Since04
桂香さんのレクチャーを終えて生徒会室を出て、2時間目から授業に出るために教室に向かった。
けど校舎内に男子生徒が歩いているだけで、緊張する。
つい1年ちょっと前まで、中学校では普通の風景だったのに。
でも中学生の時は、みんなまだ子供っぽくてこんな大きくなかったし……。
「紗枝」
背後で声がしたけど、しばらくぼんやりしてしまった。
「……ぁ」
呼ばれているの、私だ。
「紗枝ってば、おい!」
声と同時に肩を叩かれて、飛び上って振り返る。
「は、はい!」
「……?なんだよ、おい大丈夫か?」
長身の明るい髪をした男子生徒に、びっくりしたような顔で見下ろされる。
生徒会副会長の衣笠麒麟くん、だ。
「風邪だって?」
聞かれてごまかすように笑う。
「ええ、まあ、……ちょっと」
「あんまり無理すんなよ。つっても、今は休めないよなぁ、お前」
「うん、……そうなの」
でも、本当は家で休んでもらっているけど。
そんなことを考えていると、ふと視線が合った。
「……お前、ちょっと声もおかしいな」
いぶかしげに見られて、びくりと背筋が伸びる。
「そ、そう!?ずっと、喉も痛いから、う、げほげほげほっ」
多分、おかしいのは声じゃなくて、話し方だと思う。
桂香にも指摘されたが、紗枝と比べると話し方の違いは明らかで、別人とすぐにわかったらしい。
それでも、ごまかそうと咳をしてみせる。
わざとらしい事この上なかったが、麒麟は心配そうに眉尻を軽く下げた。
「おいおい、大丈夫かよ……」
「うん、ちょっと咳が出るけど大丈夫」
言いながら、顔を背けるけど、かえって覗き込まれた。
あんまり、見ないで。別人なのがバレるから……っ。
そんなことを考えているとは思いもよらないのか、麒麟はますます気遣わしげにため息をついた。
「つらそうだな。あ、飴食うか?」
ポケットを探ると、のど飴を差し出される。
真っ黒な包装紙の飴は、ひどくミントがきついヤツだった。
前に面白半分に紗枝に口に放り込まれて、ひどい目にあったのを思い出す。
「ごめん、私、辛いの苦手で……」
苦々しい記憶を思い出しながら、丁重にお断りすると、変な顔をされた。
「え?そうだっけ?これ、お前がうまいって、教えてくれたヤツだぜ?」
「え!?」
今は紗枝として返事をしなくちゃいけなかったことを、今更ながら思い出す。
咄嗟に正直に自分の嗜好を離してしまった。
ともかく今は辛いアメとか、喉が痛くなるくらいきついミントタブレットとか好きだという風に振舞わなくては……。
なんとか取り繕おうとして、必死に考える。
「あ、その、えっと、違うの……私、自分でのど飴持ってるから、大丈夫」
「……そうか?」
「うん、ありがと、そろそろ予鈴鳴るね!行かないと」
あきらかに不思議そうな顔をしている麒麟から目を逸らす。
「そ、それじゃ、また、……あとでね、衣笠くん」
途端に、ものすごくびっくりした顔をされた。
「……?……っ、ぁ!」
思わず、口を押える。
間違った!
呼び捨てにしなくちゃいけないんだった!
