけてあるから入ってこられないから」
生徒会室に連れて来られて、それでもどんな態度でいていいのか分からず、麒麟の顔を見ると、苦笑いされた。
「そんな警戒した顔しなくていいよ。あの…奈江ちゃんだよな?」
優しく問われて、やっとのことで答える。
「……どうして、私のこと知っているんですか?」
「それは、えーっと…紗枝から、双子の姉妹がいることは聞いていたから、もしかしたらと思って」
確かにそれなら、つじつまはあっているけど。
紗枝はそんなに学校で奈江の話をしているのだろうか。
確かに自分たちは仲がいいけれども、桂花はともかく麒麟まで自分のことをこんな風に知っていると聞くと、いったい何を話したのかと不安になる。
「それよりも、どうして奈江ちゃんが紗枝のふりしてきてんの?」
聞かれて、一瞬迷ったが、いまさら隠してもしょうがない。
諦めて口を開いた。
「あの…紗枝ちゃん、急性気管支炎で、しばらく絶対安静なんです。だから…しばらく学校に来れなくて」
「それで身代わり?むちゃくちゃするなぁ」
目を丸くしていう麒麟の言葉に、自然と肩が落ちる。
「私もそう思いますけど、でも…紗枝ちゃんいま生徒会長として大事な時期で、ともかく学校に姿を見せているだけでもいいからって」
「まあ、確かにね。とりあえず生徒総会まではバタバタするし…、紗枝の場合は、いま誰にも隙見せられないだろうからな」
独り言のように小さな呟きに、漠然と不安になる。
「これって紗枝と二人だけの秘密ってことじゃないだろ?誰が協力してんの?」
もっともな指摘に、しぶしぶ白状する。
「……桂香さんです」
「久賀さんだけ?」
「はい」
「そっか、それじゃ俺と久賀さんが知っていて、あと現生徒会メンバーで知らないのは藤原だけね」
頷くと、髪をかき上げてしばらく腕を組んで考えた後、
「ちょっとごめんね」と、スマホを取り出す。
それにぎょっとして、その腕を掴む。
「ちょっと待ってください。どこに連絡するんですか?!」
腕にすがりつかれて驚いたように目を丸くしたが、麒麟はすぐに真面目な顔で答えた。
「どこって、久賀さんと藤原。さっき久賀さんの教室の前にいたってことは、約束してたんでしょ?連絡いれなきゃ心配するだろ」
「それは……そうですけど、でも藤原君は?」
「ちょうどいいから入れ替わってること、現生徒会のメンバー全員に知らせておいた方がいいと思う」
「ま、待ってっ」
メールを打とうとしている麒麟を、再び止める。
「桂香さんにも紗枝ちゃんにも相談しないで、私一人で勝手にそんなの決められない」
「でも、あと知らないのは藤原だけだよ」
「そうですけど…」
麒麟はいったんスマホを持った手を下ろして、奈江を正面から見る。
「あのね、奈江ちゃん。君にとって俺たちは知らない人だから、なかなか信用できないかもしれないけどさ、紗枝は俺たちの友達でリーダーだ。悪いようにはしないよ、大丈夫」
柔らかい声に、思わず視線を上げる。
本当ならぐずぐずと判断ができない、要領が悪い奈江に、怒ってもいいところだと思う。
だまされていたことだって、もっと不愉快だと態度に出してもおかしくないのに、麒麟の声は子供に言い聞かせるように優しかった。
「……ごめんなさい」
「いいよ。謝ることないから、そんな泣きそうな顔しないで」
頭に手を置いて、軽く撫でるようにされて頷く。
「他の二人呼ぶから、それまでちょっと待ってて」
麒麟が二人にメールを打っている間、おとなしく待つ。
落ち着いて考えてみると、麒麟の言った事は当たり前のことだった。
生徒会メンバーで入れ替わりを知らないのは薫だけ。
薫はおとなしく、口が軽いタイプでもない。
それならもういっそ、全員に教えて協力してもらった方が効率いいだろう。
「……ごめんなさい」
呟くと、メールを打っていた麒麟が、少し驚いたような顔で奈江を見た。
「え、どうして謝るの?」
「いろいろ迷惑かけてるから」
気まずい気持ちを隠さずに言うと、麒麟は少し困ったように笑った。
「いいよ。振り回されんのは慣れてるし。つか、奈江ちゃんも紗枝に無理やり協力させられた口だろ?こんな平日に身代わりなんてさ」
「それは、そうなんだけど……。私も断り切れなかったから共犯です」
「紗枝のゴリ押し断れるやつなんて、めったにいないよ。それよりもそんな落ち込まないで、待っててよ。今から二人を来るって」
励ますように言われて、さらに申し訳なくなる。
「絶対、悪いようにはしないから。信じてよ」
そういって笑う顔に、なぜかホッとした。
麒麟はもともと爽やかな感じで、奈江が苦手とする男くさいタイプじゃない。
優しい顔立ちをしているからそれほど嫌な感じはしないけど、それとはまた別の、不思議な感じがあった。
なんか、懐かしい……ような?
麒麟と顔を合わせるのは、今回が初めてのはずだ。
それは間違いないはずなのに。
二人に連絡を取っている麒麟をぼんやり眺めながら、胸の奥のもやもやの理由を探したが、結局わからずじまいだった。