Since05
午後の授業もなんとかこなし、やっと放課後になった。
もうここまでで疲労困憊だが、これからが生徒会の仕事をしなくちゃいけない。
いわば本番はこれからなのだ。
生徒会室で桂花と今は二人きりだが、これから執行部の人たちや生徒会の面々が出入りを始めるだろう。
心の準備をしなくては。
「大丈夫?」
桂香さんに声をかけられて、顔をあげる。
「なんとか」
「教室にいた時と同じで、『喉が痛い』ってことで、あまりしゃべらなくていいから」
「はい、頑張ります!」
一瞬、目を丸くした桂香さんが、小さく笑った。
「なんか、そういう顔しているとやっぱり双子ですね。紗枝と似てます」
「え……、そうですか?」
そういう顔って、どういう顔だろう。
思わず自分の顔に触ってみる。
「朝、奈江さんを見た時は、正直、すぐにギブアップで早退かなーと思っていたのですが」
「そんな……だって一日も経ってないのに投げ出すもなにも」
苦笑いをもらす奈江に、桂花がいたずらっぽく微笑む。
「あ、意外に負けず嫌い?」
「……そうかもしれません」
たまに紗枝よりも頑固だと、両親に呆れられることもある奈江だ。
負けず嫌いであるのだろう。
「じゃ、その負けず嫌いを発揮してもらって、もうちょっと頑張って。疲れているのはわかるけど、これから例の元生徒会長と引継ぎだから集中してね」
「はい」
それから思い出したように、桂花がスマホを操作して、何かを確かめる。
「あ、今日は藤原君、お家の用事があるから先に帰りますって。あと、衣笠くんは運動部の方の決算書と予算案提出していない部活に、督促掛けに回ってから来るって」
「そうですか……」
生徒会に人が少ないのはありがたい。
そう単純に喜んでもいられないけど。
これからのことを考えて、少し気持ちが沈みかけた時、ノックの音がして顔をあげる。
「失礼する」
声の一呼吸後、ドアを開けて入ってきたのは、随分と大人っぽい男子生徒だった。
フレームレスの眼鏡の奥は怜悧な目をしていた。
如何にもエリートって感じの、なんだか怖そうな雰囲気。
元生徒会長、安曇蓮先輩だ。
「今日はお早いですね、安曇先輩」
そう声をかける桂花を、蓮はじろりと睨みつけた。
「昨日、一日無駄にしたからな。できれば今日は遅れた分まで進めたい。まあ、そこの半病人次第だと思うが……」
そう言いながら、厳しい視線が自分に向けられて、びくりと身体が竦む。
ぇ、私……ですよね。
そう思いながらも、逃げたくなった。
こんなに人から敵意を向けられるのは、初めてだ。
「まったくこんなときに風邪で倒れるなんて無責任だぞ、渉」
「先輩、紗枝も好きで風邪をひいたわけじゃないんですから」
「当たり前だ。好きで倒れられてたまるか」
苦笑いでとりなそうとする桂香の言葉を無視して、冷たい声音で吐き出される言葉。
「体調管理も仕事のうちと思え。それができなければ、人の上に立つ資格はないぞ」
責めるというより、説教に近い。
これは紗枝がもっとも苦手なタイプの人だろう。
「これまでは後先考えずに突っ走っても許されただろうが、お前は責任のある身になったのだ。少しはそのことを自覚しろ。お前が勝手なことをすれば、周囲の負担が増えることを知れ」
なんか、この人すごく嫌な感じだけど……こっち見る目が半端なく怖い。
桂香に向けられた視線の比じゃない。
紗枝ちゃん、どれだけこの人と溝が深いの!?