でも口から出てきた言葉は、いまさら引っ込まない。
こわばった笑顔を張り付けたままじりじりと下がると、逃げるように駆けだした。
「おい、ちょ……紗枝!?」
背中に声が聞こえたが、振り返らずに教室に逃げ込む。
名前一つ呼ぶのにも、こんなに気を使わなくちゃいけないなんて。
自分が紗枝であるということは、外から見た部分だけ取り繕ってもダメなのだと実感する。
こんな風で、あと何日も紗枝ちゃんの代わりなんて勤まるんだろうか。
双子なのに、内面がまったく似ていない自分が恨めしい。
改めて不安を抱えつつ、ふらふらと紗枝の席に戻った。
***
お昼休みになると、桂香さんが迎えに来てくれた。
「お昼に行きましょう」
その姿に本当にほっとする。
ずっと緊張状態だったので、事情を知っている人がそばに来てくれただけで涙が出そうなほど安心した。
「桂香……」
そしてその安心感から、思わず『さん』とつけそうになって、あわてて口を押さえる。
お弁当を持ってふらふらと寄っていくと、苦笑いされた。
「お疲れ様」
「……はい」
返事をすると、桂花が声を潜める。
「とりあえず、お昼くらい人目につかないところがいいでしょう?」
「あ、もしかして生徒会室ですか?」
桂香さんは苦笑いで、手をひらひらとして見せる。
「ああ、あそこは意外とだめ。役員がいるとなると、昼休みだろうといろいろ持ち込んでくる人がいるし」
「そうですか」
「だから、授業以外で使用不可なところを使いましょ」
***
桂花に連れてこられたのは、視聴覚室だった。
特別教室の端だし、あまり利用する時以外は鍵がかかっているので、一般生徒は自由に出入りできないという。
扉のドアノブに手をかけると、桂花が目を瞬かせる。
「あら、鍵が空いてる。前の授業で使ったときに閉め忘れたのかしら……よく言っておかなくちゃ」
先に教室に入っているように促されて、中に入ると教室の前には大きなスクリーン。
席も階段状になっていて、ちょっと小さな劇場のようになっていた。
こんな立派な施設があるのか。
同じ私立でも、奈江の学校にはこんなに立派な視聴覚室はない。
「先に入ってて、飲み物買ってくる」
一度教室に入った桂香が自販機に飲み物を買いに行く間、ふらふらと手近な椅子に座る。
「はー、疲れた……」
ともかく、疲れた。
先生にしろ生徒にしろ、紗枝の顔を見ると、何かしら声をかけてくる。
いくら生徒会長といっても、あんなにいろんな顔が広いってどういうことなんだろう。
「紗枝ちゃん、人気者すぎだよ……」
思わず呟いた途端、がたんと奥の方で音がした。
「きゃ!?」
誰かいた!?
そちらに顔を向けると、プロジェクタや放送機材なんかが置かれているらしい小部屋の方から出てくる人がいた。
真っ黒のさらさらの髪、長い前髪で目のあたりが少し隠れているが、綺麗な子。
女の子みたいな男子生徒。
正直、制服を着ていなかったら女の子だと思っていたところだ。
藤原薫君、だよね。
藤原は別に驚いた様子もなく、じっとこっちを見ている。
こんなところで、生徒会メンバーと会ってしまうなんて。
何の心の準備もしてなかった。
紗枝として行動しなくちゃいけない、何か言わなきゃいけないと思っても、動揺して何て出てこない。
その間も、薫はじっと大きな目で見つめてくる。
なんか、動物っぽい。
「……紗枝先輩」
「はい」
ふらりと寄ってくる。
遠くから見た時は小さく感じたけど、近くで見ると意外に背が高かった。
すとんと隣に座ったのに、内心ぎょっとしたが、なんとか平然として見せる。
「風邪?」
「えっと、……うん」
「そう」
『そう』と言ったきり、会話が途切れてしまった。
どうしよう。
「『ローマの休日』観た?」
「え?」
「『麗しのサブリナ』?『ティファニーで朝食を』?」
どうして映画?
急に何を言い出すのだろう、というか以前の会話の続きとかだろうか。
紗枝と以前そういう話をしていて、その続きとか。
困ったな。
しかもこれ、たぶんこの作品の挙げ方だと、白黒のオードリーヘップバーンのバージョンの話をしているようだ。
紗枝ちゃんもたまに500円で買える古い映画のDVDとかぼんやり見ているけど、その話かな。どうしたらいいだろう……?
じっと隣から見つめる視線を感じながら、追い詰められているような気分になる。
下手にわかったようなこと言わない方がいいかな。
大体、今言われた映画、全部は観てないし。
「観てないよ。具合悪くて、薬飲んでずっと寝てたんだ」
「……そう」
言うと、一呼吸の間があってから、スッと立ち上がった。
こちらを見ることもなく、そのまま出て行こうとする。
「あ、ちょっと待って、あの……」
そのまま何も言わずに出て行こうとする藤原君の背中に、思わず声をかける。
「待って、……薫!」
藤原君と呼びそうになって、変な風に閊えたが、なんとか名前で呼ぶ。
さっきの失敗を繰り返すわけにはいかない。
薫は肩越しに少しを振り返ったが、興味なさそうな視線を向けただけで
「先輩、……早く風邪治してね」
ぼそりと呟いて、行ってしまった。
いまいち感情が伝わってこないけど、なんとなく彼には何かバレている気がする。