最早、仲が悪いなんて話じゃない。恨まれているレベルだ。
「お前が体調を崩したせいで、周囲にどれだけの余計な仕事が増え、負担がかかったかしっかりと俯瞰してみるといい。そうして反省すれば、ありえない無茶も少しは減るだろう」
親の敵のように睨みつけたれたまま、ずけずけと物を言われて、思わず俯く。
でも紗枝が言うほど、嫌な人という気にもならなかった。
言っている内容は間違っていない……っていうか、この人なんかお年寄りみたい。
お説教長いし。
「聞いているのか、渉!」
「は、はい、すみません!聞いてます!ごめんなさい!!」
ビリビリと耳の奥に響く恫喝。
この人、嫌な人じゃないけど、怒鳴られるのはヤダ。
怒鳴られて思わず身を竦める。
「…………?」
あ、あれ。
桂香が軽く額を押さえて、俯いているのが目に入った。
それにその隣の蓮も、なんだかさっきまでの怖い顔じゃなくて、怪訝そうな顔をして見下ろしている。
「……渉にしては随分と殊勝な反応だな、気持ち悪い。まあ、いい。とっとと、引き継ぎを始めるぞ」
「は、……ぃ」
まずい。
いまのは完全に『紗枝ちゃんの反応』じゃなかった。
返事をしながら、桂香さんを横目で見る。
桂香が『頑張って』という風に、小さく握り拳を作って励ましてくれたのに、涙が出そうになった。
***
最初に蓮が入ってきた時はどうなることかと思ったが、引き継ぎはスムーズに進んだ。
まあ、スムーズなのは当たり前で、蓮は淡々と前年度の資料を見ながら説明するのを、奈江はただ黙って聞いているだけだった。
途中、麒麟が戻ってきたり、他の委員の人たちが出入りしていたが、引き継ぎ中ということであまり話しかけられることはなかった。
それもまた不幸中の幸いと言うほかない。
「今日はここまでにするか」
時計を見て蓮が言うのに、ほっとしてため息が出る。
「お前がいつものように無駄口を挟まなかったから、けっこうスムーズに進んだな。風邪をひいて声が出ないというのも、悪い事ばかりじゃなかったか」
随分な言われ様だ。
「この調子で明日からも進めていくぞ」
「……はぃ」
「それじゃ明日は年間で行う学外の奉仕活動についての話をするから、その資料を……おい、衣笠」
「はい」
別の机で作業していた麒麟が顔をあげる。
「お前、去年の実績まとめるのに参加していたな。まとめた資料、すぐに出せるか?」
「今は俺、資料整理の方タッチしてないんで、たぶん藤原ならわかるんですけど……明日、聞いてみます」
「そうだな。それじゃ、明日。俺が来るまでに資料を出しておくように、藤原書記に指示しておいてくれ」
「了解です」
それからもう一度奈江に向き直って、資料をめくりながら話を続ける。
「お前は途中から執行部に参加していたから、年度初めの奉仕活動については知らないだろう?他校との合同で行っているから、明日、藤原が出してくる資料をよく読んで、準備から報告書作成までのフローよく確かめておけよ。知らないと他校の生徒会と連携を取れなくて、困ることになるぞ」
「はい」
「それじゃ、今日はここまで。お疲れ」
そっけなく言って、資料を片付けている蓮を不思議な気持ちで見る。
意地悪でイヤミな言い回しもするが、仕事に関してはちゃんと説明してくれている。
それにとても頭がいいことは、話を聞き始めた時からわかった。
合理的だしイヤミな言い方しなければ筋が通っているし、紗枝ちゃんは嫌いなタイプじゃないと思うだけど、どうしてこんな喧嘩しているんだろ?
「……?なんだ人の顔をじろじろと」
「あ、いえ。なんでもないです。お疲れ様です……安曇元生徒会長」
相手の名前を呼ぶ時は慎重に。
今日一日で、イヤというほど身に染みた。
「ふん」
憎々しげに鼻を鳴らして、蓮は出て行った。
「……はあ」
肩に入っていた力が抜けた。
人に刺々しく当たるのも、当たられるのも疲れる。
「よ、お疲れ」
「……ぅ、うん」
麒麟がそういって机の前に立つので、途端にまた緊張して背筋が伸びる。
「病み上がりなのに、頑張ってたな。今日はもうあがれよ。あとは俺達でやっとくからさ」
そういって微笑まれて、気が抜けそうになったが、思い直して桂花を盗み見る。
「でも……」
この場合、紗枝ならもう少しと言って、生徒会の仕事をして帰るだろう。
でも長々といたら、ボロが出る可能性が増えるわけで……。
『どうしたらいいですか?』と視線で桂花に助けを求める。
それに気づいたのだろう。
桂花は書類を机の上でまとめると、おもむろに口を開いた。
「紗枝は無理しない方がいいかもしれないわ。駅まで私が送っていくから、今日はもう帰りましょう」
『今日はもう無理をしない方がいい』と、視線で促された気がして頷く。
「衣笠君、頼める?」
桂香が言うと、
「おう、まかせろ。俺も後少しやったら、戸締りして帰るからさ」
そう気持ちよく請け負った。
その笑顔に心の底から感謝した。
自分の机の上を片づけ、カバンを手にする。
「それじゃ、……遠慮なく」
「気を付けてな、早く治せよ、紗枝」
「ありがとう」
本当にいい人だな、衣笠君。
爽やかな笑顔を見ながら、そう思う。
桂花と二人で、そそくさと生徒会室を後にして、学校を出るとどっと身体から力が抜けた。
そのまま二人でバスに乗り、帰路につく。
「本当に今日は頑張ってもらったわ。今日はゆっくり休んでね」
桂花と分かれる時に、そういって労ってもらったが、自分としてはこれから帰って反省会という気分だった。
***
家に帰ると、お母さんから紗枝がすごく心配していたと聞かされた。
「どうしてるかな、大丈夫かなって。横になってはいたけど、落ち着かないのよね」
そんな風に呆れて言う。
そんなに心配するくせに、学校には明日も行けっていうんだろうな。
手を洗ってうがいをして着替えてから、紗枝の部屋に顔を出す。
ノックをしながら、声をかける。
「紗枝ちゃん起きてる?」
「起きてる!」
即効、返事が聞こえた。
横になってはいるけど、寝ていない。
確かに聞いた通りで、苦笑いするしかない。
部屋に入って見ると、紗枝はベッドの上で起き上がって本を開いていた。
これくらいはしょうがないかと思いつつ、ベッドサイドに座る。
「具合どう?」
「熱は微熱のままだけど、そんなに気分は悪くないよ」
やっぱり2、3日は熱が続くだろうと思っていたけど、すぐは下がらなかったようだった。
「それよりも今日、どうだった?」
「大変だったよ、いろいろとあったし。それに、やっぱり紗枝ちゃんは友達多いから、ごまかしきれないかも」
「ええ?そうかな?昼間に桂香に連絡もらった時は、頑張ってるよって来てたけど」
「それは頑張っているって報告で、……順調だったってことじゃないから」
額を抑えて答えたが、紗枝はあまり気にしていないみたいだ。
何かを期待するように、というか面白がっているのかもしれない。
今日一日のことについて、興味津々という風で聞いてきた。
「で、詳しく報告してよ」
携帯・スマホの類は構内での利用は原則禁止。(辞書ツールとしての利用は先生に寄ってはOK。スケジュールの確認やメールのチェックも休み時間ならばOK)
SNSの利用禁止。
守っている生徒と、そうでない生徒が半分ずつくらいという話だったが、この校則のおかげでバレずに済んだ部分もあると思う。
でも紗枝にしてみたら、学校と外の連絡はこまめに取れず、ずっと気になってしょうがなかったらしい。
「それはいいけど、安静にして。ちゃんと横になって、布団かけて」
「へいへい」
返事をしながら、紗枝はベッドに横になる。
とりあえず今日学校であった事や、蓮から教わったことなどをできるだけ、細かく伝えた。
「1日目から身代わりだってバレたってことはなかったけど、あんまり上手に紗枝ちゃんの代わりができたとは言えなかったよ。絶対怪しまれてる」
「ふうん。そっか」
何かを考えるように呟いてから、紗枝ちゃんはにこりと笑った。
「じゃさ、一応参考までに。奈江ちゃんの中で今日は一番の失敗は?」
「そんなこと笑顔で聞かないで」
肩を落として答えながらも、今日一日のことを振り返る。
「衣笠くん……かなあ。名前呼び捨てにできなかったし、のど飴断っちゃったし」
「のど飴?」
「声がおかしいって言われて。多分話し方に違和感があったのを、喉がおかしいせいだと思ったんだろうね。飴くれるって言われたけど、咄嗟に断っちゃたったの」
「ミント、きっついヤツだったから?」
「そう」
答えると、ふんふんと紗枝は納得して頷いた。
「そっか、それじゃ、明日からは、麒麟は要注意ね」
「うん、気をつけるよ」
頷いてはみたけど、果たしてこれからもちゃんとうまくいくのか不安だった。
「今日の報告はこれでおしまい。とりあえず、紗枝ちゃんには改めておとなしく寝ているようにね」
「はーい」
「私も疲れたから、今日はもうお風呂入って寝る」
「お疲れ、おやすみ奈江ちゃん」
「んー……」
紗枝の部屋から出て、自分の部屋に戻りながら欠伸をした。
明日も紗枝ちゃんのふりをして学校に行かなくちゃいけないんだと思うと、それだけでどっと疲れを覚える。
けど、ここまできたら難しく考えてもしょうがない。
今日はたくさんご飯を食べて、ゆっくりお風呂に入って明日への力を溜めることにした。